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2001. 2. 28
夕方廊下で先輩とすれ違って、とあることに気がついた。
つい数時間前にも顔を合わせた(もちろん職場で、だ)その人の、髪が短くなっていた。
『あっ、見つかっちゃったぁ。いやーん来ないでっ』
とばかりにそそくさと逃げをうつ先輩を、追いかけて彼の御仁のデスクまで行った私に。
小首を傾げ、ホホエミを浮かべ、カワイコぶって先輩はこう宣った。
「会社のために、身だしなみをね♪」
──そうですか。
でも先輩。
おもいっきり就業時間内なんすけどっ!?
何よりも、40ちかい男がそんなコトしてもちぃとも可愛くないんですが。
ちなみにこの先輩、想像の中で雪の代わりに『私』を屋根に積もらせたのと同一人物である。
せっかくなので許可をもらってネタに使わせていただいた。
が、さすがに『3月のアタマ』に持ってきて1ヶ月人目に晒すのも可哀想かなぁ、と、少しばかり慈悲のココロを発揮してみた茶寮主でありました(微笑)。
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2001. 2. 25
今度はオーディオが代替わり。
持っていたのは高校の頃買ってもらって、大学の4年間も就職してからもずっと一緒に過ごしてきたCDラジカセだったのだけれど、少し前から片方のスピーカーが昇天してしまっていたので、とうとう新しいのを買ったのだ。
このCDラジカセ、買う時値段は張ったけれど音は抜群に良いシロモノだった。音の良さに私よりも親父殿が惚れ込んでしまって、予想外に良いモノを買ってもらえたのだ。
スピーカーがよいので低音がちゃんと響く。音がこもらない、曇らない。音量を上げても音が割れない。CDラジカセと言いながら、そんじょのコンポなんかよりよほど良い音を、私に聴かせ続けてくれた。
その音質に馴れてしまったおかげで、新しく買ったコンポも値は少しばかり張るけれど音の良いのを選んだ。
店員さんにいくつかの製品を聴き比べさせてもらいながら、しみじみと思ったものだ。
「ウチの子って、ほんっとに音が良かったんだなあ」と。
V社のもP社のもS社のもA社のも、店にあるのをいくつか試聴させてもらったけれど「これなら今の子をそのまま使う方がなんぼかマシだよ」と心に寂しい風が吹いたくらいだ。
結局店員さんも「音で選ぶならここです!」と推したONKYOのコンポを選んだ。
旧機くんとはこれでお別れ、ではなくて。
実は週明けから職場で活躍してもらうのである。
FMを聴くくらいなら何の問題もないので、きっと職場で一番良い音でFMの流れるスペースを作り出してくれることだろう。
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2001. 2. 21
仕事中のこと。
なんだか眠いなあ、と思いながら、日本語の文章を入力していた。
自分ではちゃんと原稿通りに打ち込んでいるつもり、で、いたのだが。
どうしても辛くて、
(ダメだ、眠いーっ!)
と、思いきり頭を振ってふとモニタを見ると、あらぬ文章を打っていた。
『見えるに違いない』なんて小説口調で書いてあるマニュアルなんてあってたまるもんか。
おかげで一気に眠気が吹き飛んだ。
そういえば高校の頃、英語の授業中に、自分ではちゃんと意味の通ったきっちりした英文を読んでいるつもりでいたのに、ふと目をしばたいて教科書を見たらそこにあるのは先ほどまで自分が読んでいたのとはまるで違う文章だった、などということもあった。
いくら眠いったって、文章を捏造するってのはどうなんだ自分…………。
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2001. 2. 16 おやじの君が代
『10年を一昔というなら』の書き出しで彼の名作『二十四の瞳』の冒頭を飾った壺井栄女史に倣うなら、今をさかのぼること二昔ほど前。「5年、いや3年でもう『一昔』だろう」という声に従うなら、もう三昔も四昔も前になる。そんな、昔。
村木賢吉というおじさまが歌ってヒットした、『おやじの海』という歌があった。
ちからいっぱい『演歌』だったのだが、「うみ〜は〜よ〜ぉお〜、うみ〜はぁよぉ〜〜」で始まるその歌は、黒柳徹子さんが司会を務めた番組や、島田紳助さんと和田アキ子さんが司会を務めた番組に堂々のランクインを果たすほど、本当にヒットしたのだ。
子供心にしっかりとインプットされてしまうほどに……。
これは、それからもう数年が経過した頃の話である。
教室で友人たちといつものように馬鹿話に花を咲かせていたら、どういう話の流れでか、中の一人が
「なあ、君が代って知ってるか?」
などとすっとぼけたことを言い出した。
「知ってるよ、んなもの」
ナニをいきなり、と、そんな思いをあからさまに表に出して、私たちは答えた。
だが、彼はそこで話を終わりにはしなかった。続けて言った。そう、まるで「知っている」と答えた私たちを疑うように。
「ホントに知ってる? じゃあ、歌える?」
ここに至って、私たちはちょっとムッとしたのだ。反対に訊き返した。
「歌えるよ。じゃあそんなこと言うあんたはどーなんだ?」
「歌えるよ。」
自信満々に答えた彼は、そうしておもむろに歌い始めた。
張りのあるボーイソプラノで。高らかに胸を張って。朗らかなメロディに乗せて。
「きみぃ〜がぁ〜よぉ〜〜〜〜っ」と。
──もうお判りだろう。
そう、彼が『君が代』冒頭のワンフレーズを乗せて高らかに歌い上げたそのメロディは、誰がどう聴いても、『おやじの海』のそれだった。
私たちがすかさず
「アホウ、そりゃ『うみ〜は〜よ〜〜』だっ!!」
と彼のアタマをはたいて突っ込んだのは言うまでもない。
あまりのインパクトに、この秀逸なボケは、以来私の心に焼き付いてしまい、『君が代』を耳にする度に条件反射のように甦る。
きっと死ぬまで忘れないに違いない。
私は彼に、恨み言を言うべきか、それとも感謝を捧げるべきだろうか。
でもこうやってネタにしているんだから、きっと後者だな(笑)。
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2001. 2. 11〜12
年越しをした5人で、再びの『ビデオ大会』。
もちろんネタは『闇の末裔』である。録画をお願いしていた友人の都合で、ラスト2回を受け取るのが年明けになっていたのだ。
大晦日、我々の気力を奪ってくれたアニメの最終2話である。昼間に見たくは、なるべくない。どうせなら、見るのは何かおいしいものでも食べて英気を養ってからにしたかった。
というわけで、夕方6時に我が家に集合して、まず近所のちゃんこ鍋屋へ。
私のリサーチ不足だったのだが、どうやら夜はコースメニューしかないようでちょっと(というか結構)高くついてしまったのだが、突き出し、刺身、牛肉のたたき(ごま風味だれの一風変わった味付け)、鶏肉のピリ辛煮込み、ちゃんこ鍋(醤油ベース・こちらもすりごまをプラス・うどんか餅つき)で構成されるコースは、量もたっぷりで味も満足のゆくモノだった。
夜9時前に我が家に戻ればいよいよビデオ鑑賞会である。
が。覚悟が出来ていたからか、1時間だったからか、それとも耐性が出来てしまっていたからなのか。(最後のだったらかなりイヤ)
思ったほど疲れなかったのだ。『先生』他の行動に笑ったにもかかわらず。
結局、案外と間を置かずに立ち直り、祐さんご持参の劇団☆新感線『スサノオ』のビデオを見せてもらって、笑って、話して、脱落者2名を出しながらもまだ話して、明け方まで。
新感線の芝居を見るのは私は初めてだったのだけれど、テンポがよくて随所に笑いがあってしかもストーリーも面白くて、とても楽しませていただいた。
「それはそれ。これはこれ。」名言だ(笑)。
12日は、午後用があるという睦月ちゃんを昼過ぎに送り出してから近所の紅茶専門店へ出かけ、ランチを食べてまた話して。
最終的なお開きは12日夕方5時前だった。
楽しかったのでまたやりましょうご一同♪
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2001. 2. 10
多事拾遺物語掲示板にちらっと書いたら、どうやら興味を引いてしまったようなので。
ちょっとホラーな私の雛飾りの話。
私が小学生の頃のこと、だったはずだから、もう随分と昔の話になるのだが。
小学校に通うようになったら、だったか10歳も近くなったら、だったのか忘れてしまったが、もう雛人形を飾る年じゃない、と言われて雛祭りに雛飾りを出さなくなって、2年ほどが経過していた。
私が生まれた時に誂えたという7段の雛飾りは、お内裏様にお雛様、大臣方、三人官女、五人囃子に牛車や箪笥などこまごまとした道具類に『楽しい雛祭り』のオルゴールがご丁寧についた、結構立派なもので。
そうして当時それらは押入の天袋にしまい込まれて眠っていた。
あれは多分、時期外れもいいところの11月、だったと思う。
子供にとっては立派に『真夜中』の、夜の11時を回った頃。
何故か眠りの底から浮上した私の耳に、その押入の天袋から、カチリとちいさな音が届いた。
……なんだろう、と、不審に思う間も、多分なかった。
続いて別の音が暗い室内に響いた。
別の音──オルゴールがゆっくりと奏でる、『楽しい雛祭り』の最初のフレーズが。
タ・ターン・タ・タン……………
それきり途切れたオルゴールの音色は、どれだけ待っても再び鳴り出しはしなかった。
背筋を冷たいモノが駆け抜けたことを覚えているが、我ながらよく泣かなかったモノだ。
だって、今でも立派に『ホラー』で通りませんか、コレ。ねぇ?
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2001. 2. 5
会社のデスクの近くに、大きな『幸福の木』がある。
鉢の大きさに比して育ちすぎ、上の方は枯れてしまったため切り落とされて、まるでただの木か茶色のサボテン。まるっきり見る影もないが、それでも根本から生えた葉が茂って、大きな添え木の横に葉っぱだけが生えたような、見るからに不思議な形の『幸福の木』だ。
その、『幸福の木』に、先日花が咲いた。
観葉植物の『幸福の木』に花が咲くとは思わなかった。見たことも、聞いたこともなかったが、実際咲いているのだから、あれもそういうものなのだろう。
色と形は、広がってないヤツデの花。花茎の長いふきのとう。色が白くて茎の短い菜の花の蕾。と言えば、近いだろうか。
あまりにささやかで、ひかえめで、ちいさくて、私が言うまでどうやら誰も気付いていなかったらしいのだが。
幸福の木に、花が咲いた。
言葉にすると、微笑ましい。
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2001. 2. 2
あっと言う間に月も改まって、明日、3日は節分。
世間様では豆まきをするこの日だが、我が家ではそれをやらなくなって久しい。
それまでは毎年ちゃんとやっていた豆まきを止めたのは、兄が大学に進学した年の冬だった。
「だって、お兄ちゃんがいないのに鬼は外って言って豆まきしたら、今家にいないお兄ちゃんがまるで鬼みたいじゃないの」
この母の言葉が、全てを決めた。
子供心に少しばかり残念には思ったけれど、その母の考え方が、今でも好きだ。
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