2001年1月の私淑言


2001. 1. 30

会社帰りにふと目にした駅の伝言板に、こんな文字が踊っていた。

「ちょうさいやく」

これはアレだろうか。
『ちょーサイアク』を「ちょーさいやく」と発音する御仁が、それをそのまま文字にしてしまったのだろうか?
もしもそうなら、言文一致にも限度があると思うのだがどうだろう(苦笑)。
……それともひょっとして、これを書いた御仁が訴えたかったのは、本当に
『ちょー災厄』
だったのだろうか!?
『災厄』を超えた『ちょー災厄』。
『ちょーサイアク』なんかより、こっちの方がずっとコワい。

 


2001. 1. 28

ムームーさんと万里ちゃんと3人で、近所の紅茶専門店に紅茶とケーキを堪能しに行く、予定だったのだが、待ち合わせの時間前に買い物がてらちょっと遠出して店の前に行ってみたら、なんとシャッターが降りていた(^^;)。
どうやらママさんかマスターかが、風邪を引いたかなにかしたらしい。
チェーン店でもなければバイトもいない、街のちいさな喫茶店では、時々こんな落とし穴ハプニングが発生するのだ。
というわけで、急遽お店を、少し遠くはなるがやはりケーキと紅茶が評判だというフレンチパウンドハウスに変更。
3時前にお店に入り、それぞれ好みのケーキとお茶を頼んで、そのまま喋り倒すこと、なんと4時間(笑)。
店を出る頃にはすっかり暗くなっていた。
お店の人には、やはりちょっと(いやかなり)迷惑だっただろうなぁ……。

 


2001. 1. 27

目覚めた時やけに静かだったから、ひょっとして、と思いながら起き出してみたら、案の定雪が降っていた。
それも、東京では3年ぶりの大雪。
隣家の屋根がもう白い。ベランダの手すりにも数センチ。窓越しに見る雪は、昼を過ぎても降り止まない、どころか風の強さもあいまって、勢いを増す振り方を、した。
それでも、というか、だから、というか。
わざわざ図書館&本屋経由で買い物に、いそいそと出かけるバカがここに1匹。
人目のないところでは、新雪を踏んで喜んで。階段の雪かきが必要なほどの大雪は、本当に久しぶりだったから、それもついつい喜んでしまった。
が、この大雪で怪我をした方も多く、交通網の乱れで実害を被った方々は更に多い。亡くなった方もおいでの由。
雪に弱い東京を再認識した1日だった。
そういえば先週の土曜日も、雪。
今年はひょっとして、土曜日が雪のアタリ日、なのだろうか?

 


2001. 1. 23

昨日のことになるが、8日の成人式で橋本県知事に「帰れ」の暴言を吐いて式の進行を妨害した高知市の20歳男性4人が、知事公邸に出向いて謝罪したそうだ。
「そんなに退屈な成人式なら、もうやめた方がいいですか?」
との橋本知事の問いかけに、彼等は
「自分達のせいでなくなってしまうのは後輩達に申し訳ないから続けてほしい」
と答えたという。
他方、威力業務妨害で訴えられた香川の5人は、略式起訴の後、一人は家庭裁判所へ送致され、残る4人はそれぞれ罰金を払って釈放されたのだとか。

謝罪して和解するのと、罰金を払って釈放されるのと。
ともにその『原因』となったことは共通するが、どちらの『結果』が清しく映るかは、言うまでもないことではなかろうか。

 


2001. 1. 20

某サイトの旧常連(苦笑)メンバー8人で、銀座で新年オフ。
週のあたまから、土曜日は天気が悪いという話だったのだけれど、夕方5時の待ち合わせに、集合場所にたどり着く頃にはすっかり『雪』。
メンバーが(ひとりを残して)揃うのを待って移動を開始、した頃にはもうすっかり本降りになっていた。
途中で残るひとりと合流して、まず向かう先はカラオケ屋(笑)。
『らいおんハート』でひとりが壊れるのに笑ったり、不意打ちの替え歌に腹筋が痛くなるほど爆笑したりで、適度に濃い2時間を過ごす。
雪の影響を慮ってひとりが帰宅した後、8時から夕食。
東南アジアやバリあたりの雰囲気の内装の店に赴く(『ガネーシャ』という名前らしい。情報メールありがとうムームーさん♪)。
料理は結構美味だったのだけれど、ここで笑ったのは、カクテルだ。
メニューには、普通のカクテルに加えて、ゴジラ、モスラといった怪獣の名前のカクテルや、映画を元ネタにした名前のカクテルが並んでいる。
試しにひとりが頼んでみた。
その名も『貞子』と言う名のカクテルを。
『貞子』。店員さんが持ってきた瞬間に『ソレ』と判るモノだった(笑)。カクテル自体も、白い液体の中、グラスの底に中にタピオカと、海草、なのだろうか、黒い糸状のモノが沈んだなかなかな見た目をしていた。ちなみに味は、なにやら甘かった、そうだ。
喋り倒しつつ料理も堪能した2時間半の後、帰宅するかしないかで少し悩んでいたのだが、結局オールナイトのカラオケに突入(苦笑)。
そこでも濃い時間を過ごして、朝の6時前に解散となった。
雪はもうすっかり止んで融け始めていて、お世辞にも歩きやすいとは言えない状態だったけれど、転ぶ人もなく、無事に楽しく終わったオフ会だった。
それにしても、雪道に一番慣れているはずの東北出身者が一番足取りが危なっかしかったのは、一体どういうワケだろう?(笑)

 


2001. 1. 15

日本列島を大寒波が包んで、日本海側では稀に見る大雪になっているそうだ。
会社のある先輩には、金沢の友人から「すごい雪だよ」と電話がかかったのだとか。あまりの降雪量に、そのご友人、「連絡がなくなったら屋根が潰れたと思って」とも宣ったらしい。
聞けば、雪国の家の屋根は、だいたい150cmくらいまでの積雪には耐えられる設計になっているとのこと。
それを言いながら、先輩の視線がふっと私をかすめた。
私は思った。
(……大体私が埋まるくらいだな、とか考えてるな……?)
だから先輩に水を向けてみたのだ、「何考えてるんですー?」と。
が、敵は一枚上手だった。先輩は答えて曰く
「……いや、狐ちゃん(仮)がぎっしり並んで屋根にのっかってるトコ想像しちゃって。
………………想像するなよそんなトコ(^^;)。
あまりに馬鹿馬鹿しいので話に乗ってみた。
「じゃあ何ですか、私が降ってくるワケ、すとーん、すとーん、って、あんまり音も立てずに? でもって隙間なくぎっしり並んで、朝気が付いて『うわっ!』とか言ってびっくりした人をじぃーって見るんですかい全員で?」
………………立派にホラーぢゃないかソレわすでに(^^;;;)。

ホントに馬鹿馬鹿しいので私淑言のネタにしてみた先輩後輩の会話であった(自爆)。
実際に大雪に見舞われている地方の方々には笑い事じゃないので、被害のないことを心よりお祈り申し上げる。

 


2001. 1. 13

翠條さんと、東京都庭園美術館で開催中の『ルネ=ラリック展』に行く。
実は12日、珍しく体調を崩して会社を休んでいたのだが(なんたって朝目覚めたらだるくて起きあがれない上にご丁寧に吐き気や頭痛まであって、「会社に連絡しなきゃ」と思うそばから意識が途切れて気が付けば30分とか1時間が経過していたくらいに絶不調。会社に連絡を入れられたのはやっと昼前、まともに起きあがったのは午後の3時を過ぎてからだったのだ)、夜も9時を過ぎる頃にはすっかり快復して、「何だったんだアレは?」状態になったのと、やはりどうしても見ておきたかったのとで、日曜一日寝倒すつもりで出かけたのだ。

前に訪れたときは外側の改装中だったので、旧朝香宮邸全体を眺めるのはこれが初めて。シンプルな中にもどこかに優雅さと気品を感じる建物だけれど、改装前は外壁が白にもっと近かったそうで、クリーム色の今よりもそちらの方がよかったかも。

展示は、ルネ=ラリックの初期からの作品(アクセサリー、花瓶、香水瓶、テーブルセンターや食器その他の日用品からカーアクセサリー、ショールまで多数)の数々を、時代やジャンルごとに分けてあって、点数も多かったこともあってとても見応えのあるものだった。展示室の配列の関係で、危ういところで晩年に制作された香水瓶やプレス制作の作品を見逃すところだったけれど(最後の数室を見る前に休憩室に行ってしまったのだ)、それも気付いて引き返して全制覇。彼の制作物の製造法や着色方なども判って、非常に内容の濃い3時間だった。
が。後で気付いて笑ってしまったのだが、来場していた女性陣がアクセサリーを眺めながら口々に「綺麗ネェ」「素敵」などと溜息混じりの感想をこぼしていたのに、我々は最後までそんな言葉は、思っても口にしなかったのだ。出るのは「重そう」だったり「これどこにつなぎ目があるんだろう」だったり「裏までちゃんと細工してあるよさすがー」だったり。
色気のかけらもないのであった(笑)。

時間に余裕があれば上野の国立博物館にも行こうかと話していたのだが、庭園美術館を出た時点で既に午後3時近かったのと、まだお昼を食べてなかったのとで、目黒駅に戻ってお昼を食べて、それで解散したけれど、楽しい美術展観覧だった。

 


2001. 1. 10

8日の成人式で騒ぎ立て、祝辞を述べていた市長に向けてクラッカーを鳴らした5人を、高松市が、威力業務妨害罪で告訴したそうだ。
当然、だと思う。
祝辞の最中に「帰れ」と言ってみたり、式の最中に酒を飲んで騒いだり。
退屈なだけの成人式を考え直せ、という人もいるようだが、それ以前の問題だろう。
退屈ならば出なければいいのだ。目立ちたいなら余所でやれ。迷惑というものを考えろ。
そんなことも判らない、場をわきまえない、自由の意味を取り違えた連中がそのまま『大人』の仲間入りをすることに、今回の告訴は『待った』をかけるいい機会だ。

 


2001. 1. 8

7日夜から降り始めた雪は、雨まじりになりながらもなんとか残って、朝にはあたりを覆っていた。
東京ではこの冬最初の雪。
積もったとはいってもべた雪だったから、成人式のために晴れ着を着た方々はさぞかし歩きにくかったことだろう。
この冬の雪は、多いだろうか、少ないだろうか。
雪のほとんど降らない場所で育ったから、積もってくれれば嬉しいのだけれど、この東京であまりたくさん雪が積もると色々と弊害が多いのも事実で。
適度に積もってくれるといいな、などと、勝手なことを思う。

 


2001. 1. 7

昨日、今日と、NHK特集で『三蔵法師 祈りの旅』という番組を放送していた。
奈良・薬師寺は玄奘三蔵院の平山郁夫氏の壁画に絡めて、玄奘三蔵の旅を辿ろうという主旨である。
『大唐西域記』の著者で、『西遊記』の主人公のひとりで、インドから中国に数多の仏典を持ち帰ったその人が、『人々の心を救う仏教』を求めて旅立ちを決意したのは28歳の秋だったそうだ。
禁を犯して国を出、ひとりインドへと向かった道のりは、砂漠あり山岳地帯ありオアシスありの厳しいものだ。車の使える今ですら困難なものを、徒歩で行くのは想像を絶する。
さまざまなものを見、さまざまな人に出会い、仏教の生まれた地・インドでその衰退を目にして、嘆きの中でそれでも仏典を手に入れ、帰国するまで、16年。朝廷に仕えよ、との皇帝の要請を固辞して仏典の翻訳に費やすこと20年。
65歳で亡くなるまで続けられたその翻訳は、量と正確さにおいて、他に類を見ないものなのだという。
今、中国やインドでは、玄奘三蔵の偉業をたたえて記念施設を造ろうとしているそうだ。目指すは同じ仏教文化を持つ国同士の交流だとか。
ふと、思う。
彼は今のこの状況を、喜んでいるだろうか。それとも自分の名がこんなふうに使われることを嘆いているだろうか。それとも「どうでもいいですよ」と笑うだろうか。
彼の通った道の一部、アフガニスタンからパキスタンへの道程は、度重なる戦争の影響で今は通ることが出来ない。彼が見上げたバーミヤンの大石仏の、顔は爆破されて見る影もない。
玄奘三蔵の旅から1300年。彼の『祈り』は、多分まだ続いている。

 


2001. 1. 6

今回はちょっと真面目に。
省庁再編が実施され、旧来の1府22省庁から1府12省庁になった。
目指すは縦割り行政の改善と、行政のスリム化、透明化に、政治主導の政策決定だとか。
各省庁には副大臣が配置され、それらを統括するものとして内閣府が新しく置かれた。
半世紀ぶりの抜本改革。
とりあえず、器は出来上がった。
あとは、中身の問題である。っても、こちらの方が余程肝心、なのだけれど。

 


2001. 1. 2 彼女に何が起こったか。

多事拾遺掲示板やメールで「何があったの?」と再三訊かれた『睦月ちゃんの天然さんぶり』。ご本人の許可が下りたので、解説しよう。

 

2001年まであと数時間に迫った2000年12月31日午後4時前、睦月ちゃんから連絡が入った。曰く、
「狐さんちって、○○駅でよかったんですよね? でもって、何番目のお部屋でしたっけ」
私はしばらく固まってしまった。
なんとなれば、彼女が「よかったんですよね?」と言って挙げた駅名は、ウチの最寄り駅から更に2つ先の駅のそれだったから。彼女がウチに来るのは、これが初めてではないにも関わらず、だ。
一瞬だけ、思った。
試しに「そうそう。頑張って辿り着いてね」と返してみようかと。
さすがに酷すぎるのでそれは止め、正しい駅名を教え直して更に「心配だから駅に着いたら連絡して。迎えに行くから」と、答えた。
が。
話はこれだけでは終わらなかった。
集合時間にしてあった夕方6時も近くなった頃、再び睦月ちゃんから連絡が飛び込んだ。
「あのー、すみません。○○神社って、この近くでしたっけー?
…………確かにウチの近くには神社がある。あるが、『この近く』と彼女の言う、その基準点はどこなのだ。彼女は一体どこにいるのだ。
脱力して座り込んだ私を、先に到着していた祐さんとドラちゃんさんが笑って見ている。
溜息を隠して私は訊いた。
「……睦月ちゃん、今どこにいる?」
確認してみると、どうやら彼女がいるのは当の神社の鳥居の下、であるらしい。
「……迎えに行くから、そこにいて。」
気を取り直して立ち上がった私を、ふたりは暖かく見送ってくれた。

これが、2000年の終わりを華々しく飾ってくれた『睦月ちゃんの無敵の天然』である。
1年の最後に爽やかな笑いをありがとう睦月ちゃん!
「2001年もよろしくね♪」と笑顔で言った私達は、やはり鬼だろうか(笑)。

 


2001. 1. 1

去年ほどの盛り上がりもなく、なんだか穏やかにやってきた21世紀を、今年も我が家で、今度は去年とは少しメンバーを変えて、翠條さん、祐さん、ドラちゃんさん、睦月ちゃんと5人で迎えた。
夕方6時を目安に集合し、睦月ちゃんの繰り出す数々の『技』(笑)を堪能しつつ、お茶や食べ物を片手に、見るのは友人に録画してもらった『闇の末裔』。某医師のしぐさや言動のアヤシサに気力を奪われ続けた5時間強だった。大晦日に何をやってんだかまったく(苦笑)。
お陰でその後に見た映画『新宿少年探偵団』の、えらく印象が薄くなってしまった。
食べて、飲んで、笑って、話して、寝て起きて朝食を摂ってまた話して。
午後になってから、近くの神社に初詣に出かけてそのまま解散した。
翠條さん、祐さん、ドラちゃんさん、睦月ちゃん、楽しい年越しをありがとう。そしておつかれさまでした。
また今年の大晦日もやりましょう♪(←おいおい)

 


 

 

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