2000年7月の私淑言


2000. 7. 28

エアコン復活。
やっと交換用のホースが届いたとのことで、今朝、業者の方がやってきて我が家のエアコンを復活させてくださった。
これで、おそらくは今年も何度かあるだろう「それ、体温にしても高いって。熱あるよアンタ(^^;)」な日々への備えができた。
と言っても、先週末の35度だの38度だの言っていた日々をエアコンなしで乗り切ったのだから、冷房なしでも多分くたばらない私ではあるけれど。

それにしても今日が比較的涼しい日でよかった。
いくら仕事とはいえ、業者さんだってそんな人の体温ほどもある空気と照りつける日差しの中、戸外で作業するのはイヤに違いない。

もうすぐ8月。
日本の夏はこれからである。

 


2000. 7. 22 大暑

22日は二十四節気でいうところの『大暑』なのだそうだ。
暦の上ではこの日が暑さのピーク、ということになる。が。
当たり前だが日本の夏、暑さはこれからが本番である。うちの近所でもクーラーがフル稼働している。
あくまでも、「近所では」。
うち、ではない。
なにゆえこの最高気温35度ぶっちぎりの毎日に冷房を使わないかと言うと、だ。
使えないのだ。
先日「いい加減暑くなってきたから、そろそろ冷房を……」と思い、フィルターの掃除をして外を見たら、排水ホースが途中でぱっきり折れていた。それだけならビニールテープで補修するのだが、どっこいホース全体が朽ちているようで、途中あちこちひび割れが出来ていた。
すぐに管理会社に連絡を入れてホースの交換を依頼したのだが、工事を請け負う会社の方でホースの在庫が切れていて、注文して届くのにしばらくかかるのであるらしい。
連絡をしてくれた管理会社の女性社員は申し訳なさそうに
「すみません、来週になってしまうかもしれないんですが……大丈夫ですか?」
と言ってくれたが、仮に私がここで「いやあの、大丈夫とは言えないんですが……」と答えたところでどうにもならない。
大体、7月半ばなんぞになってから排水ホースが朽ちているのに気付く私も悪い。
実際それほど暑さに弱いワケでもないので、
「ええ、まあ大丈夫です。それじゃホースが届いたら連絡を下さい」
と答えて電話を切った。
それが、先週の月曜日。
まだ連絡は来ない。
本日の東京の最高気温は35度近く。文字通りの『大暑』である。
暑さに弱い友人達なら、今頃きっとくたばってるだろうな、などと思いながら、グラスに冷やしたジャスミンティーを注ぎロックアイスを浮かべて、視覚と聴覚と味覚で涼を楽しんでいる。

 


2000. 7. 19 2000円札発行

7月19日、故・小渕恵三氏が突然思いついて『作ろう』と言い出した2000円札が発行された。
表に沖縄・首里城は守礼門、裏に源氏物語絵巻からの『鈴虫』と紫式部の肖像画を配し、偽造防止のために色々とハイテクを駆使して作られた、52年ぶりの新札(新しい金額の紙幣という意味で)発行なのだそうだ。
私はまだ見ていないので、何とも言えない。
まああまり見たいとも思わない。
こんなことに金使うより、他に回すところがあるだろう、と思ってしまうのだ。
世間の方々もどうやら似たような感慨をお持ちのようで、あまり騒ぐ様子を見かけない。
それでもやはり、並んで交換した方々なども、いらしたようではある。

さて、この2000円札。他の紙幣達のように、出回るようになりますかどうか?

 


2000. 7. 18 間違い、それとも?

先日某新聞に、学生の誤字リストを見せてもらった、という編集氏のコラムが載っていた。
思わず腰砕けになりそうなとんでもないモノから、膝を打つような秀逸な誤字まで、いくつか取り上げて解説をなさっていたのだが。
ふと、脳裏に昔の記憶が甦った。

その昔。某「ボールは友達!」と言いながらその友達を蹴り飛ばすスポーツマンガ(笑)が人気だった頃のことだ。
漢字の読みの問題で、『日向』というのが出た。
教科書的な答えは『ひなた』である。
が、その「ボールは友達!」マンガにかぶれていた私達は、ほぼクラスの全員が、揃いも揃って『ひゅうが』と回答してしまっていた。(←判る人だけ判って下さい・笑)
ビバ、○ャプテン翼!
その回答の出所を知った教師が呆れたのはもちろんのことである。

こんなこともあった。
教師が黒板に『真○○』と書き、○2つを漢字で埋めて3文字の言葉を作れと言った。
この場合の教科書的答えは『真善美』、だったのだが。
しばらくして指名された1人が、前に出て書いた言葉は、『真正面』。
なるほど、と、私達は思った。けれど教師は苦笑しながら言う。
「うん、まあそれもアリかもしれんがな……」
(違うのか。)
顔を見合わせしばらく考え、やがて1人が手を挙げた「はい! じゃあこれ!」。
そうして白いチョークで鮮やかに綴られた答えは──『真言宗』
最早国語の回答ではない。ないのだが、教師も含めて全員が、一瞬「なるほどなぁ」と感心してしまったこともまた、事実であった。
さすが、空海さんの結界の中である。四国霊場八十八カ所バンザイ(爆)。

人間の語彙は育った環境が左右する、という好例であろう。
(↑いいのかそれでオチつけて? ^^;;;)

 


2000. 7. 16 夜の中の夜

夜、9時。
晴れた空に浮かんだ満月の、左端が、欠け始めた。
久しぶりの月蝕。
南の空に低く浮かんだ月は、時を追うに従って暗い部分を増やして行く。
そうして、10時を過ぎた頃、糸のように残った明るい部分が、消えた。
皆既月食のはじまり。
日蝕ほどに派手ではない。日蝕ほどのきらびやかさも、華やかさも、真昼のなかに突然夜が訪れる畏れにも似た感慨も、ないけれど。
それでも、夜空に浮かんだ鈍紅いその姿は、やっぱり、綺麗で。地球の陰の最も濃い部分が、時間とともに月の面の左から中央、右へと移って行くさまは、何とも言えず神秘的で……。
11時50分、紅黒い月の左端に細い金色が現れて、夜の中の夜は、終わった。
それから、再び満月に戻るまで、約1時間。
夜風に吹かれながら月を眺めた、とても気持ちの良い4時間だった。

 


2000. 7. 12

先日被害者約13,000人に及ぶ食中毒事件を引き起こした雪印乳業が、続いたずさんな衛生管理体制の発覚ともあいまって、一時的にだが、全牛乳工場の操業停止を決定したそうだ。
大学や衛生検査機関など第3者の立ち会いの元に工場の自主点検をするためで、業務停止期間は『安全確認終了まで』、めどは1週間、であるらしい。
けれど。
どれほど厳密に工場内を点検し、洗浄・消毒を施しても、以後その工場で作業する人間がその清潔さを保たなければ、意味はない。
多発する医療過誤も、昨年秋のバケツでウランも、根元は同じだろう。
習熟と慣れは、似ているようで、やはり違う。

今回のことに限って言うならば──
雪印の上層部が自分達の仕事を再認識し、各工場で働く人達が自分のしていることの意味を知り、そこに生じたミスの引き起こす事態を現実の問題として捉え、防ごうとする意識を持つようになるまで。
本当の意味の『安全確認終了』は、来ない。

 


2000. 7. 11

7月16日から17日にかけて、晴れていれば皆既月蝕が見られるのだそうだ。
16日20時57分から月が欠けはじめ、22時02分に皆既蝕がはじまる。ピークとなる22時56分をはさんで、23時49分まで、皆既は1時間47分。
部分蝕の終わる17日00時54分まで、ほぼ4時間の天体ショーである。
青空が闇に沈み、月に隠れた太陽をゆらめくコロナが取り囲み、ダイアモンドリングと呼ばれる美しさを見せる、日蝕ほどの華やかさは、ないけれど。
鈍く輝く黒い満月は、十分に神秘的だろう。
願わくは、16日、晴れた夜空に満月の昇らんことを。

ここ、AstroArts 皆既月食ページに、詳細がある。
興味の湧いた方、どうぞ。

 


2000. 7. 8 台風一過

台風3号、大した被害も出さずに通り過ぎてくれた。
昼には雲も晴れ、青空が覗いて、気持ちよい風が吹き抜けていた。
安心した。というのは実は嘘で。
そもそも大きな被害が東京で出るとは思っていなかったのだ、私は。
上陸するなどかけらも思っていなかった。
育った場所が育った場所で、年に3回は台風がやって来ていたために、天気予報の進路予測やキャスターがつけるコメントよりも、自分で天気図を読み解くようになっている。
台風の強さ・大きさは、最大風速、気圧、ひまわりからの画像で見る雲の色や広がり、目の様子で。進路や接近時間は気圧配置や速度から。
だからと言って、決して台風を侮っているわけではないのだが。
「風速35mで気圧965hPaで時速35kmだったら別にどってことないじゃん」
てのはやっぱり、世間様的には『ナシ』な発言だろうか(苦笑)。

 


2000. 7. 6

テレビで、月末に開かれる九州・沖縄サミットのCMを見た。
カチャーシーを踊る女性陣が画面を横切ったりして、何だか良く判らないCM。
まるで何かのイベントを知らせるような造りだったので、気になってしまった。
まあサミットもイベントといえばそうなんだが、あれじゃあまるでサミットが、一般市民も気軽に見に行ける博覧会かなにかのようだ。
テーマソング(これ自体もどうかと思うんだが)を安室奈美恵に歌わせたり、いっこく堂氏にライブを依頼したり、サミットがあるからと新札を作ったり。
何か間違っているような気がする今日この頃である。
妙に盛り上げようとしなくていいから、真面目に『これからの世界』を話し合ってくれよ、と思うのは、私だけではないはずだ。よな?(←ちょっと弱気・笑)

 


2000. 7. 4

本日の『プロジェクトX』は、甲子園での沖縄勢初勝利だった。
沖縄戦の地獄を見た教師や野球部OBが、気力を失った沖縄の人達になんとか立ち直るきっかけを、と願って、コーチを、監督を買って出、備品を揃え、選手を育て、資金を募って、やっと叶った甲子園出場。
初出場で初戦敗退した時、持ち帰った甲子園の土を、検疫で捨てられてしまった、というのは、その筋では結構有名な話である。
それから数年を経て達成された、甲子園での初勝利。
叶えたのは、沖縄戦の年に生まれた方々、だったそうだ。

ふと、思い出した。
沖縄県勢の沖縄水産高校が、初めて甲子園で決勝戦に臨んだのは、平成2年(1989年)のことだ。
翌平成3年と続けて決勝に臨み、惜しくも敗れた、そのチームの主力となったのは、1972年生まれの生徒達である。
1972年──沖縄返還の年だ。

年月の巡り合わせの不思議さを感じてしまった夜だった。

 


2000. 7. 1〜2

某所のオフで山中湖畔に行って来た。総勢10名の、結構な大所帯である。
名目は『温泉部合宿』(笑)。別名『強化合宿』。事前に持ち上がった、何を『強化』するのか、との問いに、出されたいくつかの案は、「漢(おとこ)度」「粗忽度」「煩悩」等々。
なんだかどれも強化したくないような気は、しないでもないのだが、それでも合宿は楽しみなもの、なのだった。
新宿出発組8人で新宿に集合し、途中から合流なさるお二方とも首尾良く落ち合って、着いた御殿場からは、レンタカー2台で山中湖畔へと向かう。
途中、峠の蕎麦屋、とかなんとかいう名前の、地元の人向けなんだか観光客向けなんだかイマイチ判別のつなかい蕎麦屋で昼食。私は『とろろ付け蕎麦』を頼んだのだが、まあまあ美味だった。『おろし蕎麦』を頼んだとある御仁の蕎麦が、いざ大根下ろしとなめこ、プラスかけ汁で混ぜてみると、えらく漢らしい代物になっていたのが印象的だった。

その後、忍野八海を少し観光。有名な湧水群だけあって、いくつかある池のどれもが、水が澄んでいて触ると冷たかった。その中の一つ、その名も『中の池』の掲示板には、池で泳いでいる魚の種類が記してあったのだが。
うちひとつ(それも一番上に書かれていた)が、鯉=73歳
……それって、魚の種類ですか……? いや、そうだと言われればそうなんだが、でも。
何かが違うと思いつつ、それでも心惹かれて探してみたのだが。73歳の鯉。残念ながら数人がかりで探しても、見つけられなかった。

忍野八海を後にして、次に向かうは、宿である。
今回は、お一方の職場の保養所であるコテージを使わせていただくことになっていた。
最後にトランクに荷物を入れた某嬢が、トランクを閉め忘れたのに気付かず走り出したり、道を間違えて田圃の中をひた走り、挙げ句の果てには舗装すらされていない、しかも向かう先は明らかに山の中、な、二股の分かれ道に到達してしまったりと色々やらかしながら、何とか無事にコテージに辿り着いた、が。
駐車スペースからコテージへと上がる階段が草刈りされておらず、見た目はまるで山の斜面。野育ち山育ち海育ちの私にとってはどってこたーないのだが、中にどうにも毛虫が苦手だというお嬢様がいて、彼女などは「登ろう」と決意するまでにしばらくかかったのだそうな。

コテージに入って一通り掃除を済ませると、今度は買い出し班と居残り・準備班に別れる。夕食はカレーと決まっていたが、それはつまりレトルトとルウから作るのとを混ぜ合わせた漢(おとこ)カレーなので、野菜や肉、その他を買い出しに行く必要があるのだ。ここでの分担基準は、あの階段を躊躇なく行き来出来るか否か。当然私は買い出し班。
買い物を終えて、食事の準備にかかり、手すきの人から順番にお風呂に入って、夕食。温泉部合宿であったにもかかわらず結局コテージの内風呂で済ませたのは、うちお一方が体調を崩して熱を出してしまわれたのと、あの階段を何度も、しかも夜、行き来することに多大なる不安があったためである。だがこれも、楽しい一夜の妨げには、全く、ならなかった。

あまりに内輪ネタすぎてここには書けない沢山の伝説を生み出しつつ、山中湖の夜は更けた。

翌日は、ゆっくり朝食(昨日のカレー)を取り、のんびりしながら食器その他を片付けて、掃除をしてからコテージを後にする。
が、またここでトラブルが(^^;)。私の同乗していた方の車、バッテリー警告ランプなどというけったいなモノが点灯して、エンジンがかからなくなってしまったのだ。慌てつつもレンタカーを借りた店に連絡を入れ、店員さんの指示に従ってギアを動かしたりキーを回したりしていたら、今度はエンジンもあっさりかかってくれて事なきを得たのだが。
「パーキングにギアがちゃんと入らないことがあるんですよ。そうなるとエンジンがかからなかったりするんですよねー」なんて朗らかな声で言ったレンタカー屋のにーちゃん。
そーいうことは、先に言え!
と思った我々は間違っていないと思うのだが、どうだろう。

お昼はガイドブックで探した和食屋で。私はほうとうを食べたのだが、もうちょっと煮込んで欲しかった、かな。

更に御殿場のレンタカー屋に車を戻しに行く途中、見つけたガソリンスタンドが2軒とも閉まっていて、開いている店を探して20分ほども御殿場市街を彷徨ったりと、またここでも少しばかりのトラブルはあったのだが、何とか乗りたかった電車には間に合って、無事帰路につくことが出来た。

1泊2日と短い旅程ではあったが、それを補って余りある中身の濃さに、満足・満腹の合宿オフだった。
参加なさった方々には「お疲れさまでした」と申し述べると同時に、「またご一緒させてください」とお願いしたい。
本当に楽しい2日間だった。

 


 

 

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