2000年3月の私淑言

  


2000. 3. 28

NHK総合火曜9時15分からの番組に、いきなりすっころびました(笑)。

番組タイトルは『プロジェクトX』。戦後日本で画期的なプロジェクトを成功させた無名の人達に焦点を当て、そのプロジェクトとそれに携わった人達のドラマを紹介する番組である。
初回は、昨年11月に気象衛星にその役割を譲って引退するまで日本の台風観測に多大な功績を残した、富士山頂気象レーダーの建設に携わった方々が主役だった。
昭和34年9月、伊勢湾台風の被害を「防げなかった」と歯がみした気象庁官僚。富士山頂と気象庁を電波で結ぶことが出来るのかを調べるため、冬の富士に遺書まで用意し、死を覚悟しながら挑んだ技術員。高地での作業に、「一生に一度、子供や孫にこれが俺の仕事だと誇れることをしろ」と観測所建設現場を指揮した建設会社職員。富士の強風からレーダーを護るため、「風速100mに耐えても、101m、110mの風で壊れるようではダメだ。風では壊れないものを造れ」と、技術の粋を集めてレーダーの防護ドームを造った電機製造会社職員。ヘリによる山頂へのドーム空輸を担った元空軍教官のパイロットは、「国のために死んでいった特攻隊員を送り出し、生き残ってしまった自分だから、やれることをやらなきゃね」と、次々到来する低気圧の間隙を縫って設定された決行日の8月15日、安全とされる積載重量を150kgもオーバーしたドームを、乱気流の中、見事に山頂の観測所に届けた。
歴史に名が残るわけではない。どこかのお偉いさんから勲章を送られるわけでも、多分ない。
それでも、そんなことは関係なく、自分の仕事を--プロジェクトを--やり遂げる『無名の人々』は、惚れ惚れするほど、カッコイイ。

ま〜たこんな番組作って、ツボついてくれるぜ、NHK!!(笑)

 


2000. 3. 20 再び、あれから5年

5年前のこの日、あまりの衝撃に日本が……いや、世界も、揺れた。
地下鉄サリン事件。
死者・負傷者5000人にのぼる最悪の無差別テロだった。
霞ヶ関の駅構内には亡くなった方を悼む碑がある。辛くも一命を取り留めた方の中には、今も重い障害に苦しんでいる方もいる。軽症ですんだ方々も、まだあの時の後遺症に悩んでおられる。
この事件を起こしたのは、宗教団体、とは名ばかりの、あの集団である。
『魂を救済するために人を殺してあげるのだ』というおよそまともとは思えない命令を、ある者は信じ、ある者は疑問を抱きつつも恐れから、指名された数人の、分別もあってしかるべき人間が、実行に移した結果が、あの悲劇だ。

あれから、5年。
罪を悔いた者もいれば、まるで変わらない者もいる。何よりも『教祖』であった人物が、のらりくらりと公判を引き延ばしたまま、5年もの年月が流れた。

名義を変えたあの集団を、信じる人間が、いまだにいる。新しい宗教団体が生まれては、まともとは思えない事件を引き起こしてもいる。
宗教は不要だなどというつもりは毛頭ない。信仰が壊れかけた心を支えることも否定しない。
けれど『彼等』は、違うだろう。彼等の言うことをそっくり信じるのは間違っていないか。
熱帯雨林の樹冠に、光のささない深海の底に、人跡未踏の遙かな高地に、様々な生き物達の世界に、足下の大地に、人智の及ばない謎はいくらでもある。宇宙の謎も、人はまだ知ることは出来ない。
そんな世界で、こんな時代で、お手軽な『真理』を振りかざし、『世界はこうだ』と断じる存在の、何と胡散臭いことか。赤の他人に自分の人生の全てを決めてもらって一体何が嬉しいというのか。
信仰と依存を取り違え、盲信という危険地帯に足を踏み入れた人達を見る度に、「自分はそうはなりたくない」と何度も何度も心に刻む。

5年前のこの日、何が起こったのか。そして『一線を越えてしまった向こう側の彼等』と『超えずにいる我々』を隔てるものは何か。
村上春樹氏の著作『アンダーグラウンド』(講談社刊)と『約束された場所で』(文芸春秋社刊)は、それらを、全てではないにしろ、語ってくれる。

自尊心と美意識と羞恥心は、人間、捨てちゃいかんと、私は思うのだが(もちろん他にも捨てたくないものは色々あるけど。)……みなさまは、さて、如何お思いだろうか。

 


2000. 3. 19

先日私淑言に書いた、藤野千夜さんの新刊のタイトルと出版社が判った。
『少年と少女のポルカ』(講談社文庫)。
そーいやそんなタイトルだったよ。(と今思い出す私・苦笑)
でもって、実際に書店で確認したら、帯のコピーも先日書いたモノとはまるで違っていることが判明。本物は
『祝(ハートマーク)芥川賞  藤野千夜の最新刊』
全然違ってるよ、ぢぶん(^^;)。
本当に、ハートマークだけが印象に残っていたんだなぁ……。

ともあれ。さ、みなさま。あのインパクトをどうぞ体験なさってみてください(笑)。

 


2000. 3. 18

Chacoさんが久々に関東にいらしたので、午後から銀座で待ち合わせてデートした。
三越、松屋とデパートの中をぶらついて、ふと外に出るとどこからともなくリュートの音色。
思わず足を止めると、ハーゲンダッツの前の道路で、ヨーロッパ中世の衣装に(提灯ブルマちっくな、アレ、である)身を包んだヨーロッパ人のおじさんが、カメラを構える通行人にサービス精神旺盛な笑顔を振りまきながらリュートを奏でていた。
そのまま聴き入る私達。
しばらく耳を傾けて、ついでに私は彼の自主制作だろうCDを購入した。
その後も、江戸古地図に見入ったり(笑)、カフェ・キハチでお茶をしたり、八重洲まで歩いてブックセンターを徘徊したりと、いささか妙で、でもとても楽しい午後だった。

買ったCDはまだ聴いていないのだけれど……期待通りの出来だといいなぁ。

 


2000. 3. 13

出社したら、『マックの神様』Sさんが、開口一番こう言った。
「あっ、おはよ。あれさぁ、エクステンション変えてみようか」。
何のことかは問い返さなくても判った。私のMOドライブのことだ。
早速解決策を考えて下さったのは嬉しいが、しかし………………いきなりその台詞が来るとは(笑)。
「Sさん。読んだね? 10日の私淑言」
苦笑混じりに訊いたら、
「ほら、土日って雑誌のサイト更新がなくて。だからそれ以外の所を見に行くんだよ」
とのお答え。
お陰で私は苦情を直に訴えるまでもなく策を講じていただけるワケである。
これもホームページ主催者の役得だろうか。(←何かが間違っている気がする・笑)

ちなみに、会社の私のパソコン、相変わらず不調である。MOの読み込み枚数も、5枚、2枚、1枚、4枚と変動はある(^^;)ものの、何枚目かでフリーズすることには変わりがない。
フリーズするのはもう覚悟を決めたから、せめて枚数制限を9枚くらいまで緩和してくれないものだろうか。場所にちなんで。
9枚目までは普通に動いて10枚目で反乱を起こす『お菊さんマック&MOドライブ』
そこまでやってくれたら、いっそ笑ってネタにしてやるんだけどな(笑)。(って、これも何かが違っているぞ、自分。いやそれ以前に、じゅーぶんネタにしてるって・苦笑)

 


2000. 3. 12

借りていた本を返しに図書館に行ったら、新着の本の紹介が出ていた。
うちの近所の図書館では、新着本はその帯をそのまま貼り出して紹介にしている。
中の一冊に、先日芥川賞を受賞した藤野千夜さんの新刊があった。タイトルも、帯に書かれていた他のキャッチコピーも失念してしまったのだが、その帯には、目にも愛らしいピンクの文字で
『新(ハートマーク)芥川賞作家、藤野千夜の最新刊』
………………。

タグを忘れてしまったので実際のインパクトそのままにお見せできないのが残念だが、芥川賞にハートマーク。
初めて見た気がする……(^^;;;)。

 


2000. 3. 10

1月からこちら、職場のマッキントッシュが不調で困っている。
私の使っているマックには、外付けHDが1台とMOドライブが付いているのだが、これが不調なのだ。正確に言うと、マックと直接繋がっている方しか本体が読み込んでくれない。
いきなりフリーズして、ノートン先生(という名前のメンテナンスソフト)で外付けHDをチェックしたら『原因不明のエラーが発生』する。MOディスクをMOドライブに入れても、読み込んでくれない。フリーズのおまけつきである。
職場のマックの神様・Sさんに「Sさ〜ん、原因不明のエラー発生って言われる〜」「MO読み込んでくれない〜〜」と何度内線で泣きついたことか(^^;)。
その度にSさんは、より新しい接続コードとかデータバックアップ用の別の外付けHDを持って駆けつけて、メンテナンスをして下さる。
Sさんのご自宅の方には足を向けて寝られない私である。

1月からのことを、何故いきなり私が私淑言に今日書くか……おわかりですね?
そう、不調なのである。思いっきり。昨日は外付けHD、今日はMOドライブだった。
仕事柄、データのバックアップは必須である。バックアップはMOディスクに取っているから、肝心のMOを読み込んでくれなければ話にならない。
それなのに。
フリーズ、してくれるのだ。ディスクをドライブに入れると。
たまりかねてまたしてもSさんに泣きついたら、Sさんは新しいコードを持って駆けつけてくれた。コードを取り替えて、マックを起ちあげて、Sさんが、読み込めなかったディスクを入れる -- ちゃんと読み込む。2枚目 -- これもオッケー。
「多分これで大丈夫でしょ」
Sさんは笑ったが、私にはまだ不安があった。
「これさ〜、どーゆーワケか、Sさんの前だとちゃんと動くんですよね。なんで?」
冗談を言っているワケではない。実際、Sさんの目の前ではちゃんと動いたマックが、彼がいなくなった途端再びフリーズした、とか、彼が入れれば読み込んだのに、彼が去った後、本来の使用者がディスクを挿入したら読み込まなかった、なんてことがザラにあるのだ。
その辺も熟知しているSさん。まじめな顔でこう宣った。
「なめられてるんじゃない?」
……………………(TT)。
「じゃあさ〜、なめられないようにちゃんとMO読み込ませるにはどーすればいいワケ?」
がっくり肩を落として訊ねた私に、Sさんはにっこり笑ってこういう訓辞を下さった。
「にらみつけてください(^^)」

3月10日19時の時点で、職場の私のマックとMOドライブは、ディスク2枚まではちゃんと読み込んでデータの上書きも出来るが、3枚目にはフリーズする、という困ったちゃんである。
読み込むディスク枚数に制限のあるパソコン&MOドライブって、どーよ!?

 


2000. 3. 6

祖母が逝った。
3月2日の、正午を少し過ぎた頃のことだそうだ。
享年95歳。数え年だと97歳。今年の10月が来れば96、だったのだそうだ。
慌ただしく葬儀を終えて、帰宅して一息ついてから、この私淑言を書いている。

「やられた!(一本取られた、でも可)」という感じだ、と、多事拾遺に書いた。
その理由を少し綴っておこうかと思う。

祖母に会おうと、兄と2人、まだ祭壇のしつらえも済んでいない斎場へ足を踏み入れた。
不思議なものがあった。お遍路さんの持つような、白い布の袋。祖母の眠る棺の上だ。
それ自体は、私の地方の習慣でお棺に入れて死者に持たせるものだから、あっても別に違和感はない。だが、そこにあったそれは妙に古びていた。そうして、カタカナの一言も添えられていた。
不思議に思いつつもお棺の蓋を開け、祖母の顔を眺めていると、一緒にいた従姉が言った。
「これ、見て。おばあちゃん、こんなもの遺してあったんだよ」
見れば、件の袋から従姉が何かを取り出す。
……あたりまえの茶封筒だった。ただ、その表書きがあたりまえではなかった。
『コレガワタシノゼンザイサン』 -- 祖母の字だった。
三途の川を渡るとき、渡し守にお金を渡すのだという。その時のためのお金が入っていた。
聞けば、その他にもいろいろと、自分が一緒に持って行きたいものを書き連ねてあったのだという。夏冬の着物。早くに他界した祖父の写真。同じく祖母より先に逝ってしまった伯父の写真。それから……
『ツエヲワスレズイレテクダサイ
 アシガイタイノデ ツエヲツイテヤマヲノボリマス』
お棺の上に置かれていた袋に、これらは入っていたのだという。
袋が妙に古びていたのは、それらが、何時の頃からか祖母が自分で用意していたものだからだ。
袋の表に書かれていた言葉は -- 『サヨウナラ』、だった。

やられた、と思った。お棺の蓋を支えているせいで手が離せなくて、涙をお棺に落としてしまったけれど -- そうして、自分はハンカチで涙を拭っている兄貴を「いいなぁ」とちょっと思いもしたけれど、そんなことは気にしていられなかった。けれど同時に、それを見つけ出したその場に自分がいなくてよかった、とも思った。誰が見つけたのか -- 伯母・叔母の誰かか従姉か知らないが、聞いただけでもこれだけ『来た』のだ、その場にいたら、その衝撃は相当だったろう。
一本取られたどころではない。三本くらい取られた気がした。

気の強い人だった。我が儘なところももちろんあった。けれど気丈で、優しい人だった。
言いたいことをポンポン言う傍らで、我慢したことも多かっただろう。
私は、忙しさを理由にして帰省することの少なくなっていた不肖の孫である。もう少し帰省の回数を増やせばよかったな、と、つくづく思った。

祖母は他にも、祖父のもとへ早く行きたいから、四十九日を待たずにお骨を墓に入れてくれ、とも書き遺してあったそうだが。
-- ごめんね、ばあさま。それは出来ない。四十九日の中有の間は、あなたがちゃんと行くべきところへ -- じいさま達のところへ -- 行けるように、行かせてもらえるように、家族の側にお骨を置いて、あなたの御霊の援護射撃をしなきゃいけないからね。

けれど、きっと祖母は迷いはしないだろう。そうして向こうへ辿り着いて、自分を置いてさっさと彼岸へ行ってしまった祖父や伯父達に文句を言いながら、彼等が去ってしまった後のことを、いろいろと報告するのだろう。

ここ数年、ろくに帰省もしなかった不肖の孫の、謝罪を込めた、これは祖母へのささやかな追悼文である。
お盆になんて、本当に就職して以来帰省していなかったけれど。
今年の夏は、帰ろうか。

 


2000. 3. 3

十六夜茶寮をオープンしてから、今日で丁度1年になる。
さんざん悩まされた掲示板の不具合がやっと解消して、みなさまにHPオープンをお知らせしたのが、去年の3月3日の午前3時(笑)。
平日だったのになぁ、去年も(苦笑)。
以来、途中でカウンターがストップしていた時期もあったことを考えると、1年で十六夜茶寮のカウンターはほぼ13000を刻んでいる。

こんな、決して更新の頻繁とは言えないサイトをご贔屓にしてくださり、おいで下さるみなさまに、十六夜茶寮主・化け狐、心よりの感謝を捧げます。


3月になったことだし、1周年も迎えたし、で、壁紙も雪から華やかな扇にしたかったのだけれど……。

2日午後、祖母が逝去したため、夜が明けたら帰省します。

 


2000. 3. 1

400年に1度の閏年の影響は、『2000年1月1日』よりも大きかったようだ。
病院の器械が2月29日と入力したら動かなくなったり、郵便局のATMが動かなくなったり、気象庁のコンピューターが誤作動を起こしたり。
九州あたりでは、雨なんか降ってないのに「1時間に1000ミリ近い降水量」と表示されてしまったりもしたらしい。1000って……(^^;)。

それはさておき。
3月と言えば桃の節句、雛祭りなのだが、昨年生まれたうちの姪、初節句なのに殊更な祝い事はやってもらえないらしい。
兄曰く、「忙しいから節句を祝う時間的・精神的余裕がない」とのこと。Y2Kの影響といううわけでもないのだろうが……。
ちょっと可哀想かも。

 


 

 

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