Johann Strau
DIE FLEDERMAUS
Operette in drei Akten
Text von Carl Haffner und Richard Gene in einer Bearbeitung von Hans Neuenfels
Musikalische Leitung Marc Minkowski
Regie Hans Neuenfels
Bhnenbild und Kostme Reinhard von der Thannen
Dramaturgie Yvonne Gebauer
Choreinstudierung Erwin Ortner
Choreographie Marco Santi
Gabriel von Eisenstein Christoph Homberger
Rosalinde, seine Frau Elzbieta Szmytka
Alfred, Gesangslehrer Matthias Klink
Frank, Gefngnisdirektor Dale Duesing
Dr. Falke, Notar Olaf Br
Prinz Orlofsky David Moss
Adele, Stubenmdchen Malin Hartelius
Dr. Blind, Advokat Franz Supper
Frosch, Gefngniswrter Elisabeth Trissenaar
Gertrud und Heinz; Kinder der Eisensteins Kerstin Slawek
Daniel Eberle
Ida, Adeles Schwester Daniela Muehlbauer
Mozarteum Orchester Salzburg
Arnold Schoenberg Chor
Marco Santi Danse Ensemble
Bewegungschor
FELSENREITSCHULE
Neuinszenierung 17. August 2001, 19.00 Uhr







ノイエンフェルスの「こうもり」は予想を遥かに超越した凄いプレミエとなってしま
いました。もはや普通のオペラとかオペレッタなんてのは彼の目指すところではなく、
まずこれを破壊するところから始まりました。想像を絶する異常な舞台に会場も騒然
とし、観客ともども狂気に飲み込まれたのです。小生はとても面白かったと思います
が、ここまで徹底した演出の前半に比べると後半はややノーマルに戻ったようで、何
となく中途半端で突っ込みが甘かったようにも思えた内容でした。

フェルゼンライトシューレのステージ中央に西部劇を思わせるような建物があって、
上部はバルコニー。右に馬車が置いてあり、全体的なセットはとてもシンプルなもの
でした。ミンコフスキー&モーツァルテウムによる古楽風快活な序曲が始まってほど
なく、ぬいぐるみを来たアゲハチョウのような蝶々が登場。続いてこうもりの羽のな
いようなぬいぐるみが登場して蝶々と舞いながら絡み合っていました。これが意外と
序曲にマッチしていて楽しかったです。

ここまでは何の問題もありませんでしたが、第1幕早々、ロザリンデに男女二人の子
供がいて、彼らが奇声を発している場面にまず唖然としました。後でキャスト表を見
てしりましたが、彼らの名前はゲルトルートとハインツというそうです。オリジナル
の登場人物以外にも「こうもり」をイメージしたダンサーが登場したりと、かなりの
ドタバタが。しかし本当に狂いだしたのは第2幕オルロフスキー侯爵の館。群集はゾ
ンビかドラキュラかと思うほどの異常さと狂気に充ちていました。最悪はオルロフス
キー本人。何とバリトンのデイヴィド・モスがカウンターテナーとバリトンを交互に
使い分けながら演じるのでした。それに完全にコカイン中毒でろれつが回らない有様。
さらに変なのはオルロフスキーにはダブルがいて、こちらは女性で語りを担当。罵声
を発するようなダーティな感じで、時折客席にむかって語りかけていました。かなり
の台詞はノイエンフェルスによって書き替えられていて、彼のメッセージを客席にア
ピールしていました。しかしこれも後で知ったのですが、彼女はオルロフスキーのダ
ブルではなくて、Elisabeth Trissenaar扮するフロッシュでした。フロッシュといえ
ば看守役なんですが、ノイエンフェルス版「新こうもり」においては物語に解説を加
える語り部で第1幕から随時登場となる訳でした。そして彼女は”Meine Damen und
Herren・・・”と聴衆に向かってヨハン・シュトラウスの皇帝円舞曲をシェーンベル
ク編曲でどうぞとか、第2次大戦の時のユダヤの何とかの・・・とか支離滅裂な語り
が続けられました。とにかく初めて聴くリブレットで何が何だか訳が分からない状態
が続きました・・・



台詞だけでなく音楽にも強烈な脚色が行われていました。オケとは別にロック音楽を
サラウンドステレオで鳴らしてみたりとか、ガラスが割れる音を強烈に増幅してみた
りとか、視覚聴覚ともに強烈に刺激的でした。ノイエンフェルス改作版のおかげで、
序曲からかなり素晴らしいアンサンブルを聞かせていたモーツァルテウムの演奏がカ
ットされぎみだったのはかなり残念でした。こんな時にミンコフスキーは黙って舞台
を見ているのがなんとも可哀想。舞台がドタバタ状態にも関わらずオケピットに笑い
が無かったのは、これも試練と我慢しているのでしょうか。それにしてもミンコフス
キの指揮するヨハン・シュトラウスは生彩に満ちた快活なものでしたが、演出のどぎ
つさからオペレッタのリズムが聴こえなかったのはオペレッタを聴きに来た人には不
本意に聴こえたでしょう。小生は時折鳴り響く雑音のほうにより快感を覚えたことに
自分ながら不思議な心境でした・・・

群集も全員コカイン中毒でセックス、殺戮を繰り返す醜態でした。中にはカバンの中
に死体をはさみ込みこれを下げるものも居て、その光景は世紀末。オルロフスキーを
教祖とするカルト集団ではないかと思うほどでした。第2幕でファルケがフランス語
でしゃべり、アイゼンシュタインがそろそろフランス語を止めよう場面ではイーダと
アデーレがドイッチェ!ドイッチェ!と叫び始めこれが合唱を含めての強烈な
Deutschの繰り返しとなる様は、まるでナチス・ドイツの集会かと錯覚するほ
どのインパクト!この場面はファシズムを通り越したオカルト集団そのもの。また囚
人となった群集もフロッシュとのやり取りで、毛沢東とかイエスキリストとか叫んだ
りとかなり変な成り行き。

過激な演出の連続にとうとう観客があちこちで騒ぎ始め、ことある度に皮肉一杯の拍
手と奇声が飛び交うありさま。もやは観客まで異常な集団心理が乗り移ったかと思い
ました。会場全体が狂気の坩堝になったのです。フロッシュの観客への一声で、怒り
出した観客が沢山退場していきました。中にはプログラムをステージに投げ捨てる観
客もいて、場内乱闘でも起こるのかという殺気が漲っていて怖いくらい。ステージの
演技が騒然とした状態に、とうとうオーケストラまで退場してしましました。実はオ
ケの退場は演出のひとつで暫くするとオルロフスキーがパウゼを宣告。



前半はショックの連続で後半は一体どうなるのかと興味津々でしたが、以外とミュー
ジカル調の「こうもり」になっていて楽しめました。全員がシャンパンを飲む場面は
オルロフスキーから褒美で分け与えられたコカインに興じるといった有様。で、全員
が黒のこうもりウェアを着て完全にこうもりへと変身してしまったのです。ちなみに
オルロフスキーは白色のこうもり。という訳で、後半はノイエンフェルスの徹底的な
演出というよりはエンターテイメント調でやや刺激不足。前半に18世紀から第2次
世界大戦を経て現代に至る時代設定を行い、あらゆる政治的社会的汚点を曝け出した
強烈さに比べると後半はかなり凡庸なイメージ。ノイエンフェルスの問題提示も解決
されぬままフィナーレのシャンパンの歌で終わってしまった感じが、何とも踏み込み
不足の中途半端でした。あれだけ前半で暴れたのだから、後半にあっと驚く最終回答
を期待しただけに残念でした・・・

今日の「こうもり」実に演劇的で、数年前に見たミュージカル「SOON」の異常な
集団心理ドラマにも似ていました。またフェルゼンライトシューレという会場もノイ
エンフェルスの意図かも知れません。というのも、この劇場何か異常なパワーを持っ
ているように感じるのです。2年ほど前に上演されたベリオの「クロナカ・ルオーゴ」
もこの劇場のもつ強烈なパワーを利用したオペラでした。1回見ただけではよく分か
らない内容でしたが、少なくとも前半部分はオペラ史上21世紀最初の革命と評せる
かも知れませんね。もはやザルツで普通のオペラを上演するだけでは単細胞思考であ
って、大胆な実験が必要なのではと、妙にノイエンフェルスに興味を持った次第。
カーテンコールではミンコフスキーまでブーイングの応酬にあってしまい、悠然とし
たノイエンフェルスへは最大限のブー。石まで飛ぶかと心配しましたが、彼の自身に
充ちた態度がことのほか印象的でした・・・



(補足)
それにしても観客の怒り狂いようは異常でした。休憩時に観客に感想を求めるTVイ
ンタビューも行われていて、史上最悪のショックだったようですね。そのことからも
大半の方は普通のオペレッタを期待していたのかも知れません。ノイエンフェルスだ
からと分かっていても、途中で帰った知人の方もおられました。彼のCosiなんて
可愛いもんです。

また観客が途中で退場される場面に対しても会場から拍手が沸き起こり、ステージの
出来事ひとつに対しても逆説的喝采と罵声、ブーの大合唱となった訳ですが、実はこ
れもノイエンフェルス、強いてはモルティエの狙いであったのではと。ようするに観
客を集団心理的に怒りといったドラマに巻き込むことが彼らのひとつの目指す演出上
の効果と思えるのです。で、集団と言う心理については、舞台設定からして、ゾンビ
の群集はファシスト達に洗脳される歴史的伝統的、人間の宿命といったものに繋がっ
ているのかも知れません。アルフレートを始め軍服姿やスペイン風闘牛士の姿など制
服もいわゆるそのシンボルを意図しているかも知れませんね。途中、リストの前奏曲
ファンファーレの壮大なパッセージがステレオで流れて、このときは群集の統一した
動きが特にそのような意図に繋がっているようにも感じました。

またロザリンデの二人の子供達二人は互いにセックスしたりするシーンもあって、何
がモラルかという問いかけもなされているようです。そして彼らが死に棺おけが運び
込まれるといったドタバタがいろいろと同時進行するのです。途中、ヨハン・シュト
ラウスのワルツが電子音楽で流れて、バレエが登場する場面は一瞬の安らぎを覚えま
した。ワルツはいわゆる未来永劫の精神安定剤なのかと思ったほどです。

異常さと狂気の群集を演じたのはシェーンベルク合唱団でした。いろんなコスチュー
ムを付けて足場の危険なところでもアクロバティックな演技で歌っていたのはさすが。
かなりの運動神経を要する役もこなすこの合唱団は、同じくフェルゼンライトシュー
レでのベリオ「クロナカ・ルオーゴ」でも抜群のパフォーマンスを行っていましたか
ら、本こうもりでも、迫真の狂気を演じてくれただけにその素晴らしさに驚きました。

なお小生の周りの席の人々はかなり途中で退場してしまいましたが、休憩後再び別の
人が入ってきて、ほぼ客席が満席になりましたから、怒って帰った人達は外でチケッ
トを売ったが、タダでばら撒いたかのどちらかですね。というのもプレミエ時は完売
でズーヘが多かったそうですから。もっとも他日公演は売れ残っているとのことでし
た。演劇版「こうもり」は何故かもう一度見てみたいと感じるのですが、これを誉め
ると周りの知人たちからも変人扱いされるのではと思うほどショッキングな公演でし
た・・・

(実はこれを見てから小生もやや支離滅裂で、翌日のアリアドネでようやく立ち直っ
たのです。しかしノイエンフェルスほど刺激のあるオペラは日本で見ることはまずな
さそうですから、また何処かの劇場で彼の演出を見たいと心なかで囁くのでした)