ザルツブルク入りして最初に見るオペラはショスタコーヴィチの「ムツェンスクのマ
クベス夫人」とヘビー級のプログラム。1932年のオリジナル版はさすがに壮絶な
ドラマですが、ゲルギエフ&ウィーンフィルはそれ以上に壮絶無比の破壊力でした。
これにムスバッハのシンプルで直線的ステージと一体になった時の凄さはもはや言葉
を失うほどでした。
基本となる舞台セットはメタリック状のバックステージ壁と、その前に立てられた仕
切り壁のみというシンプルさ。壁には3つのアーチ門が開いていて、第1幕ではカテ
リーナの部屋の内側と外側を描写。特にアーチ門の奥に覗く背景面は微妙に色彩に変
えてカテリーナの心理状態を描写しているようでした。
セルゲイが吊るされるのもアーチ門が口を空けた空間の高い位置でした。このように
アーチ門の奥はドロドロとした欲望と破壊が渦巻く世界であると同時にとても不気味
な印象を与えていました。フィナーレの場面ではアーチ門がシベリアへ至る門の役目
も果たし、舞台全体が全ての社会的抑圧を象徴するシンボルとして立ちはだかるとい
った感じでした。
ドラマの途中ではアーチ門の壁は無くなり、代わって広大に広がる背景に映し出され
たシネマ映像がドラマを補完表現していました。映像はムスバッハらしく実にメカニ
カルなもので回転する巨大ギアが社会の構造をショスタコーヴィチ流に視覚的に訴え
るというもの。
歌手達に加えて合唱の扱いもユニークで警察隊のメカニカルな動きはコミカルなもの
でした。グリーン一色の衣装に椅子がくっ付いていて、皆椅子をお尻につけたまま行
列し、整列してそのまま座わるというもの。左右方向への行列はパノラマ舞台をフル
に活用したもので、ムスバッハの演出はヴェルニッケと同様、祝祭大劇場を使い切っ
ていました。
キャストはマリンスキー・オペラの歌手達がメイン。特にボリース役のウラディミー
ル・ヴァーネフは97年のゲルギエフ&ウィーンフィルのボリス・ゴドノフを歌った
ので馴染みがありました。それにしてもカテリーナのラリッサ・シェフチェンコはド
ラマチックなソプラノで刺激的なカテリーナを聞かせてくれました。特に凄かったの
はオーケストラの大音響にも負けないキャスト陣の強靭さとマリンスキー劇場の合唱
のパワフルさでした。
今日の座席は平土間最前列の真中、ちょうどゲルギエフの左側でした。彼の気合はい
つもながら凄いもので、唸り声とともにウィーンフィルを完全燃焼させる指揮はさす
が。コンサートマスターのキッヒュルさんのソロも絶妙。ピット右側に埋め尽くした
ブラス群から発せられる響きは重戦車の驀進そのもの。それはゲルギエフがボリス・
ゴドノフやパルジファル聞かせた迫力に戦慄さをプラスしたような感じでした。なお
余りの気迫のためかチェロ奏者が弦を切ってしまうというトラブルもありましたが、
ここはさすがのウィーンフィルで、その対処は実に手馴れたもの。誰にも気づかない
ように弦を張りなおしてチューニングを終えられていました。
さてステージ上にもザルツブルク・カンマーフィルハーモニーのメンバーによるブラ
スバンドも登場しました。彼らは骸骨姿なのですが、警官隊と一緒に実にテンポの良
い動きと演奏を披露。このように舞台とオケは火花を飛ばしあう迫力でしたが、実際
にステージでは炎を燃え上がらせる場面もあって、ドクター・ファウストでの演出を
思い起こさせました。
それにしてもこのドラマは何と悲惨なんでしょうか。しかし不思議と完全に落ち込ん
だ気分からは開放されていました。アートグラフィック調の舞台がドロドロさを緩和
しているのは事実としても、なぜかカテリーナの最後には救済があったようにも感じ
られたのです。ムスバッハの演出はドラマだけでなくゲルギエフ&ウィーンフィルの
魅力も最大限に聞かせる効果があるようで、演出と演奏の関係を改めて思い知らせる
素晴らしい出来栄えだったと思います・・・
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