ザルツブルク日記 2000年8月20〜22日
ブリュッヘン&モーツァルト・マチネ〜帰国

●モーツァルト・マチネ
Morzart-Matinee 20.Augsut 2000, 11.00 Uhr

Joseph Haydn
Symphonie G-Dur Hob.I:94, "Mit dem Paukenschlag"-"The Suprise"
Pause
Wofgang Amadeus Mozart
Missa c-Moll KV 139, "Waisenhausmessa",
und die Epistelsonate C-Dur KV 336

Morzarteum Orchester Salzburg
Arnold Schoenberg Chor
Erwin Ortner, Kuenstlerische Leitung
Solisten
Jennifer Welch, Sopran
Malena Ernman, Mezzosopran
Gregory Turay, Tenor
Markus Butter, Bassbariton
Anton Holzapfel, Orgel
Dirigent Frans Brueggen
------------------------------------------------------------------------

先週のボルトン指揮のマチネよりもはるかに素晴らしい演奏だった。最もプログ
ラミングも聴き栄えのするものであったことにもよるが、ミサではシェーンベル
ク合唱の持ち味が十分に活かされていたし、ソリスト達も素晴らしかった。白の
シャツにノー・タイで登場したブリュッヘンは見かけは年齢を感じるものの、彼
の描く音楽はとても若々しくて力強い。

前半はハイドンの有名な驚愕交響曲で、その題名ともなった第2楽章のトゥッテ
ィの直前を超ピアニッシモにしてコントラストを強調していた。何か当たり前の
ようでいて、不自然さを感じさせないあたりが上手い。このシンフォニーを聞き
終わった後には、素晴らしい生命感に満ちていたことに気づく。

後半のモーツァルトは若い頃に作曲したハ短調のヴァイゼンハウスミサ。とても
立派でハ短調というモーツァルト特有の悲劇性を帯びた作風で迫力万点。シェー
ンベルク合唱の充実感溢れるハーモニーにソリスト達の上手い歌が火花を散らす
ようなところがあって、とても素晴らしかった。ジェニファー・ヴェルヒの透明
なソプラノとマリーナ・エルマンの厚味のあるアルトが特に印象に残った。


●帰途

以上で今回の鑑賞プログラムを終え、ホテルに戻りすぐさま空港に向う。今日14
:35のチロリアン航空でフランクフルト経由で帰るのだ。しかし搭乗時間になっ
てもアナウンスはなくゲートは閉じたまま。一時間も待たせてからメカニカル・
トラブルでフライトがキャンセルされたことが知らされた。何たることか。弱小
チロリアンでは対応できないので、LHのカウンターで問合せるよう指示がでる。
でLHカウンターへ行くと長い列が出来ている。個別に対応策を折衝しているよ
うだ。EU内を乗り継ぐ場合は選択肢が多いが、日本への乗り継ぎは極めてイン
パクトが大きい。

ウィーンフィルのヒンクさんも同じチロリアンでFRA経由で日本に向われるそ
うだが、LHがミュンヘンまでタクシーを出して、そこからFRAに入られると
のこと。何人かの人達はそのようなルートになるが、これも振り替えの飛行機が
満席となれば人数に限りがある。そうこうしているうちに飛行機というものはい
ろんなルートからの客でどんどん埋まって行く。順番が来たが今日中に帰国便に
乗ることは不可能であることが判明し、明日の飛行機の明きを探さなくてはなら
ない。私はCクラスなのだが、この時期どのフライトのCも満席だ。結局、明日
LH710便のFクラスが割当てられた。さてザルツにもう一泊することになる
が、宿はチロリアンが提供する。飛行場近くのラディソンSASというところ。
市街地の宿に比べると貧弱すぎるがやむを得ない。今日は祝祭大劇場でポリーニ
のリサイタル、ミラベルではシュルツ一家のコンサートがあるが、チェックイン
に時間が掛かり、街に出るのが面倒になった。午後からは全く無駄な時間が過ご
したが、こんなトラブルもあるもんだと諦める。


●8/21-22
今日は朝5時に起きる。理由はザルツ発フランクフルト行きのフライトが6:40で
あるため。これよりも遅いフライトは満席だったのだ。これも仕方ないがフラン
クフルトに到着してすぐにセネター・ラウンジでFクラスのボーディング・パス
を受け取る。座席は83Aだった。この座席は今年の春も利用したが、Fクラス
の中でも人気の高いシートだ。前方が広いスペースになっているのがその理由。
それはともかく、セネター・ラウンジは何故か人で一杯だったので、ビジネス・
ラウンジへ移動する。ここでホームページの更新作業をやっていたら、以外と時
間が掛かった。結局ボーディング開始10分前にゲートへ向った。やはり帰りは
食事をするとすぐに睡眠モードになってしまい、目が覚めるともう日本に近づい
ていた。チロリアンのとんだトラブルに遭遇してしまったが、今年の音楽祭も実
に充実していた。帰国してザルツブルガー・ナハリヒテンのHPを確認したら来
年2001年の音楽祭の概要が発表されていた。