今日は出張先から直接、紀尾井ホールへ向いタマール・イヴェーリを聞いてきました。チケットを買ったのは大分前で、チケットの公演日表示は昨年5/22日でした。体調不調につき公演日が今日まで延期され、チケットの払い戻しをしない限り、チケットに表示された席もそのまま確保されていた訳です。ちなみにバルコニ1列の1番とステージに近い席でしたが、ステージと同じ高さから聞こえる彼女の歌声はとてもクリアーで美しいものでした。先日のクーラと共演したオテロでは素晴らしいデズデモナを聞かせてくれましたが、今日も期待を遥かに上回る出来栄えで、驚嘆しました。
プログラムは前半にジョルダーニ、グルックを始めとして、オペラの起源に関与したジュリオ・カッチーニまで遡り、さらに20世紀のマンジャヴァリアーニまで披露する意欲的なもの。後半はヴェルディ、プッチーニにレオンカヴァッロといったイヴェーリ得意のレパートリーで大いに沸かせる内容となっていました。
彼女は歌手としては比較的小柄ですが、その声量は豊かで実に魅力的です。冒頭のジョルダーニでは、"Caro
mio ben"が早くも強靭で艶やかなソプラノで響き渡り、一挙に惹きつけられました。その声質は微妙なニュアンスのヴェールを纏っていて、陰影に富む歌声は、まるでシュトゥッツマンの如くで、リリックからドラマチックまで描き分ける手腕にも驚かされました。ともかく伸びのある歌声はホールを共振させるほどの力強さと柔軟さを兼ね備えているといって良いでしょう。
グルックのアリアはトロイのパリスとヘレネを題材としているところが興味あるところで、グルックの持ち味を最大限に歌い尽くす力量にも驚嘆しました。同じフォルテでも冒頭のジョルダーニの時とは違って、歌の場面、状況に応じて歌の響きに変化があり、聞いていてぞくぞくする程でした。
スカルラッティとカッチーニは古楽演奏会では聞くチャンスはあるものの、今日のようなオペラのアリアを主体としたリサイタルで聞くのは珍しいところです。そしていずれの2曲も冒頭の2曲とはコントラストするように、ヴィブラートの掛け方、抑揚全てにわたって変化があり、その情感の豊かさも格別でした。彼女のレパートリーの広さを痛感するばかりですが、特にカッチーニの古歌は心の内なる世界を言葉でもって朗唱するかのように、聞くものを捉えて離しませんでした。彼女を歌を聴いていて、音楽の根源は、心の言葉が詩となり、詩から自然と歌が生まれるというプロセスが見えるようでした。カッチーニの情感に浸ったあとは、気分を一転し、軽やかなマンジャヴァリアーニとトスティで前半を締め、全く無駄のない、引き締まったリサイタル運びにも彼女の才能を感じるところです。
後半のプログラムは悲劇のヒロインを演じるアリアの数々で彩られており、死に直面する女性の悲しみや力強さを最大限に描こうという意欲が感じられました。しかも音楽に急緩急の繰り返しがあるように、先ず「運命の力」のアリアでテンションの高さを示し、続いて「海賊」のアリアで緊張を解きほぐすかのように、テンションの強弱に応じたアリアを交互に並べるプログラミングにも上手さを感じます。
特に「運命の力」のアリアではオーケストラを彷彿とさせるクリスチャックのピアノと彼女のドラマチック・ソプラノがリサイタルを超えてオペラハウスに居るかのようなリアルさで迫りました。また歌に応じたテンポ取りが絶妙で、大いに高揚させてくれました。これには彼女の歌声自体にシンフォニックさを持っているのではと感じるほどでした。アメーリア、リュー、トスカの有名なアリアが続いても、全く気が緩むことも無く、その役柄心境になりきれる技術も素晴らしいものです。そしてネッダのアリアではリサイタルを締めくくるに相応しい強靭な歌声が響き渡り大きな喝采へ。アンコールではラウレッタの瑞々しいアリアとホアキンのスペイン情緒を満喫。特にホアキンは惜しみなく美声を響かせた迫力に圧倒されるばかりでした。なおイヴェーリは今年のザルツブルク音楽祭の「ティート」ではボニー、カサロヴァ、ギャランカとも共演するとのことで大いに楽しみです。
|