'97ザルツブルク音楽祭旅行記

歌劇『魔笛』

■#2764 芸術劇場 97/10/17 1:22 (ID:DAT19113@biglobe.ne.jp)
ザルツブルク音楽祭(18)歌劇『魔笛』 tujimoto

●8月16日/夕方〜
♪ Wolfgang Amadeus Mozart,"DIE ZAUBERFLOETE"
   16. August 1997, Felsenreitschule
   Musikalische Leitung       Chiristoph von Dohonaenyi
   Regie,Buehnenbild,Kostueme Achim Freyer
   Licht                      Kurt-Ruediger Wogatzke
   Sarastro                   Rene Pape
   Tamino                     Paul Groves
   Sprecher                   Hermann Prey   
   Koenigin der Nacht         Natalie Dessay
   Pamina                     Sylvia McNair
   Erste Dame                 Melanie Diener
   Zweite Dame                Norine Burgess
   Dritte Dame                Helene Perraguin
   Ein altes Weib(Papagena)   Olga Schlaewa
   Papageno                   Matthias Goerne
   Monostatos                 Robert Woerle
   Erster geharnischter Mann  Christian Elsner
   Zweiter geharnischter Mann Andreas Macco
   1.Sklave                   Henryk Antoni Opiela
   2.Sklave                   Lajos Kovacs
   3.Sklave                   Pavel Janicek
   Drei Knaben                Solisten des Toerzer Knabenchors
   Wiener Philharmoniker
   Konzertverinigung Wiener Staatsopernchor
   Freyer Ensemble Berlin
   (Neuinszenierung)
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魔笛のポスター 今回の旅で最後の演目となりました。今日は「魔笛」の他にモーツァルテウムでアップショウのリサイタルが、祝祭大劇場ではブレンデルのリサイタルもあり、どれにしようかと迷うほど豪華プロが並んでいます。でもここは大好きな「魔笛」で締めくくるるに限ると考えました。実は滞在中の8/13にも魔笛が上演されていましたが、これをご覧になられた日本の方から酷評を聞かされていました。とにかく舞台が邪魔で最低の「魔笛」だったそうです。さらには夜の女王とザラストロの両陣営からそれぞれ黄色と赤色のブラジャーと褌を着けた相撲取りが登場したそうです。これがブーの嵐を呼んだとか。こんなネガティブな意見を聞いてオペラに臨む訳ですから、一体どんな魔笛なのか興味津々なのです・・・

フェルゼンライトシューレは舞台だけが野外で客席には屋根がある劇場です。入口は昨日の祝祭小劇場と同じ祝祭ショップの隣。正面を入って左に曲がり、そのまままっすぐ廊下を進みます。その前に昨日と同じカール・ベーム・ザールで少し喉を潤して一休みします。このビュッフェの奥には左右に逆ハの字の階段が中二階に伸びています。これを上がってもフェルゼンライトシューレに行けます。

さて座席はちょうど舞台を取り囲むような配列です。一人一人のシートは分かれていますが、背もたれは公園のベンチのような一枚板。本日の席はかなり後ろよりの左側。一応すり鉢状に並んでいるので、見やすくなっています。

野外であるはずの舞台は円形のテントで覆われています。テントの中央に穴があり、ここから放射状に無数の星が散りばめられています。この天井はちょうどベルリン国立歌劇のシンケルの「魔笛」にそっくり。舞台も円形で、3段のベンチが周囲を取り囲み、これはまさにサーカス小屋です。それにしてもテントで外気と遮断ているのに空調が効いていません。とてもとても暑いです。タキシードの下では汗が滲み出してくるのが分かります。

開幕直前といっても幕は無いのですが、アナウンサーが登場し本日のタミーノ役、ミヒャエル・シェーデが都合によりキャンセル。代役は「後宮」のベルモンテを演じたポール・グローブスです。

●第1幕

ドホナーニはウィーンフィルと仲が悪いそうですね。序曲が鳴ってまず最初に気づいたことはやけに音量が小さい。何か控えめな演奏だなと思いました。5月に聞いた小澤征次の「魔笛」に比べるとオケが貧弱。これ本当にウィーンフィル?

そしてタミーノと大蛇の場面。三人の待女たちは派手な化粧で、顔は分かりません。そうこうしている内に鳥刺しパパゲーノも登場。前輪がとても大きい自転車に乗って鳥籠を背負っています。今にも転倒しそうで倒れないところが滑稽。パパゲーノ自体も何かとても大きなボール玉のような衣装でメーキャップは完全なピエロ。籠の中の鳥もリアルに囀っています。子供が喜びそうな演出ですね。舞台を取り囲むベンチでは意味不明の道化師たちが座り込んでオペラを見ていて、さながらサーカス小屋での劇中劇・・・

目を覚ましたタミーノ、パパゲーノと三人の待女の道化の後、パミーナの肖像の場面。ここではタミーノが大きな四角い額縁を手に取りそれをのぞき込みます。額縁には肖像画が無く、ただの縁だけ。ところが不思議なことが起こりました。いつの間にかパミーナの顔がその額縁に映っています。これはまさにマジック。

夜の女王は初めて聞くナタリー・デッセイです。彼女はクリスティ指揮のCD(プロヴァンス音楽祭)で素晴らしい夜の女王を歌っています。また今回はザルツブルクへ初出演になるそうで、期待十分。テントの天空高くに大きな赤い三日月が出現。それに座りながらアリアを歌います。シルクハットのような帽子をかぶり、真っ白に化粧した顔からはデッセイの素顔は全く分かりません。本当にデッセイなのかどうかは歌で判断するしかありません。歌いずらい姿勢でも安定したアリアを聞かせてくれたのはさすがです・・・実は彼女は「夜の女王」役をそれ程好きではないそうです。来年もこの魔笛がザルツで再演されますが、デッセイが歌うかどうかは不明。むしろドリーブのオペラ「ラクメ」あたりに興味を持っているそうで98年にはEMIからCDが出るとかの噂があります。また2000年にはウィーンでベルクの「ルル」を歌うとか。

さてザラストロの城。ここでも円形舞台が基本で背景が厳かな照明です。マクネアーが演じるパミーナが登場。パパゲーノとの有名なデュエットが始まります。前奏は新モーツァルト全集の脚注通り、木管無しで演奏されました。ここは通常は木管を加えるのが普通なので、あれっ!と一瞬の違和感を感じました。木管無しで頑張っているのはアーノンクールとコープマンくらいですが、ドホナーニさんも仲間入りという訳ですか? それにしてはオーケストラが余り聞こえてこないなあと欲求不満気味にさせられました。 "Bei Maennern, welche Liebe・・・"とマクネアーとゲルネの素晴らしい二重唱ですが、何となく舞台とか衣装に目が落ち着きません。

タミーノと三つの扉の場面で弁者が登場しますが、何とあのヘルマン・プライ!彼は今回の音楽祭でもリサイタルを開いており、弁者だけの出番とは勿体無い。おっ!プライさんの歌だ。一体何処にいっらしゃるのだ?と舞台を眺めます。何とドーリア様式の柱の上に顔だけ乗っています。胴体は柱の中。おまけにこの柱が左から右へ移動しています。おそらく体は柱の中で直立不動。頭も上から柱のようなもので押さえ付けられ、顔も動かせない姿勢で歌い辛そうです。ですから何となく歌も堅い。何とも印象に残らない弁者でした。

ザラストロ役はルネ・パーペで、おそらくこの役はもうベテラン中のベテラン。しかしそんな貫禄が感じられないのです。彼はザルツブルク1991の魔笛(シャーフ演出ショルティ指揮)でもザラストロを歌いましたね。これはBSで放送されましたが、この時の方が威厳に満ちていました。今回は動物園の中で歌わされる者の宿命か、演出によって威厳さが損なわれたと考えるべきでしょう。

パパゲーノは赤ん坊が使うオモチャのようなものをガラガラと回転させたりしていますが、とにかく煩い騒音です。肝心のオーケストラが聞こえません。頼むから静かにしてくれと言いたくなりました。腹立たしいというか何とも情けない演出でした。このように不満を抱きながら見ているとつい眠くなります。第1幕の最後の合唱も印象に残りませんでした・・・

とりあえず休憩です。後ろの扉から外に出て左へ行くとカール・ベーム・ザールの中二階です。階段をおりてビュッフェへ。そこには第1幕で登場したパパゲーノの自転車が置いてありました。近くで見ると精巧に出来ています。籠の中の鳥は本物にそっくりのロボットです。こんな所に金を駆けないで、もっと大人の演出、例えばアートグラフィック調に洗練させるとかして欲しいかったですね。暑いのでジュースを一杯。ロビーでは皆さん不平不満を言わず大人しくしているようです。後で一斉にブーを連発するのでしょうか?

●第2幕

はっきり言って、第2幕について書くことは何もありません。理由は二つ。ひとつはどうもインパクトの無い音楽と演出なので眠くなったのです。ついに最後の演目で居眠りしてしまった(恥ずかしい)。もうひとつの理由は第1幕同様、カラフルな原色ベタベタの落ち着きのない舞台での相変わらずの道化芝居。全然「魔笛」ではないのです。だから闇と光なんて対比が実感出来ません。一見すると面白い舞台ですが、不自然な演技でモーツァルトの素朴さが感じられません。特に雑音が多い舞台は最悪ですね。それと相撲取りが何時出てくるのかと変な期待を抱いて見たのが間違いのもとでした。結局相撲取りは出てきませんでした。ブーに懲りて今日の舞台からは引っ込めたようです。

カーテンコールではブーが意外にすくなく結構な拍手です。特にデッセイへの拍手は最大でした。今回のウィーンフィルはとても丁寧にオペラ演奏を展開しました。が、迫力ゼロの不満が残る演奏でした。ヴォツェックとかボリスを聞いた耳には音楽が聞こえてきません。しかしこれも貴重な体験かもしれませんね。こんな日があってこそ、良い演奏の喜びが倍加される訳ですから・・・

●今回の「魔笛」について

ここまで酷評された魔笛も珍しいので、一体スタッフは何を目指したのかその意図をちょっと調べてみましょう。

まず総監督モルティエは魔笛は大きな劇場ではなく、小さな劇場で上演したいそうです。その理由は台詞を良く理解してもらうのが最大のポイントとなる為。これは彼がブリュッセル時代から自覚しているそうです。その結果今回は昔の乗馬学校であったところのフェルゼンライトシューレが選ばれました。

さて音楽祭チラシ新聞には「演出家アヒム・フライヤー魔笛を語る」というタイトルでインタビュー記事が載っていました。この中には彼の「魔笛」論が興味深く語られています。それによると今回は「色彩の宇宙」を創造したいとのこと。心理・社会・演劇学の研究では色彩は無限級数で示され、全てのもの例えば象徴や神聖なるものも色彩で表現できるそうです。例えば蜜蜂がある特定の色に反応するように、それぞれの色は固有のエネルギーを持っており、これらの基本色を組み合わせることで、行動さらには宇宙をも構成できるとのこと。

Die Summe aller Farben          色彩の集合
Weiss ist die   Farben der Bewegung,     運動は白色である
die Summe aller Farben                   色彩の集合
Schwarz ist die Farben im Stillstand.    静止は黒色である・・・

上記はフライヤーの詩です。運動は潔白、静止は邪悪とも解釈できそうですね。「夜の女王」の色彩は水を示す黒色と情熱を示す赤色を同時に持ち、これらは互いにアンビバレンツ(Ambivalenz相反並列)。なお「ザラストロ」の色は潔癖さを表現する白と太陽を示す黄色だそうです。なるほど、8/13の公演では赤と黄のブラの相撲取りを登場させるなんてアイデアを考えたのですね。・・・

さらにフライヤーの雄弁が続きます。色彩の三原色は混ざりあい円環(カラーリング)を作る。同様のことは男女の結びつきにも見られる。この円環は色彩宇宙のハーモニーであり、魔笛の一般理念である!そして魔笛では夜の女王の月はザラストロの太陽によって照らし出される。すなわち夜の黒(精神の闇)は知を求める行動(白色)により光が照らされるのである・・・

以上はフライヤーの魔笛論でとても面白そうですが、実際の舞台ではそのような深遠な世界を感じることが出来なかったのが残念。ドタバタ劇がフライヤーの理念も打ち消してしまったようです。まさに自爆してしまった「魔笛」!でした。

さて今回は円形舞台が基本となりました。"Temple"を独和辞書をひくとキリスト教以外の教会、神聖なところ、円形建物とあります。すなわち円形は神聖という意味を持っていて、ザラストロの神殿を円形で表現したのが頷けます。パルシファルの聖杯円卓も類似の例でしょうね。ところで今回の舞台では「夜の世界」も円形舞台でした。実はプログラム解説は9割以上の紙面を円形美術に費やしています。古代、中世、近世の絵画がカラーで紹介されており、これを眺めていると善だけでなく悪もひとつの円で描かれている例が多いですね。フライヤーの舞台はそのような根拠に基づいているのでしょう。いろいろ謎や意味が混められた魔笛ですが、来年の再演の評価は如何に?またしてもブーか、あるいは汚名を挽回するかどうか興味が尽きませんね。

                               tujimoto

■#2765 芸術劇場 97/10/17 20:13 (ID:XGM57171@biglobe.ne.jp)
Re:#2764>ザルツブルク音楽祭(18)歌劇『魔笛』 メテオリット

● tujimotoさん
 随分変わった「魔笛」だったみたいですね。 
 いつも臨場感溢れる、丁寧な解説で、私のような経験、知識に乏
い素人にもとても良くわかります。

 ところで

>額縁には肖像画が無く、ただの縁だけ。ところが不思議なことが起こりました。
>いつの間にかパミーナの顔がその額縁に映っています。これはまさにマジック。

 このマジックは、レーザー光線を使ったホログラフィーみたいな
ものだったのでしょうか。

 またカラフルな舞台演出について

>く語られています。それによると今回は「色彩の宇宙」を創造したいとのこと。
>心理・社会・演劇学の研究では色彩は無限級数で示され、全てのもの例えば象徴
>や神聖なるものも色彩で表現できるそうです。例えば蜜蜂がある特定の色に反応
>するように、それぞれの色は固有のエネルギーを持っており、これらの基本色を
>組み合わせることで、行動さらには宇宙をも構成できるとのこと。

 難しいことはとても解らないのですが、ここを読んで感じたのは、
登場人物のライト・モチーフ(示導動機)を色彩で表現したと考え
ていいのでしょうか。

 しかし「魔笛」はフリーメーソン結社というはっきりした思想背
景をもった作品ということですから、色彩の形而上学(20世紀末
的)を組み込んでもぴったりこないのかもしれないなあ、と思った
りします。

メテオリット

■#2766 芸術劇場  97/10/18  23:39 (ID:DAT19113@biglobe.ne.jp)
RES#2765>フライヤーの「魔笛」論       tujimoto

●メテオリットさん
 早速のRESありがとうございます。

> 随分変わった「魔笛」だったみたいですね。 
そうですね。びっくり仰天の「魔笛」でした。魔笛に見えませんでしたよ。

>額縁には肖像画が無く、ただの縁だけ。ところが不思議なことが起こりま
>>いつの間にかパミーナの顔がその額縁に映っています。これはまさにマ
>>ジック。
> このマジックは、レーザー光線を使ったホログラフィーみたいな
>ものだったのでしょうか。

レーザーでは無かったと思います。モーストリー・クラシックの9月号に
ザルツブルク特集が掲載されていますが、その中でパパゲーノが四角い額
を手に持って、パミーナと並んでいる写真がのっています。この額は見た
所、絵の部分はくり抜かれています。タミーノがこの額を床に立てかけて
ると、今までくり抜かれていた中央部に薄いスクリーンのようなものが写
り、そこにパミーナの顔写真が映し出されました。おそらく床に置いた時
にはスクリーンが張られたのかもしれません。見ていて、手品のように見
えました。

あと、手品といえば、確かパミーナが登場する時も手品で登場したように
記憶しています。細かいところは結構細かく、とても懲りに凝った演出が
随所にありました。が、あまりに沢山の芸当が有りすぎて、大半は忘れて
しまいました。

> またカラフルな舞台演出について

>>く語られています。それによると今回は「色彩の宇宙」を創造したい
>>とのこと。心理・社会・演劇学の研究では色彩は無限級数で示され、全
>>てのもの例えば象徴や神聖なるものも色彩で表現できるそうです。例え
>>ば蜜蜂がある特定の色に反応するように、それぞれの色は固有のエネル
>>ギーを持っており、これらの基本色を組み合わせることで、行動さらに
>>は宇宙をも構成できるとのこと。

> 難しいことはとても解らないのですが、ここを読んで感じたのは、
>登場人物のライト・モチーフ(示導動機)を色彩で表現したと考え
>ていいのでしょうか。

ん〜と、これも私もよく分かりません。どうもフライヤーさんは難しいこと
を言うのがお好きなようで、記事を読み返しても理解しがたいところがあり
ます。でもメテオリットさんが色彩のライト・モチーフに気がつかれたのは
鋭いですね。なるほど夜の女王が黒と赤で、ザラストロが白と黄というのは
明確なライト・モチーフと呼べそうですよ。

フライヤーさんが述べている色彩には固有エネルギーがあるという点には私
も惹かれました。数学でも時間波形は基本周波数の倍数でフーリエ級数展開
できるのと似ていますね。それと音楽もいろんな周波数を合成して出来てい
ることを考えれば、色彩というのもひとつの表現ファクターなのかなと改め
て感心しました。

色彩はオペラの演出にとって重要ですよね。照明や舞台装置、衣装すべてに
色彩的センスが要求される為、スタッフは難しい意味付けをしなくても自然
と色彩のライト・モチーフ化をやってのけているのかもしれません。
フライヤーはあえて色彩にもっと明確な意味付けをしたかったのでしょう。

> しかし「魔笛」はフリーメーソン結社というはっきりした思想背
>景をもった作品ということですから、色彩の形而上学(20世紀末
>的)を組み込んでもぴったりこないのかもしれないなあ、と思った
>りします。

・・・難しいご質問ですね。
実はフライヤーは別段フリーメーソンにこだわっていないようです。彼は独
自の持論をインタビューに得意気に話ししていますが、それによると今回の
「魔笛」には三つのポイントを掲げているようです。

1.行動原理(Der Prinzip der Bewegung)
2.渇望空間(Die Sehnsuchtsraeume)
3.色彩宇宙(Der Kosmos der Farben)


《行動原理》とは対極関係にある男性的なものと女性的なものによる補完を
意味するそうです。具体的には「夜の女王」は女性的世界、「ザラストロ」
は男性的世界でこれらは一見対立していますが、実は互いに相互作用もしく
は結合により理想的なユートピアを作るとか。・・・従来の魔笛を善悪で表
現した考えからはとんでもない異端思考かもしれませんね。しかしフライヤ
ーさんは魔笛をこのように捉えています。
そして夜の女王とザラストの両者ともにあやまちを犯しているそうです。
夜の女王のあやまちとは、女性的なものを大きな権力として過信しただけで
なく、男性的なものの太陽の七色(虹)と一体化しようとしたこと。
他方ザラストロのあやまちとは、彼自身が狩人であり、殺戮をも辞さないネ
ガティブな性格を持ったこと。
すなわち男(ザラストロ)と女(女王)は互いに補完(協力)するこを理解
せず、独自の勢力を拡大するという過ちを犯したそうです。
ここでフリーメーソンは男だけのザラストロの世界なので、フライヤーの持
論によるとフリーメーソンだででは不十分ということになりそうですね。
夜の女王とザラストロという相反する要素が共存するアンビバレンツ(相反
並列)がユートピアを作るという面白い考え方です。

《渇望空間》とは水と火の試練が行われる空間のことだそうです。フライヤ
ーは従来の劇場は既に死んだと強気の発言。なぜ普通の劇場でダメなのか分
かりませんが、彼は水と火の試練を聴衆にも体験してもらうべく、フェルゼ
ンライトシューレの石造り構造を黒い幕で隠し、天上界との境界線をなす円
形舞台を作ったとのこと。渇望とは智恵を求めること。タミーノは智恵を求
めて旅をする訳です。

《色彩空間》とは#2764で既に述べた通りです。

以上三つのポイントが今回のコンセプトらしいのですが、私自身よく分かり
ません。ところで、色彩空間がどうして「魔笛」に結びつくかは理解に苦し
みますが、おそらくフライヤーさんは「夜の女王」と「ザラストロ」の二つ
の世界のアイデンティティをはっきりさせたかったのではと推察します。そ
れほど大した意味があるとは思いませんが、ちょっとしたアイデアですね。

ところで今回は色彩もさることながら、回転する小道具やぐるぐる巻かれた
紐、あらゆる所に円形が出てきました。音楽の友やFMファンなどのザルツ
ブルク特集の写真をご覧になれば、円形が随所に使われているのがお分かり
になられることと思います。で、プログラム解説を眺めているとフライヤー
さんのコメントが載っていました。それは散文調に書かれた物ですが、
回転する円などに関するものでヒントになりそうです・・・

魔法は秘密の願望を満たす
芸術はひとつの魔法である
芸術の無い生活は死である
芸術は現実の夢をも変える
オルフェウスの歌、フルートの響き
とグロッケンシュピールは死を克服する
夢への憧れそして希望は
未来のユートピアへと導く
現代からの逃避もなく
闇の迷宮を通って永遠の樹木へ通じる
認識の光と幸運は不滅の円の中心を切望する
円それは無限に繰り返す回転
終止符それは円の中心である
近くて遠い回転軸
外側と内側に部屋と様式
神秘と統一
そして誕生
(アヒム・フライヤー)

原文の引用は下記です・・・

    Zauber erfuellt heimliche Wuensche
                        Kunst ist ein Zauber
       Leben ohen Kunst ist Tod
   Kunst verwandelt Traueme in Wirklichkeit
   Der Gesang des Orpheus, der Klang der Floete
    und des Glockenspeils ueberwinden den Tod.
      Wuensche Traueume Sehnsuechte und Hoffnungen
               helfen Zukunft mit Utopien entwerfen
         ohne Flucht vor der Gegenwart

Den Umgetriebenen fuehrt die ewige Wanderschaft duruch Labyrinthe 
    des geistigen Dunkels zum Licht der Erkenntnis und Glueck
                      die ersehnte Mitte umkreisend
                                    ewige Linie

              Kreis
        Urbild  unendlicher Wiederkehr
             ein Punkt
                        Zentrum mit Peripherien
                                 nahe und ferne
                                    mit Achsen
                                 mit Tangenten
                                aussen und innen

              Urzelle
              Urform
                           Hermetik und Vereinigung

              Geburt

             Achim Freyer

・・・以上の詩文はなにかのヒントになるかもしれませんね。フライヤーさ
んが書いたり喋ったりする内容はとても難しくて分かりにくいものですが、
謎が込められていたりして興味が湧きそうです。しかしながらハンブルクオ
ペラの時と同様、フライヤーさんの魔笛は進歩が無く、彼の目指す理念など
はひとかけらも感じられないと言った批評が飛び交っています。私もそれに
は同感で、如何に難しいことを言っても魔笛は「魔笛」で無くてはならない
のです。せっかく面白い持論を披露したのだからドタバタなど止めて、もっ
と芸術的に洗練させた演出、舞台で「魔笛」を見せて欲しかったです。
・・・メテオリットさんのresにならなかったかもしれませんが、ご了承
を。
                             tujimoto

■#2767 芸術劇場  97/10/19  20:56 (ID:XGM57171@biglobe.ne.jp)
Re:#2766>フライヤーの「魔笛」について  メテオリット

 とても詳しい解説をしていただき恐縮しております。
 なんの予備知識もなく、また資料調べもしないでただ思いつくま
まに質問などしまして、tujimotoさんには大変なお手数をおかけし
てしまって本当に申し訳ありません。

 おかげで私なりに、演出の意図がつかめたように思います。あり
がとうございました。

 今回のザルツブルグ音楽祭シリーズでは、私が今まで聞いたこと
もなかったオペラ、『グラン・マカブル』や『ルーチョ・シッラ』、
それに『後宮から〜』『魔笛』の新演出情報など、tujimotoさんの
おかげで、居ながらにして最先端の知識を得ることができました。
 かさねてお礼を申し上げます。

メテオリット

■#2772 芸術劇場  97/10/23   9:43 (ID:HDM09592@biglobe.ne.jp)
ザルツRES>『魔笛』などなど>tujimotoさん  BMW

およそ2か月になんなんとする長丁場を質・量とも充実を保ちきっての完走。
お疲れさまでした。とりわけ『ヴォツェック』の記述は興味深く、11月のベ
ルリンでの上演に向けて参考になるものでした。遅れるとは思いますが『ヴォ
ツェック』については、ベルリンと併せてRESします。

●#2764

>Musikalische Leitung       Chiristoph von Dohonaenyi
>Regie,Buehnenbild,Kostueme Achim Freyer

上の二人は、84年にハンブルク・オペラの来日公演で上演された『魔笛』の
チームでした。僕も観たのですが、確かに玩具箱をぶちまけたような舞台で、
その賑やかなことといったら・・・。音楽雑誌で見たザルツの舞台写真の断片
からは、ハンブルク版の舞台と似ている部分が多いように感じました。パパゲ
ーノの衣装デザインは、流用あるいはバリエーションのようですし、修行を放
棄したパパゲーノが食べるのは、大皿に盛られたスパゲッティというのも同じ
(ハンブルクのはプレーンな“ペペロンチーノ”でザルツのは“ミートソース”
のように見える(^_^;))。ちなみにパパゲーノは、ターザンよろしく縄にぶら
下がって上手袖から飛んでの登場でした。

ハンブルク版では“すべてはタミーノの夢”といった結論で幕が閉じられて、
これもいささか安易な帰結ではないかとも思いました。

遡ると、この二人はフランクフルト市立劇場でもつるんでいたようで、フライ
ヤーの舞台装置に、ドホナーニの演出(なぜか?)による『フィガロの結婚』
なんて代物を81年に観ていたりするんです。

>フェルゼンライトシューレは舞台だけが野外で客席には屋根がある劇場です。

ここで上演された『魔笛』の舞台としては、ビデオ映像でも観られるジャン=
ピエール・ポネルの素敵な舞台がありましたね。僕としてはポネル版のほうが
観てみたかったです。

>ドホナーニはウィーンフィルと仲が悪いそうですね。序曲が鳴ってまず最初に気

92年に始まったウィーンの『ニーベルングの指環』四部作新演出では、最後
まで完成させたものの、結局ドホナーニが再上演は放り出してしまい、パッパ
ーノあたりが元気に振ったりしましたよね。僕は『ラインの黄金』の初日を観
たのですが、オケがまったく鳴らないんですね。序奏なんかではチェロのアル
ペジオがクラリネットに消されてしまったりしてバランスの悪いことよ。最後
まで舞台そのものとともにはぐらかされたのでした。旧知のウィーンフィルの
メンバーは彼を“学校の先生”てな形容をしてました・・・さもありなん。

>とドーリア様式の柱の上に顔だけ乗っています。胴体は柱の中。おまけにこの柱
>が左から右へ移動しています。おそらく体は柱の中で直立不動。頭も上から柱の

ハンブルクのザラストロは馬鹿でかい着ぐるみにクルト・モルの顔がのってい
て、さらにパミーナを抱くのは等身大もあるこれもまた馬鹿でかい“手”であ
ったのです。これはいい勝負か(^_^;)。

>まず総監督モルティエは

もう一人、ミュンヘンのヨナス(ジョナス)ともども“非ゲルマン圏”出身の
総監督ですが、どうも二人とも旧来の(いわば保守的な)観客の神経を逆なで
するようなプロダクションが、良くも悪くも目立つような気がします。そのあ
たりを確信犯的に狙っているのだとしたら大したもんですね。

>や神聖なるものも色彩で表現できるそうです。例えば蜜蜂がある特定の色に反応
>するように、それぞれの色は固有のエネルギーを持っており、これらの基本色を
>組み合わせることで、行動さらには宇宙をも構成できるとのこと。

“色”について思い出すのは、以前ある会合で「虹は七色だ!」と言い張る人
がいて、ちょっとした波紋を巻き起こした事です。彼は、虹を必要とするある
舞台(『ラインの黄金』だったんですが)を非難する理由として「色が5色し
かなかったのは“虹”という概念に反する」と言い張ったのです。これには困
りましたね。彼は“虹は七色”であるという、日本における固定観念に支配さ
れていたわけで“虹”色の認識は国や民族によって違うということをまったく
知らなかったのです。彼のこの主張は、ある女性の「あら、ドイツでは虹は五
色なのよ〜」という明解な一言で完全に説得力を失ってしまったのですが、こ
とほどさように色(色だけに限りませんが)に対する認識は、国や民族によっ
てまったく違うこともあるので、定義は複雑です。

つまり、色に固有のエネルギーがあるとしても“色”そのものに対する認識が
フライヤーが舞台で具現化したものと、文化背景の異なる様々な国からの観客
のそれとはたして合致するかどうかが問題だと思うのです。それ以前に、提示
された今回の舞台が“色のエネルギー”なしでもどれほどの説得力があったか
ですが、tujimotoさんの報告から想像すると、その点でフライヤーの演出はか
なり苦しかったようですね。

とかく、プログラムやら何やらで多くの言葉を費やす演出家の舞台は、あらか
じめそういった解説やらを読んで臨んだとしても虚しいものがあります。その
点クプファーなどは「お好きなように考えてね」という態度ですから・・・。
楽と言えば楽、頼りないといえば頼りない?





*******************************************べんべ(TAMA-NEWTOWN, TOKYO)

■#2773 芸術劇場  97/10/23  18:49 (ID:DAT19113@biglobe.ne.jp)
RES>BMWさん>ザルツブルクの魔笛など   tujimoto

●#2772

BMWさん RESありがとうございます。

> およそ2か月になんなんとする長丁場を質・量とも充実を保ちきっての完走。
> お疲れさまでした。とりわけ『ヴォツェック』の記述は興味深く、11月のベ
> ルリンでの上演に向けて参考になるものでした。遅れるとは思いますが『ヴォ
> ツェック』については、ベルリンと併せてRESします。

旅行記あと1回を残して、RESを頂き恐縮しています。早くフィニッシュさせ
なくては思うのですが、最後の土壇場でなかなかまとまらなくて申し訳ありませ
ん。金曜の深夜(?)にでも完結させるつもりです。

11月のヴォツェックは私も楽しみにしています。ザルツブルクとの比較は出来
るにしても、何せヴォツェックは余り見たことが無いもので、皆様のご意見・ご
感想よろしくお願いします。

> >Musikalische Leitung       Chiristoph von Dohonaenyi
> >Regie,Buehnenbild,Kostueme Achim Freyer

> 上の二人は、84年にハンブルク・オペラの来日公演で上演された『魔笛』の
> チームでした。僕も観たのですが、確かに玩具箱をぶちまけたような舞台で、
> その賑やかなことといったら・・・。音楽雑誌で見たザルツの舞台写真の断片
> からは、ハンブルク版の舞台と似ている部分が多いように感じました。パパゲ

私はハンブルクのは見たことがないのですが、トンボの本「モーツァルト」に写
真が掲載されていました。パパゲーノのピノキオのような長い鼻やボールのよう
な衣装は既に今回のザルツブルクの原型となっていたのですね。でもとにかく賑
やかすぎますね。
 
> 遡ると、この二人はフランクフルト市立劇場でもつるんでいたようで、フライ
> ヤーの舞台装置に、ドホナーニの演出(なぜか?)による『フィガロの結婚』
> なんて代物を81年に観ていたりするんです。

そうだったのですか。二人は結構昔からコンビを組んでいたのですね。

> 92年に始まったウィーンの『ニーベルングの指環』四部作新演出では、最後
> まで完成させたものの、結局ドホナーニが再上演は放り出してしまい、パッパ
> ーノあたりが元気に振ったりしましたよね。僕は『ラインの黄金』の初日を観
> たのですが、オケがまったく鳴らないんですね。序奏なんかではチェロのアル
> ペジオがクラリネットに消されてしまったりしてバランスの悪いことよ。最後
> まで舞台そのものとともにはぐらかされたのでした。旧知のウィーンフィルの
> メンバーは彼を“学校の先生”てな形容をしてました・・・さもありなん。

そうですか。ウィーン国立でもドホナーニの指揮が問題であったとすると、この
指揮者の能力を疑いたくなります。でも昔BSで放送されたロイヤル・オペラの
フィデリオは結構良い演奏だなと思ったので、これはやはりドホナーニとウィー
ンフィルの相性が根本的に悪いと思わざるを得ないです。

「魔笛」には活きの良い演奏を期待していただけに、オケが全然鳴らないのには
本当に幻滅しました。聴いていて、ウィーンフィルはドホナーニに恨みを持って
いるのかと思ったくらいです。
「学校の先生」という表現は面白いですね。ドホナーニ先生の言う通りに、お利
口に演奏するウィーンフィルなんて全然迫力ありませんでした。

しかしお客は、彼らの確執を聴く為に高いチケットを買っているのでは無いので、
そこんところをドホナーニさんに理解して欲しいですね。

> りましたね。彼は“虹は七色”であるという、日本における固定観念に支配さ
> れていたわけで“虹”色の認識は国や民族によって違うということをまったく
> 知らなかったのです。彼のこの主張は、ある女性の「あら、ドイツでは虹は五
> 色なのよ〜」という明解な一言で完全に説得力を失ってしまったのですが、こ
> とほどさように色(色だけに限りませんが)に対する認識は、国や民族によっ
> てまったく違うこともあるので、定義は複雑です。

これは面白いお話、ありがとうございます。私も虹は7色だとばかり信じていま
した。国によって異なるとは気を付けなければいけませんね。

> とかく、プログラムやら何やらで多くの言葉を費やす演出家の舞台は、あらか
> じめそういった解説やらを読んで臨んだとしても虚しいものがあります。その
> 点クプファーなどは「お好きなように考えてね」という態度ですから・・・。
> 楽と言えば楽、頼りないといえば頼りない?

フライヤーさんの魔笛論は面白いですが、ちょっと強引で独断的だと思いました。
それと実際の舞台と音楽は、彼の魔笛論とは無縁で、唯のドタバタに終始した中
途半場なプロダクションでした。ここは言葉では無く中身で勝負して欲しかった
と思います。

クプファーで思い出しました。彼の「マクベス」はヴェルディの「マクベス」に
は聞こえませんでしたが、刺激とある種の躍動に満ちていて生命力を感じました。
それに比べると今回の魔笛はモーツァルトの「魔笛」に聞こないだけでなく、生
命力も感じられない幼稚園劇でした。ここまで言うと言い過ぎかもしれませんが、
やっぱりクプファーの方が面白いですね。

11月のクプファーの「ワルキューレ」は今からとても楽しみです。それと来年
の4月、ベルリン・フェストターゲでも「マイスタージンガー」を演出するよう
ですね。これは是非見たいのですが、残念ながら行きたくても行けません。なに
せ休暇を取るのが至難の技。

またまた話がそれますが、ちょうどその時期ドイツ・オペラもパルシファルの新
演出をぶつけてきますね。それとウィーンでもマイスタージンガーとパルシファ
ルにリエンツィの新演出。おまけにザルツブルクのイースターでアバドのボリス
が・・・何とも98年の4月はよだれが出そうなプログラムばかりです。

                                  tujimoto

■#2774 芸術劇場  97/10/23  20:12 (ID:CLASSIC0@biglobe.ne.jp)
ザルツRES>RE#2772>色について>BMWさん  INVE

>とほどさように色(色だけに限りませんが)に対する認識は、国や民族によっ
>てまったく違うこともあるので、定義は複雑です。

なるほど、そうですね。
「積み木」をヨーロッパに輸出しているメーカは、日本とは違う色の組み合わせ
にしているそうですね。

何の色がどうだったかは、忘れてしまいましたが。

  INVE

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