'97ザルツブルク音楽祭旅行記

歌劇『ルーチョ・シッラ』

■#2753 芸術劇場 97/10/ 4 12:13 (ID:DAT19113@biglobe.ne.jp)
ザルツブルク音楽祭(15)歌劇『ルーチョ・シッラ』 tujimoto

●8月15日/夕方〜

昼間から降り続いた雨は一段落し、外はまた晴れてきました。さすが雨の後は涼しくなったようです。今日はいつもの祝祭大劇場ではなく小劇場です。小劇場は大劇場の正面左側にあり、一つの建物で連なっています。入口はフェストシュピール・ショップの右隣。入口には巨大なアート・ペインティングがあり、内部もかなり豪華なつくりです。大劇場よりも高級感が漂っています。小劇場は大劇場が完成するまでの間、音楽祭メイン会場だったそうです。今でもモーツァルトのオペラはこの小劇場で演奏されます。野ざらしさんもここでモーツァルトをご覧になられたのですよね。

さて開演までロビーでくつろぎましょう。ここのロビーはカール・ベーム・ザールと呼ばれています。名前の由来は、大劇場完成後もベームはこよなく小劇場を好み、ここでオペラを振り続けた為だとか。このロビーはさながらお城の中のホールと言った感じで、ボッックス形式の豪華なもの。ピカピカにドレスアップした淑女紳士達がひしめいていても、混雑という印象は全く感じません。まさに絵になる優雅さで、開演前の雰囲気を盛り上げてくれます。ロビーの入口には200?年にオープンする新しいホールの模型がありました。なんでも祝祭劇場のあるメンヒスベルク岩山の上部に新設するようです。さてビュッフェで喉を潤し座席へ向かいます。その前に「ルーチョ」は珍しいオペラなので解説を・・・

●作品について

・ルーチョ・シッラはモーツァルトが16歳で作曲したそうですが、16歳とは思えない驚異的なオペラです。既に後世の名作の片鱗が随所に見られ、ゆうに正味3時間半を越える大作です。特に注目すべきは従来のレチタティーヴォではチェンバロの通奏低音にのってドラマが進行していましたが、管弦楽が伴奏に加わるというレチタティーヴォ・アコンパニャートが多用されています。弦楽5部にオーボエ、ホルン、トランペット、ティンパニのとてもコンパクトなオーケストレイションですが、色彩豊かな音楽と緊張したドラマは魅力です。でもアリアは長くて繰り返しが多すぎます。全曲通しで聴くと大変疲れます。
・CDではレオポルド・ハーガー指揮/モーツァルテウムが定盤でシュライヤー/ヴァラディ/マティスらが歌っています。他にはアーノンクール/コンツェントゥス・ムジクス盤があります。こちらはシュライヤー/グルベローヴァ/バルトリ/アップショウ/シェーンベルク合唱団という超豪華・お勧め盤ですが、1時間ほど短縮されています。では簡単にあらすじを・・・

【第1幕】紀元前90年頃、執政官ルーチョ・シッラはマリオを敗り、ローマを支配していた。シッラはマリオの娘ジューニアに結婚を迫るが、彼女は拒否。彼女のいいなずけチェチーリオは追放先から密かにローマに戻っていた。チェチーリオの友人チンナは彼をジューニアに会わせるべく地下墓地に案内する。

【第2幕】アウフィーディオはシッラに元老院の前でジューニアとの結婚を公表するよう勧め、シッラはこれに賛成。チンナはジューニアにシッラの策略を教え、ここはシッラの求婚に応じて、彼を刺すようにと頼む。彼女は殺人は出来ないと拒否。シッラが予定通り公衆の前で求婚を宣言した為、ジューニアは自殺しようとする。そこへチェチーリオが剣でシッラに切りかかるが、捕らえられる。

【第3幕】チェチーリオは牢獄に閉じ込められているが、シッラの妹チェーリアが登場。チンナは彼女にシッラの怒りを沈め、許しを請うよう頼む。ジューニアはチェチーリオの処刑を恐れている。いよいよ公開の面前でシッラが判決を言い渡す。何とそれはチェチーリオ達を許し、チェチーリオとジューニアの結婚も認めるというもの。さらにシッラは妹チェーリアをチンナにも与える。民衆はシッラの心の大きさを讃え、めでたく幕となる。

●演奏
♪ Wolfgang Amadeus Mozart,"LUCIO SILLA"
   15. August 1997, Kleines Festspielhaus
   Musikalische Leitung         Sylvain Camberling
   Inszenierung                 Peter Mussbach
   Buenenbild und Kostueme      Robert Longo
   Licht                        Max Keller
   Lucio Silla                  David Kuebler
   Giunia                       Sally Wolf
   Cecilio                      Susan Graham
   Lucio Cinna                  Elzbieta Szmytka
   Celia                        Heidi Grant Murphy
   Aufidio                      Barry Banks
   Camerata  Academica Salzburg
   Konzertverinigung Wiener Staatsopernchor
   (Wiederaufnahme / Koproduktion mit der Internationalen Stiftung 
    Mozarteum und der Oper Frankfurt)
---------------------------------------------------------------------

今日の座席は二階席の後方の中央です。ランクは上から5つ目でとてもコストパフォーマンスに優れた席です。インターネットの予約ではこのランクしか余っていませんでした。でもこの劇場自体が小さい為、後方でも舞台までそれほど離れていません。それに二階は段差が大きいので、前の人の頭が邪魔になることはありません。劇場の構造はいわゆるシューボックス型でコンパクトです。客席数は少ないですが、舞台はNHKホールくらいの大きさはありそうです。

●第1幕
本日の演奏はカンブルラン指揮のザルツブルク・カメラータ・アカデミカ。モーツァルトのハ短調ミサの時と同じ組み合わせです。舞台には銀色の金属シャッターが降りていています。序曲が開始して暫くすると赤色の光線で金属シャッターに「LUCIO SILLA」 とタイトルが映し出されます。

序曲はアレグロ/アンダンテ/アレグロに3つに分かれますが、アンダンテに変わったところで幕が開きました。序曲が始まった時は何となく音の悪い劇場だと思いましたが、舞台が上がってからは不思議と良い音がしてきました。

最初は薄暗い闇でしたが、次第に明るくなってきました。場面はテーベ河岸の神殿。周囲には廃墟らしき遺跡が点在。大地の一部が大きく地割れを起こし、そこからミサイルの発射台のようなブリッジが傾斜しています。地割れ部分は溶岩のように赤に光り、ところどころ本物の炎がジェット状に吹き上げています。なんとなく惑星に作られた溶鉱炉のようにも見えます。

序曲のアレグロ再現部ではチンナとチェチーリオが炎をくぐり抜けながら登場しました。死んだと思っていたチェチーリオが現れてお互いの再開を喜び合っています。チンナは昨日の「後宮」でコンスタンツェを歌ったシュミトカで、ジーパンに逆立ったブロンドの短髪。一方、スーザン・グラハムのチェチーリオはスーツ姿にトレンチコートの出で立ち。彼女はスリムでショートのヘアスタイルなのでとてもボーイッシュです。

さてここからチンナとチェチーリオのとてもとても長いアリアが続きます。それぞれのアリアは3回の繰り返しを基本パターンとする丁寧なもの。CDで聴くと、なかなかドラマが進まず苦痛すら感じます。でもライブで見るとそんな偏見は吹き飛びました。パントマイムを加えながらの演出は見ていてドラマとアリアにどんどん吸い込まれていきます。長いアリアがこれほど多彩に楽しめる喜びすら感じるのです・・・

とにかくグラハムの歌は抜群の出来栄えで、これで今夜は最後まで楽しめそうだと直感しました。瑞々しい歌声にヴィヴラートがかかり、陰影を湛えたソプラノはチェチーリオの凛々しい姿と相まって素晴らしいの一言。シュミトカは昨日の「後宮」のコンスタンツェよりもチンナの方がぴったりという感じです。チンナは勇ましいイメージを抱いていたのですが、ムスバッハの演出ではジーパンを履いたマドンナのようでとてもキュート。このパラドックスもまた舞台を彩っています。

場面が変わって、シッラとアウフィーディオが登場します。背景には大きな黄色のカーテンが掛けられています。シッラはおしゃれなスーツ姿で細身長身のインテリです。一方のアウフディーオはつるつる頭で後頭部を銀色に塗っています。紺色のマントを羽織り、シッラよりがっしりと立派。SF映画に出てきそうな悪役風です。ほどなくジューニアも登場しますが、彼女は白色の衣装に髪の毛が三角形に尖っています。さらにジューニアには彼女にそっくりの分身がいて、真っ白な仮面をつけています。この影武者の登場は奇抜。床から上がり舞台にのって、長いスカートを伸ばしながら天井近くまで昇り切りました。この場面でシッラがジューニアに結婚を迫りますが、気性の強いジューニアにはお手上げの状態。シッラはどちらかといえば気前の良い富豪として描写されています。

そして第1幕のクライマックスは場面が変わってローマの英雄達が眠る地下墓地から始まります。第7場レチタティーヴォはアンダンテのアコンパニャートで、管楽器群が2小節毎に繰り返す和音と弦の刻みは底知れぬ緊迫感です。これを少年モーツァルトが作曲したとは驚異!カンブルランの演奏はこんな聴き所を克明にしかもさりげなく展開してくれます。たかがレチタティーヴォで無いのがモーツァルトの凄いところ。アンダンテからアレグロ・アッサイ/プレスト/アダージョと絶妙のタイミングで変化し、管弦楽が歌い手達の心境を微妙に表現。こんな息も詰まるような魅力が3時間半も続くのです。

さてさてクライマックスは第6曲の合唱で頂点となります。黒のマントに黒の帽子をまとった群衆がランタンを持ちながら出て来ました。靄が立ちこめる幻想的な背景での合唱はとても厳粛。タンホイザーでの巡礼の合唱に似ています。暗闇にランタンがゆらゆら動き、とても美しい舞台。こんな演出は大好きなのです。そしてジューニアの亡き父マリオへの呼びかけ。そしてアレグロに転じる箇所では群衆が一斉にランタンを客席に向けました。これはまさに目が覚めるような素晴らしさ! 星空の如く輝きを見ながら、希望に沸き立つ合唱には圧倒されました。ここの合唱はシッラ打倒を誓うもので導入部と見事なコントラストです。

続くジューニアとチェチーリオの再開では夢のような音楽。空にふわふわと漂う伴奏にのって二重唱が展開されました。ここで第1幕が終了。もう80分くらい経過していますが、休憩なしに第2幕へ突入です。

●第2幕
舞台には巨大階段が登場。横幅一杯に広がり、床から天井まで届く階段は舞台の全てを占有。その一段一段が黄色と黒に光り、綺麗な横縞ストライプが舞台を埋めつくします。目まぐるしく舞台転換のあった第1幕とは対照的に第2幕はこの巨大階段でドラマの全てが進行します。登場人物はそれぞれ階段を昇り下りして、階段面のポジションを変えながら歌います。特にジューニアのアリアでは、彼女の分身(影武者)も登場し抽象的なパントマイムを演じます。

パントマイムの面白い例はチェチーリオがシッラに襲いかかる場面。実際に切りつけるのではなく、チェチーリオが持つ短剣を、それぞれ歌手達にリレーのように手渡すことでお互いの心の葛藤を表現。そして最後にチェチーリオがシッラに渡すことでシッラに切りかかったことを描写。

登場人物が階段面で幾何学的に動き、さらに中心人物に白いスポットライトを照射し、それ以外には刻久と変化する幻想的な照明が・・・階段と照明だけのシンプルさでこれ程の緊張ときめ細かな感情を表現できるとはまさに驚き!CDだと単調に聞こえた音楽がムスバッハの演出で甦るようです。

●第3幕
牢獄の場面は真四角な地下工場で表現。所々ドラム缶がならび、炎が燃え上がっています。鉄の冷たさが感じられる場面。チェチーリオは死を覚悟し、チンナは最後の望みをチェーリオに託します。

シッラによる裁きの場面では異次元を思わせる円柱空間でドラマが進みます。床は球面となっており、真っ白のタイルで覆われた空間はさながら地球とか宇宙を連想させます。シッラの寛大な判決に喜ぶチェチーリオとジューニア!球面に立つシッラと二組みのカップルは輝かしい照明でシルエットと化し、宇宙の秩序を正す神々を描写しているようにも見えました。最終場でのヒューマニズムは真に時代を超越して永遠普遍であることがひしひしと感じられます。感動とともに幕となりました・・・馴染みの薄いモーツァルト初期のオペラにこれ程感激したのには正直驚きで、暫し言葉を失いました・・・

演出家ムスバッハはアート・グラフィックやパントマイムなどを巧く使いこなし、驚異的な抽象表現に成功していました。象徴描写という面ではウィルソン演出の「ペレアスとメリザンド」に共通する所がありますが、ここはムスバッハに軍配があったようです。序曲はアレグロ/アンダンテ/アレグロの3部形式ですが、これに呼応するように第1幕ダイナミック、第2幕スタティック、第3幕ダイナミックと演出を使い分け、観客を最後までドラマに釘付けにさせる集中力には大いに称賛したいところです。

演奏ではカンブルラン指揮のカメラータ・アカデミカの生命力溢れる若々しさが魅力的でした。歌手ではグラハムが抜群。あの難しいコロラトゥーラ・アリアが忘れられません。キューブラーのシッラとバンクスのアウフィーディオも善と悪を巧く性格描写していました。この善と悪の要素は後の魔笛にも共通するようで面白いですね。とにかく小さな劇場は拍手で響き渡りました。特にグラハムにはブラヴォーの嵐でした。

今年のザルツブルク音楽祭での「魔笛」はオペラ・ブッファと化しましたが、「ルーチョ・シッラ」は正真正銘のオペラ・セリアで、「ヴォツェック」「ボリス」と並ぶ優れた内容でした。是非ぜひLDにして欲しい公演でした。
                               tujimoto

■#2758 芸術劇場 97/10/ 8 19:20 (ID:XGM57171@biglobe.ne.jp)
Re:#2753>歌劇『ルーチョ・シッラ』    メテオリット

●tujimotoさん
  
>【第1幕】紀元前90年頃、執政官ルーチョ・シッラはマリオを敗り、ローマを
>支配していた。シッラはマリオの娘ジューニアに結婚を迫るが、彼女は拒否。彼
>女のいいなずけチェチーリオは追放先から密かにローマに戻っていた。チェチー
>リオの友人チンナは彼をジューニアに会わせるべく地下墓地に案内する。

 これは歴史上の人物をもとに作られたフイクションですね。
 
 ルーチョ・シッラ=ルキウス・コルネリュース・スッラ
 マリオ=ガイウス・マリウス
 チェチーリオ=ガイウス・ユリウス・カエサル(ジュリアス・シ
 ーザー)?
 チンナ=キンナ
とするなら、紀元前90年ころのローマ政界が現れてきます。
 
 この時代のローマは、ハンニバルのローマ攻略にはじまるポエニ
戦役を戦い抜き、カルタゴを滅亡させ、イベリア半島全域を属州化
し、地中海沿岸の覇者となっていたが、その頃から政治、権力機構
のひずみが表面化し、改革と保守の激闘が繰り返される「混迷の世
紀」に位置づけられます。
 
 史実ではスッラはマリウスより20歳ほど年下で、民衆派マリウ
スの改革を保守のスッラが打倒、「元老院体制」の強化にその政治
生命をかけた人といえます。
 
 当時の共和制ローマは寡頭政治であり、反対派の暗殺は日常茶飯
事、クーデターもどきで政権をとるや反対派を徹底的に殲滅、財産
の没収、国外追放処分を行う。そしてこれが繰り返される。

 スッラもこの点では、非情な殺戮者で、マリウス派に組みして
「処罰者名簿」にのった者は4700人に上がり、裁判もなしで殺
されるか、死を免れても財産没収、子孫にいたるまでローマの公職
からの追放といった過酷な処分をしました。

 18歳だったユリウス・カエサルもこの処罰者名簿に乗っていた
が周囲の助命嘆願でスッラもしぶしぶ承知するが、このとき出した
条件がカエサルの妻=キンナの娘を離婚せよということだった。

 しかしカエサルはこれを拒否してスッラの逆鱗にふれ、遠く小ア
ジアまで逃げ延びることになった。

 以上は塩野七生著「ローマ人の物語」第三巻第二章マリウスとス
ッラの時代{紀元前一二〇年〜前七八年)を参照しました。

 この章の終わりで著者はこんなふうに書いています。

 墓碑には、スッラ自身が生前に考えておいたという、碑文が
彫りこまれた。
「味方にとっては、スッラ以上に良きことをした者はなく、敵にと
っては、スッラ以上に悪しきことをした者はなし」

 【最後まで、人を喰った男であった。】

 これは塩野七生のスッラ評ですが、オペラではいかように解釈さ
れていたのでしょう。気になるところです。

メテオリット

■#2759 芸術劇場  97/10/ 9   1:31 (ID:DAT19113@biglobe.ne.jp)
RES>INVEさん メテオリットさん>ルーチョ     tujimot

●Res#2754 INVEさん

>tujimotoさん、細かな描写に引きずり込まれます。
>素晴らしい!!!

お褒めに授かりありがとうございます。
このオペラ珍しいので、あらすじなど書かせていただきました。
史実に基づいたオペラなので、その史実を調べたかったのですが、
とても手が回りませんでした。

●Res#2758 メテオリットさん

その史実を正に調べて頂き大感謝!
とてもとても面白く読ませて頂きました。

>ルーチョ・シッラ=ルキウス・コルネリュース・スッラ
>マリオ=ガイウス・マリウス
>チェチーリオ=ガイウス・ユリウス・カエサル(ジュリアス・シ
>ーザー)?
>チンナ=キンナ
>とするなら、紀元前90年ころのローマ政界が現れてきます。
 
シッラがスッラというのは知っていましたが、チェチーリオはカエサル
だったのですか? こんな話しはとても興味が出てますね。

> 当時の共和制ローマは寡頭政治であり、反対派の暗殺は日常茶飯
>事、クーデターもどきで政権をとるや反対派を徹底的に殲滅、財産
>の没収、国外追放処分を行う。そしてこれが繰り返される。

このような状況を考えると、第1幕で民衆がシッラ打倒を歌う合唱
の意味が良く理解できそうです。

> 18歳だったユリウス・カエサルもこの処罰者名簿に乗っていた
>が周囲の助命嘆願でスッラもしぶしぶ承知するが、このとき出した
>条件がカエサルの妻=キンナの娘を離婚せよということだった。
> しかしカエサルはこれを拒否してスッラの逆鱗にふれ、遠く小ア
>ジアまで逃げ延びることになった。

カエサルがチェチーリオとすれば、カエサルの妻はジューニア(オペラ
ではまだチェチーリオと婚約中)ということになりそうですね。
なるほどカエサル=チェチーリオは確かに当たっていそうです。

> 墓碑には、スッラ自身が生前に考えておいたという、碑文が
>彫りこまれた。
>「味方にとっては、スッラ以上に良きことをした者はなく、敵にと
>っては、スッラ以上に悪しきことをした者はなし」

うーむ、これは難しい表現ですね。味方に対しては寛大で、敵(味方と
言えども反対するもの)には厳しく迫害するという意味でしょうか。

> 【最後まで、人を喰った男であった。】

> これは塩野七生のスッラ評ですが、オペラではいかように解釈さ
>れていたのでしょう。気になるところです。

確かにシッラにはネガティブな要素があったようですね。モーツァルト
のオペラはジョバンニ・デ・ガメッラの台本を使用しているそうです。
実はガメッラが台本を書いた段階で、本当の史実ではなく多少のアレンジ
があったと言われています。おそらく最後のチェチーリオ達を許す場面
のことでしょうね。それからモーツァルトのオペラを見ても分かりますが、
シッラはそれほど極悪非道で描かれておらず、移り気でコミカルな人物
描写が感じられます。特にジューニアに言い寄ったものの、あっさり振ら
れてしまい、逆に子どものように憤慨するなど。

おそらくこのような変更、特に最後に善が勝利するどんでん返しは
当時の啓蒙思想と関係があるのかもしれませんね。

さて、実際のムスバッハの演出も基本的に上記路線を崩しているわけではなく、
むしろシッラを取り立てて悪者として捉えていないようです。歌手のキューブラ

ははっきりいって三枚目で顔立ちがとても親しみやすい。やたらとジューニアに
好意を抱く、おしゃれな金持ちでした。これと対照的にアウフィーディオは見る
から悪者。

このように考えると、ご指摘の「味方には良き人、敵には悪しき人」はなるほど
シッラに当てはまるように思えてきます。
すなわち、シッラには善と悪の二面性があり、悪の面はアウフィーディオという
登場人物に人格転換を行い、善の面をシッラ自身に残したのでは?

スッラの墓標を彼自身が考えたとなると、この話しは本当に面白くなります。
最も当時の状況では極悪非道と呼ばれても当たり前でしょうが、彼は時代を先取
りしたヒューマニストなのかも知れませんよ。

ここで思い当たるのは、スッラは独裁政治の後、隠居生活を営み、膨大な
回想録を書いたそうです。この時ひょっとしてヒューマニズム的悟りが書かれて
いるかどうか興味があります。

回想録の一部が後世に残り、プルタークが「英雄伝」に書いたとか。いつか是非
読んでみたいと思います。

以上、思いつくままのresでデタラメを書いてしまったかもしれません。


(PS)
最近急に忙しくなり、旅行記の原稿がペースダウンしてしまいました。
あと一歩、二歩ですので、今しばらくお待ちを・・・しかし20回?シリーズ
の道のりは厳しい・・・

                             tujimoto

■#2760 芸術劇場  97/10/10  21:17 (ID:XGM57171@biglobe.ne.jp)
Re:#2759>「ルーチョ・シッラ」と「ルキウス・スッラ」 メテオリット

●tujimotoさん

 私の当て推量を支援していただき、ありがとうございます。

 調子に乗ってもう少し、tujimotoさんの台本にそってスッラの人
物評を「ローマ人の物語」から補足してみたいと思います。

 しかしスッラの「回想録」なるものは中世に消滅して遺っていな
いので、史料から著者が構築したものであり、女性の目から見たス
ッラ像である点、墓の下で本人はどんな顔をしてるかなあ、とは思
いますが・・

>シッラはそれほど極悪非道で描かれておらず、移り気でコミカルな人物
>描写が感じられます。特にジューニアに言い寄ったものの、あっさり振ら
>れてしまい、逆に子どものように憤慨するなど。

「ローマ人の物語」第4巻(ユリウス・カエサル)で以下のように
書いています。(52ページ1行目から3行目まで引用)

「スッラという男の最大の特質は、良かれ悪しかれはっきりしてい
ることであった。言動の明快な人物に、人々は魅力を感じる。はっ
きりするということが、責任をとることの証明であるのを感じとる
からだ。敵にまわさらなければ、痛快でさえある。」

 またスッラの生き方を、公生活ではストイック、私生活ではエピ
キュリアンであったと見る著者はこうも書いています。

「ローマ人の物語」第3巻(勝者の混迷)第2章マリウスとスッラ
(183ページ4行目から9行まで)ちょっと長い引用です。

「独裁者になる前もなって後も、スッラは、公生活と私生活の区別
をはっきり分ける生き方を変へず、公生活では厳正な態度を崩さな
かった彼だが、いったん家にもどるや、冗談好きで馬鹿騒ぎも辞さ
ないローマ人に一変する。食卓に連なる常連がギリシャ人の歴史家
や哲学者たちであれば、プルタルコス先生のお褒めにもあずかった
ろうに、スッラの食卓の常連は、喜劇役者や喜劇作家や喜劇詩人な
のであった。冷酷で醒めた政治家の食卓は、哄笑でつつまれるのが
つねだった。喜劇の主たる材料は偽善を笑いのめす精神だが、その
辺りがスッラにあっていたのかもしれない。」

>さて、実際のムスバッハの演出も基本的に上記路線を崩しているわけではなく、
>むしろシッラを取り立てて悪者として捉えていないようです。歌手のキューブラ
>ー
>ははっきりいって三枚目で顔立ちがとても親しみやすい。やたらとジューニアに
>好意を抱く、おしゃれな金持ちでした。これと対照的にアウフィーディオは見る
>から悪者。

 スッラは5回結婚しています。4度目の妻を独裁官になった時期に
亡くし、その後に35歳も年下の妻ヴァレリアを見初めたようです。 

 この離婚したばかりの若い女は、若さと巧妙なテクニックでスッラ
の心を射止めました。

 著者はこのエピソードをプルターク「英雄伝」に見いだしたよう
ですが、プルタークはこれを、スッラの年齢や地位にふさわしくな
い軽挙、と批判していると書いています。

>ここで思い当たるのは、スッラは独裁政治の後、隠居生活を営み、膨大な
>回想録を書いたそうです。この時ひょっとしてヒューマニズム的悟りが書かれて
>いるかどうか興味があります。

 スッラは自分の成功を、自分が実に「幸運に恵まれた者(フェリ
ックス)」であったからだと、彼の回想録のなかで重ねて書いてい
るばかりか、それを姓の後につける尊称にまでして、ルキウス・コ
ルネリウス・スッラ・フェリックスとしています。

 これをみても彼は自分のヒューマニズムがギリシャの神々の加護
と寵愛を得たのであると信じて疑わなかったことでしょう。

 しかしスッラの死後、彼が懸命に修復、揺るぎないものとした元
老院主導によるローマ共和制という「スッラ体制」がほどなく崩壊
しはじめ、しかもそれが生き残った反スッラ派によるのではなく親
スッラ派に属する人たちによってなされることに、後年の歴史家た
ちによるスッラ評価が分かれることになったとも書かれています。

 スッラが墓標に刻んだ言葉は実に意味深長になってきますね。

メテオリット

■#2762 芸術劇場  97/10/11  15:26 (ID:DAT19113@biglobe.ne.jp)
RES>メテオリットさん>スッラの回想録など    tujimoto

●RES#2760 メテオリットさん

これはこれは貴重な情報ありがとうございます。

>「ローマ人の物語」第4巻(ユリウス・カエサル)で以下のように
>書いています。(52ページ1行目から3行目まで引用)
>「スッラという男の最大の特質は、良かれ悪しかれはっきりしてい
>ることであった。言動の明快な人物に、人々は魅力を感じる。はっ
>きりするということが、責任をとることの証明であるのを感じとる
>からだ。敵にまわさらなければ、痛快でさえある。」

そうだったのですか、この人物像はまさにオペラでの人物描写とほとんど同じで
した。ムスバッハはこの当たりのことも調べているんでしょうね。

それと私生活と公務をはっきり分離する考えて方は遠い紀元前にあったとは驚き
です。日本ではとかく私生活と仕事がごっちゃになってしまうこともあるのです
が、この当たりに欧米の進歩的な考え方や発想があったとは凄いですね。

> スッラは自分の成功を、自分が実に「幸運に恵まれた者(フェリ
>ックス)」であったからだと、彼の回想録のなかで重ねて書いてい
>るばかりか、それを姓の後につける尊称にまでして、ルキウス・コ
>ルネリウス・スッラ・フェリックスとしています。
> これをみても彼は自分のヒューマニズムがギリシャの神々の加護
>と寵愛を得たのであると信じて疑わなかったことでしょう。

これはとても興味ある内容です。うーむ、しかし歴史の重みを感じさせる話です
ね。自分の成功が神々のおかげであると断言するなどは、後世のキリスト精神に
通じるものがありそうです。今でもキリスト教国では成功した人は自分の努力と
いうより神のおかげだと良く言いますよね。

メテオリットさんの書かれた内容が余りにも面白いので、今度「英雄伝」と「ロ
ーマ人の物語」を読んでみようかなと思います。いずれにしてもモーツァルト初
期のオペラは歴史的に深みがありそうですね。

ついでながら、スッラに滅ぼされたという「ミトリダーテ」も聴いてみたくなり
ました。これは今年のザルツブルクでも評判だったそうです。

                               tujimoto

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