'97ザルツブルク音楽祭旅行記

歌劇『後宮からの誘拐』

■#2743 芸術劇場 97/ 9/28 0:41 (ID:DAT19113@biglobe.ne.jp)
ザルツブルク音楽祭(12)歌劇『後宮からの誘拐』 tujimoto

●8月14日の夕方〜

後宮のポスター 今日はペーター教会でモーツァルトのミサを聴いたわけですが、今夜のオペラもモーツァルトです。祝祭劇場のほうではブーレーズ/グスタフ・マーラー・ユーゲント・オケ演奏会もあり、これも聴きたいところです。でも今日のオペラは新演出でしかもレジデンツの野外オペラで面白そうです。これを見逃すわけには行きません。祝祭劇場ではないので、ここは手抜きしてジャケットで馳せ参じることにします。開演は19:30なので、18:30にはホテルを出ました。

レジデンツ・ホーフの特設劇場には開演30分前に着いたのですが、門は未だ閉まっています。しょうがないので、レジデンツ広場周辺をブラブラ歩いて時間を潰します。それと今日の公演のチケットは完売で、ズーヘ・カルテの人が一杯いました。やっぱりモーツァルトのオペラは人気が高いようです。

・・・まだ開門しない。開門を待つ人で一杯になってきました。開演15分前にやっと開門。祝祭劇場なら1時間ほど前から出入りできるのに、一体これはどういうことなのだ?・・・

狭い通路は一気に人でごった返しますが、その狭いところでプログラムと飲み物類が売られています。入口に入るとロビーなんてものは無く、そのまま真っすぐ座席へ向かうしかありません。確かに早く開門してもしょうがないようですね。

●アラビア風「後宮からの誘拐」について

総監督モルティエのインタビューが MUSIC MANUAL/SOMMER 97に掲載されていました。それによると、彼はオペラ「後宮」に「異文化との出会い」というコンセプトを描きたいそうです。特にヨーロッパとアラブの関係は政治的・文化的にもはや避けられない問題で、芸術においてもこの問題に取り組む必要があるとのこと。おそらくアラブ系難民問題やパレスチナの緊張の事を意味しているのだと思います。

ここで芸術にそのような問題を持ち込むのはナンセンスだという意見も当然多いことでしょうが、急進派の彼としては、音楽祭に取り上げてアピールすべきだという使命を持っているのでしょう。彼のコメントによるとモーツァルト音楽は西欧とオリエントの融合により、芸術性をさらに高められると考えているようです。これは見てのお楽しみ・・・(?)

このオペラでは大守セリムのヒューマニズムがひとつのポイントです。モルティエの求めるセリム像は、仕事先ではスーツを着て自宅ではアラブ衣装を着るというような国際派だそうです。そこで選ばれたのがアクラム・ティラヴィ。彼はテル・アヴィヴ大学で演劇を学び、ゴロトヴィスキーやビュヒナーなどドイツ演劇も研究したそうです。アラブとドイツ文化の両方に秀でた人材を起用しようという訳です。ちなみに彼はセリムを演じますが、「後宮」の演技も担当するようです。

さて演出は長年フランスで活躍するパレスチナ人のフランシス・アブ・サレムです。彼もまたモルティエの友人で、今回の演出を頼まれたとか。サレムはレジデンツ・ホーフでの演出についてコメントしています。それによると、透明なテントでレジデンツを覆うことで異文化が混ざった共同体空間を作りたいとのこと。テントはいろんな意味を持ち、ひとつは放浪するユダヤ民族の家であったり、出会いの場所、さらには世界への旅立ちの出発点などなど。テントの実質的意味はオペラ制作資金の節約だそうです。またサレムは「特に今回、モーツァルトの音楽に加えてアラビア音楽をプラスし、音楽祭のお客にアラブへの旅を体験して欲しい。」とまで言っています。

とにかくモルティエを始めとするスタフは「後宮」にかなり大げさな期待を寄せているようです。では実演のほうは・・・


♪ Wolfgang Amadeus Mozart,"DIE ENTFUEHRUNG AUS DEM SERAIL"
   14. August 1997, Residenzhof
   Musikalische Leitung          Marc Minkowski
   Inszenierung                  Francois Abou Salem
   Buenenbild und Kostueme       Francine Gaspar
   Licht                         Joel Hourbeigt
   Choreinstudierung             Winfried Maczewski
   Choreographie und Bewegung    Akram Tillawi
   Konstanze                     Elzbieta Szmytka
   Belmonte                      Paul Groves
   Bassa Selim                   Akram Tillawi
   Osmin                         Franz Hawlata
   Blonde                        Desirer Rancatore
   Pedrillo                      Andreas Conrad
   Mozarteum Orchester Salzburg
   Konzertverinigung Wiener Staatsopernchor
   Ney-Solo                      Kudsi Eraguner
   Davul,Zarb,Soloschlagzeug     Pierre Rigopoulos
   Solopiccolofloete             Claire Michon
   Solovioloncello               Marcus Pouget
   Solofloete                    Ingrid Hasse
   Solo-Oboe                     Wolfgang Schlachter
   Taenzer und Regieassistenz    Hassan Gharbia/ Mehmet Ayas
   (Neuinszenierung)
--------------------------------------------------------------------

後宮のステージ 四角い大きな中庭にステージとオーケストラ・ピッがセットされています。客席は金属パイプと床で組んだ段々畑にプラスティックの椅子を並べたもの。客席はかなりの勾配です。中庭は完全に吹き抜けなので、全面を青色のビニール・シートで塞がれています。いざ雨の時でも大丈夫。さらにちょうどオーケストラ・ピットの上方の天井にはもう一枚白いテントがカーブを描いて張れれています。これにはミミズのようなアラブ文字が書かれています。おそらくサレムが得意げにコメントしていたのはこのテントのことでしょう。

今日の座席は前から6列目の左サイドで、勾配が強い為、前の人の頭は全く邪魔にはならず、よく見えます。今日も天気が良くて日中とても暑かったのですが、夕方からは涼しくなりました。ただ天井が覆われているので、まだ少し暑さが感じられます。いよいよ客席が埋まりました。舞台の左側踊り場にも観客が座り込んでいます。どうも臨時の立ち見(?)のようです。舞台右側の踊り場には白い布を頭から被ったイスラム人の方が数名座っています。

外はまだ明るく、天井の青いテントから明るい光が漏れています。教会の鐘の音、馬車の音、隣のレジデンツ広場でのざわめきが聞こえる中で指揮者のミンコフスキーが登場。彼は真っ黒なポロシャツに黒いズボンで、オケは白のTシャツに黒のジャケット姿です。さてこの臨時劇場は周囲が建物の壁で真四角に囲まれている為、音が逃げず内部で反響しあいなんとなく濁りぎみ。序曲がとても固くて、特にシンバルは最悪。音がクリップしてとても聞き苦しいものです。

●第1幕

場面は大守セリムの屋敷で、横幅一杯に鉄条網がぐるぐる巻に張り巡らされ、銃を持った兵士が数名警備しています。舞台両脇にはイスラム特有の出窓形式の部屋が何個も並んでいます。これは回教での男子禁制のハレムと呼ばれるレディ専用の小部屋です。さらに舞台背面には銀色のモスク状扉があり、登場人物の出入りに使われています。

ベルモンテが舞台左側に転がっているダンボール箱を破って登場。それまでずっと箱の中で我慢していたのですね。これで開門が15分前だった理由が解りました。余り早いとベルモンテ役のグローブズにとって大変ですからね。さて彼の歌は最初とても固く聞こえました。

ハウラータが演じるオスミンはなかなか声量があり、滑稽な演技で結構笑わせてくれます。ベルモンテがオスミンにお土産としてモーツァルト・クルーゲンの箱を手渡したり、あの手この手で屋敷に入ろうとしますが、オスミンはなかなの石頭。ベルモンテはとうとう白旗を振りながらアリアを歌いました・・・

ところで特設会場の出入口がステージ左脇にありますが、その付近がザワザワ。突然大守たち一行が入り口から登場。秘書やTVカメラマンを控えてステージに上がってきました。大守セリムはスーツ姿で手に何かファイルを抱えています。一仕事して来た様子。さてコンスタンツェはシュミトカが歌います。シェーファーは今日の教会ミサを歌ったので、オペラは出演しません。コンスタンツェは頭の上から白いマスクで顔を覆われていましたが、こえれはイスラムの風習。プログラムにこの女性のマスクなどが写真で説明されていました。このような細かなところにもイスラムとかアラブの演出を施しているようです。

舞台がにぎやかになり、次第に面白くなりました。始まった時は音が悪かったようですが、今はオーケストラも良く響いています。ペドリロも登場し、ドタバタの内に第1幕が終了。

(休憩)
さてここはロビーなんてものはありませんから、みんな外へ出ます。レジデンツ広場周辺で時間を潰します。といってもここはバイロイトみたいにゆったりした休憩ではなく、20分だけです。夜8:30、日は沈んでいますが未だ夕方の明るさです。外に出るとリフレッシュできて気持ちが良いですね。ちょうど今頃バイロイトで「トリスタン」をやっている最中なのですね。かたやザルツでは奇妙なアラブ風ドタバタ・モーツァルトをやっているとは・・・

●第2幕

開幕まえの鐘が鳴らされ、席に着きます。まだ観客が座席へ移動中ですが、舞台右側踊り場のイスラム音楽師達が太鼓や笛の演奏を始めました。舞台ではエキゾチックなイスラム踊り。踊り子達(ハレム・ダーメン)は10数名のアラブ娘。指揮台にはミンコフスキは未だ居ません。一体これは何のつもり? 第2幕が始まる前のサービス余興と判断しました。コンスタンツェも楽しそうに踊りを見ています。いつの間にかミンコフスキーが登場し、第2幕の開始です。

第1幕に比べて舞台がとても凝った作り。プールや噴水もあり、ブロンデとオスミンのやりとりがとても面白いです。オスミンはブロンデにプールに落とされたり、とにかく楽しい舞台。もうそろそろ薄暗くなり、明るい照明で簡素な舞台が美しく照らし出されます。所々モーツァルトの音楽にアラブ音楽が混ざり、アラブ語のセリフが・・・
しかしこんなモーツァルトは見たことが無い。でも楽しいオペラには違いはありません。こんな調子で愉快なドラマがどんどん進行。

大守セリムがコンスタンツェを口説く場面ではアラブ語とドイツ語の両方でレチタティーヴォが演じられるという具合です。さてシュミトカのコンスタンツェもなかなかの出来栄え。ちょうどシェーファーと同じくらいの体格で、動作も機敏で美しい歌声を聴かせてくれます。有名なアリア「あらゆる拷問も・・・」の直前、オーケストラのソリスト達が立ち上がり右側からステージに上がりました。舞台でフルート・ヴァイオリン・チェロなどアンサンブルを展開。コンスタンツェに語りかけるような音楽は視覚的にも際限なく美しく印象的でした。

●第3幕

そろそろ休憩のはずだが、みんなオペラを止める様子が無い。何か知らんがイスラム音楽のおじさん達がまた奇妙な調べを奏で始めた。・・・そろそろ休憩が欲しいのですがという思いもむなしく、第3幕が始まってしまいました。

ペドリロのセレナードは魅力を感じる箇所です。何とも言えぬ不思議なオリエントについ惹かれるのです。モーツァルト作曲当時もトルコなどの音楽が流行したそうで、西欧音楽ばっかりよりも、たまにはエキゾチックに憧れるのでしょう。

オスミンの大騒ぎなどドタバタ劇が続き、最終場面。大守セリムが心の大きなところを見せて歓喜に満ちた合唱。イスラムの太鼓も混じってモーツァルトの素晴らしい音楽ですね。特に舞台の奥にくり抜かれたモスク状の扉のところで三人の回転踊りがクライマックスにぴったりマッチしているのが印象的です。盛り上がる感動を押さえて、じっぐりとエンディングを見届けました。

今までとは一風変わったアラビアン風モーツァルトでしたが、結構良かったですよ。カーテンコールでは、オスミンへの拍手が最大でした。シュミトカのコンスタンツェとグローヴズのベルモンテも大きな拍手。そして指揮者ミンコフスキーには床も踏みならす拍手。ミンコフスキー/モーツァルテウムはアラブ楽師達に合わせながらも、素晴らしく生き生きとした演奏でした。さて西欧とアラブの出会いについて、確かに面白いオペラに仕上がっていますが、モルティエ達スタフが意図したような難しい問題は特に感じられた訳ではありません。

終了して、外に出るともう既に真っ暗。10時半です。祝祭劇場の方から帰ることにします。レジデンツのドーム広場側へ回ると、楽屋口の門からオーケストラのメンバーが楽器を背負い、自転車で颯爽と走り去ってゆきました。お客より早く帰るスピードの速さには驚きました。祝祭劇場でもブーレーズ/ユーゲント演奏会がちょうどはねたようです。

            tujimoto

■#2744 芸術劇場 97/ 9/28 11:51 (ID:SKG92998@biglobe.ne.jp)
Re#2743>ザルツブルク音楽祭(12)歌劇『後宮からの Ψ衛兵

●tujimoto さん

 『後宮からの誘拐』、衛星放送でみました。

》黒のジャケット姿です。さてこの臨時劇場は周囲が建物の壁で真四角に囲まれて
》いる為、音が逃げず内部で反響しあいなんとなく濁りぎみ。序曲がとても固くて
》、特にシンバルは最悪。音がクリップしてとても聞き苦しいものです。

 この序曲のシンバルには驚きました。破壊的な音でした。思わず笑ってしまった
くらいです。

 劇中でも何回かこのシンバルが活躍する場面がありますが、少し怖いような、し
かしワクワクするような感じもあり、快感でした。トルコの軍楽隊の音楽は、「味
方を鼓舞するだけでなく、相手を威嚇する目的もあった」という話を聞いたことが
あります。確か、「題名のない音楽会」。そんな説が納得できるような、独特の響
きでした。

                                    ***

 『後宮』は、今月の 20 日に、愛知芸術文化センターの大ホールで実演を観まし
た。愛知県芸術振興事業団の主催事業で、日生劇場のプロダクションをもってきた
ものです。歌手は地元の人をオーディションで選び、オーケストラは名フィル。

 幕間にオーケストラピットの中身を見てみたら、シンバルは通常より小型で、独
特のものでした。それから太鼓も、大太鼓と小太鼓の中間くらいの大きさでした。
珍しかったのは叩き方。右手のバチで皮の部分を叩くのは当たり前ですが、同時に
左手でササラのようなものを持ち、それで太鼓の胴を叩いていました。

 しかしこの時は、それほど特異な音はしませんでした。衛星放送で超刺激的な音
を聴いてしまった後とあっては、やや物足りないくらいでした。

                                    ***

 こちらでやった『後宮』は、もと演出はゼルナーで、それを鈴木敬介が翻案した
もの。オーソドックスで、とくに主張があるとも思えませんでした。しかしザルツ
ブルグの演出は舞台を現代に移し替えたもので、ユニークでした。群集は自動小銃
を持ったアラブゲリラ、セリムはその頭目、ただしインテリ風という具合。普通こ
の手の移し替えはアイデア倒れに終わりがちですが、この演出は巧くこなれていた
と思います。

 モーツァルトの時代、イスラム社会は大いなる異文化でした。それを現代に移し
替えても違和感がないということは、アラブは西洋からみれば依然として「大いな
る異文化」であるということでしょうか。またわれわれ東洋人にとっても事情は同
様で、やはりアラブは独特の光彩を放つ「特異な社会」ということでしょうか。

》らしい音楽ですね。特に舞台の奥にくり抜かれたモスク状の扉のところで三人の
》回転踊りがクライマックスにぴったりマッチしているのが印象的です。盛り上が
》る感動を押さえて、じっぐりとエンディングを見届けました。

 これは意表を突くような、不思議な終わり方でした。

 『後宮』のストーリーや音楽のつくりは起承転結を旨とする整合性の世界にある
のですが、舞台の上にみえるのはそうしたドラマツルギーを拒否するような世界で
した。いわば起伏のない、ずるずるとした連続性。最後のところまできて、知らな
い世界に放り出されたような、落し所のない頼りない気分に襲われました。いやは
や。

》さて演出は長年フランスで活躍するパレスチナ人のフランシス・アブ・サレムで
》す。彼もまたモルティエの友人で、今回の演出を頼まれたとか。サレムはレジデ
》ンツ・ホーフでの演出についてコメントしています。それによると、透明なテン
》トでレジデンツを覆うことで異文化が混ざった共同体空間を作りたいとのこと。

 刺激的で面白い演出だとは思いましたが、引用にみるような演出家の意図は感じ
ることができませんでした。むしろ、味わったのは「右は右、左は左」という隔絶
感です。

》合わせながらも、素晴らしく生き生きとした演奏でした。さて西欧とアラブの出
》会いについて、確かに面白いオペラに仕上がっていますが、モルティエ達スタフ
》が意図したような難しい問題は特に感じられた訳ではありません。

 というわけで、おおむね tujimoto さんに同感です。

 ご覧になられたかと思いますが、今月号の「モーストリー・クラシック」(産経
新聞が配布しているフリーペーパー)でモルティエは、「今年はモーツァルトのオ
ペラが 5 本上演されたが、 権力者が最後にはすべてを許すという共通点がある」
と語っています。今回の演出の底のところに、このような世界観があるとすれば、
「異文化が混ざった共同体空間を作りたい」という意図も分からないではありませ
ん。



 でもちょっと待てよ、『魔笛』は最後のところ、夜の女王の世界が否定されて終
わるはず。「権力者が最後にはすべてを許す」というのとは少々異なると思うので
すが。

                                                                    Ψ衛兵

■#2745 芸術劇場  97/ 9/28  20:30 (ID:DAT19113@biglobe.ne.jp)
RES#2744>Ψ衛兵さん>「後宮からの誘拐」    tujimoto

●Ψ衛兵さん 早速のRESありがとうございます。

> 劇中でも何回かこのシンバルが活躍する場面がありますが、少し怖いような、
>しかしワクワクするような感じもあり、快感でした。トルコの軍楽隊の音楽は
>「味方を鼓舞するだけでなく、相手を威嚇する目的もあった」という話を聞いた

そうですね。おっしゃる通り、ワクワクしますね。なるほどトルコ音楽は威嚇の為
に使われたというのは初めて知りました。面白いですね。


> モーツァルトの時代、イスラム社会は大いなる異文化でした。それを現代に移
>し替えても違和感がないということは、アラブは西洋からみれば依然として「大い
>なる異文化」であるということでしょうか。またわれわれ東洋人にとっても事情は
>同様で、やはりアラブは独特の光彩を放つ「特異な社会」ということでしょうか。

どうもこれは難しそうな問題ですね。実は音楽祭パンフレットに演出家サレムの
コメントがありますが、それによるとかなり政治的な内容になっています。
・・・アラブとユダの衝突、それにイスラエルとパレスチナの故郷の問題などが
抽象的に述べられています。読んでも良く分かりません。どうも島国日本では計り
知れない根の深い問題が中東とさらに西欧にあるようです。

ついでに指揮者ミンコフスキも父がユダヤ人で、さらに母はフランスの作家で、
演出家サレムの知り合いとか・・・
このような関係でバロックの大家、ミンコフスキが指揮するようになったのかも
しれませんね。

> 『後宮』のストーリーや音楽のつくりは起承転結を旨とする整合性の世界に
>あるのですが、舞台の上にみえるのはそうしたドラマツルギーを拒否するような世
>界でした。いわば起伏のない、ずるずるとした連続性。最後のところまできて、知
>らない世界に放り出されたような、落し所のない頼りない気分に襲われました。

Ψ衛兵さん、するどいご指摘です。結局、アラブとかなんとか演出がプラスされて
いても、モーツァルトの純粋な世界を余り感じることは出来ませんでした。でも
楽しいオペラ作りでした。

>ご覧になられたかと思いますが、今月号の「モーストリー・クラシック」(産経
>新聞が配布しているフリーペーパー)でモルティエは、「今年はモーツァルトの
>オペラが 5 本上演されたが、 権力者が最後にはすべてを許すという共通点があ
>る」と語っています。今回の演出の底のところに、このような世界観があるとすれ
>ば、「異文化が混ざった共同体空間を作りたい」という意図も分からないではあり
>ません

えつ!モーストリー・クラシックの何処に書いて有るのかな?といろいろと
目を通し、やっと見つけました。モルティエの小さな写真の横に確かに、ご指摘
のコメントがありました。
私が見たのは「後宮」「ルーチョ・シッラ」「魔笛」で権力者はそれぞれ、
太守セリム(後宮)、シッラ(ルーチョ・シッラ)、ザラストロ(魔笛)。
なるほど確かに最後には総てを許すという意味で共通してますね。

>でもちょっと待てよ、『魔笛』は最後のところ、夜の女王の世界が否定されて終
>わるはず。「権力者が最後にはすべてを許す」というのとは少々異なると思うの
>ですが。

うーむ。私には分かりません。おそらくモルティエは女王も許すと考えている
のでしょうね。それにしても今回の「魔笛」は魔笛にあらずという印象でした。
この魔笛についてはまた後ほど。

(P.S.)
今日タワーレコードで、新しい「後宮」を買ってきました。
ARTE NOVA CLASSICS /74321 49701 2(2枚組1980円)
マルチン・ジークハルト指揮 ブルックナー・リンツ管弦楽団
録音1997.3月
歌手たちは聞いたことの無い方たちですが、トルコの太鼓とかシンバルが派手
に入っていて、勇ましい演奏でした。ただセリフが棒読みのようなところも
あり、若干あれっと思います。

                            tujimoto

■#2748 芸術劇場  97/ 9/29  16:34 (ID:XGM57171@biglobe.ne.jp)
Re#2744>歌劇『後宮からの誘拐』> Ψ衛兵さん  メテオリット

●Ψ衛兵さん
 モーツアルトのオペラもなかなか面白い展開があるのですね。

>モーツァルトの時代、イスラム社会は大いなる異文化でした。そ
>れを現代に移し替えても違和感がないということは、アラブは西
>洋からみれば依然として「大いなる異文化」であるということで。

 ということは、トルコ=イスラーム=アラブという図式になりま
す。私もトルコに行くまで、そう思っていました。ところが、現地
人のガイド氏が自己紹介の後いった言葉が、「トルコはアラブでは
ありません」と。

 多分殆どの日本人観光客がトルコ=アラブと思っているので、彼
は民族の誇りとアイディンティテーをまず表明したかったのでしょ
う。

 モーツアルトの時代を推測するのに、オスマン・トルコ帝国の年
表を重ね合わせてみました。

 「後宮からの誘拐」は1782年5月脱稿と音楽の友社名曲解説
全集第13巻にあります。

 オスマン・トルコの版図はこの頃までに最大規模となり、176
8年に始まる対ロシア戦争でオスマン艦隊が破れてのち、次第にこ
の7世紀もの間強大な支配力でキリスト教圏を脅かした一大帝国も
衰微のきざしがはっきりしてきた時代です。

 その間ヴイーンも1529年、1683年の2回包囲攻撃を受け
ていますが、辛うじて撃退し、そのときの置きみやげのトルコ・コ
ーヒーがいま世界に愛されるヴィンナ・コーヒーに変身したとか。
今世紀に入っては、第一次世界大戦でトルコはイギリスが援助する
アラブと戦ったときの話に、有名なアラビアのロレンスがいます。

 それはさておき、いま世界のイスラーム人口は10億を超えてい
るそうです。それにともなって、冷戦終結後の世界政治にクロー
ズ・アップしてきたのが「文明の衝突か?」(キリスト教圏とイス
ラーム圏の共存は可能か?)というキー・ワードです。

 時代の動向に対して常に一歩先を読む芸術家たちの奮闘がこのオ
ペラに体現されたものと受け止めました。

メテオリット

■#2755 芸術劇場  97/10/ 4  18:34 (ID:SKG92998@biglobe.ne.jp)
Re#2748>歌劇『後宮からの誘拐』> メテオリットさん  Ψ衛兵

》 ということは、トルコ=イスラーム=アラブという図式になりま
》す。私もトルコに行くまで、そう思っていました。ところが、現地

 無意識のうちに、「トルコ=イスラム=アラブ」という図式を受け入れていまし
た。これはご指摘を受けないと気が付かなかったと思います。

 今回のザルツブルグの演出が、トルコ→アラブの置換えをどの程度意図的に行っ
たのか判然としませんが、おっしゃるようにこれは盲点でした。

 ただ、モーツァルトの時代の「西洋にとってのトルコ」が、今という時代の「西
洋にとってのアラブ」ということなのかな、という気はします。それにしてもこの
ような認識は、当のトルコにとっては迷惑なことでしょう(アラブにとっても?)。

                                  ***

 今のトルコの版図を観ると、モーツァルトの時代、いかにトルコが西洋に対して
大きな影響力を持っていたのかということは理解しにくいところがあります。我々
が知っている「当時のトルコ」は、ほとんどが西洋経由のトルコ像であることを考
慮すれば、なおさらです。

 トルコは、極めて親日的な国だと聞いたことがあります。トルコに限らずロシア
の脅威を受け続けてきた国は、日露戦争でロシアを破ったとされる日本に対して共
感と賞賛を惜しまないとか。そうした彼らの熱い眼差しに対して、我々は少し冷た
すぎるのかな、と思うことがあります。トルコは一度訪れてみたい国のひとつです。

                                  ***

》 「後宮からの誘拐」は1782年5月脱稿と音楽の友社名曲解説
》全集第13巻にあります。

 「モーツァルトとトルコ」といえば、 ピアノ・ソナタの K.331 が「トルコ行進
曲」付きということで有名です。この曲、従来は 1778 年にパリで作曲されたとい
うのが定説でしたが、最近の説では 1783 年頃にウィーンで成立したとされるよう
です。 となると、1782 年の『後宮からの誘拐』とは極めて接近した時期に書かれ
たことになります。

 ちなみに磯山雅『モーツァルト、あるいは翼を得た時間』(東京書籍)では、次
のように記されています。

「たしかにそう考えると、例えば有名なイ長調ソナタ K.331(300i)の《トルコ行
進曲》は、 《後宮からの誘拐》のかたわらに無理なく位置付けられ、1683 年のト
ルコ軍包囲を破ってからちょうど 100 年目のウィーンにおけるトルコ熱を、 その
背景にみることが可能になる」

                                  ***

》 時代の動向に対して常に一歩先を読む芸術家たちの奮闘がこのオ
》ペラに体現されたものと受け止めました。

 私も難しいことは分からないものの、この演出に対しては好意的に受け止めるこ
とができました。「我々は今という時代を生きているし、オペラもその中にある」
という主張だろうと思いますが、オペラを博物館の展示物にしたくはないという思
いは同じです。

                                                                    Ψ衛兵

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