'97ザルツブルク音楽祭旅行記

歌劇『ボリス・ゴドゥノフ』

■#2721 芸術劇場 97/ 9/19 0:12 (ID:DAT19113@biglobe.ne.jp)
ザルツブルク音楽祭(8)歌劇『ボリス・ゴドゥノフ』 tujimoto

●8月12日(火)/4日目

昨日は充実し過ぎる1日でした。「ヴォツェック」の感動が焼き付いています。プレミエ公演だったので、おそらく新聞に何か記事があるだろうと思い、探しましたがまだ載っていません。おそらく明日の新聞には載るでしょう。

 今日は「ボリス」1本だけでマチネーは無し。ただしボリスの開演が夕方6時なので、4時にはホテルに戻ってくる必要があります。昨日みたいに半日ツアーは出来ません。また昨日の暑さで疲れてしまったので、今日はのんびりとすることに決定。ゆっくりと朝食を取り、昼からはレジデンツの美術館を見学。ちょうどオリエント展が開催されて、静かなところで美術を見る喜びに浸れました。

♪ Modest Mussorgski, "BORIS GODUNOW"
12. Ausust 1997, Grosses Festspeilhaus
Musikalische Leitung Valerie Gergiev
Regie Herbert Wernicke
Buenebild und Kostueme Herbert Wernicke
Boris Godunow Wladimir Waneew
Fjodor Liliana Nichiteanu
  Xenia Iride Martinez
Xenias Amme Eugenia Gorochowskaja
Schuiski Philip Langridge
Schtschenlkalow Nikolaj Putilin
Pimen Alexander Morozow
Dimitri Sergej Larin
Marina Olaga Borodina
Rangoni Monte Pederson
Warlaam Fjodor Kusnetzow
Missail Wilfried Gahmlich
Schenkwirtin Irina Tchistjakowa
Narr Alexander Fedin
Wiener Philharmoniker
Konzertvereinigung Wiener Staatsopernchor
Slowakischer Philharmonischer Chor Bratislava
(Wiederaufnahme)
  Pause nach dem 2 Akt
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「ボリス」をライブで見るのは初めてです。リムスキーコルサコフ版は適当にカットがあってまだ楽ですが、原典版となると見るのが大変ですね。ワーグナーなら長くても集中できますが、このオペラはとても長く感じられ、集中力を持続させるのが難しいオペラです。ゲルギエフとタルコフスキー監督によるLDがありますが、これを一気に見るのは本当に苦しい。芸術劇場で検索するとBMWさんは既にアバドとゲルギエフでご覧になられていますね。1回だけの休憩では辛いとのことで、今日の公演について私も心配していました。

ところで今日の公演は原典版でありながら、素晴らしい集中力で一気に見せてくれました。昨日の「ヴォツェック」は鮮烈な印象を与えてくれましたが、「ボリス」もまた度肝を抜く凄さでした。

座席はパルテレ最前列の真ん中。「ペレアス」の時は指揮者の真後ろでしたが、今回は座席ふたつ分右寄りです。指揮者には手が届く距離ですが、舞台は死角にならず全て見渡せます。視線を下げればビットの中も一望。今日も昨日と同じウィーン・フィルで、コンサートマスターはホーネックでした。今回の「ボリス」がゲルギエフのザルツブルク・デビューで、おそらくウィーンフィルを指揮するのは初めてではないでしょうか。ウィーンフィルの方も気合いが入っています。では舞台の演出など印象に残った場面を・・・

●プロローグ
 短い序奏部でいきなり幕が開き、広大な舞台に無数の大きな肖像画が額になって屏風状に張り巡らされています。よく見ると皇帝ニコライ、レーニン、スターリン、フルシチョフ、ゴルバチョフ、エリツィン・・・などなど多数。おそらくロシアの歴代皇帝やロシアの首脳陣の顔・顔・顔がモノクロに黄色いカクテルランプを浴びて舞台を見つめています。これにボリスの導入部の厳かな音楽がよくマッチングしています。大地からの力強い響きを聞きながら肖像画の一枚一枚見ていると、歴代の政治家達が本当に生きているような錯覚を覚えます。これから始まるドラマをニヒルに見守っているのか、あるいは権力交代劇を操っているようにも見えます。

この場面は民衆が修道院前でボリスの帝位を望む場面です。合唱が登場する直前、舞台の左右に巨大な箱が出現し、舞台中央を目指し一気に移動。真ん中で連結して大きな壁を作りました。ほとんど瞬時に現れた壁の全面は牢屋になっていて、民衆たちがうごめいています。3段の独房が天井近くまで届き、30mの横幅一杯に配列した巨大な牢屋は威圧感を与えます。ボリスへ嘆願する合唱がまた凄い!、大地を揺るがさんばかりの合唱には圧倒!この演出は次の二つの効果を発揮しています。

  • 一つは何よりも巨大な舞台で視覚的インパクトを与え、民衆を支配する権力と いずれはこれを覆す民衆パワーをイメージづける。
  • 二つめは合唱を舞台床面に配列するのでなく、(高さ)×(横幅)というワイ ドヴィジョン空間に配列させて、合唱パワーを客席に向け炸裂させる。太陽の 光りが斜めに照射するよりも真っすぐ照射する方が明るくなるのと同じ原理。

次のクレムリン宮殿広場では牢獄は消えて、再び肖像画の舞台。肖像画の壁が中央で扉のようにハの字に開き、その間隙から書記シチェルカーロフが登場。この役にはニコライ・プチーリンが歌っています。彼は昨年のキーロフ・オペラ「オテロ」でヤーゴを歌っていました。ここまで全ての動作はとてもスピーディで全く無駄の無い進行は見事です。そして圧巻は大きな鐘の登場。台車に乗った巨大な鐘は民衆達に牽引されて舞台中央へ。一人が梯子をよじ登り、鐘の穂先にクレーンのフックを取り付けました。高揚する音楽に合わせて、鐘がぐいぐいと吊り上がっていくシーンは重量感満点の迫力です。

舞台も凄いですが、ゲルギエフ/ウィーンフィルも凄い!本当に劇場の床全体をドシーン・ドシーンと揺れ動かす大音響でヴェルニケの舞台を見ると、理屈抜きに観客はその迫力にひれ伏すのです。

吊り上がった鐘の下にすばやく黄金の椅子が置かれ、これまたスピーディに登場したエリツィンいや失礼、ボリス・ゴドノフが椅子の前で歌います。当初はサミュエル・ラミーが歌うことになっていましたが、病気の為キャンセル。代わりにコッチェルガが歌うことになっていましたが、彼もまたキャンセル。ウラジミール・ヴァネーエフというロシアの歌手が登場しました。容貌はエリツィン大統領にそっくりで、歌に深みがあり声量は十分。あのロシア発音(鼻にこもるような声)は独特で厚みのある音楽とぴったり調和しているのには感心しました。ボリスとその取り巻き達全員は現代風スーツ姿にシルクハット。特にボリスはガウンと国王の杖を持っています。手下達は見たところKGB風、シューイスキーはボリスへ媚を売るKGB長官といったところでしょうか。

ボリスの重々しいモノローグとオーケストラの響きには得も言えぬくらい心を揺さぶられました。ラミーのボリスを聞いたことはありませんが、ひょっとして地元ロシアのヴァネーエフの方がボリスにぴったりなのかも知れません。例によって圧倒的な合唱でプロローグが終わりました。たった30分ですが、もうオペラを見終わったような充実感です。

ゲルギエフの指揮について一言。彼の指揮は独特でフッーという凄い鼻息や唸り声を上げていました。特に合唱や歌に合わせているわけでもなく、彼自信の気合かもしれません。1mしか離れていない客席にはかなり異様に聞こえました。もちろんウィーンフィルのメンバーも時々、驚きの眼差しでゲルギエフを見ています。これがマジックなのでしょうか、オケへの威嚇とも受け取れる指揮ぶりですが、ちょうどオケと舞台の進行がぴったりタイミングが合い、豪壮な音楽が炸裂。このゲルギエフ・マジックによりウィーンフィルの雅な音色から分厚いロシアの響きを引き出していました。

●第1幕
 薄暗い修道院での場面。舞台の中央奥深いところに小さな小部屋があります。小部屋の奥に丸い掛け時計が、そして小さな机に僧侶ピーメンが座り年代記を書いています。床にはグリゴーリーが居眠りを。ここの音楽もしみじみとロシアの郷愁を感じてしまいますね。最初、ピーメンもグリゴーリーも小さかったのですが、だんだんとクリアーに見えてきました。フッと気がつくと丸い時計が大きくなっています。一瞬トリックかと思いましたが、気が付かないうちに修道院の小部屋が舞台前方へゆっくりと移動していたのです。奥深い舞台をうまく使った演出で、その発想には驚きです。ちなみにこの時計は本物で、ちゃんと動いていて時刻も正確でした。

さてここでヴェルニケは原作にない演出上のアレンジを加えます。それは、ピーメンがグリゴーリーに暗殺されたディミートリーの話をしている時、シューイスキーらが小部屋の外で聞き耳をたてる演出です。まるでKGBが盗聴しているように見えます。この何の変哲もない演出が、第2場グリゴーリーへの逮捕状の話へとスムーズにつながって行きます。

第2場は居酒屋での酔っ払い僧侶達と女将さんの滑稽な場面。夕食の鳥の羽根をむしり取りながら歌う女将にはロシアのたくましさが溢れ、ヴァルラームにも大地に根ざしたパワーを感じました。

●第2幕
 クレムリン宮殿の居間でクセーニャと皇子フョードルと乳母が登場する場面。舞台の背景には巨大な帝国地図が掛けられ、床にはじゅうたんが敷かれています。乳母の滑稽な歌に続き、ボリスが登場。改めてロシア訛りで嘆きに満ちたモノローグには何かしら郷愁が込み上げてきました。代役のヴァネーエフは本当に素晴らしいです。帰国後、音楽の友9月号で知ったのですが、彼は6月のサンクトペテルブルクでゲルギエフの指揮のボリスを歌ったそうなので、今回の登場はゲルギエフに頼まれたのでしょう。

この幕でのクライマックスはボリスの劇的モノローグ。ディミートリーの幻影に脅え、大時計の音にも恐れをなす場面。ここでは舞台左手に直径5mくらいの巨大な円時計が出現。時計全体ががゆっくりとローラーのように回転し、地に伏しながら歌うボリスを巻き込もうとする凄い演出です。ほとんど狂乱状態のボリスと巨大時計。ピーメンの年代記の場面では小さな時計だったのが、やがて巨大化して、ボリスにも止められないと解釈できます。とにかく歴史は着実に進み、回転する大時計のように同じ事が繰り返される運命でしょうか。ここで休憩。

●第3幕
 いよいよボロディナが歌うマリーナの登場。城内の彼女の部屋の左側には巨大な割れた鏡が斜めに置かれています。光が客席にも反射しています。赤色を基調とした舞台右側にはピアノがあり、美しいメイド達が合唱。ポロネーズのバレエにうっとりと楽しませてくれます。ボロディナはお姫様役がお似合いのようで、白の衣装に宝石を沢山つけて眩しいマリーナを演じています。今年春のMET日本公演「ファウストの劫罰」で見た時より歌は快調で、女の迫力を感じます。

第3幕の音楽は今までのボリスを中心とするロシア世界とは全く別の魅力に溢れていますね。特に神父ランゴーニがマリーナに策略を迫る場面、ランゴーニの歌とオケが何とも言えぬ音楽には不思議な魅力を感じます。そしてマリーナとセルゲイ・ラリンが歌う偽ディミートリーの二重唱。ラリンの張りのある歌も素晴らしい!そしてポロネーズのリズミカルなバレエと合唱。この幕の躍動感は見事でした。

●第4幕
 第1場はプロローグでの牢屋が再び現れ、民衆の大合唱。白痴の苦行僧が子供達に虐められ、ボリスがどうしたのかと問う場面。白痴が「ボリスが皇子を殺したように・・・」と言い、ボリスは一旦は動揺。しかしボリスが「祈ってくれ」という場面は省略され、早いテンポでドラマが進みます。ひたすら落ちぶれたイメージよりも未だしも強い権力を見せるボリスが描かれています。

第2場クレムリン宮殿の部屋では背景に帝国地図その前に横一列の椅子が並んでいます。皇子の幻影に脅えながら、ボリスが登場。着ていた王のガウンとスーツを脱ぎ捨て、倒れ掛かるように。そして「弔いの鐘」の場面ではあの巨大な鐘が天井から降りてきました。プロローグでは鐘を釣り上げたのですが、これと鮮やかなコントラスト。そして鐘の下には段があり、黄金の椅子が。フョードルとボリスの痛ましいシーンは異常な迫力。ついには「さらばじゃ」と言い残します。

最終場はプロローグでのあの肖像画を背景にボリスへ反発する民衆が群がり、ディミートリーの軍隊の大行進。模型の馬にまたがり、マリーナも馬に載っています。さらに十字架の半分欠け落ちたオブジェも荷車に牽かれながらの進軍。天からはボリスの似顔絵のビラが無数に落ちてきます。民衆がこれを破り捨て、大合唱と共に圧倒的なクライマックス! 最後の白痴の嘆きで幕となりました。

カーテンコールは爆発するような大拍手。本当に凄かったですよ。昨日の「ヴォツェック」が内容の密度で勝負なら、「ボリス」はスケールの大きさと散漫しない集中力で勝負。ゲルギエフ/ウィーンフィルの火花が飛びちる演奏とヴェルニケの舞台がドッキングした凄さには絶句。これなら何度でも見たくなります。

                               tujimoto

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