munich

ベルリンからのモバイルコンピューティング(1)


ベルリン速報>アバドBPO定期「マタイ受難曲」 tujimoto


Berliner Philharmonisches Orchester
Philharmonie 22.Februar 1997,19Uhr
Johann Sebastian Bach / Mattha"uspassion 
--------------------------------------------
Dirigent        :Claudio Abbado
Gesangssolisten:
 Sopran         ,Christine Scha"fer
 Alt            ,Anne Sofie von Otter
 Evangelist     ,Peter Schreier
 Jesus          ,Simon Keenlyside
 Bass           ,Andreas Schmidt
Chor            ,Schwedischer Rundfunkchor
                 To"lzer Knabenchor
Instrumentalsoli:
 Violin         ,Rainer Kussmaul, Daniel Strabrawa
 Flo"te         ,Andreas Blau, Marcella Kratz
 Oboe d'amore   ,Albrecht Mayer, Andreas Wittmann
 Oboe da caccia ,Dominik Wollenweber, Christoph Hartmann
 Gambe          ,Hildegard Perl
Continuo:
 Violoncello    ,Ludwig Quandt
 Bass           ,Klaus Stoll
 Fagott         ,Stefan Schweigert
 Orgel          ,Kay Johannsen


マタイ受難曲、音楽の聖書とも呼ぶべき大曲。アバドが指揮するとなれば、
期待が高まります。最近のベートーベン第九のように、これも賛否両論の
評価を受けそうです。で、私の感想は

「アバドはマタイに新鮮さを与え、新しい実験を試みて常に前進の姿勢が
感じられる。音楽のもつ美しさを素直に表現し、悲痛さはことさら誇張
しない。一方では教会音楽の厳粛さや制約に捕らわれない自由さを感じた。」

まず新しい実験というのはステージの配置そのもので、2部構成の管弦楽
を左右に完全に分離し、その間に独唱陣をかなりのスペースを取って配置。
独唱陣は3列に別れ、最前列左側にエヴァンゲリスト、その後ろの列に
左からソプラノ、アルト、バス。3列目中央にはイエス。合唱は2部構成
の管弦楽の後ろに、これも完全に分離して配置。少年合唱は左側最後列。


オケ等配置図


上記配置は場面に応じて移動されます。例えば26章60節の偽証者1、2を
演じるのはアルトとバスですが、上記CとDが前方に移動して歌います。
さらにヴァイオリン伴奏を伴うアルトのアリア(26章74節)の時は、アルト
が指揮者のすぐ近くまで進み、独奏ヴァイオリン−アルト−指揮者の小さな
三角形を構成した構図で美しい音楽を奏でます。アルトとバス以外の配置は
動きませんが、ソプラノ−第1管弦楽の木管−指揮者の大きな三角形の配置
で音楽が作られます。このような三角形が構成されるときは、三角形だけに
視点が集中し、アバドのしなやから指揮と相まって音楽に求心力が生まれる
効果を実感できました。三角形とは三位一体の思想とは関係ないとは思います
が、何かそれ以外意図するものがあるのかどうか興味が沸くところです。

さて演奏自体はマタイだからと言って、構えて演奏するというものではなく、
アバドの自然な伸びやかさを感じました。BMWさんご指摘のようにスウェー
デン放送合唱が特に素晴らしかった。消え入るようなピアニッシモから合唱が
響く様は、すごいと感じました。荘厳なコラールから力強い躍動感溢れる合唱
とても素晴らしいです。これは合唱だけでなくアバドの指揮で管弦楽のサポート
を得てなしうる効果なのかも知れません。

さて歌手陣についてはまず、
・シュライヤーはアバドによりかなりコントロール
されているようです。2月初めの東京芸術劇場で聞いたドレスデンのマタイでは
シュライヤー自らメリハリを強調し、歌手陣を引っ張っていました。あの時は、
指揮者とエヴァンゲリストの二人の指揮者がいるような印象を持ったのですが、
今回のアバドの場合は、全くその逆。しかし、これはシュライヤーの個性が失われ
いるというのではなく、あくまでも誇張を排斥したマタイを作ろうという意図が
アバドにあるのでしょう。第2部になってからはシュライヤーの素晴らしいアリア
も聞けて、だんだんと白熱してきました。

・私の印象ではオッターの出来栄えが良かったと思います。特にバイオリン伴奏
のアリアは最高に良かった。これを聞けただけでも価値があったと思います。
このようなアリアでは指揮者は歌手やソリストに任せる場合が多いですが、
アバドは前述の三角形の配置を利用して、指揮棒を振り、視覚的効果と相まって
素晴らしさを醸し出したのでしょうか?

・シェファーなオッターと並ぶとかなり小柄です。とても美しいソプラノで、
各古楽器とのアンサンブルも素敵でした。フィルハーモニーで聞く古楽器の音色
もとても印象的でした。

第1部は早めのテンポで約1時間20分で終了。逆に第2部はゆったりと全体
で3時間強でした。

とても印象的だったことは全曲終了して、アバドが胸に手をあてて、祈りに
入ったことです。もちろん拍手ひとつ無い、完全な黙祷状態です。約1分
近くしてから拍手がパラパラと始まりました。この静寂の緊張もとても
印象に残りました。

                        97.02.24 tujimoto
---- end of this page ----

メインページへ戻る