CD Diary 03.January 2002

Goiseppe Verdi "
Messa da REQUIEM"

Angela Gheorghiu, Daniela Barcellona,
Roberto Alagna, Julian Konstantinov,
Claudio Abbado
Swedish Radio Chorus, Eric Ericson Chamber Choir, Orfeon Donostiarra,
Berliner Philharmoniker
Live recording 25 & 27.1.2001, Philharmonie, Berlin


ヴェルディのレクイエムはオペラティックな迫力で圧倒されるが、アバド&BPOによるライブCDは壮絶さもさることながら実に感動に満ち溢れている。冒頭のレクイエムで既に深いに祈りの世界に引き込まれ、続くDies irae「怒りの日」では戒めが現実的なものとして啓示されるようだ。CDだと臨場感などの情報に限界があるが、おそらくフィルハーモニーの音響空間に立ち会っていたならば、その感動は計り知れないだろう。

ベルリンフィルの素晴らしいアンサンブルは常にポジティブに作用するが、合唱の素晴らしさも感動を生み出す大きな源泉となっている。その透明で深い響きは大きなフィルハーモニー空間を敬虔さで満たし、オーケストラと溶け合って祈りと化していく様がCDからも聞こえてくるようだ。感動の第2の源泉は素晴らしいソリスト達。ここではオペラティックな歌唱というよりも、敬虔に満ちた祈りの歌に心を動かされる。4人のソリストの感動は合唱やオーケストラと一体となり、アバドを中心にして聞く者を大きな感動の渦に巻き込んでしまう。

演奏は全てのパートがまるで有機体のように敬虔さを醸し出す。Dies irae、不思議なラッパからの展開には目を見張る緊張を描き出すが、バスに続いてソプラノ合唱"Tuba mirum"、119小節目のフォルティッシモでの音抜けの素晴らしさは驚異的だ。壮絶なアンサンブルを繰り返しながらも透明感、敬虔さが損なわれないに驚かされた。続くMors stupebitでは178小節からのブラスの響きは実に安堵感に満ちている。特に四分音符で上昇するパッセージは、畏敬と恐怖のあとに訪れる希望であるかのように感じさせてくれる。


アバドのレクイエムは概ね祈りというモノトーンで彩られているが、希望という色彩も随所に感じ取ることができる。Sequenza,Recordareのメゾに呼応するかのように384小節からのフルートの短いエコーが何とも明るい。続くIngemiscoにおいても464小節に現れる木管をしっかりと歌わせることでテノールとともに希望のアクセントを感じさせてくれる。ここから気持ち良いくらいにクレッシェンドを聞かせて高揚する。続くオーボエ装飾音が何とも堪らない魅力だ。ソロ楽器が希望を与える最も顕著な例はLux aeterna「永遠の光」54小節目のフルートがメゾに光を差し込むパッセージであるが、何とも歯切れの良いスタッカートが絶妙に決まっている。まさに救済への希望を感じた。

ベルリンフィルのチェロは時折ラテン的響きを聞かせてくれて魅力的だ。Recordare429小節目、ソプラノとメゾの二重唱を支えるかのようにヴィオラとチェロが上昇音形で流麗に流れるエネルギーを生み出しているのが素晴らしいし、492小節テノールのinpartedexを暖かく支えるパッセージは感動を誘う。このようにミクロで見ても魅力ある演奏となっているが、やはりマクロに見ても、アバドを起点にして演奏者全員の感動のベクトルが揃っているのが素晴らしい。Lacrymosaでは全てのパートが鳴り響いても、その感動の位相に乱れはなく、透明感を保ちつつ、聞くものを包み込んでくれるようだ。

そしてSanctusでの歓喜、何物にも変えがたい喜び。Agnus Dei「神の子羊」の天国的響き。Liberame以降はゲオルギューの祈りがひしひしと伝わってくる。アバドのテンポの呼吸も祈りそのものかのように、オーケストラ、合唱、ソリスト、すべてが流れて行く。時間を超越したかのように祈りに感動するばかり。これは12月の演奏会形式のパルジファルにも合い通じるような感動なのかも知れない。



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