2006/10/27 ラトル&ベルリンフィル/ドイツ・レクイエム

 

 

BERLINER PHILHARMONIKER

Sir Simon Rattle DIRIGENT

 

Gidon Kremer VIOLINE

 

Dorothea Roeschmann SOPRAN

Thomas Quastohoff BASSBARITON

 

Rundfunkchor Berlin

Simon Halsey EINSTUDIERUNG

 

PHILHARMONIE

Fr 27. Oktober 2006 20 Uhr

 

Sofia Gubaidulina (geb. 1931)

Offetorium

Konzert fuer Violine und Orchester

 

PAUSE

 

Johannes Brahms (1833-1897)

Ein deutsches Requiem

nach Worten der Heiligen Schrift fuer Soli, Chor und

Orchester op.45

 

I.   Selig sind, die a Leid tragen (Chor)

II.  Denn alles Fleisch es ist wie Gras (Chor)

III. Herr, lehre doch mich (Bassbariton solo, Chor)

IV.  Wie lieblisch sind deine Wohnungen (Chor)

V.   Ihr habt nun Traurigkeit (Sopran solo, Chor)

VI.  Denn wir haben hie keine bleibende Statt (Bariton solo, Chor)

VII. Selig sind die Toten (Chor)

 

------------

 

今日、10月27日はサイモン・ラトル&ベルリン・フィルを聞くためベルリンに向かう。おりしもマイスタージンガー予約開始と重なっているため、LH711機上から劇場サイトにアクセスし、希望日の席を選ぶ段階まで進む。しかし予約完了の手前で先方システムのエラーが表示されてしまった。結局、FRA到着後、TXL行きの搭乗前に電話予約した。フランス語圏ではとかくワーグナー人気が高いため、早めに予約しておかなくては。

 

さて今日のプログラムはソフィア・グバイドゥリーナ:ヴァイオリンとオーケストラのための協奏曲「オフェルトリウム」とヨハネス・ブラームス:ドイツ・レクイエムop.45の2曲と重量級の内容。

 

前半オフェルトリウムはギドン・クレメルのために作曲された作品で、今回の演奏は1981年5月30日の初演(レイフ・セーゲルスタム&ORF)および1986年11月2日の再演(ゲンナジー・ロジェストヴェンスキー&BBC響)に続く演奏。以上から伺えるようにクレメルのソロは本当に凄かった。音の微妙な陰影までもが広大なホールに反響し、繊細かつ強靭に展開してゆく。冒頭、バッハのリチェルカーレが木管で開始された後、Vnソロがこれを変奏。弦の痙攣するかのような揺れ動き、ポルタメント上昇のパッセージは刺激的で、これが第1ヴァイオリンにも波及増幅される。チェロ、コントラバスの強靭な音の刻みも重心を深い底に引きずり込み、多彩な変容は「音楽の捧げもの」の片鱗すら無くなってしまう。鮮烈なパーカッション。3台のハープがVnソロと掛け合い、空間に極度の緊張が充満する。ブラウンシュタイン、ファウストらのソロが加わった複雑なパッセージも緻密に浮かび上がってくる。後半部は前半部を逆行しコラールの大きなうねりに発展してゆく。極めて感動的な聖歌となった。プログラム冊子にある"Und immer Bach, immer wieder Bach" に頷く次第。ともかくラトル&ベルリンフィルのアグレッシブな演奏と相まって圧倒的な40分であった。グバイドゥリーナ自身もステージに立ち大喝采。

 

前半の燃焼に続いて後半にドイツ・レクイエムが聞けるというのはとても嬉しいプログラムだ。前半の大規模編成から小編成に変わり、ヴァイオリンは左右に分けたレイアウトとなる。指揮者左手にトーマス・クワストホフが椅子に座り、ドロテア・レッシュマンがベルリン放送合唱団の前に立つ。前半のオフェルトリウムと同様、3台のハープがレクイエムでも活躍する点に前半と後半の連なりを何となく感じさせる。ブラームスの渋く厳かな響きにラトルらしい新鮮な息吹がブレンドされた演奏は多様性とともに極めて力強い求心力を持ったもの。加えてベルリンフィルの完璧までのアンサンブルと優れた合唱が壮大な世界を築いてゆく。クワストホフは歌わないときも譜面をめくりながら、合唱の歌詞を口ずさむ様子で、まるでラトルの横で指揮をしているかのよう。よって彼が歌う箇所の絶妙さは素晴らしい限り。ザルツブルクのフィガロで大きな喝采を得ていたレッシュマンも透明な歌で合唱と溶け合っていく。フィナーレに掛けての祈りは感動の極みとなった。以上、移動日初日の疲れなぞ吹き飛ばす素晴らしいコンサートだった。



[HOME]