2005/05/26
『ペレアスとメリザンド』デッカー&メッツマッハー/ハンブルク歌劇場


Hamburgische Staatsoper
Donnerstage, 26. Mai 2005, 19.00 Uhr
PELLEAS ET MELISANDE
Drame lyrique in fuenf Akten (13 Bildem)
Text nach dem Drama von Maurice Maeterlinck
eingerihtet vom Komponisten
Musik von Claude Debussy

Musikalische Leitung, Ingo Metzmacher
Inszenierung, Willy Decker
Buehnenbild und Kostueme, Wolfgang Gussmann
Mitarbeit Buehnenbild, Stefan Heinrichs
Mitarbeit Kostume, Susana Mendoza
Licht, Hans Toelstede
Spielleitung, Christoph von Bernuth

Arkel, Harald Stamm
Genevieve, Olive Fredricks
Golaud, Jean-Philippe Lafont
Pelleas, Russell Braun
Melisande, Gabriele Rossmanith
Ein Arzt, Alexander Tsymbalyuk
Yniold, Frederic Joost*
* Solist des Toelzer Knabenchors
Philharmoniches Staatsorchester Hamburg
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今日はハンブルクにて、デッカー演出、メッツマッハー指揮のドビュッシー「ペレアスとメリザンド」を見た。本プロダクションは1999年9月にプレミエされたものであるが、メッツマッハーのハンブルクにおける集大成公演のひとつとして取り上げられている。また、彼の指揮ではコンヴィチュニー演出も連日大きな話題となっているとのこと。そんなこともあってか、演奏も極めて充実した内容で、デッカーのシンプルで巧みな演出とあいまって、大変、質の高い上演であった。

ステージは全場面に共通して、中央に設けられた丸い井戸状の「池」と凹面状の背景が大きな役割を果たす。特に、終始一貫して存在する池は、多様なシンボルとして各場面を有機的に関連付けている。冒頭、冠を被ったメリザンドが池に佇み、ゴローの存在に驚いて、冠を落としてしまう。そして水を張った「池」は背景に揺らぐ波の輝きを映し出し、メリザンドとゴローの出会いを官能的に表現していく。場面が転じた城内の部屋では、「池」は屋内に設えられたプールのような存在として、家族が集まる絆の象徴ともなっている。間奏曲を挟んで途切れることの無い展開が続き、メリザンドとペレアスが戯れている中、指輪を落してしまう池、さららには、メリザンドの長い髪を象徴する場面では、池に岩壁が山として聳え立つ。その頂上にミニチュアの城が築かれ、メリザンドはそこに立つ。これはまさにメリザンドが池の頂点に立っている訳で、池をめぐっての象徴が深い意味を語りかけているようでもある。

さらに、ゴローがペレアスを地下の洞窟へ連れて行く場面でも、円形の「池」が洞窟を象徴する。そこに長い一本の梯子が架けられ、怯えるペレアスはまさに逃げ場を失った心理に満ちており、ゴローの葛藤も恐ろしいほどに表現されていた。フィナーレでは、丸い「池」に傾斜して立て掛けた蓋をベッドとして、メリザンドが横たわり、悲しい最後を迎える。

斯くのように円形の「池」はドラマに応じた象徴として、全ての場面に求心力を与えている。また中央に配された「池」を巡って登場人物の空間的な配置が、巧みな心理描写にも使われている。例えば、4幕2場で城内に集まった家族達は丸い池の被せられた円形ステージに皆集まってくるが、ゴロー一人だけが、それには加わらず外側で猜疑心に苛まれている。このメリザンドを迎えた新しい家族というコアに対して、一人離反していくばかりのゴローとの心理的対立は空間的なコントラストとしても鮮やかに描かれていた。他方、「池」に対して、ステージ背面の凹面は薄く透けて見える布やガラスを素材として、背景に人物のシルエットなどを描写する。例えば、ゴローが突然現れるのではなく、事前に遠くから近づいて来る様を、背面に微かに映し出すことで、迫り来る様を必然的な展開として見せる効果を発揮する。

また幻想的に変幻する照明も純白および青白さを基本として、登場人物たちの白の衣裳とあわせて、全体が淡く、ある種の儚さすら感じさせる。とても清楚な美しさで、登場人物たちも背景の白に溶け込む淡い感じを与えるが、歌手達の個性溢れるキャラクターがドラマに存在感を発揮していたのがこれまた素晴らしい。ガブリエレ・ロスマニスはまさにメリザンドにぴったりの美形のソプラノで、メーテルリンクのメルヘンさには恰好の演技と歌を披露した。ペレアスはザルツブルクでもロバート・ウィルソンの演出で定評のあるラッセル・ブラウン。圧巻の演技はジャン・フィリップ・ラフォンのゴロー。慈愛に満ちたハラルト・スタムのアルケルも貫禄で、全てのキャストがデッカーのステージに溶け込み、その存在感を発揮した。以上を支えたメッツマッハー指揮のオーケストラも精緻で透明かつ力強いドビュッシーを奏で、時間を忘れて次々と展開していく場面に集中させられた。観客はさほど入っていなかったが、圧倒的な喝采となった。



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