2004/08/15
エッシェンバッハ&ウィーンフィル/ザルツブルク音楽祭

SALZBURGER FESTSPIELE 2004
CHISTOPH ESCHENBACH
WIENER PHILHARMONIKER
Sonntag, 15. August 2004, 11.00 Uhr
Grosser Festspielhaus

Aribert Reimann (*1936)
Zeit-Inseln fuer Orchester (2004)
Auftragswerk der Salzburger Festspiele
Gewidmet Peter Ruzicka un den Wiener Philharmonikern
Urauffuehrung

Pause

Gustav Mahler (1860-1911)
Symphonie Nr.5
Erste Abteilung
I. Trauemarsch. In gemessenem Schritt.
Sterng. Wie ein Kondukt
II.Stuermisch bewegt, mit groesster Vehemenz
Zweite Abteilung
III.Scherzo. Kraeftig, nicht zu schnell
Dritte Abteilung
IV.Adagietto. Sehr langsam
V. Rondo finale. Allegro

Dirigent, Christoph Eschenbach
Wiener Philharmoniker
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8月15日はインスブルック7:30発の列車でザルツブルクへ移動する。10時前にホテルにチェックインしてから祝祭大劇場へ。午前中はクリストフ・エッシェンバッハ指揮のウィーンフィルを聞いた。座席はパトロン申し込みにてパルケット右ブロックの18列目を指定していた。このポジションは中央通路に面していて音と視界が良好。ちょうど同じ列の左にハンプソンも座っている。グルントへーバーが彼に挨拶をして通り過ぎていく。ザルツブルクでは良く見かける光景で、昨年はしきりにミンコフスキーを見かけた。

さてプログラム冒頭はライマンの「時の孤島」初演。ルジツカとウィーンフィルに献呈とあるようにフェスティバルに相応しい充実した作品だった。冒頭は音がほとばしる混沌とした状態で、まだ全体像が見えてこない。ほどなくヴァイオリンを中心とした弦のフレーズが、カオスの反響を収斂させるかのように求心力を与えていく。冒頭部で発生した音の断片がここに来て浮遊している状態を連想させる。それはまさに宇宙空間を漂っているといった感じで、続いて金管群を主体に、エネルギーの発散が見られ、ティンパニの強打が大きな動力を生み出す。この動きは管と弦の拮抗を伴いつつ、クライマックスに向う。フィナーレではホルンをマーラーの巨人で演奏するかのように、一斉に上へ向けて大きな高まりを迎える。以上、起承転結を示すかのように4つのシンフォニックな楽章を内在させているかのようであった。神秘、瞑想、静と動などコントラストさせつつも、コンテンポラリーとしては比較的オーソドックスな展開を感じるところ。なお木管のパッセージなどにウィーンフィル固有の甘く雅な音色が上手く効果を発揮しており、総じて本作品をウィーンフィルが初演することの価値は十二分に発揮されている。以上のように作品の素晴らしさと演奏に評価したい。

後半はマーラーの交響曲5番。エッシェンバッハの指揮は冒頭から終始、冷静な視点とともに、多種多様なニュアンスを表出すると同時に、全体の構想も見事な展開を見せた。1楽章からテンポを十分に取って、マーラーの音楽に内在するエネルギーを持続させ、各パートを克明に描写する。金管によるエネルギー放出の開放感。続く弦に込められた情感、あるいはテンポを持続させたときの瞑想など、あらゆる展開が絶妙に感じ取ることができる。2楽章におけるアンサンブルの見事さには息を呑んだ。3楽章のスケルツォを経て、4楽章のアダージェット。ヴィスコンティが引用した箇所というイメージが強いが、エッシェンバッハの音楽を聴いていると、そういった通俗的なイメージも一新される。実に浄化に満ちた瞑想であり、広大なモノトーンの海原に忘我するのみ。ちょうど前半のライマンにおいてもカオスを経て浮遊しているときの忘我に共通性を持っているかのよう。そして5楽章フィナーレのテンションの高まり。冒頭1楽章から終始、ミクロとマクロが絶妙のバランスで融和しており、冷静な視点から興奮を涌き起こさせるといったところ。ライマンでは拍手は今ひとつであったが、マーラーでは会場は大いに熱狂した。



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