2004/06/04
アバド&クヴァストホフ&ベルリンフィル/フィルハーモニー

Berliner Philharmoniker
Claudio Abbado, Dirigent
Thomas Quasthoff, Bariton

Philharmonie Grosser Saal
Fr 4. Juni 2004 20 Uhr Abokonzert

Frank Martin(1890-1974)
Sechs Monologe aus Jedermann
auf Texte aus Hugo von Hofmannsthals gleichnamigem Drama
in der Fassung fuer Bariton und Orchester

Nr.1 "Ist alls zu End das Freundenmahl". Lento
Nr.2 "Ach Gott, wie graust mir vor dem Tod". Allegro agitato
Nr.3 "Ist als wenn eins gerufen haett". Lento
Nr.4 "So wollt ich ganz zernichtet sein". Molto lento
Nr.5 "Ja! Ich glaub: solches hat er vollbracht". Andante con moto
Nr.6 "O ewiger Gott! O goettliches Gesicht". Largo

Pause

Gustav Mahler(1860-1911)
Symphonie Nr.6 a-Moll
1. Allegro energico, ma non troppo
2. Andante moderato
3. Scherzo: Wuchtig
4. Finale: Allegro moderato

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昨日はLH便でフランクフルトに到着後すぐにICEでケルンに直行して17時開演のワルキューレを余裕で見ることができました。そして今日6/4は再びICEでフランクフルトに戻り、乗り継ぎ便でベルリンへ。久しぶりにベルリンでゆっくりしたため、アバドが久しぶりに振るベルリンフィルは集中力をもって聞くことができました。アバドが久しぶりにベルリンへ登場すること事自体が、大きな話題となるのは必至のことで、チケットは早々と完売したようです。特に今日は予約演奏会のため、なおさら入手困難とのこと。

以上のように大きな期待で臨んだ演奏は期待を遥かに上回る内容で聴衆を熱狂させました。アバド・ファンが多勢であることを差し引いたとしても、これは稀に見る名演奏といえるでしょう。まずプログラミングがユニークであること。マルタンの「イェーダーマンの6つのモノローグ」とマーラー交響曲6番のコントラストが実に鮮やかでした。

イェーダーマンといえばザルツブルク音楽祭の最重要公演ですが、マルタンがそこに見出した心理的、精神性を6つのモノローグをトーマス・クヴァストホフのバリトンで聞けるのも見逃せないところでした。アバド&クヴァストホフのCDを聴くことができるものの、フィルハーモニーで聴くライブはCDでは再現不可能な臨場感に満ちたものであり、これはまさしくイェーダーマンをドラマとして見ている感覚に近いのかも知れません。ベルリンフィルから発せられる透明な音の層の重なりとクヴァストホフが語るモノローグは実に深いものでした。死、神、天上の光には恐怖と一抹の希望を託した祈りそのものでした。後半のマーラー6番の伏線となってのは明らかですが、音楽的にはマルタンの透明な和声がマーラーの大胆な和声へ展開していくことを示唆しているようにも感じられました。特にモノローグ4曲目で苦痛、不安を訴える時のオーケストレーションは激しいフォルティッシモをハンマーのように連打するものであり、マーラー6番のリズムへと繋がっていくように感じた次第。

以上のように深刻なマルタンの音楽でしたが、後半のマーラー6番は悲痛さや諦念だけに打ちしがれるのではなく、肯定、希望が感じられるポジティブかつアグレッシブな演奏となりました。冒頭から激しい第1主題と早めのテンポで駆け上がる第2主題の対比がまず絶妙でした。音量的にもかなりのもので、オーケストラも思いっきりの良さが十二分に生かされた展開。席はAブロック前方の左端だったのでアバドの横顔を克明に見ることができましたが、第2主題に転じたときの笑みは実に活き活きとしたもので、タクトの切れ味とともにサウンドが上昇していく様は快感です。展開部に入ると音量はさらに上がり、怒涛のアンサンブルへと変容。さすがにベルリンフィルを駆使した指揮とはこのことかと思わずには居られません。カウベルが登場する場面もテンポが自在にコントロールされ、マーラーの複雑な要素が実に自然と展開していきます。従ってアバドならこう指揮するだろうと予想はするものの、自然とドラマを見ている感覚で納得させられてしまうのです。この自然さと起伏が自ずとエキサイティングさを生み出すといえるでしょう。

今回は2楽章がアンダンテとなるヴァージョンで演奏されました。あれほど激しい1楽章を聴いたあとはアンダンテで一息つきたい心境が分かります。実際にはアンダンテに登場するカウベルなど牧歌的要素が第1楽章の展開部と見事な連なりを作り出し、弦のハーモニーを生かした美しさとともに、未だ第1楽章の展開部に居るとと思わせました。さらに3楽章は通常のスケルツォというよりも1楽章の烈火の如く第1主題を思い出したように重量感ある音の刻みで開始されました。1楽章のクライマックスが再現するようでもありました。以上までが巨大な1楽章であるとすれば、終楽章は最終解決を行うべく壮絶な展開に。アバドの透明感あるサウンドはベルリンフィルがアバド時代を思い出すところですが、本日の演奏を見る限り、ベルリンフィルが持てる技とパワーを惜しみなくアバドのもと全開状態になっていることが分かります。衝撃のハンマーはやや心臓に悪いほど過激でしたが、マーラー多種多様の要素を有機的に渾然一体とする音楽作りに圧倒された次第です。ベルリンフィルにも快心の喜びが満ちていたのが印象的でした。



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