Gyoergy Ligeti
Le Grand Macabre
komische oper berlin
Freitag, 10. Oktober 2003
Berliner Erstauffuehrung

Oper in vier Bildern (1974-77)
Libretto von Michael Meschke und Gyoergy Ligehi,
frei nach Michel de Ghelderodes Schauspiel
"La Balade du Grand Macabre"
Revidierte Version 1996


Musikalische Leitung, Matthias Foremny
Inszenierung, Barrie Kosky
Ausstattung, Peter Corrigan
Choere, Hagen Enke
Lichtgestaltung, Franck Evin

Piet vom Fass, Brian Galliford
Amanda, Valentina Farcas
Amando, Elisabeth Starzinger
Nekrotzar, Martin Winkler
Mescalina, Michaela Lucas
Astradamors, Jens Larsen
Venus, Eiko Morikawa
Weisser Minister, Erik Arman
Schwarzer Minister, Herman Wallen
Fuerst Go-Go, Nicholas Hariades
Chef der Geheimen Politischen Polizei (Gepopo), Eiko Morikawa
Ruffiack, Matthias Spenke
Schobiack,Bernd Mueller
Schabernack, Hans-Joerg Bertram
Das Volk von Breughelland, Die Chorsolisten der Komischen
Oper Berlin

Es spielt das Orchester der Komischen Oper Berlin



今日はコミシェ・オーパーにて、6月にプレミエされたコスキー新演出のリゲティ「グラン・マカブル」でした。ちなみに今日のベルリンは小澤征爾&ベルリンフィル、ポラスキの「エレクトラ」などとバッティングしていましたが、さすがに滅多に見られないグラン・マカブルを外す訳には行きませんでした。ライブでは1997年のザルツブルクでのサロネン&フィルハーモニア以来、2度目となります。

前回はピーター・セラーズの巨大なセットに圧倒されましたが、今日のコスキー演出はユニークな演出手法により、よりドラマに迫る完成度を見せていたのが画期的でした。セラーズはザルツブルクという場所柄を考慮してか、洗練されたステージとなっていましたが、コスキー演出のほうが露骨までに作品に迫る徹底的な描写力に勝っていると言えるでしょう。

セットはバックステージの全てを使い切った四角い巨大空間に照明と天井に吊るされたオブジェを基本として4つの場面を通しで行うという趣向でした。第1場では、床に張られたグリーンの布地に、あちらこちらに死体が散らばっている場面から開始。墓堀人ピエトが荷車に積んだ死体を降ろし、衣服を脱がせ、金目のものを全て獲る作業をしていました。アマンドとアマンダは荷車の下から突然現れ、互いの軍服を脱がしながらセックスを開始。ちなみにネクロツァールは冒頭から地面に首だけ出していて、生き返るといった設定です。最初は刺青をした裸の姿でしたが、死体から集めた黒い服を纏い、凄み一杯の演技に圧倒されます。特に荷車にいた死体の老人の胸に手を掻きいれて、あばら骨と一緒に心臓を取り出すシーンは実にグロテスクでした。ネクロはそれを舐めながら狂気に満ちた演技を披露。そういえば8月のインスブルックのオルフェオもコスキー演出でしたが、最後に天井から落ちてきたオルフェオのバラバラ死体もとてもリアルでした。

第2場では3つの家がステージを走りながら登場。いずれもTVアンテナをつけているのが面白いところで、真中の家から女装したアストラダモルスが登場。続いて妻のメスカリーナが。ふたりの狂ったような展開は台本とおりでした。面白いのは3つの家が再び動き出し、列を変えたところで、残りの2つの家からネクロツァールとピエトが登場。ちなみにヴェーヌスは天井からネオンに輝くリング状のゴンドラに乗って登場。リゲティの音楽と絶妙なステージ運びには説得力を感じさせます。

第3番は、クリスマスプレゼントならぬブルーゲルラントのシェルタがステージ左から登場しました。シェルタ全体にリボンが結ばれ、上部一角に三角帽子を被った白い裸の人物が座り、反対側には2人のセクシーな女性が控えるといった設定。シェルタには3つの扉があり、左右から白大臣、黒大臣が登場し、真中からゴーゴー王子が出てきました。彼ら3人も大いに狂っており、互いに乱交するといった場面も。こういった展開はコスキーの誇張した演出と思われますが、大いなる死の狂気を描ききっていると言えるでしょう。圧巻はネクロツァールが登場し、群集達が駆けずり回るパワーの凄さでした。クラクションや電話のリンギング、小太鼓にトランペットの狂気のリズム。静寂と怒涛の大音響のコントラストなど実に鮮やかでした。ちなみにベッドに横たわる設定のゲポポはネクロらが乱れている大きなピンクのソファー・ベッドから首を出しているといったシーンが効果的でした。

第4場は天井から吊るされた大地が下りてくるといった展開。白く凍りついた大地にはビルが立ち並び、破滅を免れた新世界の登場といったところでしょうか。大地のオブジェは1場から天井に吊るされていましたが、所々に細いネオン管が垂れ下がり、インスブルックのオルフェオの竹林のようなデザインと似ていました。こういったあたりにコスキーのセンスの良さを感じるところで、ネオン管の照明を微妙に変化させることで、ドラマの展開に心理描写的な効果を加えているのが興味深いです。ちなみにネクロツァールはトイレに座ったまま動く荷台とともに登場しました。極め付きはトイレから汚物が噴出し、ネクロがこれを顔や体に塗りつける場面。生き返ったメスカリーナはネクロを求めるといった展開もオリジナルとおりですが、キリスト教、ユダヤ教、イスラム教の聖職者達が登場し、彼らも狂態と殺戮を犯すといった展開はコスキーのアレンジでした。フィナーレはビルが立ち並ぶオブジェが回転し、ハッピーエンドで暗闇となりました。

セラーズ演出のような巨大な怪物や客席を取り囲む大行進の迫力は無いものの、コスキー演出はドロドロとした面をリアルに過激に描きながらも、生に向けたパワフルなエネルギーに満ちた仕上がりとなっていました。休憩なしの2時間は全く目が離せない面白さと不思議と吸い込まれていくようなドラマトゥルギーの虜となってしまいました。サロネン&フィルハーモニアの怒涛の演奏とまで行かなくとも、キャパシティの小さなコミシェで演奏されるリゲティは有り余るパワーに圧倒されまくりました。特に演出が音楽の展開、歌の展開に絶妙に考え抜かれていた点は注目です。これで当分は見るチャンスが無いであろうグラン・マカブルを見ることが出来て嬉しい限りでした。






[HOME]