・昨日、8/16はモーツァルトマチネが始まる前にメンヒスベルクのオフィスに行く用事があって、フェルゼンライトシューレの横を通りかかりましたが、楽屋口からはウィーン放響のリハーサルが見えていました。そして1日経った今日、フェルゼンライトシューレに勢揃いしたオーケストラはとても壮観でした。フィッシャー・ディスカウがドイツ・レクイエムを指揮するということも注目です。
プログラムにはディースカウのザルツブルク公演記録が写真入りで紹介されていますが、何と8ページにも及ぶ公演の数々。デビューは1951年の8月19日、ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮のウィーンフィルによるマーラー「さすらう若人の歌」から。ベームなど大指揮者との共演が続き、オペラに加えてリートも多く、レパートリーはモーツァルトからヘンツェに至る幅広さ。ちなみに彼がザルツブルクでドイツ・レクイエムに出演するのは1957年の8月22〜23日のカラヤン&ウィーンフィル以来のことですから、今日は46年ぶりのドイツレクイエムとなる訳です。またディスカウは指揮者としてもチェコフィルやベルリンDSO、DOB、バイエルン放響などを振ってきたようで、今日のORFとの共演も期待されます。
彼の指揮ぶりは見た目には決してスマートではありませんが、堅実そのもので、ORFのオーケストラから湧き上がる響きは骨格がしっかりとした重厚なものでした。特に2楽章の充実振りは目を見張る出来栄えで、練習番号Bの"alles
Fleisch, es ist wie Gras(人は皆草のよう)"の合唱が厳粛で、しかも底辺から支えるオーケストラが実に立体的でした。特にティンパニの強烈な連打とブラスを朗々と鳴らすディスカウのアプローチには求心力と同時に膨張発散していくエネルギーに呑み込まれるような迫力でした。この起伏の大きさは長大なミサを統一し、全く緩まない集中度でした。それでいて決して作られたものという印象を与えず、自然な流れに身を委ねていける安堵感が終始聴くものを癒してくれます。
5番のソプラノソロでは、ユリア・ヴァラディはさすがに衰えは隠し切れるものではありませんでしたが、安らかな祈りを感じる心を感じ取ることができました。ハンプソンは歌わないときも神妙な面持ちで、レクイエムに同化している様が観客にも伝わってきます。もちろん彼の歌は端正かつ堂々としたものでした。6番の練習番号Aで始まるソロ"Siehe,ichsage
euch ein Geheimnis, Wir werden nicht alle entschla----------fen"と伸ばす箇所の威厳さは格別でした。これに合唱が続き荘厳な世界を。さらに練習番号Cでアクセルを利かせ、ヴィヴァーチェに転じてからは怒涛の連続でした。ヨハネ黙示録の恐怖を感じる瞬間ですが、フーガに至っては開放感と安堵に包み込まれました。フェルゼンライトシューレが壮大な音の伽藍と化した訳ですが、ディスカウの描くドイツ・レクイエムは実に感動的でした。休憩なしの75分の充実感は今日でこれを聴いて帰るものにとって至福すぎるものでした。
かくして、ザルツブルク到着日にフェルゼンライトシューレでムーティのケルビーニ「ミサ・ソレムニス」を聴き、帰る時にまたフェルゼンライトシューレでディスカウのブラームス「ドイツ・レクイエム」を聴けたというのも不思議な一貫性を感じます。
12時半に劇場からタクシーで空港へ向い、14時20分のFRA行きまではOSのレストランでゆっくりとできました。今回の帰国は何時ものLH710ではなく20:40発のANA便でした。ルフトハンザから申し込んだ為か、席はドイツ人が集まったエリアの窓側の席でしたが、フラットになる新型シートは快適でした。食事もルフトより美味しいことにも驚きました。
今回はザルツブルクの新作オペラを中心にインスブルックのオルフェオ、アバド&ルツェルン祝祭をミックスした充実度で、いずれも甲乙付け難いものばかりでした。昨年のエディンバラとのミックスにも決して遜色ない素晴らしさでした。
|