Salzburg Festspiele 2003

Wolfgang Amadeus Mozart (1756-1791)

DIE ENTFUHRUNG AUS DEM SERAIL


Deutsches Singspiel in drei Aufzugen KV 384
Text nach Christoph F. Bretzner von Johann Gottlieb Stephanie jun.
Mit englischen Ubertiteln
Neuinszenierung
Koproduktion mit Den Norske Opera Oslo

Kleines Festspielhaus
Sonntag, 10. August, 18.30 Uhr

Dirigent, Ivor Bolton
Inszenierung, Stefan Herheim
Buhne und Kostume, Gottfried Pilz
Video, fettFilm (Torge Moller),fettFilm (Momme Hinrichs)
Licht, Konrad Lindenberg
Choreinstudierung, Rupert Huber
Produktionsdramaturgie, Wolfgang Willaschek

Bassa Selim, ***
Konstanze, Iride Martinez
Blonde, Diana Damrau
Belmonte, Jonas Kaufmann
Pedrillo, Dietmar Kerschbaum
Osmin, Peter Rose

Konzertvereinigung Wiener Staatsopernchor
Mozarteum Orchester Salzburg





・昨日のアーノンクール&ウィーンフィルによる「ティート」に引き続きいて、今日はボルトン&モーツァルテウムによる「後宮」でした。新演出を立て続けに見られるのは楽しいもので、特に今回の後宮は演出にブーイングが出ているとのことで一層の興味が湧きます。

結果は多種多様に色んなシーンが詰め込まれたびっくり箱でした。特にフェルゼンライトの壮大なステージを使った渋いティートの翌日にこの後宮を見ると、そのコントラストさが刺激的です。冒頭からスキャンダラスな場面の連続でパロディ満載の演出に終始目を離すことが出来ない面白さでした。ボルトンの演奏も実にエキサイティングなものでした。あえて後宮をこういったミュージカル仕立てのステージとすることで、モーツァルトのモダンで洒落に満ちた生命力を再認識できたのではないでしょうか。一見バカ騒ぎのアバンギャルドさですが、ヘルハイムの演出とボルトンのコンビは最高に楽しくてモーツァルトの核心に迫る点で成功したと言えるでしょう。

今日もパルケット最前列の席でしたので、刺激的なリアリティがひしひしと伝わってきました。冒頭は、赤ん坊の泣き声がスピーカーで増幅され何事かと思わせましたが、続いてステージ背面の縦長の窓に、白い紙を手で丸める映像が映し出されました。ほどなく序曲が開始され、演奏中もステージは刻々と変貌を遂げていくという展開。アダムのイブを思わせる全裸の美男美女が登場してダンスをしたかと思えば、舞台セットが動き出して、何時の間にか後宮の場面が登場。序曲から第1幕にかけての短い間にこれほどの情報が詰め込まれています。多種多様な演出は留まること無く続き、全く目を離せません。



特に映像演出はfettフィルムが担当しているようで、そのユニークな手法が面白いものでした。冒頭の紙切れを丸めるシーンの紙を良くみると、白い薔薇の形であり、別のシーンでは遠近法の背景セットに映し出されるものは赤い薔薇。これが次第に近づいて来る演出は、オスマントルコの薔薇を強調しているのかも知れません。また場面が変わるシーンも建物がゆらゆらと揺れ始める映像を重ね合わせ、あたかもルカ・ロンコーニが大掛かりなセットを動かす手法であるかのように変幻していく様も興味深いもの。

登場人物たち、特に大人数の動かし方はまるでペーター・コンヴィチュニーのそれを思わせる箇所もありました。コンスタンツェの取り巻きのハーレムの娘達が登場する場面では、ウェディングドレスの下着姿で奇声を上げて走り回る動的シーンは心理的描写も含めてコンヴィチュニーが良く好むパターンです。またナイフで次々と刺して血を流すシーンがありましたが、これはノイエンフェルスの凄惨な場面も連想させました。一方で、オスミンがブロンデ人形とペドリロ人形を両手で操りながら、彼らを翻弄する場面などは、昨年のインスブルックでのリナルド、ローヴェリーの演出を思わせました。アラビアンナイトの空飛ぶ絨毯を特殊映像で描くといった斬新な手法も鮮やかなものでした。以上の個々を見ていくと色んな演出家の要素を含んでいるようですが、ヘルハイムのブラック・ユーモアが実にスパイシーで、大爆笑の連続でした。

こういった面白さを倍増していたのは何と言ってもペーター・ローゼ演じるオスミンのキャラクターでしょう。大きなお腹で見るからに憎めないといった感じで、ディーナ・ダムラウとのブロンデとの相性も抜群でした。ダムラウといえば良くオペラで聴く歌手の一人で、こういったコミックものでも才能発揮といったところでしょうか。総じて歌手の歌や演奏の出来栄えを云々するよりも、素直にモーツァルトのお芝居に爆笑できる最高のプロダクションと評価したいです。とはいうもののベルモンテを歌ったカウフマンの歌は最低で唯一歌手でブーイングを浴びていました。

ちなみに第3幕でオスミンが目を覚ましてからの演出は極め付けでした。オスミンの顔がTVモニターに映し出され、ついにはTVモニターから登場し、下半身がTVモニターに映るといった演出。ついに踊りだしたオスミンはパンツを降ろしてお尻を見せて、正面を向くとモザイクが入るといったシーン。これには会場も大ブーイングで、怒り出した観客があちらこちらから罵声が飛び一時中断状態に。コンヴィチュニー「ドン・ジョバンニ」の時ほどの騒ぎにはなりませんでしたが、観客の多くはお怒りになられていた様子です。ともかく終始悪乗りの演出ですが、立派なフェストシュピーレに仕上がっていたと痛感しました。またキャスト表にはセリムが*****となっていましたが、フィナーレの場面では何時のまにかオスミンがセリムを演じていて、これも実に滑稽なシーンでした。8/13に発表されたパトロン向け案内によれば来シーズンも再演されるとのこと。また機会があれば見てみたいものです。




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