3月のベルリンはノイエンフェルスの「イドメネオ」とコンヴィチュニーの「ドン・ジョバンニ」と二つの新演出が上演されるということで超刺激的なモーツァルトが楽しめます。さらにラトル&ベルリンフィルのハイドン「四季」と小澤征爾&ウィーン国立「コジ・ファン・トゥッテ」が上手く繋がるため、3連休が出かけるべくチケットを早々と入手していました。
それにしても3月は忙しかったですが、仕事も3連休に向けて一段落し、出発前夜は明日館での素晴らしいクラヴサン・コンサートも楽しめました。余りに心地良い余韻のおかげで朝3時頃まで起きていましたが、2時間半ほど睡眠してから出発しました。スカイライナーは意外と混んでいましたが、成田は閑散としていて、パスポートコントロールも搭乗チェックも超簡単でした。昨日から始まったイラク戦争の影響も全く感じられず、普段と全く変わりませんでした。むしろ乗客が少ない分とてもスムーズです。フライトはセネター向け無料クーポン2枚でCクラスにアップグレードし、隣りの席が不在だったため、とてもゆったりとしていました。FRA〜TXLと順調に乗り継いで定刻の17時にベルリンに到着。クラウン・プラザには17時半にチェックインして、余裕で19時開演に臨むことが出来ました。
さて昨年のザルツブルク「こうもり」で過激な演出を披露したノイエンフェルスのイドメネオは大いに期待したいところです。一体どんな型破りのモーツァルトが出現するのかとワクワクしてきます。ネット予約した席は2階の最前列中央より。音響も視界も良く、序曲では早速ツァグロセクの威勢の良い指揮が心地良いものでした。溌剌とした演奏にはアルノン・クールを思わせるような機敏さと緊迫感が漂っています。
第1幕第1場、クレタの王宮、イリアの登場の場面はステージ正面のテーブルに4人の亡霊のような男達のパントマイムで始まりました。背景には
" Den verfluchten Toechtern und Soehnen von den verdammten
Vaetern "「呪われた父親の腹立たしい娘と息子よ」と大きく表示されていて、冒頭から異様な展開です。イリアが歌う繰り返しから、男達は上着を脱ぎ捨て、彼らの体には赤い傷口が開いていて、見るだけでも痛ましい感じがします。
第2場、照明が明るさを増し、イダマンテが二人の半身獣とともに登場。何故か半身獣は白いギリシャ神の彫像を持っていました。イダマンテがトロイの捕虜を約束してイリアへの思いを歌う場面では、彼がギリシャ神の小さな彫像を二つに折ってしまい、半身獣達が驚く様が何となく意味ありげでした。
ステージは流れ舞台の構造になっていて、2場のセットは右へ移動し、左から3場のセットが現れるようになっていました。イダマンテに率いられたクレタの人々はとてもカラフルな衣裳で、トロイの兵士たちが閉じこまれた小さな小屋を取り囲み踊っているシーン。開放されたトロイの人々はミイラ状態で血だらけながらも実に楽しそうです。躍動の合唱と拾いステージに舞う人々はとても壮大でした。
第4場、エレットラは魔女のような黒装束で黒い帽子を被っていて、リアカーを引きながら登場しました。この場面は奇しくも3月の新国立劇場コンテンポラリーダンスのプロジェクト・フクロウによる泥棒というダンスの冒頭のシーンを連想させるもので、偶然の類似性に驚くばかりでした。ともかく、異様なエレットラは、イダマンテを巡ってイリアと恋敵にあると言う以上に、過去を引きずっているという印象を与えていました。また第5場で登場するアルバーチェはイドメネオ王の腹心というよりも道化的かつ狡猾な印象を受けました。
第7場はステージ中央に置かれた劇中劇のセットとその周辺に集まったカラフルなクレタの人々とともにドラマが展開しました。劇中劇のセットの中でイダマンテの二人の半身獣がパントマイムを演じ、激しい音楽とともにパロディックな面白さが印象的でした。
第8場、場面はシンプルなステージのみとなり、イドメネオと海神ネプチューン二人だけの登場。ネプチューンは全身緑色をした漁師風のいでたちで肩に大きな魚を掛けて、長い銛を手にもっていました。第9場では、真っ黒な格子状の小部屋が左右に広がった場面に変わり、イドメネオは格子の小部屋に居て、左手から黒のシルクハットの黒の覆面をした真っ黒のスーツを着た二人が忍び寄ります。彼らは悪魔の幻影といった感じで、イドメネをを小部屋の左から右へ急き立てる訳です。第10場、イドメネオは歌いながら小部屋の扉を開いて右のほうへ格子の小部屋を進んでいくと、右手から登場したイダマンテも小部屋の部屋を扉を開きながら左へと進み、ついには二人が運命の出会いを。ともかくこのシーンは実に効果的な演出方法でした。有無を言わさない運命の悪戯をかくも見事に表現するノイエンフェルスの閃きはさすがです。さらに次く民衆たちの合唱と行進曲が歓喜に満ち溢れたものであるだけに、イドメネオの落胆と民衆の喜びのコントラストが一層鮮やかに感じられました。
休憩の後、第2幕と第3幕は通して上演されました。幕が開くと、ステージ左手にパルテノン神殿のミニチュアが白く輝き、エレットラがアリアを歌う場面から始まりました。彼女がこのミニチュア神殿に犬のように転がり込みながら歌うアリアには、イダマンテを思う気持ちと葛藤が感じられるものでした。
さらに後方から小さなリアカーを引いて登場した小さな女の子は全くのエレットラの分身で、会場から笑いが出ました。すなわち彼女の子供時代を回想するかのようですが、そのうちに白いギリシャ神の衣裳で小さな女の子、イフィゲニーが登場したのにはびっくりでした。小さなエレットラとイフィゲニーで喧嘩を始めたかと思えば一緒に遊ぶといった奇妙な展開。そして少し大きな子供のオレストまで登場し、エレットラとイフィゲニーと一緒に遊ぶ場面が。子供3人の神がパルテノン神殿に入り込み、大人のエレットラがそこから引き出そうとしますが音楽はいたって平静でした。
このようにノイエンフェルスは音楽やレチタティーヴォ、アリアに手を加えることなく、モーツァルトの長々とした繰り返しに、ト書きには無いドラマを同時並行で描いてみせるといったアイデアに彼特有の非凡さを感じました。しかしドラマの進行に従い、ノイエンフェルスの描く2重のドラマは、留まるところを知らない異様さに満ちていました。何と、白い衣裳のイエスと黄金に輝くブッダに、ターバンを巻いたモハメッドまでもが登場したのには本当にびっくり仰天でした。モーツァルトのドラマにこういった人物達まで登場させてみせる斬新さに驚きと期待の眼差しでドラマを見入るばかりです。それにしても話の展開はかなり変です。イダマンテが生贄にならなければならないのに、ステージに組まれた処刑台に繋がれているのは何故か、ブッダ、マホメッド、イエスの3人!!!
黒装束のクレタの人々も仮面舞踏会のような趣ながらも手にもった斧をちらつかせ、狂喜と狂気が錯綜しています。しかし音楽は素晴らしく調和が取れ、合唱も実に頼もしいくらいに響き、モーツァルトの天才が感じられるのです。このあたりにツァグロセクの巧みさとノイエンフェルスの意図が噛みあって生彩に満ちています。
壮大なフィナーレの後、一度幕が閉じて次に開いた時には、処刑台は撤去され、広々とした空間に椅子が並べられていました。ステージの天井からスピーカーが降りてきて、イドメネオの狂気と不適に満ちた笑い声が響いたのでした。ほどなくステージ奥から現れたイドメネは4つの生首を白い布に包み抱えていました。彼は血だらけになっていて、ステージの4つの椅子に生首を一つずつ置いて行くといった展開ですが、それらは何とポセイドン、イエス、モハメッドにブッダの首でした。その前方には首のない彼らの死体が転がっていて実に凄惨なシーンです。かくして神を抹殺することによって人類に真の自由が到来するというノイエンフェルスの意図が最後に示された訳ですが、会場から大きなブーイングとともに幕となりました。
ともかくイドメネオの繰り返しの多いアリアやレチタティーヴォを逆手に取って、奇抜な登場人物たちと歌手とのパントマイムで視覚的、演劇的情報を満載させるといった手法は見事なばかりで、昨年のザルツブルクの挑戦的ながらも中途半端と思う「こうもり」に比べると、イドメネオのほうが完成度の高さを感じます。もっとも「神を殺すことで自由になれる」というノイエンフェルスの毒舌が強烈な味付けに仕上がっているのも面白い限りです。考えてみれば人類の歴史は宗教戦争とは切り離せなかったことからして、この際、一同にイエスもブッダもモハメッドも抹殺することによって、新たな時代を迎えるというユートピア的解釈でしょうか。
それに紗幕と照明を上手く組み合わせてステージの場面転換にスピーディさを与え、人物の動かし方も見事に統一されていて、まるで劇の中に吸い込まれていくような求心力には素晴らしいです。衣裳のカラフルさ、モノトーンさの対比、色彩に込められた意味付けなど見るものに考えさせるところもあり、興味深いものです。それにしても、やはりイエス、マホメッド、ブッダ、ポセイドンらの生首を抱えた血まみれのイドメネオにはホラーでは無いリアリティ感があって、理性を超えた何かゾクゾクとさせるものがありました。殺気に満ちた強烈なメッセージに睡眠不足も一気に吹き飛ぶほどで、ともかく斬新なオペラを見ることが出来て大いに満足しました。ベルリン到着初日にして早くも超先端を行くモーツァルトに出会えて最高です。
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