Edinburgh International Festival
Richard Wagner
Parsifal

Edinburgh Festival Theatre Monday 12 August 5.00pm




Claudio Abbado Conductor
Peter Stein Director
Gianni Dessi designer
Anna Maria Heinrich costume designer
Joachim Barth lighting designer
Kai Schmidt assistant to the director
Maurizio Savini assistant to the designer
Henrik Schaefer assistant conductor

Kundry Violeta Urmana
Parsifal Thomas Moser
Amfortas Albert Dohmen
Gurnemanz Hans Tschammer
Klingsor Eike Wilm Schulte
Titurel Gwynne Howell
First Grail Knight Franz Supper
Second Grail Knight Bernd Hoffmann
Flower Maidens
Christine Buffle
Gesa Hoppe
Caroline Stein
Karin Suess
Heidi Zehnder
Elena Zidkova
Voice from above Elena Zidkova

Gustav Mahler Jugendorchester
Arnold Schoenberg Choir
Prague Philharmonic Choir
Toelzer Knabenchor

Co-production between the
Edinburgh International Festival
and the Osterfestspiele, Salzburg


今回の旅を締めくくるのはアバド&グスタフ・マーラー・ユーゲントによるパルジファル初日公演でした。アバド指揮によるパルジファルは既にベルリンとザルツブルクで見ていますので、これで3度目となります。会場の祝祭劇場(Festival Theatre)は正面がガラス張りの威容を呈していて、中はとてもコンパクトにまとまった機能的な劇場でした。1階右側にチケット・ボックスがあり、左側はカフェ。2階もカフェがあり、全面ガラス張りなので、内部はとても明るい雰囲気でした。劇場内部は近代的な外観とは反対に、典型的なヨーロッパスタイルの造り。ちょうどオペルン・チューリヒくらいのサイズで音響も良さそうです。パトロン申込みで確保したチケットはさすがに良いポジションで2階の正面3列目でした。段差が十分にあるので前の方が邪魔にならず、ステージ全体が良く見えました。オーケストラピットも実に壮観で、既にマーラー・ユーゲントの精鋭たちが準備中でした。ピットはステージの床深くまで食い込み、ちょうどピットの4分の1程度にステージ床が被る形となっていました。なお本公演のチケットは早々と完売したようですが、5ポンド(約900円)の当日券も発売されていました。

さて登場したアバドはすこぶる元気でした。終始静寂に包まれた中、その演奏は驚くほど精緻かつ雄弁な響きでした。正直なところ今まで2度聴いたベルリンフィルよりもワーグナー的であり押し寄せるエネルギーに圧倒されまくったという感じです。ベルリンフィルと比べると、確かにホルンなど一部のパートにもどかしさを感じたものの、それも第1幕のほんの数箇所で、全体においてベルリンフィルを遥かに圧倒するのではというパワフルさに溢れ、そのサウンドもパルジファルに相応しい重厚さでした。しかも透明感を湛えながらマーラー・ユーゲントのフレッシュさも活かされており、木管パートの美しさはウィーンフィルかと思わせるほど魅力的。特にアンフォルタスの " Nach wil der Schmersensnacht... "に続くクラリネットをオーボエは実にフレッシュであり、そのパストラーレさが希望への輝きを感じさせてくれました。

なおアバドのタクトもベルリンフィルの時よりもより明快な抑揚を見せていました。特に前奏曲冒頭の「聖餐の動機」においては3小節目のフォルテで音を伸ばし気味として、音の充実感をたっぷりと響かせてディミヌエンドしていくといった感じでした。こういった箇所が多岐に渡って磨き上げられており、ライトモチーフも多種多様に表情を持つかのようでした。動機というシンプルさに対して、これをアンサンブルで支えるパートも巧みでした。例えばモチーフと同時に響く低弦のパッセージは生き物かと思うほどエネルギッシュかつ自発的。しかも全体の流れに融和してく見事さはベルリンフィルの時には余り聞かれなかった箇所です。今回、アバドのアプローチ自体がさらなる高みに達したのではと感じさせるものでした。



アバドのパルジファルで特筆すべきはやはり特注の巨大キノコ雲のグロッケン(鐘)4個でした。今回も全く同じものが用いられ、ステージ右側の1階と2階のバルコニー(スコア席)2箇所にそれぞれ大小の2個つづを配置。ザルツブルクではステージ左の舞台袖に配置されていたのとは対称的。第1幕の場面転換では、特注グロッケンはさすがの威力で明快な4音程の連なりが圧倒的でした。これにはザルツブルク祝祭大劇場よりもコンパクトな音響空間がプラスに働いていたようです。劇場を充満させるグロッケンとオーケストラのサウンドは破壊力抜群。それに足元の床まで共振するほどで、響きを体全体で受け止められたのは感激です。2度目に響くグロッケンは、グルネマンツの "Nun achte wohl und lass mich seh'n; bist du ein Tor und rein, welch Wissen dir auch mag beschieden sein." に続く箇所で、ここではティンパニの強打を伴いますが、何とグロッケンの横に2台の太鼓が追加されていました。たしかベルリンフィルとの演奏では太鼓の補強は無かったと記憶していますが、ともかくワーグナーのスコアを補強した連打は強烈でした。グロッケンの効果を最大限に増幅するかのようでした。アバドのアプローチは時に実験的であるかも知れませんが、その劇場を埋め尽くす響きは圧倒的なリアリティでもって迫ってきました。短い小節数にも関わらず、時間の経過を忘れさせる荘厳さと畏敬に震えが来る凄さ。まさに時間を超越する瞬間でした。


キャストはティトゥレルを除いてイースターと同じでした。ただし各キャストともにイースターの時よりも出来が良くなっていて、歌手のキャラクターも上手く活かされていました。特にウルマーナのクンドリーはW.マイヤーとならび最高の演技と歌で迫りくる感じ。アルベルト・ドーメンのアンフォルタスもイースターでも圧倒的凄みでしたが、今回はさらに緊迫した演技で苦悩を浮き彫りに。トーマス・モーザーのパルジファル、第2幕冒頭はやや声量を絞り気味であったものの、次第に輝かしいヘルデンを聞かせ、その伸びやかなブリリアントさは神々しい限りでした。そしてハンス・チャマーのグルネマンツ。イースターではクルト・モルと比べで印象薄だったのですが、今やモルに引けを取らない素晴らしさ。厳かさと滋味溢れる語りを聞くうちに崇高な世界へ誘ってくれるようでした。シュルテのクリングゾールは彼のキャラクターをそのまま写したかのようであり、ザルツブルク同様に適役でした。

エディンバラ祝祭劇場はウィーン国立やリンデン・オーパーとほぼ同じステージ・サイズですが、ザルツブルクでの超パノラマをそのまま持ってくることは適わず、セットの両サイドをカットもしくはレイアウトが工夫されていました。スケールはザルツよりは劣るものの、むしろ視点が通常サイズに絞られたことによる安定感が増していました。

第1幕の前奏ではステージ幕に血が滲み出す演出も同じで、紗幕を通して浮かび上がるモンサルヴァートの森もイースターの時と同じです。聖杯城の聖堂は左右に湾曲した格子状の壁の開き具合をザルツの時よりも狭めることによって、セットを上手くステージに載せていました。場面転換では舞台を覆う壁が左から右に閉じて、また開くという演出ですが、ペーター・シュタインの描く明快なステージもザルツの時よりもより自然に流れていく感じでした。格子の壁の中、3層に配置された聖杯騎士達のシェーンベルク合唱とテルツ少年合唱は、格子面全体から歌うためか、合唱もクリアーに響き、淡く変化する照明とともに神秘の世界へ。

さて少年合唱はベルリン、ザルツブルクの時よりも安定感を見せていましたが、音程には極僅かながら不安定さが残っていました。ちょうどこの場面は聖堂左右の格子面がイエロー、背景がコバルトブルーに明るく輝いていたため、聞き手も視覚を通してのテンションも高まっており、ちょっとした音も目立ちました。ザルツの時に引き続きエディンバラでもテルツ少年合唱の不安定さを聞くに及んで、少年合唱の未熟さに何か意図があるのではと疑問に思うのでした。

演出面ではほぼイースターの時と同じでしたが、第2幕では若干のアレンジが施されていました。ザルツブルクでは左手上方に明るい空間が開けており、そこから長い階段が右下へ下るといったセット。ステージ右下にパラボラ・アンテナがあって、クリングゾールが登場した訳ですが、エディンバラではちょうど左右反転していました。すなわち右上方からステージ中央へ階段が下り、パラボラはステージやや左手。これの理由はおそらくクンドリーを登場させるのに使うエレベータ機構がエディンバラではステージ左にしか無い為と察せられます。なおエディンバラではパラボラは回転させていませんでした。第2幕の花園の登場もザルツブルクでは壁が左右に開いて花園が起き上がってくるという大掛かりなものでしたが、エディンバラでは左右に壁が開くと既に傾斜させた花園が現れるという手法でした。なお第2幕の最終場面では銀の十字架が立ち上がるはずですが、エディンバラでは倒れたままでした。


以上のようにペーター・シュタインの演出もアバドの音作りもイースターとは基本路線は変わらないものの、エディンバラではオーケストラがマーラー・ユーゲントに変わったことにより、音楽に大きなうねりが生じ、イースター以上に雄弁なパルジファルに仕上がっていました。ここに来てアバドのパルジファルが完成の域に達したのではと感じた次第です。これにはアバドのオーケストラへの接し方が、ベルリンフィルとマーラー・ユーゲントでは異なる事に起因したのかも知れません。長年付き合ってきたベルリンフィルとはある種の拘束によってアバドも完全には意図通りには行かなかったのではないだろうかと。他方、マーラー・ユーゲントの場合には、新たな生命によってオーケストラの自発性とともにアバド自身が昇華したように感じました。ともかくパルジファルがさらなる高みに達した演奏に出会えて感動あるのみでした。カーテンコールの喝采はアバド人気とともに圧倒的だったのは勿論のこと、颯爽とステージに現れたアバドは益々若返ったようで溌剌としていました。長時間の指揮にも関わらず疲れは全く感じられず、その集中力の凄さに圧倒されました。今後はルツェルン祝祭などでさらなる高みへと昇り詰めていくことを期待します。

翌日、8月13日付けのザ・スコッツマン紙(The Scotsman)には早速パルジファル評が載っていましたが、ペーター・シュタインのステージに対して、イースター時の各紙が書いた批評の繰り返しでした。アバドとマーラー・ユーゲントのがっしりとした音楽と素晴らしいキャストに言及するものの、あまり詳細な内容ではありませんでした。ともかく既成観念に捕らわれないシュタイン&アバドのプロダクションは聞き手の感性によっても大きく感じ方が異なるのは事実のようです。さらにベルリンフィルとマーラー・ユーゲントでも大きくその音楽は異なってきており、アバドのパルジファルは録音されることがあれば、是非マーラー・ユーゲントでと願うばかりです。



なお当日は40分間の休憩が2回入りましたが、聞き手の多くの方はロビーや階段に足を伸ばして座り込んでディナー?ボックスを広げている光景はまるでピクニック気分でした。ザルツブルクでは有り得ない光景ですが、それはあたかも庶民風グラインドボーンのようでもありました。それにしても聴衆も素晴らしく、公演中はノイズ聞こえない超静寂でした。5時に開演し、終演が10時半。ちょうど今からアッシャー・ホールに駆け込めばメシアンの「アーメンの幻想」を5ポンドで聞けますが、これほど見事なパルジファルを聞いたからにはもう何も聞きたくない心境でした。

かくして11日間の音楽祭への旅は幕を閉じました。14演目を無事に消化した充実感はかなりのものでした。ともかくパルジファルで締めくくることが出きて最高でもあります。翌8月13日は早朝6:30のフライトにてエディンバラからフランクフルトへ向かいラウンジで時間を潰しました。しかし時計をロンドンからドイツ時間に戻していなかった為、1時間の時差ずれをすっかり忘れていました。あわや帰国便のLH710への搭乗がギリギリだったのが危ないところでした。


8月12日の付けのTHE SCOTSMAN紙の別刷り綴込み"Festival"にアバド&P.シュタインのパルジファル特集が組まれていた。イースターでの模様を述べ、エディンバラの聴衆に本日のパルジファル初日の成功の可否を問うと期待十分のコメントで締めくくられていた。

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