GAlexander Zemlinsky
Der Koenig Kandaules
Text nach dem Schauspiel Le roi Candaules von Andre Gide
in der deutschen Umdichtung von Franz Blei, eingerichtet vom
Komponisten. Partitur rekonstruiert und Instrumentation
vervollstaendigt von Antony Beaumont

Neuinszenierung
Donnerstag, 8.August, 19.00 Uhr
Kleines Festspielhaus

Dirigen Kent Nagano
Inszenierung Christine Mielitz
Buehne Alfred Hrdlicka
Kostueme un Raum Christian Floeren
Licht Friedrich Rom
Dramaturgie Eva Walch

Koenig Kandaules Robert Brubaker
Gyges Wolfgang Schoene
Phedros Mel Ulrich
Syphax John Nuzzo
Nicomedes Jochen Schmeckenbecher
Pharnaces Randall Jakobsch
Philebos Georg Zeppenfeld
Simias Juergen Sacher
Sebas John Dickie
Archelaos Almas Svilpa
Der Koch Peter Loehle
Nyssia Nina Stemme
Trydo Olga Lechteva

Deutsches Symphonie Orchester Berlin
Buehnenmusik Mozarteum Orchester



8月8日の朝も雨でした。これで三日連続の雨はさすがに各地に水害をもたらしたようですが、ザルツは川の水位が増した程度で済んでいます。午後からは久しぶりに雨もあがり、晴れ間が見えてきました。しかし川沿いの道では冷たい風が吹くなど、未だ肌寒い状態です。

今日のオペラはツェムリンスキー「カンダウレス王」。このオペラは第2幕に女性ヌードが登場するなど諸所の理由からMET初演の夢が断たれてしまい、ツェムリンスキー自身、スコアを最後まで完成させなかったそうです。後にアンソニー・ボーモントにより補筆完成さたとか。そういえば昨日のトゥーランドット、明後日に聴くモーツァルトのレクイエムにシェーンベルクの「ヤコブの梯子」など皆、Fragment(未完)の作品。これら一連の未完作品を並べた音楽祭のテーマ性にも興味深いものがあります。以上の経緯よりカンダウレス王はツェムリンスキー存命中に初演されたことがなく、世界初演は1996年のルジツカ、ゲルト・アルブレヒト、ノイエンフェルスらカンダウレス・プロジェクトによるもの。そのCDも出ていますが、滅多に上演されないだけに今回のケント・ナガノ指揮、ミーリッツ演出のプロダクションはとても貴重。ともかくこれを見逃すと当分の間はカンダウレス王を見ることが出来ないでしょう。

このように希少価値のある上演ですがチケットは余っているようで空席も目立っていました。今日の座席は、当初パルケット1列目の席番でしたが、音楽祭から2列目に変更の案内がありました。で、当日会場へ行ってみると、またまた変更があったようです。係の方から3列目のチケットを手渡されました。実質的にこの3列目が客席の最前列となっていて、1列目のシートは撤去されていて、2列目中央に収録用のマイクがセットされていました。ちなみに本公演はORFがライブ収録していて、TVカメラが左右の壁にそれぞれ2台、後方に3台、指揮者前に1台入っていました。

ステージ正面にはカンダウレスの物語をイラストした大きな絵画が幕となっていて、左右の側面にも同様のイラストが掛けられていました。これらのイラストはステージ担当のHrdlickaによるもの。さらにこの幕は上に開くのではなく、下に下降する構造になっていました。前面に高い位置に持ち上げられたオケピットが現れ、その奥は黒のメタリック壁が覆っているという設定。



第1幕のプレリュードでは、正面の壁の一部が開いて、ガラス越しにシャワーを浴びている情景から開始されました。続いて、ステージ左袖の扉が開き、外界から強烈な照明が浴びせられ、漁師のギーゲスが入ってきました。魚の入った透明なアイスボックスを持っていて、客席1列目の通路を歩きながらの歌と演技を。次々と登場する人物達も左右の客席扉から出入りして、ドラマはオケピットと客席の間の廊下部分で行われました。登場人物の男性達は化粧をしていて、一種異様な敗退的雰囲気を湛えながら、極めて迫力ある演技を連続。ベルクに傾倒したツェムリンスキーらしく、音楽もヴォツェックを思わせる神秘的、心理的展開を聞かせ、ワイルのマハゴニーのように演劇性を前面に出していました。音楽祭の係員に導かれ、登場人物たちもパルケット2列目の席に案内されるといった場面もあり、ステージとインタラクティブにドラマが展開されるのはとても臨場感があり面白いです。小生の前の席にも赤い提灯を持った歌手が座り、こちらに顔を向けるなど、客席との一体感は抜群。



カンダウレスの妻、ニシアは正面ステージの幕の間から登場しました。白のコートにサングラスという出で立ちで、登場と同時にサングラスもコートも脱いでしまいました。彼女もまた客席に降りてきて歌う演出。しかし1mも離れていない目の前で歌われると耳が共振するほどの迫力でした。

例の魚を料理する場下りに至っては、コックと給仕達も客席からステージに上がり、魚を食する場面が印象的でした。そして謎の銘文のあるリングが食べた魚から出てくる場面。このリングはワーグナーのニーベルンクの指輪をパロディにしたような感じもしないでもありませんが、透明に出来る魔力は、白の透明な特殊カーテンを比喩的に用いるという手法が取られました。ブルベーカー演じるカンダウレス王は首に王を象徴する首巻をつけていて、優柔不断の性格を上手く描写していました。これに対してギーゲスは友でありながら、僕的な役柄で、内に潜む凄みが滲み出る感じ。風貌もジャック・ニコルソンにそっくりで体格的にもカンダウレスを圧倒していました。


第2幕、プレリュードはエキゾチックさを感じさせる音楽でした。そもそもカンダウレス、ギーゲスのストーリーはBC700年代の古代トルコのリディア王国に端を発しているそうですが、そういったことを想像しながら目前のドラマを見るのもまた格別な趣でした。2幕の見所、聴き所はカンダウレスに代わってギーゲスがニシアとのセックスシーン。白のカーテンを利用して透明化を比喩した意外とシンプルな演出でした。視覚にツェムリンスキーの超モダンミュージックが加わり幻想の愛の世界でした。プログラム解説によれば、音楽の特徴はライトモチーフをワーグナーのように有機的に用いているそうですが、特に第2幕以降、リングをめぐる場面ではニーベルンク的。カンダウレス、不幸、喜び、リングの各モチーフを素材にドラマとの一体感も素晴らしいです。



第3幕はいよいよニシアが事実を知って、怒りとともにギーゲスに夫カンダウレスの殺害を命じる場面。この幕では、オーケストラがコンチェルタンテ形式のようにステージ奥にレイアウトされ、その前方でドラマが演じられました。ステージは白色に光る矩形で縁取られ、前方の舞台も床が白色の光源となっていて、2幕で比喩的に用いられた透明化のカーテンが置かれていました。各登場人物はそのカーテンの下に横たわっており、出番の時に起き上がってくるという演出でした。ともかくこの場面はニシアの取り乱した演技のリアリティさと、ギーゲスの凄みが圧倒的でした。音楽もテンションがぐっと高まっており、ステージにオーケストラを乗せた効果から、音響も客席へ向かって強い音圧を押し出してくる感じ。オペラというよりもギリシャ劇を思わせるかのような緊迫したドラマが圧倒する音楽と歌唱により釘付け状態へ。いよいよカンダウレスがギーゲスに刺される瞬間は背景と左右側面のイラスト画が落とされて、オーケストラの咆哮。ともかくケント・ナガノ&ベルリン・ドイツ響の雄弁な演奏とキャスト達の迫真の演技と歌が噛み合った時の迫力は凄いの一言です。カーテンコールも昨日のトゥーランドット初日に匹敵かそれ以上の喝采ではないかと思うほどでした。モルティエ路線では色々珍しいオペラを楽しめましたが、ルジツカに代わっても今日のような作品が見られるので、やはりザルツブルクは刺激的で止められません。

祝祭小劇場のロビーにてツェムリンスキーの展示コーナーが開催されていた。彼の生涯に渡る写真が年代別に展示されている。

[HOME]