Giacomo Puccini
TURANDOT
Dramma lirico in drei Akten
Text von Giuseppe Adami und Renato Simoni
nach Carlo Lucio Graf Gozzi
Vervollstaeddigung des 3.Aktes von Luciano Berio

Neuinszenierung
Grosses Festspielhaus
Premiere Mittwoch, 7. August, 19.00 Uhr

Dirigent Valery Gergiev
Inszenierung David Pountney
Buehne Johan Engels
Kostueme Marie-Jeanne Lecca
Licht Jean Kalman
Choreinstudierung Rupert Huber

Turandot Gabriele Schnaut
Altoum Robert Tear
Timur Paata Burchuladze
Kalaf Johan Botha
Liu' Cristina Gallardo-Domas
Ping Boaz Daniel
Pang Vicente Ombuena
Pong Steve Davislim
Ein Mandarin Robert Bork

Konzertvereinigung Wiener Staatsopernchor
Toelzer Knabenchor
Wiener Philharmoniker
Buehnenmusik: Mozarteum Orchester Salzburg
Koproduktion mit dem Mariinski Theater St. Petersburg
und dem Festspielhaus Baden-Baden



今日も昨日に引き続き朝から一日中雨でした。特に昨日の雨は強烈だった為かザルツァッハは水かさを増してかなりの急流に。川沿いの道も一部通行止めとなっているそうです。TVでもイタリアの洪水が報じられるなど各地で被害が出ているとのこと。天気予報は明日も雨のようで気温も最低が15度、最高が20度程度の肌寒さ。夏のイメージからは程遠いですが、音楽祭は例年通り熱く盛り上がっています。特に今日のトゥーランドット初日は会場にORFの取材が来るなどプレミエならではの雰囲気が漂っていました。

そういえば昨日、音楽祭オフィスに行く用事がありましたが掲示板にプレミエの歌手到着時間表がありました。17:30 Schnaut, 18:00 Gallardo-Domas, 17:50 Burchuladze, 18:30 Botha, 19:30 Tear, 18:45 Bork, 17:30 Davislim, 18:00 Ombuena, 18:30 Daniel・・・とありましたので、女性陣はともかくメーキャップにはそれほど時間が掛からない演出と推察されます。

第1幕、ステージ幕には大きな黄色の満月が描かれていて、その中央に首がこちらを向いていました。演奏の開始とともに首が、あたかもギロチンで落とされたかのように、下に落ちてカーテンが開くといった始まりでした。すかさず中央と左右から中国の役人を象徴した大きなロボットが登場。そして現れた巨大なセット。4層の格子が組まれていて巨大な歯車が幾つも噛み合う工場のようなイメージでした。これがステージ正面だけでなく、左右の壁面にも組まれていて、パルケット前方エリアを取り囲む形となっていました。群集や役人達は左右正面に広がった格子から歌うため、音響の広がりに加えて、その立体感にリアリティがありました。常に正面に向かってオペラを見るというよりも、一緒にステージの中に飛び込んでその臨場感に浸るといった形で、特に最前列の席からは、そのサラウンド効果は抜群でした。演出家にとっては祝祭大劇場の大パノラマを如何に使いこなすかが一つのポイントとなりますが、ここまで極限的に挑戦するとは凄いものです。これにゲルギエフ&ウィーンフィルの重戦車のような圧倒的サウンドが襲い掛かってくるので、そのスペクタクルさにただ度肝を抜かれるばかり。


さらに巨大な顔のオブジェが奈落から上昇して格子正面の奥に現れる様子も不気味でした。実はトゥーランドットはこの巨大頭の中に居て、頭が縦に割れて登場する場面はとても象徴的でした。その長い衣裳デザインも威厳があって、ステージの高いところから皆を威圧する効果も抜群。プログラム解説によれば、この巨大な顔のオブジェは映画メトロポリスのアンドロイドをイメージ素材としているようです。さらに回転する巨大な歯車はチャップリンの映画モダン・タイムズから。ともかく音楽のテンションに合わせて強烈なカクテルランプで照らしたり、照度を変えたりと、プッチーニのライトモチーフを音楽ばかりでなく、空間を活用したヴィジュアルとしても有機的に結びつけた演出です。



歌手では、ガラルド=ドマス演じるリューのアリアがとても素晴らしく通常のオペラ公演のように一部から拍手が出ましたが、余りにもドラマと音楽が一体となって推進して行く為、ゲルギエフは音楽を止めませんでした。それほどワーグナーの楽劇的であり、途中で拍手するのはオカシイと思うほど集中力に満ちていました。ともかくボータのパワフルなカラフ、ブルチュラーゼの渋みのあるティムールと、歌手達も際立った出来栄え。そして全てをドラマに集中させていくゲルギエフのタクト振りも素晴らしく、彼の唸り声も尋常ならざる気合でした。第1幕フィナーレ、カラフが3度打ち鳴らすゴングは本物で、そのタイミングの良さとともに圧倒的に1幕を終えました。

第2幕、ピン・パン・ポンたちはそれぞれ左手が大きな鋸、ペンチ、ドリルのような構造になっていて、彼らも実にメカニックでした。ちょうど1幕の兵士達がロボットとして扱われていたように、、ピン・パン・ポンは巨大工場でロボット達を現場監督するといった設定。さて刺激的な1幕に対して、2幕では和やかな花柄のスクリーンが格子面に。彼ら3人が演じるパントマイムもコミカルながらも3人の黒装束を相手に残虐な殺戮を匂わせるなど、凶暴性も垣間見られました。1幕はステージ全体に情報量が満載といった感じで、視線を忙しく変えなければなりませんでしたが、2幕は正面のみに集中させるので一種の安堵感がありました。



トゥーランドット姫の場面では、花柄スクリーンと格子が取り払われ、赤に染まった巨大空間に巨大な顔が再び登場。周囲には秦の始皇帝陵で見つかった兵士俑をイメージした赤の鎧が沢山林立していて、一部は空でしたが、既に殉死の兵士たち、もしくは首を落とした王子達が詰まっているようでした。左右に割れた頭から登場する姫はシュナウトが演じ、その鋭利で強力なソプラノは何時もながらぞくぞくします。もっともトゥーランドットというよりも温かみのある声でワーグナー的。カラフが3問とも正解した瞬間、左右に開いた頭は倒れて、トゥーランドットも地上に降りてしまうといった展開でした。


第3幕は、倒れた左右の顔が山のようになっていて、カラフが「誰も寝てはならぬ」を歌う場面がひとつのクライマックス。プッチーニはリューの死までを作曲していて、後にアルファーノが補筆し、さらにトスカニーニが修正させたりした版が一般に演奏されていますが、今回はルチアーノ・ベリオが新たに作曲した新ヴァージョンが用いられるのが最大の話題。実は第2幕のピン・パン・ポンが登場したあたりから、ハープやチェレスタにコンテポラリさを匂わせる不気味な不協和が聞かれましたが、それもおそらくベリオの手入れではないかと。今年のザルツブルク音楽祭マガジン7月号にも記載されているように、最後の15分はハッピーエンドでは無く、ベリオ自身、プッチーニが残したメモ"poi Tristano""San Gral Chinese"からトリスタンの響きとドラマの集結に向けてパルジファル的アプローチに傾倒しているそうです。たしかに3幕になってからホルンの響きにトゥーランドットにはないワーグナーを思わせるパッセージが断片的に聴かれたりしました。第1幕では左に配置したチューブラ・ベルは2幕からはピット右側に配置され、左側の木管、ハープ、チェレスタによるアクセントも初めて聞くパッセージを奏で、実に神秘的でした。



さて切実なリューのアリアに引き続き、リュー自身がトゥーランドットのところに出向き、訴えるかのようにトゥーランドットの手をとって自殺してしまうシーンも衝撃でした。このあと、トゥーランドットとカラフはベッドに横たえられたリューの左右に寄り添いながら、あたかもクンドリーがパルジファルの足を油で拭うかのように、リューの体を拭ってやる演出。トゥーランドットとカラフには次第に愛が芽生えてくる演出で、それはイゾルデとトリスタンのエロスに対してプラトニックを強く感じさせました。ベリオの音楽も、従来のトゥーランドットに比べると、不連続さを感じるものの、ドラマは救済にも似たテーマに集約していく厳粛さと開放感をに向かっていく感じでした。

パウントニーの演出意図は、トゥーランドットは元々温かみのあるヒューマンな性格であり、むしろ周囲の巨大歯車に象徴される社会の冷酷さが、巨大な顔のシェルに閉ざされたトゥーランドットのイメージを作り上げていたと感じさせるものでした。ともかく圧倒的に爆発していく第1幕の迫力、第2幕の盛り上がりに対して第3幕で急速にプラトニック的救済に至るドラマ展開は実にユニークでした。ウィーンフィルの演奏も圧巻で、Vnにキッヒュルとホーネックを配した布陣のアンサンブルはさすがに完璧。特にソロ・ヴァイオリンの艶やかな美しさは絶品。

カーテンコールの喝采は意外と盛り上がりませんでしたが、ドマスへの喝采は一番だったのは意外でした。おそらく初めて聞くベリオ版に聴衆も戸惑いがあったことと察せられます。スター歌手達にとっては一般に普及している版のほうがインパクトを訴求しやすいものですが、普通のトゥーランドットを名歌手達で聞くのであれば、ミラノやウィーンに行けば良いのであって、常に前進するザルツブルクでは今回のベリオ版トゥーランドットは大いにウェルカムと痛感させれらました。

なお当日の深夜12時半頃に、ORF2のTVニュースでは早速、プレミエの模様が放送されていました。何と偶然ながら、小生がロビーのショップで買い物をしているところが大きくTVに写っていてびっくりしました。ステージの様子、カーテンコール、インタビューなども放映されていて、その興奮が再び蘇るのでありました。



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