Berliner Philharmonisches Orchester Kuenstlerische Leitung: Claudio Abbado


Dirigent: Claudio Abbado
Waltraud Meier
Mezzosopran
Elena Zhidkova
Mezzosopran
Anatoli Kotscherga
Bass
Schwedischer Rundfunkchor
Eric Ericson Kammerchor
Einstudierung: Christina Hoernell

Philharmonie
Donnerstag 25. April 2003 20 Uhr

Sonderkonzert
Johannes Brahms SCHICKSALSLIED
fuer Chor und Orchester op.54
Gustav Mahler FUENF LIEDER
Nach Gedichten von Friedrich Rueckert
Blicke mir nicht in die Lieder
Ich atmet' einen linden Duft
Um Mitternacht
Ich bin der Welt abhanden gekommen
Dmitri Schostakowitsch KING LEAR
Nach William Shakespeare
ins Russische Uebertragen von Boris Pasternak
Mit Szenen aus dem Film von Grigori Kosinzew
Filmfassung: Klaus-Peter Gross

■出発
イースター音楽祭の余韻が覚めやらぬ中、再びアバド&ベルリンフィルを聴きに行く。今回は、アバドがベルリンでBPOを振る最後のコンサートということで見逃す訳には行かない。おまけにフェストターゲ終盤にも上手く繋がる。

そして出発日の4/25、GWよりも二日早い為か、成田はそれほどの混雑では無かった。フライトは何時もルフトハンザと決めているが、今年からアップグレードのマイル数が大幅に引き上げられた。マイルを貯めていても損なので、昨年の内に往路をファーストクラスにアップグレードしておいた。今まで4万マイルで済んだのが、これからは6万も必要となるからだ。ということで成田ではANAのスーパーフライヤ・ラウンジに案内された。何時ものラウンジは混雑しているが、ここは空いていて、朝食メニューも豊富なのが嬉しい。インターネットに繋いでいたら、もう搭乗時間となった。Fクラスに乗るときは83Aの席をリクエストしているが、今回も希望通りに取れていた。おまけに隣りが空席だったので、さらに広々としている。オードブルに始まり、前菜にキャビア、ロブスターと海老に寿司を選んだので満腹になってしまい、メインディッシュが出てきた時はかなり厳しかった。アルコールはシャンパンとマケドニア・ワインだけに留め、デザートとエスプレッソで食事を終える。オーディオCHは今月始めのプログラムと同じだったので、持参したPCで室内楽を聞く。後は思う存分熟睡した。フランクフルト到着からベルリンへの接続便は40分ほどしか無かったが、ゲート間が思いっきり離れているので、かなり歩いた。この便は満席だったが、予定通りに14:00に飛び、17:05に到着した。今回もスーツケースを持たずにコンパクトにまとめた手荷物だけにした。これだとすぐにゲートを出られるし、バゲージロストの心配もない。着陸から5分後の17:10分にはタクシーに乗っていた。さらに30分でホテルにチェックインする。今回のホテルは以前、ペンタだったクラウン・プラザで、フィルハーモニーまでちょっと距離があるが、久しぶりに泊まることにした。開演まで2時間以上時間がある。



■アバドコーナー
フィルハーモニーに向かう。実はアバドのコンサートは明日のチケットも持っている。トリスタンを途中まで聴いてから、ベルリンフィルへ向かおうかとも考えていたからだ。しかし中途半端は良くないと思い、明日26日の分は売ることにした。フィルハーモニーでは当日売りも無く、沢山のSuche Karteの方が居られたので、明日のチケットも簡単に売れてしまった。本当は明日の最終公演も聞くべきかとも思うが、今日1日集中することに心を決める。

フィルハーモニーでは2階のロビーにアバドの特設コーナーが出来ていた。円弧上になった通路に、大きな写真パネルが何枚もレイアウトされていた。ベルリンでのアバドを集大成する内容で、歩きながら1枚1枚見れるようになっている。リハーサルや演奏の写真以外にも、普段着のアバドが見れて興味深い内容だった。そのほか、会場アバドのCDコーナーが作られていて、さすがにアバド一色に盛り上がっている。聴衆の熱い思いも伝わってくるようで、当然ながら今日のコンサートへ掛ける期待が自ずと盛り上がってくる。なおマーラー3番のCDとアバドのベルリン・アルバム2枚組みCDをゲットした。



■ブラームス
席は1階Aブロック7列目でステージまで近い。ちょうど段々畑になった位置なので、オーケストラも良く俯瞰でき、アバドの指揮姿を左斜めから観察できる。で、プログラムはブラームスの「運命の歌」、マーラーの「リュッケルトの五つの誌」にショスタコーヴィチの映画音楽「リア王」と続く。いずれも悲哀というキーワードで共通項を持たせたプログラミングで、3つの作曲家の個性を聞くことできる興味深い内容となっている。

最初のブラームスの「運命の歌」はヘルダーリンの詩に基づきドイツ・レクイエムの後に作曲されている。演奏は、アバドが3回ほど録音しているように、彼の思い入れ一杯にとても感動的だった。スウェーデン放送合唱とエリクソン合唱団の透明で深い響きにベルリンフィルの清楚なサウンドが良くあっている。全くお互いが溶け合うかのようだった。コンサートマスターにはシュタブラヴァと安永がピットを組み、弦楽パートが全くの揺るぎの無い緻密さを聞かせる。時折、地より湧き上がるかような、力強いチェロが厚い響き醸し出す。パユに似た若手フルートも、その音色と絶妙なパッセージに心が奪われた。随所にソロが際立っていて、改めてベルリンフィルの上手さに納得する。そういえば、フィルハーモニーのサウンドはやはり素晴らしい。ベルリンフィルをムジークフェラインで聴くよりも、良いように感じる。特にマーラーなどのスペクタクルな作品ほどフィルハーモニーの特性は発揮されるように思うが、ことブラームスの地味なサウンドで、これほどまでにホールのアコースティックと演奏が噛み合ったと感じたのは今日が始めてのような気がする。湧き上がる重厚なフォルテから消え行くピアニッシモに至るまで、すべてに情感がこもっており、その美しさは悲哀に彩られながらも切実感を漂わせていた。これはひとえに合唱とオーケストラが完全に溶け合って昇華しきっていたからでは無いだろうか。もはや合唱の感動には形容の言葉が見つからない。颯爽と指揮するアバドはイースターの時と同様に、実に端正で、その集中力の凄さに圧倒されるほどだった。パルジファルとはまた違った救済に望みを託すかのように、ブラームスらしい静かなフィナーレで感動のピークを迎えることが出来た。

■マーラー
続いてポーディアムに配された合唱はそのまま着席し、マーラーが演奏される。リュッケルトの詩もまたブラームスと同様に諦念に彩られた作品で、より深刻で厭世的な内容だ。さすがにワルトラウト・マイヤーが歌うとあっては、期待とおりに、心を動かされてしまった。マイヤーが録音したマーラーにはロリン・マゼールとの共演が多いようだが、アバドとの共演をフィルハーモニーで聴けるだけでも貴重だが、その演奏は素晴らしく繊細で、マーラーの多彩な心の揺れ動きが伝わってくるかのようだった。まさに時間が止まったかのように集中させられる。空間に放たれるマイヤーの歌とベルリンフィルの詩情に片時も耳を離せない。マイヤーも、オペラで聞かせるような存在感をアピールすることなく、全てに溶け込んでいる。オーケストラと共に消え行くかのように、一瞬の輝きを大切にしながら、静かにフィナーレを迎える厳粛さも例えようも無かった。マーラーといえばついオーケストレーションの外への広がりと表面的面白さに耳を傾けることが多いが、このような求心力に満ちた演奏を聴かされると、ますます彼の偉大さを痛感するばかりである。

■ショスタコーヴィチ
休憩を挟んでの映画「リア王」はコージンツェフ監督により1971年に製作されたもので、ショスタコーヴィチが映画音楽を担当している。この映画は見たことがないが、その余りにも悲惨で壮絶なドラマにショスタコーヴィチがどのような作曲をしていたのか興味が惹かれる。

今日の演奏では4つのスクリーンがオーケストラを4面から取り囲むかのように天井から吊るされた。すなわち4つの方向から映画を見られるように意図したもので、どの観客からでも映画と音楽を同時に鑑賞できる。指揮台の大きなスコアに加えて、液晶ディスプレイも設置され、アバドも映像に合わせて指揮できるようにセットアップされた。全2時間20分ほどの作品を1時間20分に編集し直した内容で、冒頭に映画のタイトルとキャストが映し出される。モノクロでいかにもシェークスピアのドラマらしく重厚な映像だ。



バックには巨大な鐘の厳粛な響きがピアニッシモを奏でている。これから始まるドラマが只ならぬものであることを予言するかのように不気味な響きだ。ステージには大小様々な教会の鐘が沢山、左後方と正面後方にレイアウトされていた。他にも打楽器群の壮観さに圧倒されそうだ。そして突然襲い掛かるオーケストラの嵐。ドラマの展開に応じて、壮絶なアンサンブルが繰り広げられた。昨年ザルツで見た「ムツェンスクのマクベス夫人」を彷彿とさせるオーケストレーションの見事さが映画「リア王」にも活かされている。映画においてリア王が語る場面ではトーキーの音声がそのまま流され、ベルリンフィルが音楽を付けて行く。さらには当初予定されていたボロディナの代わりにエレーナ・ツィドコーヴァが巧みなメゾで、リア王の末娘コーディリアを演じていく。彼女はアバドのパルジファルでももファウストでも歌っていた。深く厳粛な歌は背筋が寒くなるほど悲劇的であり迫真に満ちている。コッチヘルガの歌、語りもロシアの大地を感じさせる。それにスウェーデン放送合唱とエリクソン合唱も厚味のある素晴らしい響きを聞かせた。特にフィナーレでの悲痛な合唱は心に染みた。

このように映像、トーキー、歌、語り、オーケストラと多面的に組み合わされたパフォーマンスは実に刺激的で実験的でもあった。トーキーとオーケストラのミックスには賛否を呼ぶこと間違いないが、常に前向きな実験に挑むアバドの意欲に驚かされた。とにかくフィルハーモニーを駆け抜けるブラスの咆哮と全アンサンブルの壮絶さには度肝を抜かれた。ロシアンサウンドが炸裂する様は演奏だけでもヴィジュアルに展開するが、映像と重なった時の相乗効果も素晴らしいものだ。やはりこのスペクタクルさはフィルハーモニーの音響空間でベルリンフィルで聞かなくては味わえないと痛感する。

それにしてもショスタコーヴィチは凄くダイナミックな作品を作ったものだ。既に普通の映画音楽のレベルを超え、まるで映画によるオペラを想像していたのだろうか。最後の場面、コーディリアの首が吊るされ、娘の遺体を荷車で運び、悲劇に狂ったリア王の無残さは余りにも衝撃的だった。当然ながら演奏も壮絶を極める。随所に驚きと驚嘆を感じる演奏だった。かくしてアバドのファイナルコンサート1日前の公演は素晴らしい内容で幕となった。長い長い喝采とともに感慨がこみ上げてくる。当日の深夜、TVのニュースではアバドのコンサートの模様が紹介されていた。アバドにインタビューする場面もあり、全く元気なアバドの語り口を見て益々今後の活躍に期待したい。



■PS
翌日、フリードリヒ・シュトラーセにあるDussmann-Hausに行ってみた、通りのショーウィンドウにはアバドのマーラーなどが大きく飾られている。地下のクラシックコーナーでは映画音楽「リア王」をゲットできた。ユルノフスキ指揮ザレンバ共演盤ではあるが、アバドの「リア王」に合わせるかのように大量に入荷されていた。

■新聞記事から

4月26日付けで新聞各紙はアバドのベルリン最後のコンサートについて報じている。ベルリーナー・ツァイトゥングの13面では、フィルハーモニーのポーディアムを去り行くアバドの写真を掲載し、コンサートの模様を詳しく語っている。特にアバドが選んだプログラミングの思慮深さを指摘し、ブラームスの合唱曲「運命の歌」もショスタコーヴィチの映画音楽「リア王」も共に運命を扱っている点で関連しあうと論じているのが興味深い。
〜要約〜
(前略)ブラームス「運命の歌」のオリジナルとなったヘルダーリンの誌では、神の世界のみ至福に満ちているとしたのに対して、ブラームスは人間界でも安らぎが得られると主張している。演奏もこの点に注目しているかのように、ギリシャ神ヒュペリオンを力強く描くような情熱というよりも、終始ギリシャ神エリシュオンの至福の響きに満ちていた。一方、ショスタコーヴィチの「リア王」は、黙示録の終末に突き進むかのような死の叫びである。いわば悲劇の終末を現実のものとして、その重みに耳を傾けるべきである。その音楽は擬古主義、宥和的であり、ブラームスの再現でもある。これらにコントラストするようにマーラーのリュッケルトの詩では、第5曲 "der Welt abhanden gekommene"で、心の宇宙に詩と愛が広がるものの深い空洞が生まれ、第4曲 "Um Mitternacht"では神を見つける。プログラムから見えてくるのは、いわば、双眼鏡で生を覗く方向付けであり、我々は大きな世界も小さな世界も見ることができる。プログラムは意図的説明にあるのでは無く、その芸術的行為が悲劇における失望を示す。アバドの指揮は、以前のコンサートでも聴かれたように、一瞬のアンザッツプンクテを優先するなどの、特異で非凡な才能を見せた。内から外へ広がる音の響きにはアバドの様式があって、音楽要素の部分と全体の差を感じさせることがない。迫り来るポリフォニックなハーモニーと、ベートーヴェンからマーラーの伝統に基づくシンフォニックさ。指揮は分かりやすく音楽の描写も明快。その響きは、他律ではなく、内から外へ広がる自律となる。(中略)ショスタコーヴィチでは、ドラマとしての切迫さと響きの豪華さが印象的だった。またブラームスのアインザッツにおけるスェーデン放送合唱とエリック・エリクソン合唱団はともに卓抜していた。ワルトラウト・マイヤーをソリストに迎えたマーラーでは、アバドとオーケストラは最適なディナーミクのバランスを探し出し、その流れるメロディの美しさは自然であった。
(以下略)


●Berliner Zeitung 26.April 2002




●Berliner Morgenpost 29.April 2002 第1面


ベルリーナー・モルゲンポスト4月29日付けの第1面は "Grazie, Claudio!"の表題でドイツ大統領ラウからアバドへの勲章授与の記事が報じられていた。関連記事として28面に、大統領がアバドをシュロス・ベルビューのマチネに招待した内容とアバドの感謝のコメントが、幾つかの写真とともに紹介されている。


●Berliner Morgenpost 29.April 2002 第28面


●Berliner Zeitung 29.April 2002

俳優ブルーノ・ガンツがアバドに祝いの言葉をかける。彼は映画撮影中でアバドがトンスラ頭を撫でた。






■ベルリンフィル 2002/2003
ベルリンフィルの来シーズンプログラムはフィルハーモニーにて配布されていた。シリーズがAからNまでの多彩さに驚く。中でも29の特別コンサートは魅力的。古楽から現代作品までラトル路線にそったプログラミングで、ミッコ・フランクやウィリアム・クリスティの登場は大いに期待できそうだ。個人的には下記のプログラムに惹かれる。


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17,18 Jan 2003 20 Uhr
Sir Simon Rattle
Angelika Kirchschlger, Peter Hoare, Gilles Cachemaille, Rundfunkchor Berlin
Hecter Berlioz "Romeo et Juliette op.17"
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21,22 Maerz 2003 20 Uhr
Sir Simon Rattle
Chirstiane Oelze, Ian Bostridge, Thomas Quasthoff, RIAS-Kammerchor
Joseph Haydn "Die Jahreszeiten"
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25,28 April 2003 19Uhr
Sir Simon Rattle
Juliane Banse, Angela Denoke, Alan Held, Laszlo Polgar, Thomas Quasthoff, Rainer Trost, Jon Villars
Arnold Schoenberg Chor
Ludwig van Beethoven "Fidelio"
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27,29 Sep 2002 20Uhr
Sir Simon Rattle
Tristan Murail, Peter Donehoe, Heidi Grant Murphy, Monica Bacelli, Jean-Paul Fouchecourt, Francois Le Roux, Laurent Naouri, Marietta Simpson, Cynthia Clarey, Rundfunkchor Berlin
Olivier Messiaen "Trois petites liturgies de la Presence Divine"
Maurice Ravel "Lenfant et les sortileges"
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30,31 Oct 2002 20Uhr
Nikolaus Harnoncourt
Christine Schaefer, Bernarda Fink, Peter Becala, Gerald Finley
Ernst Senff Chor
Ludwig van Beethoven "Missa solemnis d-Moll op.123"
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5,6,7 Dec 2002 20Uhr
Christian Thielemann
Richard Strauss;
Suite aus der Oper,"Die Frau ohne Schatten op.65"
Hornkonzert Nr.2 Es-Dur
Tod und Verkklaerung op.24
Till Eulenspiegels lustige Streiche op.13


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