staatsoper Berlin Unter den Linden
DER FLIEGENDE
 HOLLAENDER

Romantische Oper in drei Aufzugen von Richard Wagner
Sonntag 29. April 2001, 19. Uhr



Musikalische Leitung

Philippe Jordan
Inszenierung Harry Kupfer
Buehnenbild Hans Schavernoch
Kostueme Buki Shiff
Licht Franz Peter David
Choere Eberhard Friedrich
Dramaturgie
Ralf Waldschmidt
Daland, ein norwegischer Seefahrer Robert Holl
Senta, seine Tochter Anne Schwanewilms
Erik, ein Jaenger Jorma Silvasti
Marry, Sentas Amme Uta Priew
Der Steuermann Dalands Stephan Ruegamer
Der Hollaender
Falk Struckmann

Otaatskapelle Berlin
Staatsopernchor
Konzertchor


今日のオランダ人は4月のフェストターゲでプレミエとなったクプファー演出のもの
で、バレンボイムの指揮ではないものの、シュトルックマンが聴けることが嬉しい。
まず舞台はクプファーにしては大人しい設定になっていた。あっと驚かせるようなか
つての奇抜さが無かったのは寂しい感じもするが、オブジェの使い方にさりげないメ
ッセージが込められているようで、シンプルかつ効果的な舞台を作り出していた。

序曲では早々に幕が開き、ゼンタの糸車の部屋をイメージした情景が登場する。背景
の全面が無数のガラス扉になっていて、嵐の風によって開閉する。開閉の度に暗闇の
奥から幽霊でも飛び込んできそうな心理状態にさせられ、ガラス越しに光る雷ととも
に嵐の描写が素晴らしい。そして中央には螺旋階段が上に伸びているが、ちょうどク
プファーのマイスタージンガー同様に、舞台を引き締める象徴的存在に見える。ゼン
タはその階段の中段くらいに昇っていて、序曲がオランダ人のモチーフに差し掛かっ
たところで、オランダ人の絵画に見入る場面が描かれる。このような視覚に訴える演
出は序曲の時に良く使われることがあるが、さすがに細かな場面を見せられると、早
く序曲が終わって、ドラマに入って欲しいものだと期待感を抱かせる。

そして序曲から第1幕への開始は、ガラス扉の壁一面が奥へ移動し、左右から大きな
氷山が現れ、ダーラントの漁船が漂着するかのように出現した。鯨漁の船をイメージ
しており、ところどころ氷柱に凍っている。面白いことに中央の螺旋階段はそのまま
でゼンタは高い位置で物語をずっと見つづけている演出。

そしてオランダ船が登場する場面は、演出家にとって最大の見せ場のひとつとなるが、
クプファーのも、効果万点に迫力があった。暗闇が赤色に染まり、白いマストに無数
のロープが垂れ下がった、巨大なオブジェが舞台奥から不気味に迫ってくる。その穂
先がガラス扉を破って突き刺さるように登場する場面は、威圧感と恐怖感を抱かせる
とともにきわめて暴力的にも見える。空間を切り裂かれたイメージングでオランダ人
が登場するが、穂先に倒れかかっていて、砲身のような穂先から氷の大地に転がり落
ちた。このように舞台づくりは要所要所にシンボリックさを強調して、全体を引き締
めるところにクプファーの上手さを感じた。

さて歌手ではシュトルックマンのオランダ人が素晴らしかった。冒頭のオランダ人の
下りの場面では、あのテオ・アダムを彷彿とさせるような知性すら感じられたし、そ
の迫力にまず圧倒される。ホルのダーラントはややくたびれた歌声が残念だ。シルヴ
ァスティのエーリックも良いテノールを聞かせてくれたが、やはりゼンタが事の他、
存在感を見せつけてくれた。第1幕では彼女はずっと螺旋階段の上にいたが、第2幕
からは、ドラマチックな歌と演技でドラマにメリハリを付けていく。特に第3幕のオ
ランダ人との場面では、ゼンタの迫力に舞台が集中した。

音楽もドラマの起伏に応じて、見せ場や聞かせ所では、十分に歌い、ワーグナーの世
界を盛り上げてくれた。ただし終始にわたって緊張感が持続したかといえば、そうで
もなく、ホルンも良く音を外していたのが残念。バレンボイムの時はどんな演奏だっ
たのか興味津々となるが、若手のジョルダンも極めて安定して手堅いタクトだったと
思う。

休憩なしの2時間半は引き締まった演出のおかげで集中して見ることが出来た。特に、
オランダ船の登場の場面が、再び衝撃的に繰り返されたが、オランダ人とゼンタのセ
ックス・シンボルすら示唆するようで、フィナーレのゼンタの浄化というイメージは
薄い。特に現代風に何とか問題に対するメッセージとかというものも無く、オーソド
ックスなオランダ人でありながら、クプファーのメッセージが見え隠れするオランダ
人だった。