●5月7日(日)ラトル&ウィーンフィル『ベートーヴェン第9交響曲』
FESTWOCHENKONZERTE 2000
GROSSER MUSIKVEREINSSAAL
Sonntag, 7.Mai 2000, 11.00 Uhr

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WINER PHILHARMONIKER
SINGVEREIN der Gesellschaft der Musikfreunde in Wien
Kuenstlerische Leitung: Johannes Prinz

Dirigent: SIR SIMON RATTLE
Solisten: AMANDA HALGRIMSON, Sopran
ANGELIKA KIRCHSCHLAGER, Alt
VINSON COLE, Tenor
THOMAS QUASTHOFF, Bass

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LUCIANO BERIO
*1925 REQUIES fuer Kammerorchester
Pause
LUDWIG VAN BEETHOVEN
SYMPHONIE NR.9 D-MOLL,OP.125
mit Schlusschor ueber Schillers Ode"An die Freude" fuer
Orchester, vier Solostimmen und Chor
Allegro ma non troppo, un poco maestoso
Molto vivace
Adagio molto e cantabile
Presto-Allegro assai




楽友協会のホームページで予約できた座席は平土間21列目の中央ブロック。やはりマチネーの場合は窓が明るくてホールの黄金色が鮮やか。ちょうど昨年の今頃はバレンボイムが指揮する定期でR.シュトラウスの「英雄の生涯」に感激したのだが、あの時と同じく今日のコンサートマスターはキュッヒル。そしてチョッキ姿のラトルが登場し、会場は最初から凄い拍手で盛り上がる。

ラトルは現代音楽にも熱心に取り組んでいて、機会ある度にコンサートの前半には現代物を指揮している。当初、ブーレーズの曲が予定されていましたが、ルチアーノ・ベリオの「レクイーズ」に替わった。ベリオといえば昨年のザルツブルクで素晴らしいオペラ「クロナカ・デル・ルォーゴ」を披露したので、今日のレクイーズは果たしてどんなものかと期待していた。プログラム解説には一つのメロディとその影が室内オーケストラで演奏されるようなことが書かれてある。なんでも12音技法による主題とエコーからなる音楽のよう。室内アンサンブルの編成で演奏されたその曲は、第1ヴァイオリンによる静寂な無調メロディから始り、次第に各パートを従え、音の流れを形作って行くが、やや単調な音楽と感じた。瞑想的ではあるが、途中に盛り上がりなどが欲しい。20分たらずの短い楽曲で、やはり期待は後半のベートーヴェンとなる。

さてベートーヴェンの第九交響曲。すでにアバド&ベルリンフィルの圧倒するような演奏を聞いていたので、ここは冷静にラトル&ウィーンフィルに臨むこととなる。が、第1楽章冒頭から、凄い迫力と熱気。アバドの快速スピードとは違い実に堂々と中庸のテンポで取り組んだ演奏。あえて言えばとてもオーソドックスだ。しかしラトルらしく随所にインスピレーション豊かな閃きがあり、テンポも微妙にルバートしている。これが不自然ではなく、とても自然な流れを感じさせてくれるし、ウィーンフィルの伝統の響きも上手く活かしていた。アンサンブルの響きも素晴らしく、打てば響くとはこのことを言うのだろうか。フォルテでのトゥッティも実に柔らかくサウンドの充実感も十分。全体に何とも表現しがたい弾力があり、粘りとも違う、音のしなりがある。アバドの時は比較的ドライな肌触りであったが、ムジークフェラインで聞くウィーンフィルにはウェットな潤いが感じられた。

第2楽章のスケルツォもテンポを飛ばしすぎずに、ベートーヴェンの迫力といったものを思う存分に発揮。第3楽章はじっくりと緩やかなアダージョだが、音楽への緊張は途切れることはない。そして終楽章、クァストフの張りのあるバリトンが響き渡り、ジングフェラインの伸びのある合唱が素晴らしい。ウィーンフィルも大いに歌い、大合唱とともに歓喜に沸き立つフィナーレとなる。ラトルが指揮することでオーケストラも合唱もソリストも新鮮な気持ちで第九交響曲に取り組むことが出来たのではないだろうか。今日の演奏にはフレッシュかつウィーンの伝統にのっとりながら、熱狂するベートーヴェンを聞くことができた。昨日の「影のない女」といい、連日連夜すばらし演奏を繰り広げるウィーンフィルはまさしく驚異的なオーケストラと言わざるを得ない。ちなみに彼らは今日の夜にマウントハウゼン強制収容所跡で第九交響曲を記念演奏するとのこと。