Report by "la lumiere des yeux"

エクサンプロヴァンス音楽祭


2001年7月12日 ヤナーチェク:消えた男の日記
Direction musicale, piano Alain Planes
Mise en scene Claude Regy
Scenographie Daniel Jeanneteau
Costumes Isabelle Perillat
Lumiere Dominique Bruguiere
Tenor Adrian Thompson
Mezzo-soprano Hana Minutillo
Trois voix de femmes Anna-Pia Capurso Anne Horbach
Martine Gaspar
Comediens Yann Boudaud Benedicte Le Lamer
Editeur : Artia, Prague
Production du Kunsten FESTIVAL des Arts, Bruxelles, mai 2001
en coproduction avec : Culturgest, Lisbonne
La Monnaie/De Munt, Bruxelles
Les Ateliers Contemporains, Paris
Muziektheater Transparent, Anvers
T&M-Nanterre, Centre Musical National d'Orleans





クロード・レジ、その名は木下健一氏、梅本洋一氏らの記事で度々眼にしてきました。1960年代から独自の特異な演劇世界を繰り広げてきたとのことで、オペラとの関わりはシャトレでの1985年ベリオのパッサージオ、1990年のマイスタージンガー、1991年オペラ・バスティーユでのイザベル・ユペールを主役にたてたオネゲルの火刑台のジャンヌの三つくらいのようです。後二者の舞台写真をみたことがありますが、マイスタージンガーのザックスが金床を叩いて歌を邪魔する場面でしょうか、モノクロの写真で何やら大きなしゃれこうべがある。ジャンヌでは高い切り立った塔のようなものの頂上にユペールがトップレスで縛り付けられている。人によってはきっと拒絶反応を示しそうな光景でした。とにかく実物を観るのは初めてです。

しかも曲目はヤナーチェクのあの特異な連作歌曲集です。数曲だけ女性独唱、一曲だけ舞台裏からの女声三人のコーラスを伴い、半ばカンタータとも言えそうな構成を持ちます。村の働き者の青年がある日忽然と姿を消す、彼の遺品にあったこれらの詩によってその原因が明らかになるという趣向で、村にやってきたジプシーの中に一人の娘の瞳に眼を奪われ、振り返る。二人は恋仲となってやがて娘は彼の子供を産む。ジプシー達が村を去る時が来、青年は父、母、妹に悲痛な別れを告げながら住み慣れた村を去って行く。曲集のほぼ中央、娘と青年が初めて一夜を過ごす場面はピアノ独奏曲で(Interlude eroticoなどとひどい題を勝手につけているの時々眼にします。)ヤナーチェク晩年の大傑作の一つと思いますが、何せチェコ語と密接に結びついた音楽、そう演奏される機会はないでしょうが、この所、例えばミュンヘンやニューヨークで演出付きの演奏が行われているようで、ちょっとした流行でしょうか。確かフル編成のオーケストラを要するような他のオペラを演奏するよりは簡単ということでしょう。

写真は本公演とは何ら関係のない、しかしクロード・レジの他の舞台作品の宣伝用写真のようですが、ここに敢えて挙げたのは私が眼にしてきたイマージュと同質のものだからです。本年私がエクスで観た他の三公演よりもずうっと遅い22時開演、その理由は、日没の遅いエクスで完全な夕闇を求めたからに他なりません。メイン会場であるTheatre de l'Archevecheに程近い、留学生中心の講議を行っているという建物の中庭に設けられたArchevecheよりは二まわりは小さなこじんまりとした舞台です。

灰白色の床にさほど高くない同色の背面だけ、通常の位置にピアノが置かれ、上手にはには中庭に元来ある樹があります。すっかり闇に包まれ、背面がぼおっと蒼く浮かび上がった沈黙のなか、上手にゆっくりゆっくり何者か(ナレーターなのです)が歩んでくる。私たちにはシルエットとしか見えない彼は、これから歌われる詩のフランス語訳(かなり逐語的と思われました)を不思議な、抑制された抑揚のない調子で、時にどもるように語ります。このどもりはしかし、おそらく恣意的なものではない、厳密に実際に歌われる歌詞の繰り返し部分を忠実に再現していたものだと思います。このプロローグに続いて、演奏が始まる訳ですが、ピアニストのアラン・プラネス、そしてテノールのAdrian Thompsonも同様にこのやっと何かが見える程度の暗闇の中をスローモーションで歩んできて位置に付くのでした。

演奏は本当に素晴らしかった!歌、ピアノ、ソプラノ独唱(これは舞台上)、そして遠くから聞こえるソプラノ三重唱、すべて堪能しました。野外でも
聞こえてくるのは鳥のさえずりかセミの声だけ(Archevecheではブーレーズ指揮パリO.のバルトークプロがおこなわれていたというのに!)・・・
レジの作り出した空間も私には音楽に集中するのにかえって役だったように思います。三人の舞台上の演奏者の他に、男優と女優一人づつのこれまたゆっくりとした所作で近づき、振り返り、離れ、去っていく、皆、背景の蒼から赤、白色と微妙に変化する光の中で「顔」を奪われたシルエットでしかない。この二人と男女の歌手との間で計四通りの男女カップルが成立するわけです。それがゆっくりと、繰り返すように最初の二人の出会いを再現する、夢幻的なイメージ・・・プラネスはよくあの暗い中演奏ができるものだと変な話感心すらしました。晩年のリヒテルがリサイタルで使っていたような譜面台のライトを限界まで光量をおとして使用していました。

私の乏しい観劇経験で最も近い世界といえば、ロバート・ウィルソンでしょうか。むしろウィルソンもレジの多大な影響を被っているのか・・・能を連想される方もあるかと思いますが、それともかなり異質な舞台だと思います。感動しました。クロード・レジの仕事を続けて観てきた人にはどう映ったか、おそらくは彼とエクスとのぎりぎりの接点であり、その緊張がさらなる力を産むのではないでしょうか。