Report by "la lumiere des yeux"

AIX-EN-PROVENCE-FESTIVAL
D'ART LYRIQUE


エクサンプロヴァンス音楽祭


2000年
7月13日 ヤナーチェク:マクロプロス事件
7月15日 モンテヴェルディ:ウリッセの帰郷
7月17日 モーツァルト:コシ・ファン・トゥッテ
7月19日 ルネ・ヤーコブス指揮コンチェルト・ケルン演奏会
       (ヴェロニク・ジャンス独唱)
7月21日 モンテヴェルディ:ポッペアの戴冠

2001年
7月10日 ヴェルディ:フォルスタッフ
7月11日 モーツァルト:フィガロの結婚
7月12日 ヤナーチェク:消えた男の日記
7月13日 ブリテン:ねじの回転

番外編
2001年7月7日 オランジュ音楽祭におけるヴェルディ:アイーダ


2000年7月13日 ヤナーチェク:マクロプロス事件

Theatre de l'Archeveche
Sir Simon Rattle - Direction musicale
Stephane Braunschweig - Mise en scene

Collaboration aux decors - Alexandre de Dardel
Costumes - Thibault Van Craenenbroeck
Lumiere - Marion Hewlett
Emilia Marty - Anja Silja
Albert Gregor - Goran Eliasson
Vitek - Peter Hoare
Krista - Cynthia Clarey
Jaroslav Prus - Willard White
Janek - Marcel Reijans
Dr Kolenaty - Jake Gardner
Strojnik (un machiniste) - Gerard Lavalle
Poklizecka (une femme de menage) - Menai Davies
Hauk-Sendorf - Graham Clark
Komorna (une femme de chambre) - Menai Davies

Europa Chor Akademie - Choeur
City of Birmingham Symphony Orchestra
Academie Europeenne de musique - Musique de scene



エクサンプロヴァンスに行こうと決心させたプログラム。サー・サイモン・ラトル指揮バーミンガム市立O.がピットに入り、ステファーヌ・ブロンシュヴィクが演出。しかもタイトルロールをアニア・シリア! ラトルがヤナーチェクを頻繁に取り上げているのは知っていたがVPOとのシンフォニエッタをFMにて聞いた以外はディスク、実演とも未聴。ブロンシュヴィクの名は雑誌ふらんすで梅本洋一氏の演劇レポートにて知っており、バレンボイムとのフィデリオ、そしてラトルとは既にシャトレ座でのイエヌーファで共同作業を経験済みとの由。ヴィーラント・ワーグナーの時代、若くしてバイロイトにてデビューして以来、なかば伝説的とも言えそうなキャリアを誇るシリア、そのエレナ・マクロプロスには前もってグラインドボーンでの映像(アンドリュー・デイヴィス指揮、レーンホフ演出)にCSシアターテレビジョンにて触れておりました。


ヤナーチェク晩年の傑作オペラ群、一作毎に扱われる題材の多用さとしかしながらまごうことなき個性、一聴するだけでヤナーチェクとわからせる独自の語法、それらの中でも異彩を放つのがSF的ともいえるマクロプロスで、近年あちこちの劇場で採り挙げられています。個人的にこの曲には非常に愛着があって、ディスクでは定評のあるマッケラス・ゼーダーシュトレーム盤、グレゴールのプラハ盤、実演では1998年にプラハにて、また映像では前述のグラインドボーン、そしてカナダでのクロブチャール指揮のプロダクションと、どの演奏でも幕切れでは必ずと言っていい程泣いてしまう。ヤナーチェクの音楽へのアプローチを、民族的、民謡的要素を強調したローカルなタイプとより未来指向的な、現代音楽の先駆者としてのヤナーチェクを描き出すタイプとに乱暴に二大別するならば(バルトーク等にもあてはまりましょうが)、前者にはグレゴール盤、プラハでの実演、カナダでのクロブチャールの演奏、後者にはマッケラスとデイヴィスととりあえずは分類してみる。例えばティンパニの強打を伴う強烈な序曲冒頭部分の扱いにその違いはあきらかであって、前者のよりおっとりとした歩みに対し、後者のスピード感は対照的です。(ユニヴァーサルエディションのヴァーカルスコアではこの冒頭部は確かアンダンテと記されているが、まあ歩みの早さはひとそれぞれだしなあ・・・)

ではラトルは? もちろん、予想通り後者であり、今までの誰よりもそうだったと思います(ほとんど全速力で走っているような冒頭!)。緩急の差、ここぞというときの思いきったルフトパウゼ、本当に見事な、自由自在な音楽でした。ラトルの実演は初めてでしたが、素晴らしい指揮者であることを改めて認識いたしました。目も眩むような開始部分、その印象を強めたのがブロンシュヴィクの鮮やかな演出で、緞帳のように思っていた黒い幕が音楽の開始と共にそのまま奥へすうっと下がって思わぬ奥行きに吸い込まれる、さらには下手半分に移動し、上手側が下がって傾斜がつく。そしてその前面でこのオペラの前史(父マクロプロスに少女エレナが秘薬を飲まされ昏倒する)がパントマイムにて演じられます。この傾斜のついた幕、第一幕にはそのまま書類が山ほど積まれた書棚へとかわるのですが、これが魔法としか思えない。まるでヒッチコックの「北北西に進路をとれ」のオープニングです!(ブロンシュヴィクはフランスの映画誌カイエデュシネマに寄稿していたとの由、むべなるかな)



第二幕、劇場舞台裏の場面は、第一幕の舞台装置が放置された前で演じられる、第一幕そのものをエミリアの終わったばかりの公演と見立てる、なんという巧妙さ!阿呆のハウク(グラハム・クラーク!)登場では彼の後ろにだけ小さな赤い幕が移動し、スペイン風の曲調に彩りを添える。第三幕、全面鏡張りの装置が実はマジックミラー、照明によって人物が明滅する。エミリアが自分の本名はエレナ・マクロプロスと名乗る時、鏡に写る彼女にパントマイムでエレナを演じた少女の姿が重なる。終盤、エレナのモノローグに呼応して男達が「私たちは実体のない影」と歌う時、実際彼等はマジックミラー越しの映像でしかないのです。
見事な、見事な台本の読み込み、無駄のない構成力、イメージの鮮烈さ、堪能しました。ただ、一方、あまりに完成された、舞台の上で完結した閉じられた世界、ともすれば計算が鼻につくであるとか、冷たいといった評価が生じるかもしれない。その危険はしかし、アニア・シリアの圧倒的存在感によって回避されたと思います。エレナそのものとの錯覚を抱かせるような彼女なくしてはこの成功はなかったでしょう。

全てが揃った素晴らしい新演出にエクス初日から出会うことが出来て幸せでした。エクスは気候の良さも相まって、最高の印象です。このプロダクション、指揮者がエトヴェシュになりますが歌手はほぼおなじでラ・モネにも載りました。そちらのホームページでその舞台写真を見ることができます。

付記
 御存じかと思いますが、2005年からのエクスおよびザルツブルグ復活祭音楽祭共同制作のリングはこの二人の共同作業となります。大いに期待するべきです。