Kim Wilson

(2001年4月14日記)


さて、いったいアメリカ中にどれ位の数のハモニカ・プレイヤーが、存在するのでしょうか?フルタイム、パートタイム、有名、無名、音楽スタイルを問わなければ1000人や2000人はすぐでしょう。だいたい、カナダを含めた北米アメリカのどんな小さな街にもハモニカの名手と呼ばれるような人が一人や二人はいるものです。ほとんどの場合、彼らはぼくよりも10年や20年以上もキャリアのあるプレイヤーばかりです。
そう言う人達は研究熱心で、アンプや真空管、マイクにも詳しく、ぼくも演奏に行った先々でいろいろな事を教えてもらいました。きっと、ぼくが彼らよりもずっと若く見えるので親切にしてくれるのでしょう(笑)。そう言うプレイヤーと話していると必ず出てくる名前にキム・ウィルソンにロッド・ピアッツアとジェリー・ポートノイさんと言う人達がいます。「キムは何々アンプで、これこれだった。ロッドの方が何々で、こうこうだった。それから、ジェリーはこんな具合でこうなんだ。」と言う具合です(笑)。


92年頃に「タイガー・マン」のCDリリースに併せて、キム・ウィルソンさん(注1)がバディ・ガイの店に来たのを観に行ったのが最初で、以来キムさんとはもう何度も顔を合わせています。当時のキム・ウィルソンさんは、髭は無く、ストレートの長髪をポニーテールにしていてダーク・スーツをきちっと着ていました。アンプは現行のフェンダー・ベースマンにマイクがホーナー社のブルーのブルース・ブラスターでした。
メンバーは5人編成で、ギターにはジュニア・ワトソン(注2)。彼も当時はクリクリの長髪にウールのハンチング帽を被って、縁無し丸メガネに豊かな栗色の髭、ダーク系のジャケットを着ていてどこか学者風でした、彼はここ2.3年はキャン・ヒートと言う有名なブルース・ロック・バンドでリード・ギター&ボーカルを担当しているそうです。ぼくが去年ラリー・ガーナーさんのヨーロピアン・ツアーに参加して3週間ドイツを回った時、ぼくたちのバンドとキャン・ヒートは同じレーベルだった事から、その事をプロモーターの人から聞きました。
実は、去年の夏に「スモーク・ダディ」でジュニア・ワトソンさんとリンウッド・スリムさんの演奏が有ったので観に行きました。彼は現在、頭をツルツルに剃り上げて見間違える程でした(笑)。しかし、彼は他のギター・プレイヤーとは良い意味で一味違ったユニークないいプレイヤーです。何と言っていいのか?あの「突き抜け方」が何とも言えません(笑)。
キーボードには、ジーン・テイラー。彼は見た感じは現在も余り変わりは無く、キム・ウィルソン率いる、ファビュラス・サンダーバーズとキム・ウィルソン・ブルース・レビューに両方で活躍しています。
ドラマーは、ファビュラス・サンダーバーズのオリジナル・メンバーの一人のフラン・クリスチィーナ。ベースは、アップ・ライトだったのですが、誰だったのか?もう思い出せません。

その夜はCD発売のプロモーションも兼ねていたのでしょう。演奏曲はCDからの曲目が全部でした。しかし当時のぼくは、キム・ウィルソン・バンドを理解するほどの経験が無かったものですから、正直言ってキムさんに対してそんなに衝撃は覚えませんでした(笑)。それもその筈、この時期、数ヶ月間の間に西海岸ハモニカ・プレイヤー達がシカゴを出たり入ったりしていた訳ですから(笑)。派手さで言えばロッド・ピアッツァさんやウィリアム・クラークさんの方が目立ちますからね(笑)。

当時キムさんは、ファビュラス・サンダーバーズでの活動が中心で、演奏は大きな会場がほとんど。その後長い間、クラブで彼の名前を見る事はありませんでした。それが偶然、96年頃に6週間の長いロードに出た折、チャタヌーガ(テネシー州)で行われたファビュラス・サンダーバーズのコンサートで、ぼく達が前座をする事になりました。キムさんの演奏は、ほんの数曲しか聴く事が出来ませんでしたが、この日この人が「モンスター」と人に呼ばれる所以が解ったような気がしました。彼のハモニカの音には独特な「厚さ」があると思います。これが、ぼくにとって二度目のキム・ウィルソンさんで、ぼくが、彼に出会った始まりと言う事になります。
しかし、ぼくはキムさんとは縁があるのか、2ヶ月後には、今度はイギリスのリバプールでのブルース・フェスティバルで、またまたファビュラス・サンダーバーズの前座と相成りました。今回は時間もたっぷりあります。
ぼく達が演奏を終えてバック・ステージに戻ろうとすると舞台の袖でキムさんと目が合いました。彼はニコッと笑って「ヘイ、兄弟!テネシーでも一緒だったよな?良かったよ」と一言。ぼくも何か答えようと思った時には、彼はもうステージの上でした。
この夜バンドはギターにキッド・ラモスさん。彼はジェームス・ハーマンさんや他いくつかのハモニカ吹きのバンドでギターを担当してきているようです。実はこの時、初めて彼の演奏を聴きました。シカゴ辺りにはこの手のプレイヤーはあまりいません、彼の腕の太さがとても印象的でした。キーボードは前出のジーン・テイラー。リズム・セクションであるベースとドラムは、キム・ウィルソン・ブルース・レビューとは全く違う人達でした。ルックスもそうですが...(笑)。
この年、イギリスでは狂牛病が騒がれていて、普段でも余りパッとしない食事がこの頃は最悪でした。ホテルも共同トイレで部屋も狭く、きっとぼく達のような前座はファビュラス・サンダーバーズの連中とは違って待遇が悪いのだろうと思いながら朝のトイレに立ちました。すると、どうした事かトイレの前に6.7人の列が出来ています。ぼくはまだ寝ぼけ眼で前の人の顔を見ると、どうやらキムさんのようでした、みんなトイレの順番を待っているのです(笑)。どうやら、ぼく達だけでは無かったようです(笑)。

前回、キム・ウィルソンさんがシカゴに来た時にぼくが観に行ったのは、例の「スモーク・ダディ」でした。狭い店の中は大入り満杯で、ミュージシャンは皆、店の外で夕涼みしていました。キム・ウィルソンさんは、前夜ファビュラス・サンダーバーズとして「HOUSE OF BLUES」に出演していて、今日はシカゴで旅の垢を落とすついでにキムさんだけがシカゴの連中をバックにしての演奏です。キムさんは、いつも古いアンプを愛用しています。その夜は50年代物のギブソン15インチ・スピーカー一発。恐らく40ワット位でしょう。ぼくはこんなアンプをステージで使用しているプレイヤーを他に見た事がありませんが、一体何と言うアンプなのでしょうか?それから、マイクもやはり古そうですが、50年代物のターナー社のマイクに似ています。
曲目は、リトル・ウォルター、ジミー・ロジャース他のトラディショナル・シカゴ・ブルースと数曲のオリジナル曲と言う構成でした。この3.4年の間、キムさんはよくコンサートの合間を縫ってシカゴへ一人で演奏に来ます。ほとんどが上のような感じで最終的にはキムさんを中心に後ろが入れ替わると言うジャム・セッションになる場合が多いようです。しかし、こう言う時のキムさんのハモニカは一流です。ぼくもいろいろ観てきましたが、数あるハモニカ・プレイヤーでもこの人ぐらいトラディショナル・ブルースを理解してプレイしているプレイヤーも少ないと思います。
この夜は、前夜ビリー・フリンさんを従えて「フェイマス・デイブ」で演奏していた東海岸ハモニカ・プレイヤーの大御所、ジェリー・ポートノイさんも登場。ファビュラス・サンダーバーズのキッド・ラモスさん、ジーン・テイラーさん、それからシカゴのデイブ・ウォールドマンさんも交えた東西激突ハモニカ・ソロ大会となり一段と盛り上がりました。この3人が一列にならんで一つのマイクを手渡し合ってソロを演奏して行くのです。しかし、こんな光景が観られるのもシカゴならではと言えるかもしれません。


帰り間際に、キムさんが剃り上げた頭に手をやりながら「最近調子はどうだい?兄弟。ブリテン以来だな?お前の名前は思い出せないけど、日本人のハモニカ吹きと言えばお前以外に俺は知らないからな(笑)」と話しかけてきました。ぼくが「この後カナダに出発するそうですが、キムさんの方は、大忙しでしょう?こんな小さな店でも演奏する事があるんですか?もうこの店で演奏するのは、去年の冬以来3度目ですよね?確か。」と聞くと、「聴いてくれる人がいれば場所なんてどこでもいいんだ」と答えていました。
そうこう話をしながら、キムさんが自分の機材類を片付けるのを何となく見ていると、見た感じはごく普通のマリンバンドとクロマチック・ハープなのですが、どこか市販されている物とは違う事に気が付きました。
「キムさん。あなたの使用しているハモニカはどれも見慣れた物に見えますが、どうやらぼくの知っているマリンバンドとは少し違うようですが、一体これは何なのですか?」「ああ、これかい?こいつはダブル・リードだ。このクロマチックもそうさ。俺は気分でダブル・リードとシングル・リード(市販のハモニカ)を使い分けているんだ。ほら、音の大きさが違うだろ。ダブルの方が音がデカイだろ(ぼくの目の前で試して見せながら)。詳しい事が知りたいならジョー・フリスコ(注3)に聞くんだな。しかし、値段は半端じゃないぜ(笑)」「マイクもいろいろ、お持ちなんですね」キムさんは嫌がりもせずに「そうさ。場所によって音が変わるから、俺も場所によってマイクやアンプを変えてるんだ」

最後に西海岸を演奏で回っている時に、こんな話を聞きました。「お前、知ってるかい?キム・ウィルソンってハモニカ吹きを?あいつは、まだバンドのサウンド・チェックも始まらない昼の日中に一人でアンプを3台も4台もステージに持ち込んで、一時間もかけてそのアンプを鳴らすんだ。それで俺が、どうしたんだい?と訊くと、今夜演奏で使うアンプをどれにするか決めているところだと言っていたよ(笑)。あんたもハモニカ吹きだろ?あんたは、何台アンプを持って来たんだい(笑)?」と、こんな冗談を言われた事がありました。ぼくもいつか何台も自分のアンプを持って演奏に行きたいものです(笑)。


江戸川スリムのお節介注釈

(注1) Kim Wilson

1951年1月6日、デトロイト生まれのハーモニカ・プレイヤー/ソングライター/ヴォーカリスト。
生まれてすぐにカリフォルニアに移り、ポピュラー・シンガーとして活躍していた父親の影響で、トロンボーンやギターを手にするようになる。高校生の時にブルースと出会い、ハーモニカに転向。持って生まれた才能のためか、それをすぐにマスターしてしまったという。
大学をドロップアウトした彼は、ヒッピーの生活をしながらベイ・エリアのブルース・マンとクラブでの演奏を繰り返していた。
1970年代の中頃、テキサス州オースティンに移り住んだ彼は、1974年にジミー・ヴォーンと共にファビラス・サンダーバーズを結成。この地に巡業に来るビッグ・ネームのバックアップ・ミュージシャンをしながら、多くのことを学んでいく。特に影響を受けたのがマディ・ウォーターズだったとのことである。
そのサンダーバーズは、1979年にアルバム・デビュー。「Tuff Enuff」の大成功以降の活躍振りは、皆さんご存じの通りだ。今日までに、ファビラス・サンダーバーズ名義で14枚、自己名義で3枚のアルバムを発表している。
私自身は、彼のことをハーピストと言うより「ブルースも好きなロックのヴォーカリスト」として認識していたが、アントンズから1990年に発売されたジミー・ロジャースの「Ludella」での彼のプレイを聴いて驚いた想い出がある。ブッ太い音色に、多彩なフレーズ。シカゴ・ブルースに対する愛情がヒシヒシと伝わる名演であった。
なお、一部で噂になった金日成(キム・イルソン)とは別人である。

Tiger Man
(Antone's ANT-0023)

That's Life
(Antone's ANT-0034)

My Blues
(Blue Collar BCM-7107)

(注2) Junior Watson

西海岸の敏腕ギタリスト。1994年の「Long Overdue」(Black Top CD BT-1099)が唯一の自己名義アルバムだが、その他に多くのミュージシャンのアルバムに参加している。
1970年代の始めに、ゲイリー・スミスのバンドに参加したのを皮切りに、ロッド・ピアツァやウィリアム・クラークなど、西海岸のブルース・マンのほとんどと関わりを持っていると言っても過言ではないだろう。
最近は、キャンドヒートの一員として活躍していることは文中にあった通り。

(注3) Joe Filisko

有名なハーモニカ・クラフト・マンで、プレイヤー/ハーモニカ教師でもある。このページの一番下に彼の写真が載っている。


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