傀儡 (くぐつ) のよしなしごと 66 [ 2008年4月 ]



Last Blues in Paris
Photo by Harlan Lee Terson

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2008年4月1日(火曜日)

ロブとハウス・オブ・ブルース。キッチンから$15以内の料理を賄(まかな)いで頼めるので、いつものキャットフィッシュ・チップス&サツマイモのフライをお持ち帰り。

1988年のオーティス・ラッシュ・ヨーロッパツアーのメンバーだったベースのハーレンから、スキャンされた写真がメールで送られてきていた。 

エッフェル塔を背景に、セーヌの川岸にポーズする20年前の小僧がいた。この日は休館日とも知らずルーブル美術館まで歩いて出掛け、がっかりしたのを覚えている。手には人から頼まれたエルメスの土産袋。こんなオノボリさんの若造が、天下のオーティス・ラッシュのピアニストとして、同じステージで演奏していた光景を想像すると恥ずかしい。

イタリアのサレルノの教会前の大ステージでは、ストックホルムからの移動中、航空会社のストで遅れたオレたちに代わって、スティーヴィ・レイボーンが先に演奏していた。シシリー島の浜辺の野外ステージや、サッカー場のステージでは、疲れたオーティスに頼まれ、オレが彼のギターを弾いてサウンド・チェックをした。オランダのノースシー・ジャズフェスティバルでは、宿舎のレストランでトランペットのディジー・ガレスビーと同席した。「空腹の胃痛」に牛乳を求めたオレを、パリの夜の下町の、下着姿の女性たちがたむろする一角を、ルーサー・アリソン本人が案内してくれた。ノルウェーでは記者会見の壇上に臨席し質問も受けた。北欧の夜行列車の個室コンパートメントでは、ほぼ白夜の風景を寝ずに眺めていた。

ビザの関係でツアー後は十数年を日本で活動し、今またシカゴで暮らしている。来し方を次々に思い浮かべながら、一枚の色あせた写真が、切り取られた時空の彼方へとオレを誘(いざな)う。アメリカを追いやられたまま、まだ日本で悶々と暮らしている時にこの写真を見たら、きっと涙したかも知れない。連綿と続けここに至ることの出来た僥倖を感謝するとともに、ただ懐かしく思えることを誇りに思う。


2008年4月3日(木曜日)

ロザへの出勤途中の高速の乗り口。路肩に停まった車は故障車なのか、傍らに立っていた黒人女性が手を振りオレの車を止めた。助手席の窓を開けると彼女が一気に捲し立てる。

「イリノイのどこそこまで帰らなきゃ行けないんだけど、ガソリンがないの。幼い子供も一緒なのよ、お願いだから$20貸してくれない?アナタの住所を教えてくれればお金は送るから」

彼女の車の後部座席では、7歳くらいの少女が弟を抱いて、無邪気な笑顔をこちらへ向けている。ああ・・・もうすぐ午後9時になろうとするのに、遠い地でさまよう子供の不幸は、子を持つ身としては人ごとではない・・・って、おい!この辺りにガソリンスタンドなんてないし、都合良く高速の乗り口でガソリン切れになるかぁ?本当にそうだとしたら、ガソリンの残量を確認せず、高速に入ろうとすること自体おかしいでしょうがぁ。大体、車の位置は、本線へ引き込むカーブの中程。金を得たとしてどうするつもりなん?とか、一瞬で色々考えたけれど、アカンがな、子供の顔を見たら。 

ズボンのポケットから裸の金を取り出すと、小額紙幣は$1札が2枚しかなかった。半分嘘と分かっていて$20を渡すのは癪だったので、$2を差し出す。オレの後ろにつかえ始めた別の車にも頼めばいい。

何か施しがあると知って手ぐすね引いていた彼女は、金を受け取ると、心のこもらない礼をひと言述べ札を見やる。そしてその額に気付くと突然腕を振り上げて怒った。

「あたしが言ったのは$20よ!$2じゃないわっ!」

いや、逆切れされても・・・。


2008年4月12日(土曜日)

SOBでローザス、そして雪・・・。


2008年4月13日(日曜日)

ビリーが単独でミシシッピー出張するこの10日余り、「暇じゃぁー」と言い触らした営業のお陰もあって、月、木のレギュラー演奏以外に、4ユニットから6 本の施しを受けた。ありがたや、ありがたや。 

女性ボーカルのDが本格的なジャズの仕事をくれたのは先週。渡されたリストには全く知らないものが8曲もあって、ここ数日、マックで"Youtube"から音源を拾い予習に余念がなかった。Dのバックはオレを中心としたピアノ・トリオなので、会ったこともないベースやドラムの人に蔑まれないよう、耳で採譜出来なかった分は同胞ピアニストのTに頭を下げ用意していたのに・・・。

先週の月曜日、重さ25キロ程のキーボードを妙な体勢で持ち上げた際、人生三度目のぎっくり腰になり、痛みはまだ残っている。小金持のパーティなので、アパートの2階が現場だと聞いていたが、実際は3階で腰が少し退けた。エレベーターのないビルと分かって、再び腰がぐっと折れると、主催者側の助けがあったにもかかわらず、35キロのスピーカーを始め、機材を運びセットし終えた時には、座っているだけで患部がジンジンし始める。

初めてのリズム隊は良い人たちだったが、懸命に譜面を見つめるオレを尻目に、肝心のDが原曲通りのメロディや進行で唄えず、ちぐはぐなことこの上ない。だからオレの頭上には、ずっと「???」のマークが灯っていたはずなのに、50人限定の、満員の人々の拍手の強さに戸惑う。

えっ、ジャズってこんなんでエエんか?いや、違うやろ、と思いながらも、休憩中にオレのCDを問い合わせる人の多さに驚いた。FM局のジャズ番組のDJ は、「お前のCDならいつでも流してやるのに、持って来てないってどういうことだ」と叱られる。ソロCDの「ピアノ・ブルー」は日本でさえ入手困難だと伝え聞いてるので、とか説明するのも面倒で、スミマセンとしか応える他ない。

Dは「今日の演奏が気に入られたら、来週の日曜日も頼まれるはずよ」と耳打ちしていた。そしてオールド・ジャズファンの主催者は、「来週も頼む」ときっぱり言った。ハードルが低い!


2008年4月20日(日曜日)

腰の痛みもようやく静まって、先週に引き続きジャズ演奏。

黒人女性ボーカルのDは会うなり、「ちょっと曲の打ち合わせをしたいんだけど」と殊勝なことを言った。「先週はごめんね、初めて唄う曲が多かったから」・・・おばはん、ちゃんと練習してこいや。


2008年4月22日(火曜日)

この時期の納税申告で還付金を受け取る恩恵は、貧乏人の方が圧倒的に大きい。天引きや源泉徴収からの差額のみで確定される日本とは違い、アメリカでは家族構成に因る控除額が、そのまま還付の対象となるらしい。だから課税所得に満たなくても子沢山なら、数千ドルの還付金を受け取ることが出来るのだ。

申告の度に納税していた非移民ビザの身分から移民ビザに替わった途端、そして希美人様のお陰で、去年の申告から我が一家は、大いなる恩恵を受ける立場となっている。

だから久し振りの完全休日に、家族3人でブルック・フィールドの動物園へ行った。安ぅ・・・。


2008年4月29日(火曜日)

一昨日まで最高気温が25℃にもなったのに、今晩は0℃のシカゴ。

アメリカ内陸部の二季には慣れているので、明日雪になったとしても驚きはしないが、喫煙のため窓を開けたときに、たまたま暖房が切れている(全館自動制御)と辛い。

この時期がシカゴの古いアパートは一番寒い。