傀儡 (くぐつ) のよしなしごと 57 [ 2007年7月 ]


Chicago Blues Fes. Ariyo Solo
Photo by Charles Izenstark

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2007年7月2日(月曜日)

人生の大台を迎えた今年の誕生日、電話口では威厳のある崇高な声が響いていた。『Happy Birthday』不覚にも最初誰だか分からず戸惑っていると、その主は聞こえなかったと勘違いしたのか、もう一度はっきりした口調で言った。
『Happy Birthday,Ariyo』

オレが20数年前にブルースのメッカであるシカゴへ来たのは、「ブルース三昧」が目的だった。それを生業(なりわい)にしようとする誇大妄想もなく、ただ本場でブルースに浸りたかった。その主要なひとつが、この人の演奏を堪能したいことだったのに、同じステージに立ち、ヨーロッパにまで同行させてもらえるとは願望の域を遥かに超えている。

人生の節目の日に忘れえぬ記念となった祝いの電話は、もちろん彼の奥様の配慮に違いない。世界中のオーティス・ラッシュファンのひとりとして、自宅療養中の彼の早い復帰を望んでいるが、その言葉はオレだけに向けられている。短いひと言だったが、幸せにしてくれる言葉だった。


2007年7月6日(金曜日)

かりふぉるにあへの出張の途中、途中といっても、まだウチを出たばかりの道の真ん中にそれは落ちていた。

早朝の5時前で辺りはまだ暗く、初めは服か何かの布切れかと思った。それが微かに動いても風の仕業だと思い込んで、回避する心構えにはならない。直前に在る交差点を黄信号で通過するためにアクセルを踏み込む。そして布切れが目の前に迫ってくると、突然タヌキに化けやがった。タヌキは車のヘッドライトに仰天し、まず左へ走りかけ躊躇して右に身体を捻ると、そのまま元の状態に踞(うずくま)った。

オレは一瞬でバックミラーを見て後続車との車間距離を測ると、急ブレーキを踏むのを諦め、それでも追突されないように減速する。それでようやくタヌキを車体の丁度真ん中ほどで捉え、ホッとしたのも束の間、いや、束の間というには短か過ぎるが、こんなときの人間の脳の動きは尋常ではない早さなので、そう感じるのであろう、実際に速度は時速40キロ近くまで落ちていて、左右前輪の間にその姿が消え去り(ああ、タイヤで轢かずに済んで良かった、今までそんな経験はないからな、とにかく安心安心、タバコでも吸うか)と思って、胸ポケットに伸ばせと腕の神経に脳が命令して指がハンドルから離れようとした「時」、車体後部のガソリンタンクの底部で、ボゴンっという重く嫌な音を感じた。

タヌキにしてみれば、黒い大きな影が自分を襲って来て、どちらに逃げてもさらわれると悟って観念したものの、二つの目が過ぎ去って、恐る恐る自分の目を開けてみれば、騒がしく不気味な音はすれど闇があるのみで痛みは感じない、一体どうなっているのだと頭を上げてみた、ということに違いない。

こんな時間に結構な車の量だが、こんな時間だからこそスピードが出せる。車載ミラーに溢れる光に追い立てられ、その後のタヌキの消息を確かめるすべもなく、カリフォルニア・ツアーというバカンス気分の沈鬱した轢き逃げ犯のオレは、サウス・サイドに在るローカル航空会社専門のミッドウエイ・エアポートへと向かった。

ビリーと会うなり早朝過ぎる便への不満を言ってから朝の挨拶をした後、タヌキの件を話す。彼は顔をしかめて気持ち悪い素振りを見せ、それから気を取り直すと冗談で応えた。

『サウス・サイドのタヌキでなくて良かったな、サウスのタヌキだと・・・』

(自分の飼っていたタヌキだと難癖を付けて金をせびりにくる輩がいる)と言いたいのだろうが、憚(はばか)られたのか語尾を濁した。オレはビリーの気持ちを察して付け加えてやった。

『あのタヌキの兄弟や親戚とか名乗るんでしょ』

大将が吹き出した。

『亭主が、あいつは身籠っていたから、二人分の賠償金を払えって。ウチの近所で良かったですよ』

ビリーの笑いは止まらなくなっていた。大きなスーツケースを運びながら、『身籠ってたってか』とまだ背中をひくひく動かせている彼を見ていると、きっとタヌキは無事だったと思えてくる。やがてオレの気分は、カリフォルニア仕様へと戻っていった。


2007年7月8日(日曜日)

金曜日の午後1時前には、「ベイエリア・ブルースフェス」のあるオーランド近郊の瀟酒なホテルにチェックインしていた。

メンバーの各部屋に備え付けられたコーヒーパックを毎日集めては、また、お掃除係にチップを渡しては手に入れて、濃ぉいコーヒーを作り、コンビニで買った牛乳を加えて自家製オーレを冷蔵庫に蓄える。iPodの欠かせないプールサイドを読書・喫煙所に真っ青な空の下、パームツリーの向こうから降り注ぐ南国の陽に疲れたら、部屋に戻りシャワーを浴びて仮眠、近所をブラツイてはプールサイドへ、シャワー・温浴へと、バカンスの疑似体験、もしくは予行を楽しむ。

演奏は土曜日の午後のみ。といっても、ルリー・ベル、カール・ウエザースビー(SOBギターを兼務)、ビッグタイム・サラ、テール・ドラッガーをSOBでサポートするため、延べ3時間半の演奏は楽しくも長かった。但し、日当は倍付けね。

その夜は、出演者でもあったパイントップ・パーキンスの93歳の誕生日を祝う催しがホテルのコンコースでおこなわる。

各階にあるランドリーで洗濯をするために一旦部屋へ戻ったモーズが、フロントに姿を見せた。2枚貰ったカードキーの一枚が不具合で使えず、本人は気をつけていたにもかかわらず悪い方のカードを持ってランドリーへ行ったために、閉め出されたと言う。えへらへらとした口調とは逆に、着ていたもののほとんどを洗濯機に放り込んだ彼の格好は、黒地に赤いハートがちりばめられたボックス型パンツに白い靴下のみ。レセプションで賑わう人や宿泊客などから大笑いされながらも、堂々と去っていったモーズがカッコ良く見えた。

そしてシカゴへ戻る本日、飛行機の時間は午後11時55分。ホテルのチェックアウトは午後9時半と、今日も丸一日がバケーション日。ホテルのプールサイドでは延べ何時間を過ごしただろう、アイス・オーレは何杯飲んだだろう、かりふぉるにあを楽しむ。


2007年7月22日(日曜日)

昨夜はオーティス・ラッシュ夫人のマサキさんに、日本の居酒屋さんでごちそうになる。誕生日を祝ってもらったのだが、こちらの都合に合わせてもらって日程が随分ずれてしまった。素敵なプレゼントをオーティスと連名で頂き恐縮する。グラフィック・デザイナー兼ハーピストのK夫妻も同席。

今日は夕刻より、ネイビー・ピアーで催されているリン・ジョーダンを家族で鑑賞。ドラムのブレディの華麗な腕振りを久し振りに堪能する。休憩中にブレディがオレたちの席に来ると、自分がミュージシャンなのにもかかわらず、周囲からの目を感じてちょっといい気分。ふむ、オレの知り合いたちはそんな気持ちでいられるのだなと、妙な発見をした。

忙しくなくて人の演奏を観に行くのは苦痛だが、相変わらずローカルの売れっ子で通っているため、休日を有意義に過ごしたという満足感が嬉しい。但し、屋外ライブは無料でも駐車料金が$23だったのは苦痛。


2007年7月30日(月曜日.07)

それほど暑くない陽が傾き始めた午後の6時半より、グラント・パーク北側のミレニアム・パークで、"Blues Hip Hop Experience"(2007年2月23日参照)のイベント。4.000席のシートの半数とまではいかなかったが、それほど寂しくならない程度には人が入って、そこそこに盛り上がる。

「地球の歩き方・シカゴ編」改訂の取材のためにYさんが来駕されていて、もうすぐ日本へ帰ってしまう看護師のCちゃんと共に、夜はアーティスへお連れする。夕方のイベントからヒップホップの連中たちも合流して、賑やかな店内となった。 

珍しい黒人クラブと生演奏にYさんは満足のご様子。『カッコいいですね』と率直に言われ、少し恥ずかしいが、シカゴを紹介する立場の人に褒められると嬉しい。

大した活動もしていないのに、まだ載せてもらってるのかと言われないよう、というよりも、一度載ってしまったからには降ろされないよう、これからも頑張ろぉっと。