傀儡 (くぐつ) のよしなしごと 56 [ 2007年6月 ]


THE BLUES
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2007年6月1日(金曜日)

ミシガン州のジャクソン・ブルース・フェスティバルにSOBで出演。

小さな空港横の広場の芝生に敷設された野外ステージ。ずらりと並んだ大型バイクにGジャン・旧型ヤンキーの人々の姿が目に付くと思ったら、会場警備はヘルス・エンジェルスの地元支部の方々だった。といっても皆さんお年を召されていて、今は優しいバイカーにしか見えない。

スーパーサブのギタリスト、ジャイルズがお休みのため、最近 "Roy Hytower"から改名した "Doktu Rhute Muuzic" が帯同した。新しい名が血族やアフリカに由来するとしても、「ドクタ・ルーツ・ミュージック」と「ブルース」にこじつけているのが可愛らしい。ちゃんと市役所で何十ドルだかを支払って正式に改名したそうだが、牛乳やバター、卵なども含め、一切の動物性のものを食しない"Vegan" と呼ばれる極端な菜食主義と合わせ、彼の一徹さは尋常でない。

その頑固なルーツにオープニングのインスト曲を教えるも、本番では結局「ストレート」に押し切られ、モーズが唄う2曲目のピアノソロの最中に突然オレの音が止んだ。小さなフェスティバルなので自分の機材を持ち込んでいて、調子の悪かったアンプにいよいよ不具合が生じたかと思ったが、キーボードから表のPAにDI経由で音は流れているはずだから演奏自体を中断するわけにもいかず、モニターからは無音でソロを終える。ところが直ぐにサウンドマンが飛んできた。どうやら表の音も消えてしまっていたらしい。

ケーブルやDI、配線を替えたりと、関係者たちやオレがどれほどの時間ステージで狼狽えていたかは分からない。最終的に前座で出ていたバンドの親切な若者が自分のキーボードを持って来て取り替えてくれた。そしてSOBと再びオレの音が合流した時には、既に最後の曲となっていた。

日本人のオレとしては申し訳ない気持ちで一杯なのだが、みんなは誰の責任でもないといった態(てい)で、大将などは『アリヨには一曲○×ドルのギャラを払おう、それで今日は何曲演奏した?』と笑っている。そして真顔になるとアンプやキーボードの今後を気遣ってくれた。ベースのニックが、修理するか新しいのを調達するまで自分の予備のアンプを使えと言えば、ビリーはボ・ディドリーがくれたキーボード専用アンプ(15インチのスピーカー付)があるぞと対抗した。

さっぱりと割り切ったアメリカ人の良い面に感謝する。


2007年6月2日(土曜日)

ダウンタウンの教会で何かのチャリティをビリーたちと。

明け方にシカゴへ戻って昼まで仮眠し、早速キーボードの手配。アンプは結局ニックの世話になり、キーボードはオレの元生徒K子の88鍵を借りた。K子のモノはオルガン系やブラス系など使える音源がしっかりしていて、その分、重たいので持ち運びに難儀する。元生徒の分際でオレのよりも高価なものを持っている、というよりは、生活をさせてもらっている割に安物を使っている己が情けない。「弘法筆を択ばず」も貧乏性を変えられないのが本音なのだろう。やはり腕があって筆も良ければそれに越したことはない。


2007年6月3日(日曜日)

ビリーの頑張りで、ブルフェスに向けてのリハーサルが増える。あれだけ頼まれていた(2007年3月10日参照)のに時間が合わず、というよりもオレが腰を上げなかったら、ほとんど彼ひとりでサポートの人選・選曲・ゲスト順などの下準備を終えていた。結局オレがしたことといえば、単純で簡単な技術的助言に過ぎない。

希美人の緊急ベビーシッターCちゃんを連れて昼過ぎにはビリー宅へ。

日曜日はウチの奥様が不在なので、オレは常人の夜勤の如く早くに起きて子守りをしているが、ブルフェス前の大切なリハを飛ばすわけにはいかない。京都から短期語学留学にシカゴへ来ている看護士のCちゃんを頼った。人見知りの激しい坊っちゃんも、さすがにCちゃんには懐く。ありがたや、ありがたや。

今日は「SOB結成30周年記念元メンバー大集合」に登場するゲストのためのリハなので、スタジオと化した半地下で待っていると、日本公演を終えたばかりのカルロス・ジョンソン、夏に日本公演を控えたルリー・ベル、巨体のJ.W.ウイリアムスに体調の戻ったカール・ウエザースビーなどが続々と降りて来た。ウイリー・ディクソンの次男、フレディ・ディクソンとみんなは久し振りらしく、和やかな雰囲気に笑いが絶えない。

リハが始まると、さすがにビリーもそれぞれの持ち曲に口を挟む余地はなく、オレとて流れのままに自然とまとまっていく様が、共に演奏していて楽しい。ふと気が付くと、ほとんどのメンバーは「ジャパン・ブルース・カーニバル」の出演者ではないのか?そして我が総大将のみがまだ出演していない。ギター人気のブルース界ではあるが、これら元メンバーの中堅・大御所をまとめ、仕切るビリーを支えながらフェスを成功させ、何とか日本ブルース界最高峰の舞台へ立たせたいものである。

さてCちゃんがシカゴ留学を選んだのはブルース三昧するためらしいが、名前と顔が一致するほど業界に詳しいわけではない。希美人を連れた帰路、思い付いたように尋ねてきた。

『リビングにいたら、いろんな人が自己紹介して丁寧に握手してきたんですが、発音がわからなくて。一体どういう人達だったんですか?』
『だれそれにかれそれにこれそれ』
『えっ、その人達の名前、みんな聞いたことある!』

普段「ジャパン・ブルース・カーニバル」では客席からでしか観られない人々を、間近に、それも相手から握手を求められて、彼女はただニコニコと対応していた様子が窺える。但し、希美人をあやす彼女がオレの奥様か愛人かを計りかねて、みんな馬鹿丁寧な挨拶になっていたことをCちゃんは知らない。


2007年6月8日(金曜日)

シカゴ・ブルースフェスティバル本番当日。快晴。

午後一時半、自分のソロ会場であるルイジアナ・ステージのセキュリティでチェックイン。ステージ・マネージャーと簡単な打ち合わせのあと、SOBのサウンド・チェックのためメイン会場へ。楽屋入り口で再びメイン出演者用のチェックイン。左手にはパスの印である色違いの細いベルトが二つも付けられてしまった。不細工で窮屈なことこの上なし。腕時計や指輪など、腕も含む手に物を付けてピアノを演奏している人の気が知れない。何も身に付けず素っ裸になって演奏したいほどなのに、今日は二重に手枷をはめられたようで、しばし落ち込む。

ベースとドラムの入りが遅れていて全体の音出しができない。SOBに割り当てられたサウンドチェックの時間は90分もあるので、みんなのんびりしているが、自分の出演時間が迫っているオレは落ち着かない。

高価なグランド・ピアノ(スタインウエイのセミコン)が据えられていてかなり迷った。サウンドマンがいくら大丈夫だと言っても、長い経験上、このステージとこのバンドでは、生ピアノよりもデジタル・ピアノの方が音量的に無難なのを知っている。自分が主役ならば、生ピアノの音作りに時間も掛けられるが、末席の身には望むべくもなし。それでも、楽器屋さん並に取り揃えられているキーボード類から好きな物を選べるのは、大きなフェスティバルならでは。ピアノ音源に定評のある"Kurzweil"に決める。

広いステージ上を関係者が入り乱れる中、コーラスのメイが『アリヨ、これとこれのコーラス・ラインのチェックするから手伝って』と伴奏を求めてきた。彼女はアレサ・フランクリンのシカゴクルーのひとりで今回のコーラス隊3人のリーダー。舞台の上手では、タイロン・デイビスやオーティス・クレイなどのサポートで名の知れる4人の管楽器奏者が音合わせをしている。

SOB結成30周年を記念するに相応しい編成は、歴代メンバー(2007年6月3日参照)他、ウイリー・ディクソンやキャリー・ベルの子息からも多数のゲストが参加する、総勢20名を超える大所帯となった。今日という日は、その全てを仕切るビリーの力量が試される日でもあるのだ。

キーボードのチェックだけを済ませると足早に移動。昨夜慌てて曲順を書き留めたが、大体の演目は前から決めている。前半は演り慣れたオーソドックな曲、後半に(ジャズっぽかったりゴスペル風だったりの)少し色の違うモノを取り揃えていた。知り合いや雑誌記者などの訪問をできるだけ断り、ルイジアナ・ステージ裏のテントに待機しながら、頭の中でこれからの一時間をざっとなぞる。

重いリズムビートに混じって、微かにビリーのハーモニカが聴こえてくる。ああ、メイン会場の全体のサウンド・チェックが始まったんだな。コーラスのはまり具合が最高。ホーン隊の4人は、しっかりツボを心得ている。このギターはカルロス。今晩はあそこにオレが居て鍵盤を叩くのだ。そして一瞬まどろむ・・・。

『あと5分です』ステージ・マネージャーの声で覚醒した。

両手で頬をパンパンとはたくとテントの外へ出た。初夏の日差しにグラント・パークの豊かな樹木の緑が鮮やかに映えている。やがて自分だけのステージへの階段を上ると、瞳だけを廻(めぐ)らせてピアノ越しの青葉を追った。目が和み心の焦点が定まっていく。場所は違ったが、一昨年のジャズフェスのソロ演奏時も木々を見つめていたことを思い出していた。

そしてオレは最初の音を奏でるため、右手の親指を静かに差し出した。


2007年6月9日(土曜日)

バディ・ガイズ・レジェンズはブルフェスの客たちで溢れ返っていた。お前観たぞ、良かったぞ、凄かったなという人が多い。自分の単独演奏の方はともかく、メイン会場でのセットは、オレでさえ客席で聴きたいほどの陣容だった。

結局ビリーは、選曲からリハーサルの設定、当日の進行までのほとんどをひとりでこなし、オレは問われるままに思い付いた意見を言ったに過ぎない。大将、やれば出来る!

「アリヨ・ソロ」はといえば、最初の30分で燃え尽きてしまった。

他ステージの取材から流れて来たカメラマンの一群に一時(いっとき)でも囲まれ、ちょっとしたスター気分に浸りながら演奏できたし、手持ちのCDも完売した。ファンの方からは、「最初から最後まで、観客をぐーっと惹きつけるソロ演奏、1時間があっという間でした」というメールまで頂いた。

確かに過去2度(ブルフェス、ジャズフェス)のソロと比べて時間的余裕もあり、前半は弾き慣れた曲を、楽しみながらゆったりと演奏していた。ところが次第に熱くなって叩き始めると、アップライト・ピアノの鍵盤の底の浅さに負けて握力を失っていき、最後はサステイン・ペダルに頼りぱなしという醜態を隠すのに必死だったのだ。

忙しかったというのは言い訳にならない。一時間を走り切るための準備が万全でなかったことは、特に新曲の弾き込みが充分でなかったことは、自分自身が一番良く知っている。

生ピアノに触って練習したのは、前日のロザの客入れまでの20分のみ。韓国製だが、グランドピアノの重たい鍵盤でも、細かいフレーズが指に付いて音の粒を揃えていた。そのまま録音したくなるほど、オレはこんなに上手だったのかと勘違いした20分間だった。それなのに結局本番で発揮出来ないのが情けない。

技術以前の問題なのは薄々感じている。元来のせっかちな性格が、聴衆や時間を気にして音に表れるときも多い。しかし、どんな条件でも胸の張れる曲をいくつか持っている。そこを伸ばす、増やす日常の努力を怠っていることは間違いない。

今晩のSOBの前座だったカルロスへの、観客の拍手の力強さは納得できる。体調や気分でムラのあった彼も、ここ数年、言わせてもらえれば、オレがABC企画を仕上げた頃から安定した力を見せている。その要因がどこにあるかは別として、またミュージシャンとしての次元は比較対象外として、情念を音に昇華させているかに見えるカルロスが、純粋に羨ましい。

将来の自分に、ソロ演奏の比重をどれほど置くべきかと考えたことはない。バンド仕事に手一杯で、ソロを磨く場(ピアノバーなど)を模索する時間がないのは事実だが、日常に流されて気持ちさえ向かなかった。

次回のソロがフェスとは限らないが、自分が進化していることを自分に証明したいと願っている。


2007年6月13日(水曜日)

単独でメキシコ行(こう)のビリーが不在のジェネシス。先々月からレギュラーゲストとなったネリル・トラヴィスのみが頼り。

一セット目が終わるとドラムのモーズは急に立ち上がり、真後ろの壁に向かって小刻みに頭を振り始めた。そしてひとり言。

『おお!見付けたぞ、この野郎。さっきからオレの顔の周りをちょろちょろしやがって』

胴体は小さいのにやたら足が細長い体長8センチ程の羽虫が、ゆっくりと宙を漂っている。モーズは手にしたタオルをひと振りふた振りするが、羽虫には当たらない。その光景を正面から眺めていたオレからは、タオルの先端が、羽虫まで丁度10センチ足らないのが良く分かった。きっと羽虫には、自分が襲われていることさえ理解できない距離だったろう。

苛立った彼はムキになり、次々と矢を放つ。ようやく何度目かの風圧で揚力を失った羽虫は、真っ逆さまに下へと落ちた。モーズは戦果を自分自身に誇示すると、よく剃り上げた頭をタオルで拭った。

ドラムセットの横には、そのケースやバックなどが置かれている。壁と大きなバックの隙間を覗くと、かの羽虫は無傷で休んでいた。やがて二セット目が始まると、再びモーズの頭上には、ぶれた線のような羽虫の泳ぐ姿があった。


2007年6月15日(金曜日)

東京よりハープの西村ヒロ御夫妻が来駕。「マイルドセブン・オリジナル10」などを土産に頂く。ミツワではカートンが/10.000以上なので、タバコ代節約に大貢献。といっても普段は仕方なしにマルボロ・ライトを買うが、それでも/4.500はするので、好みの銘柄と共に大助かりである。

夜、御夫妻をローザス・ラウンジへお招きし、最後のセットでヒロ氏を引っ張りだす。実績を感じさせる演奏は、最初の一音でみんなを引き付けた。さすがのジェームス・ウイラーも「あれは何者じゃ?」と尋ねること頻り。木曜のセッションに来る、たまの日本人も含めたジャマーとの格の違いを披露してくれてオレも鼻が高い。

ここで告知です

ハウス・オブ・ブルースなどで私に仕事をくれている、ハーモニカのロブ・ストーンの日本ツアーが決まりました。リトル・ウォルターなどのオーソドックスな伝統の音を追求する高校の歴史教師で、8月6日におこなわれる広島の平和祈念式典視察という、いまだに原爆投下を正当化するアメリカ人にとっては希有な人物です。出張に便乗したライブなので、お気軽にお越し下さいませ。

・8/6(月)

PEACE MEMORIAL BLUES NIGHT at SHELTER 69 mfc
feat. ROB STONE (vo,hca) from CHICAGO 20:30 start
広島市中区銀山町13-13 シャトレ3 5F(082)-248-4005
田町文雄(gtr)中村正月(hca)増本仁志(gtr)木谷史郎(bs)三宅靖(bs)森澤喜義(dms)世良健治(dms)

・8/8(水)

Rob Stone(Vo,Harp)小竹直(G,Vo)、小竹親(Drs,Vo)、マンボ松本(Org)
場所:大阪・南森町 Blues & Soul Bar "Chicago Rock" B1F
時間:Door Open 7PM、Start 8PM ¥3500
TEL(06)6354-3255、FAX(06)6356-7210
谷町線・堺筋線「南森町駅」 JR東西線せん「大阪天満宮駅」より徒歩1分

・8/11(土) 荻窪 "Rooster"

・8/13(月) 横浜 "Stormy Monday"

上記両日とも、ベースには元メイビス・ステイプルのベーシスト、江口弘史が参加。


2007年6月26日(火曜日)

ダウンタウンのインター・コンチネンタルホテルで、どこそこの会社の何周年だかの記念パーティのSOB演奏。

はいはい、パーティはお金良いですからねぇ、大雨も何のその、この暑いのにスーツ着用?へいへい、禁煙!?無問題、へほっ、まだ音量がでかい?ベースの方に言ってくれますか。私、末席で、ただ介添えしてるだけですから。

そして終宴。大広間の在る5階からのややこしい搬出も終わって控え室を覗くと、自宅へ送り届けることを約束していた、ゲストボーカルのゾラ・ヤングの姿が見当たらない。ホテルの従業員用通路を走り回り、汗だくになって階段を駆け上って駆け下りても、結局彼女の所在をつきとめられず、ゾラと行動を共にし、当然オレと交わした約束を知っているはずの、ウチのマネージャーのM女史の携帯へ連絡するも繋がらず、楽なはずの宴会仕事がへとへとになってしまった。

「言ったことには責任を持つ」のが信条のオレとしては、「とろい従業員用エレベーターを使わず、館内を走り回って探した」ことが徒労に終わるのも嫌なわけで、ホテルを発つ前にもう一度M女史へ連絡する。

『あっ、あの、ゾラを送ってくって約束してたけど、自分の機材をようやく搬出し終えて控え室へ戻ったら、彼女の姿が見当たらないんですよ』
『ああ知ってるわよ、でも私がキングストン・マインズへ落としたから、大丈夫
『大丈夫って、約束してたから探しまわったんですよ』
『だから彼女は気にしてないって』

いや、オレの労力がと言おうとして電話を切った。大体なんでマインズへ行ったのかも知らないし、それならそれでオレへ伝えろよと文句を言っても仕方がない。コンソール・パネルの表示温度を下げて冷房を強にする。それからタバコに火を点け、煙と共に『ババぁ』と小さな声で悪態を吐(つ)くと、雨上がりの蒸したレイクショア・ドライブへ車を乗り入れた。


2007年6月28日(木曜日)

バディ・ガイズ・レジェンズの音響係のデイブは『今日だけだからね』と念を押した。オレ如きがそれほど優遇されるとは期待していない。本来ならば自分の機材を運ぶべきだが、このラジオ収録が終われば大急ぎでローザス・ラウンジの仕事に向かわねばならず、店のキーボードを使えることは時間が節約できてありがたい。しかしデイブが言うのは、搬出入やセッティングなど、生中継中にどたばたしないための特例で、こちらの事情を酌んでのものではなかった。

入店後に手渡されたスケジュール表には、ビリーの演奏は6時からとあった。さっそくウチや数人の友人へ『聴いてね』と連絡を入れる。

こういう生収録は万全を期して早くに現場入りさせられることが多い。3時入りして4時にはサウンドチェックが終わっていたので、暇だなぁと思っていたら、5時前になって慌ただしく呼び出された。5時スタートだから直ぐにスタンバイしてと言われ、額の端にピキピキと米印が寄る。そしたらこのスケジュール表は何じゃぁ!とバックバンドの分際でほざいても、誰も耳を貸さぬことは、冒頭のデイブの言葉に納得する自分が良く知っている。みんなへ連絡し直す余裕がない。オレが伝えた人間は「空のラジオ」を聴くことになるのか?けっ!たかだか30分の出演で、所詮オレにとっての(華やかなソロなどの)ハイライトはない。まぁ良いかと思っていたら、やっぱり盛り上がりに欠けたまま演奏は終わる。

図らずも早く現場を捌けられたので、一端自宅へ戻ろうと車に乗り込みラジオをつけたら、映画「ブルース・ブラザーズ2000」にも出演していたロニー・ブルークスが演奏していた。んん!?オレと入れ替わりに上がったキーボードの人の音が聴こえないが、おお、この間(マ)はなんじゃぁ、はぁ、キーボードのソロぉ?そういや、何やら遠くの方で微かにオルガンがフォンフォン鳴っている。こらぁっ、XRT-FMの音響ぉ、同業者が一生懸命に弾いとんじゃぁ、もっと音を上げんかい!と声を出したが、詮無きこと上記の如し。3コーラス目の終わりの方でようやく上がったが、それでは遅かろう。

ロザには白タップのロブが来ていた。『おお、アリヨ、夕方のラジオ聴いたぞ!』『そうかいそうかい、それでオレは演奏してたかい?』『何言ってんだ、もちろんしてただろ』『いや、オレの音は聴こえてたのかって?』『当たり前じゃないか、んん・・・いや、そういや聴こえてなかったな、どうしたんだ?』

放送時間を間違って教えられた知り合いは、どちらにせよオレの音を聴くことはなかったようだ。聴こえたところで大した演奏はしてなかった。にしても、この厄介な心境は、出演料の多寡に依って癒されるかどうかが決まることを考えている自分が卑しい。それに気付くと、今日の放送事故への憤りは次第に失せていった。