傀儡 (くぐつ) のよしなしごと 44 [ 2006年6月 ]


Night train
Photo by Ariyo

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2006年6月1日(木曜日)

永住資格を得てアメリカへ再入国したが、これからはビザの件に煩わされることがなくなったという、ありがたい実感は湧かない。今まで以上に故国へ想いを遺してきた淋しさが、物事に対し、前向きに心を動かせないのだろう。

初めて一親等の肉親を失った悲しみも、弟たちと共に母を助けながらの葬儀や弔問客への応接、「その後」についての家族協議など、事務的な煩忙に助けられて分散された。心への過負荷を恐れ、「死」の事実と正面から対峙することを無意識に避けていたのかも知れない。やがて父は想い出となって、オレの血肉の中へゆっくりと沈澱してゆくだけだ。それだけに、気持ちにへばりついている何かが、ひとまわり歳を取ったように、身体も心も重くさせている。

旅行代理店のNが仕事を抜け出して空港へ迎えに来てくれた。彼への土産の本10数冊、といっても、そのほとんどは古本屋で買ったものだが、先ずオレが読んでからでないと渡せないので、「土産あと渡し」の奇妙な約束をする。

彼の車窓から見る、ひと月振りのシカゴの風景は、現実に生活する「場」としての安寧を思い起こさせ、京都との極端な環境差を埋めた。オレはココで生きている。ましてや永住権を取得した今、これからもココで生きていく覚悟が要る。

アパートへ戻るとSOBのマネージャーやメンバーたちと連絡を取り、今月のスケジュールを確認した。携帯の電源を入れると、別口から何本かの依頼も入っている。とりあえずロザのトニーには、今晩の演奏は疲れているからキャンセルさせと欲しいと頼んだ。

帰米そうそう22本の現場。オレの頭の中では「覚悟」よりも、「観念」という文字が浮かんできていた。


2006年6月3日(土曜日)

ローザス・ラウンジでSOB演奏。

ドラムのモーズが誕生日の人をステージから紹介している。名前を忘れてマイクを手で隠し、誰か知っているかときょろきょろ周りを伺うのも、いつもの風景。

(レシェック)
(へっ?れシェック?)
(レ、シェック)
(れ、シェック)
(違う、'R'じゃなく'L'のレシェック)
(ああ、レシェックねっ)

『みなさん、今日が誕生日のレシェックさんにお祝いの拍手を、ええ、彼は・・・』

(どっから来たんだっけ?)
(ポーランド)
(えっ、どこ?)

オレのひそひそ声も次第にでかくなる。

「ポーランド」
「ああ了解、ポーランド」

オレが大きく頷く。

『ええ、れシェックさんは、はるばるロシアからお見えになっています』

(・・・・・・)


2006年6月7日(水曜日)

ジェネシスの演奏開始時間は早いので、いつも出勤する午後6時半の屋外はまだ明るい。

ケースのポケットに入ったペダルやコードなど、備品を加えると25kgにもなるキーボードを抱え駐車場に出ると、スペースの一番端に停めた大型ピックアップ・トラック(荷台がむき出しになっている)の荷台を覗き込んでいる大男がいる。白い肌をプルンプルンさせながら上半身を折り曲げているため、作業をしている彼の手はよく見えない。

やおら男は何かの液体を荷台の中へ撒くと、立ち所に煙が舞い上がり、一瞬だが炎さえ見えた。そして辺は香ばしい匂いに覆われる。ん!?香ばしいニオイ?

男がようやく作業を止めた。手には黒い塊を載せた皿・・・トラックの荷台でBBQ焼くかぁ、普通。

仕事を終え深夜の駐車場へ戻ったとき、かのトラックの荷台を覗き込む。そこにはゴミ捨て場のような醜怪に、細い4本の足の付いた丸い小さなBBQ台がぽつねんとあった。


2006年6月8日(木曜日)

SOBでキングストンマインズ。

世界最大のシカゴ・ブルースフェスなのに、今年は縁がない。その代わりクラブには人が溢れていた。ちらほら日本人らしき人たちの姿も見える。

1セット目の始まる寸前、突然キーボード脇から『アリヨ!』と声を掛けられる。明らかに日本語の発音。振り向くと野球帽の男性が笑顔を向けていた。キョトンとしていると、彼は帽子を取り、ほらっと顔を晒した。『ああ、どうも』と応えたが、こちらの顔は引きつっていたに違いない。見覚えはあるが、どこの誰さんか、どうにも思い出せないのだ。関西圏でギターを弾いていた人のような気もするが、オレの地元の京都ではなく、10年以上言葉を交わしたことがないのは確かだ。

演奏の始まる寸前に不意打ちを食らい、ほらっ、と急かされて、ええっと、と戸惑いを見せることが失礼と瞬時に判断したことが、余程失礼だったのだろう。セットが終わるまでずっと考えていたが断念し、休憩中に挨拶をしようとしたが、ステージを降りて知り合いのミュージシャンにつかまっている間に、男性の姿は消えていた。

不遜の言い訳はしたくないが、思い出せないものは仕方がない。ただ、『ほらっ』と帽子を取った彼の表情が、当然オレが覚えているものと確信したものだっただけに、『せっかく遠いところを来たのに、寂しいよな』と感じさせたことが悔しいのである。

能力もないくせに人に対し気を使う性格は嫌になるが、それは自分の「居心地」を良くするためのものであって、本当に相手のことを考えてのものではないのかも知れない。だから自分へ良い顔を見せられなかった今晩の憂鬱は、帰宅してもプスプス燻っていた。


2006年6月10日(土曜日)

世界最大のシカゴ・ブルースフェスなのに、今年は縁がない。その代わり、ミネアポリスの小さなブルースフェスにSOBで出演。

片道8時間程のドライブをビリーと丸山さんが交代で運転する。車中のオレは、明日未明の運転に備えて爆睡してやった。

ちゃんとしたホテルの一人部屋が用意されているのに、演奏終了後、何故に数時間で出発せねばならぬのか!それは日曜の夜の仕事を引受けたメンバーの某のためのみであるが、彼がそのために自ら運転することはない。釈然としないのは当然だが、某に運転を任せられないのも事実だし、もうひと方の某2の運転には更に不安があるので、自覚しているオレが先を読んでいるに過ぎない。


2006年6月11日(日曜日)

『途中、いつでも交代するから』

『帰路はオレが最初にハンドルを握る』と宣言すると、ビリーは少し安心したようにそう言った。

州間高速道路へバンが入る頃には、みんな寝入ってしまう。シカゴでレンタルした14人乗りの大型バンは、後部座席に充分ゆとりがあるので、メンバーは各々のシートで横になり、バックミラーに頭の影は見えなかった。

フェスティバルは盛況だったのだろう。ダウンタウンの擂り鉢状の小さな広場の底に設置されたステージの周りには、人が鈴なりになっていた。観客の反応に気を良くした大将は、終演後も関係者などとの歓談が途切れない。ホテルへもどったときには、出発まで2時間余りになっていた。

シャワーを浴びて帰り支度をすると、横になるだけで仮眠も取れない。だからバンが動き出すと10分もしないうちに、往きの疲れも手伝って、車内の暗闇は静けさに同化していったのだ。

ミネアポリスを出てから4時間程経った頃、バックミラーにビリーの頭がゆらりと入ってきた。嗄れた声を潜めて『ミノル、ミノル』と丸山さんへ呼び掛けるが、返事はない。そして鏡に映っていた頭の輪郭は、やがてゆっくりと落ちていった。

ビリーがオレの疲労を心配して、もし丸山さんが大丈夫なら、運転の交代を頼めないかと呼び掛けたのだろう。普段なら先ず運転手に声を掛け、自分が代わろうとするが、そのまま床に戻ったのは、やぶ蛇を恐れてのことに違いない。

それでも不満を口に出さずに無理をするのは、疲れた他人が運転することより、自らの安全を守りたいがためである。

かつて80年代のある冬、ジミー・ロジャースのツアーで、カナダのバンクーバーからシカゴまで直接戻った経験がある。大雪のロッキー山脈を越えて78時間掛かった。そのうち延べ28時間をオレが運転する。ミュージシャンは移動も仕事なのだ。

当時と比べて今は体力も落ちているが、一度ハンドルを握れば4-5時間(ガソリン補給の目安)は交代しないという気力と、自分への見栄は生きている。結局丸山さんと交代したのは、シカゴまで残り一時間を切ってからだった。

メンバーは口々に、長時間の運転を安全・迅速に果たした賛辞を述べたが、途中で2-3度落ちかけたことをオレは黙っていた。


2006年6月13日(火曜日)

ジョディ・ウイリアムスの日本公演の主要メンバーたちと、ハウスオブブルースで演奏。ナマズの空揚げが美味。

西海岸へ引っ越したギターのクリスとベースのパットは、シカゴでのレコーディング・セッションで戻って来ていた。

サム・レイバンド以来、二人は15年以上生活を共にしている。いつも一緒にいるので、ゲイの噂が絶えない。たとえ彼らがゲイであっても、オレの周りには、それを理由に差別をしたり迫害するような輩はいまいが、本人らはそう思われていることを気にしているようだ。

パットにサンディエゴでの二人の生活を訊いているとき、彼は問わず語りに『おれたちをゲイって思ってるヤツもいるけど、気にしちゃいない』と、初めてその話題を持ち出した。

『えっ?ゲイなの?』
『ノーノー、違うに決まってるだろ、おれは女が好きなの』
『あんたらがそうであってもなかっても、オレは気にしないよ』
『だから、誤解だって』

ステージでパットは弾(はじ)けながらも、目線で指示を出すクリスに異様なほど気を使う。反論・反抗しているのを見たことがない。言葉の端々には、クリスへの敬服が溢れていた。

『あんた結婚はしないの?』
『クリスがいる間はね・・・』

両親を亡くし、クリスには嫁いでいる姉しかいないが、病気がちの彼の面倒はパットがするし、最期も看取るつもりらしい。二人共オレより年下なのに、パットはそこまで言い切ってしまった。

彼らがゲイかどうかは本ッ当にどっちでも良いけれど、オレにはただの主従関係としか思えない。


2006年6月19日(月曜日)

アーティスへ日本人女性がひとりで現れた。側にいた知り合いの黒人女性が彼女に話しかけている。間もなくオレは手招きされた。

『彼女は日本からのお客さんで、アリヨのこと知っているらしいわ』

手にはガイドブックの「地球の歩き方・シカゴ編」を持っている。

『アナタここに写真入りで紹介されてるじゃないの、サインしてあげたら?』

日本人女性は、はにかみむような仕種を見せた

『ここで良いですか』

オレは名前を訊いて、ページの右下へ小さくサインした。ふと背表紙を見ると(なんとか図書館蔵)と印されている。

『図書館で借りてきたんですけど、アリヨさんの頁だから大丈夫ですよ』

いや、そういう問題じゃなくて、不特定の人が閲読するから、サインかどうかも分からないのではないのか・・・。

アリヨ、公共の所有物に落書きをする。


2006年6月20日(火曜日)

昨日移民局から正真正銘のグリーンカードも送られてきたし、今日の休みに再来週期限の切れる運転免許証を更新すれば、当分、公の事で時間に追われることはない。

車で10数分のところにある、イリノイ州の出先機関へ向かう。受付で更新の旨を告げると、番号札を持たされてベンチに待たされた。約2分後、オレの番号が9番窓口の上に点滅する。

古い免許証を渡すと、係員は『選挙人登録をしますか』と訊いてきた。市民権持ってないので『んにゃ』と答えると、『ドナー(臓器・骨髄の提供者)登録しますか?』と尋ねられた。『んうんにゃ』と答えると、『そこに目を当てて、アルファベットを答えてください』と言われた。一応ひと通りアルファベットは読めるので、すらすら答えると、『全部正解だったので、あちらの窓口で$10支払ってください』と薦められる。

まぁそういうことなら仕方がないと、しぶしぶ$10の大金を支払うと、納金係りは横の間仕切りを指差し、『そこで写真を撮ってください』と強制した。横長のおばさんに愛想笑いを引きつらせていると、知らぬ間にシャッターを押される。4分程待つと縦短のおばさんは『記載に間違いないか確かめてください』とオレを追い立てた。

$10も支払ったのに、たった12分程しか楽しめない免許証更新だった。


2006年6月24日(金曜日)

京都府立鴨沂高校三年一組のクラスメイトだったドラマーHのボーカル生徒、Yさんをご案内。昼間に黒人街の怪し気な場所へ、夜はチェッカーボード・ラウンジのSOBライブに飛び入りさせる。

彼女はシカゴへ立ち寄る前、南部のブルース縁(ゆかり)の地を廻っていたそうな。そして、アーカンソー州ヘレナのブルース・ミュージアムへガイドに連れられて入った途端、館内のモニターテレビに大写しになるオレが目に飛び込んできたと言う。

ヘレナのブルースフェスにSOBが去年出演したときの映像で、丁度ピアノソロの場面だったのだろう。

ミュージアムの軒続きのレコード屋には、ロックウッドの85年日本公演のビデオ(Disc guide 参照)がガラスケースの中に飾られているし、少しはオレにも縁があるのかも知れぬが、サニーボーイやロバート・ジョンソンなどに混じって、ブルースの聖地のひとつで、無名の東洋人の顔が晒(さらさ)れているってどうなんでしょうか?

オレはちょっぴり嬉しいが、オレが関わる音源などを陳列する人がオレのことを知っているとは思えないし、オレは著名な雇い主のお手伝いさんに過ぎない。たまたま映っていただけなのに、たまたま入館した人の目に留まると、とんでもない効果が生まれそうで恐ろしい。

オレを知っている人なら「おお、アリヨも大したもんだ」とプラスになろうが、ほとんどのブルースファンは・・・考えただけでも背筋が凍る。どんな効果なのかは分からぬが、取り敢えず悪い方へ向くに決まっている。想像すること自体が恐ろしいのかも知れぬ。 

聖地は聖地らしくあって欲しい気持ちもある。その中に存在したい気持ちも大きい。憧れの黒人ブルースの現在に幻想を抱く複雑な胸中は、そんな些細な事象にさえ敏感な心の襞(ひだ)を振動させてしまうのです。