傀儡 (くぐつ) のよしなしごと 41 [ 2006年3月 ]


A nineteen-year-old Mama Rosa
肖像権:Rosa's Lounge

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2006年3月1日(水曜日)

搬出が終わって別れるときにビリーが『じゃ、土曜日レジェンドで』と言った。みんなが一斉に『えっ?金曜日にローザズ・ラウンジが入ってるよ』と応える。

『なにぃ!俺は聞いてないぞ!』
『ロザの壁のデッカイ予定表にもSOBの名前はありましたよ』
『だから俺はそんなスケジュール聞いてないって!』

みんなは自分からマネージャーに連絡して、先のスケジュールを確かめ済みである。

『大将いつも言ってるじゃないですか、マドリンに訊けって(2006年2月25日参照)』
『・・・』


2006年3月2日(木曜日)

ロザでママ・ローザの誕生日会。オレの母と歳の変わらぬママへ、日本の一輪挿しをプレゼントした。ママは自分の誕生日なのに、ラザニアを大量に作って客へ振る舞っている。帰りがけに『アリヨのは別に取ってあるから』と、30×20センチの容器一杯の茄子入りラザニアを持たせてくれた。日本の母が少し恋しくなった。


2006年3月21日(火曜日)

それは今月8日、水曜日のジェネシスでの搬出の最中のことだった。自分の機材をすべて運び終え、モーズの小さなドラムケースを拾い上げようとしたとき、腰の後ろ辺でボキッっと音がした。その瞬間には両手と膝を床に落とし、身動きができなくなっていた。

演奏は座っていてほとんど動かないし、車の運転も好きだ。一番悪いのは、マックの前で何時間もじっとしていることなのだろう。そこでは床に座って背もたれもない。「同じ姿勢を長く保たない」という鍼・カイロのM先生の戒めが蘇る。

思えば腱鞘炎(2003年10月8日参照)や股関節の捻挫(2005年5月25日参照)騒動のときも忙しかった。今回はその忙しさの終わり頃だったので、意を決して一週間以上休むことに決めた。丁度ビリーはケニー・ニールとのフランス・ツアーで、第三、四週末に仕事は入っていない。

大人しく横になっていたお陰で、週が明けると何とか歩けるまでに回復する。M先生のところで鍼をうってもらうつもりが、どうせ機材は運べないし、少し良くなってきたので、もうしばらく様子をみようと思っている間に機を逸してしまう。

偶然同じ頃に具合を悪くして休んでいた日本の看護師さんからは、「神様に貰った休日だと思って、ゆっくり過ごしてます」というメールが届いた。ふむ、神様ね。休むと決めたときには、開き直ってその日その日を楽しく過ごそうと思っていた。折良くWBC(野球世界大会)の第二ラウンド以降をすべて観戦出来たが、日銭の入らぬ無給休暇は月末に近付くほどに別の痛みが増す。オレの場合、神様でも貧乏神だったに違いない。


2006年3月22日(水曜日)

機材を運ばなくて済む先週のロザから現場復帰しているが、一昨日のアーティスではみんなが手分けして搬出入を手伝ってくれた。SOBのチームワークには感謝する。

ビリー不在でもゲスト歌手を入れず、自前で3セットを済ませようと無茶を通してしまうのはアメリカ人らしい。来週にはビリーが戻ってくるからと客は思っているかも知れないが、メンバー持ち回りで拙く歌い、オレはその伴奏をするために高い弁護士費用を捻出してビザを維持しているのではない。彼らとの親交と、音楽的欲求のジレンマに、心のウチで蠢(うごめ)く焦躁と諦観の綱引きは続く。

終演後ニックと丸山さんが音響機材一式と鍵盤台を、モーズは重いキーボードを車の後部座席まで運んでくれた。

さすがのラグジュアリーカー・マキシマも、88鍵の長さをそのまま並行には座席へ収められないので、いつも少し斜めに置いていた。『横がはみ出ますから、座席に寝かせておいてください』とモーズにお願いして、別機材のトランクへの積み込みに専念していると、『これでいいのか?ちゃんと入ったけど』とモーズがおっしゃった。えっ!?車内を覗くと、キーボードは座席ではなく足下にハマっている。ドアの付け根と大仰なケース脇の袋がジャマをして、取り出し難いのは歴然であった。その上ドアは微妙に閉まらない。

せっかくの親切を咎めることはできず、アリガトウゴザイマスと言った後は、無言で定位置へ引き上げようとした・・・中腰で。臀部と腰の隙間辺で鈍痛が光った。

本日の「綱引き」は諦観が優っていたような気がする。


2006年3月27日(月曜日)

久しぶりにビリーが戻ってきた。彼が居るだけでバンドに芯ができる。音楽的なものよりも、主役が前面に出ている安心感が大きい。

2セット目、張り切ったビリーが飛ばした。いつもは長くて数曲演奏するとゲストを呼び出すのに、バンドのオープニング曲の後、立続けに6曲を唄った。大将、やれば出来るではないか。ただし、2部では呼び出されると思っているミュージシャンの客は、多分に落ち着かない様子だった。

珍しい韓国からのギタリストがいる。女性ボーカルは3人。常連のギターやベースにハーモニカ、ホーンや太鼓、そしてバディ・ガイのキーボードのマーティは新しい彼女を連れてきていた。中々途切れない演奏に、オレも少し落ち着かなくなっていた。

坂道を転がっていたビリーが漸く止まった。オレは直ぐさま立ち上がりマーティを呼ぶ。だって、せっかく彼女を連れてきているから、良い所を見せたいに決まっている。ソウルからの若者は、さっそうとギターを抱えて飛び込んできた。得体の知れないドラマーがモーズに代わり、2人いたベースは下手な方が先に手を伸ばす。ハーモニカがビリーからマイクを恐る恐る受け取ると、同時に呼ばれた女性ボーカルのデロリスは、キーボードを除き知らぬ者ばかりで戸惑っていた。

時間を確認すると午前1時26分。通常の終演までは20分しかない。

緊張しながらも楽しんでいる韓国人は直ぐに下ろされ、上げられなかった女性は悪態をつき、ビリーの時間配分を呪った。それでも、ホルスタインのように立派な胸部と同じ高さの腹部をくねらせていたマーティの彼女は、彼と同じ白い顔を綻(ほころ)ばせていた。

来店するミュージシャンが多いと、みんなに納得される進行が難しい。常連からは、遠来や新顔の人を優先することだけは了解されているが、今日のようにビリーが前しか向かず興に入(い)るとやきもきしてしまう。

別にオレが責められる訳でもなし。人の気持ちをチグハグに推量る陳腐さが無駄な労力を費やし、安穏を乱す一因であるのかも知れない。所詮自営業の世界。己のことのみを考えないと功を成せないのだが・・・。


2006年3月30日(木曜日)

ミュージシャンとしてのオレは、同じステージに上がる人に対して、年齢、性別、障害などに関係なく、その「音」だけとおつき合いしたいと思っている。それは名声や評判、肌の色や見た目などの色眼鏡なく、純粋に演奏を聴きたいし、聴いて欲しいと願っているからだ。

もちろん、様々なハンディキャップを乗り越えて成し遂げた努力は讃えられるべきだが、それはまた別の話で、「何々なのにスゴイ」という表現は「何々だから仕方がない」という逆もあり、演奏のみを評価して欲しい当人にとっては失礼なことである。幸い「日本人なのにブルースがお上手ですね」と言ってくるアホはいないが、「女性にしてはベースがちゃんと弾ける」とか、「あの年齢で」とかの言葉を耳にするとうんざりしてしまう。

フロリダから両親に連れられてローザズ・ラウンジへ遊びに来ていた、コンラッドという名の11才の白人少年は目が見えない。ギターとピアノを弾き、唄も歌うという。どこかのフェスでパイントップ・パーキンスの前座を務めたと、彼の両親は誇らし気に語った。そら商売としては「盲目のブルース少年」という話題性が魅力に違いない。

そうやってオレは「演奏の純粋性」を望みながら、結局は世間と同じ目で見ることもあるのだろうか。コンラッドが目にハンディキャップを負っているということよりも、「11才なのに」と思ってしまったからだ。

今まで観た日本人の誰よりも、彼の演奏にブルースピアノの「音」を感じてしまった。ここでまた「日本人」を引き合いに出すことで自己矛盾を曝けてしまうが、この場合、実演奏に触れる機会の少ない環境の対比であって、11才であの演奏は将来が末恐ろしいと「純粋」に思ったのだ。

フレーズは少ないしソロも拙いが、しっかりリズムを捉え、美味しい所はちゃんと先達(せんだつ)からコピーしている。何よりも家族のバックアップに支えられて迷いなく、生き生きとした「音」に感心した。

コンラッドのブルースに対する姿勢に己を振り返っている間もなく、次に登場したピアニストにゾクッとした。ジェームス某と名乗った30才台の白人男性は、手本のようなバンド・ピアノ(独演ではなくバンドのバック)を披露する。ジュニア・ウエルズやオーティス・ラッシュとも演奏経験のある彼は、現在パンクバンドでオルガンを弾いているためオレと面識はなかったが、最新のルリー・ベルのアリゲーター録音に呼ばれたそうだ。

何をどう頑張っていけば良いのか判然とはしないが、もう少し足掻かねばならないと思わされた夜だった。


2006年3月31日(金曜日)

「ハーモニカ・大集合(Harmonica Convergence)」というイベントがノースウエスタン大学のコンサートホールであり、ビリーがSOBを引き連れ「オオトリ」で登場した。

ハワード・レヴィやジョー・フィリスコ、フランツ・チメルなど、ジャズからポップス、クラシックまでのテクニシャンたちの華麗な演奏に、観客からは大歓声が絶えない。小心なビリーは弱気になっていく。

『みんなの凄いテクニックにやられっぱなしだ。俺の演奏で客は楽しんでくれるだろうか?』
『大丈夫ですよ』
『でも、今晩はクラシック・ファンが多そうだぞ』
『そんなことありませんよ、ただの音楽ファンですって。アナタにはアナタの味があるんですから、自信を持って自分の演奏をしてください』

その横から丸山さんも一言添えた。

『他の人はアナタが出来ることを出来ませんよ』
『俺が出来ることをみんなは出来ない?』
『そうです、そうです』

出演者で唯一バンド演奏をしたのはオレたちだが、ビリーが普段からメンバーを頼りにしているのが良く分かる。「気にしぃ」の大将は、誰かの後押しで盛り上げてもらわないと弾(はじ)けることができないのだ。ようやく大学時代からブルースを始めて、音楽知識・技術に劣るというコンプレックスと、長い経歴で身に付いた自信とが交錯して顔を出す。だから、ちょっと自分よりテクニックのあるミュージシャンが出現すると、半ば本気の弱音を吐いてしまうのだ。

観客の反応は、先に登場したハーピストたちと比べて見劣りしていたとは思えないが、冷静に見てオレたちが一番拍手を貰ったともいえない。それでもビリーは次第に自信を取り戻していった。そして大団円を迎え、ハーピスト全員がビリーに呼び出されて"Help Me"を演奏する。

どんな種類のハーモニカを手にしているか知らないが、みんな呆気無いほどブルースを奏でることが出来ない。その場の即興よりも練習通りに演奏し、セッション慣れしていない人たちなので仕方ないが、ビリーはそこで一気に盛り上がった。

奥行きのあるオーケストラ用のステージを下りる前に、ビリーが『俺たちは良い演奏をしたな』とオレに同意を求めた。

『ねっ、ミノル(丸山さん)の言った通りでしょ?でも本当にみんなブルースのフレーズが出ませんでしたね。ハイ、アナタの勝ちです』 

勝者を讃えるようにビリーの片腕を持ち上げると、彼ははにかみながら『おう!』と応えた。