傀儡 (くぐつ) のよしなしごと 16 [ 2004年2月 ]


Ariyo and Robert Lockwood Jr.
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2004年2月3日(火曜)

今月のカレンダーを見たら、想像通り現場が14本と激減している。スケジュールが3本バッティングしてたのも痛いが、休みたいと思っていたので安易に考えていた。

自転車操業的廉価のローカル演奏では、日々(にちにち)の現金が生活に欠かせない。忙しくて日記の整理も出来なかった先月でさえ、現場は20本に届かなかった。スタジオ作業に加えて、CDブックレットのクレジット・チェックや原稿書きの締め切りに追われ、帰宅後もMacの前であたふたしていたからカレンダーは真っ黒。空白は僅かに三日しかなかったにもかかわらず、収入は増えていない。

今週も、クリーブランドへの取材旅行の原稿書きや、インタビューテープの掘り起こし(これはP-VINEのC嬢がほとんど担当してくれた)の編集に追われ、一応カレンダーは埋まっているように見えるが、現場は3本とゆっくりしている。

しかし、生活のための収入も大事だが、大好きな楽しいことをしているのだから、忙しかったことを幸せに感じて、今月の時間を楽しい余暇に費やせば良い。生活のための仕事に追われ、楽しいことも出来ずにいる人が大半の世の中を思えば尚更である。生活のための仕事を最小限にしても、大好きな楽しいことを出来ずに指をくわえている人のことを思えば幸せ、幸せ。

今朝がたにアーティスから戻って原稿3本書き上げる。たかが400字詰め原稿用紙一枚ちょっとの量なのに、ロックウッドへの思いが強く、伝えたいことを書き入れるのに凝って3種類も書いてしまった。結局、要請に沿ったものと、自分の私意を含んだものの2本を送り、編集部で選んでもらうことにした。インタビューの日本語編集も、オレの不見識から既知の発言を取捨できず、指定字数(400字詰め原稿用紙11枚)にまで絞り込むことが出来なかった(全文は4倍近くあり、半分程にはした)ので、それも後はBSRの編集者の方に任せた。

ようやく取れた行付けのヘアーサロンの予約時間(明日の12時半)までは、今(昼過ぎ)から寝ることができる。どうせ誰かから電話で起こされるだろうが、久しぶりに、ホントに久しぶりに、目覚ましをセットせずに寝る。寝るっちゅうネン。


2004年2月4日(水曜)

久しぶりに髪の毛を切ったのでさっぱりアリヨ君。

雑誌やジャケットの撮影がある時に限って髪切りの予約が入らんこと多いんよね、これが。こっちも忙しいし、あっちも忙しいじゃ仕方がない。じゃ、近所の散髪屋へ行けば?$5のメキシカン・バーバー。いやいや、バリカンでとんでもない目にあうし、素(もと)が良くないので少しでも見栄え良くするためには、日本人美容師のところへ行かんとね。

昔、アリゲーターのオムニバス「The New Bluebloods (Alligator ALCD-7707)1987」にバレリーのバンドで録音したとき、ジャケットにはオレらバックは載らんと聞いていたので丸坊主にしたんよ。人生2回目(最初は野球少年だった11才の時)の丸刈りは、ある不義理への反省の印やったけど、結局全員の写真を撮られたんよな、これが。で、ジャケットを載せたBMR(ブラック・ミュージック・レビュー)は、「ナゾの東洋人は有吉だ」ってわさわさ書いてくれたわ。

ABCプロジェクトでも、プロデューサーは裏方やから無精髭で髪の毛ボウボウでも気にしてへんかったんよね、これが。したら写真撮るって言うんよ。慌てて美容室電話したら、撮影予定日の翌日しか予約できんていうのよ。先月のロックウッドへの取材旅行も、髪の毛ぼさぼさでしょ?って、まだ発売されてないから分からんか。いやね、もうオレのとこには掲載予定の写真来てるんよ。アンタ、結構なお年やからどーでもエエやん、って向きもあるやも知れんが、本人は気にしぃなので赦してっ。で、せめて髪染めだけでも(2004年1月25日付け日記参照)と思ったんは仕方ないよね。したら掲載は白黒やて。ほなワシはなにかぇ・・・あっ、これ前にも使ったね。

美容室出て近所のミツワでサバ寿司買って、車で食べながらSOBのリハーサルのあるニックの自宅へ行って、リハ終わりでCDデザイナーのとこでブックレットのチェック用見本もらって、C嬢と打ち合わせして、自宅で見本チェックの宿題して日銭の生まれん一日は終わりました。はい、ごくろうさま、ってもう、自分で言うしかないね。

それにしても美容室って苦手なんよね。大体、女性が多くて場違いな感じでしょ?じゃ、近所の散髪屋さんに行けば?$7の黒人バーバー。確かに昔パンチあてたこともあったけど・・・あっ、これちょっと不謹慎?子供の頃の散髪屋さんって、マンガいっぱい置いてて、お次ぎの方って言われても(もうちょっとマンガ読んでから)って感じで楽しかったわ。一番好きな記憶が、大きな窓から見る夏の夕立ち。外は蒸し暑いけど、快適なクーラーにFMから流れるボサノバと、トニックの香り。今の女の子はオッサン臭いって言うけど、好きなんよね、あの匂いが。

で、美容室は、どっちかっていうと毛染め液の混じった複雑な匂いがありましょう?それに、洗髪終わったらいちいち「お疲れ様でした」って言われるけど、疲れたんは君の方でショと言いたい。関係のない向こうの方からも「お疲れ様でした」って声掛けられると、「いや、別に疲れてないけど」と口が言うのを何度阻止したことか。

でもシカゴでの行付けは、そんな日本の美容室の嫌な雰囲気のとこと違って、趣味の良い音楽が流れる広いスペースで、匂いもそんなに気にならんし、遠いところから無機質な犒いの言葉も飛んでけーへん。常連客である日本人も筋が良さそうやし、男性も結構利用してて、予約が取り難いことを除けば印象は好いとこよ。

一年振りくらいにマスター(当たり前やけど売れっ子)が担当してくれてて、そろそろ仕上げって時に隣に誰かが座ったんやわ。担当の女性美容師が付くなり、おばさんの声が、オレの耳元で話してるのかってぐらいの大きさで聞こえてきてん。

「あらっ、あなた初めて見る顔ね、最近来られたの?」
「いえ、一年程前からいますけど」
「あっ、そうなの。私こないだ来た時は11月だったから顔を見なかったのね」

えっ、何か会話おかしないか?「こないだ」が2ヶ月以上前かぁ?ほんで、その前も気が付かんかったんかぁ?そやのに、「最近来たの」っていきなり質問するかぁ?地球は相当おばさんの周りを回ってるんやわ、きっと。こんな静かなとこで、新幹線の車内で携帯に喋るヤクザ級の音量って、よっぽど自分に自信があんにゃろなぁ、堂々としてて、羨ましい。

「前の子はどうしたの?細くて可愛い子だったけど」
「・・・」
「ああ、カリフォルニアへ引っ越しました」

マスターがどことなく助け舟を出す感じやったけど、みんな分かってんのかぁ?おばハン担当してた女性も細くて可愛い子やってんて。

エエよなぁ、気楽やろなぁ、思たこと直ぐ口にできて。オレなんかこの日記書くのに、どれだけ割愛・推敲してることか。ああ、あれも書きたい、これも書きたい・・・。


2004年2月5日(木曜)

寝入ったばかりの午前9時半頃電話。

「タカアシ、アリヨォシサンハ オラレマスカァ?」
「はぁ?姓は有吉ですが高橋って人もタカシって人も知りません」
「はぁ、アリヨォシさん?今ネッ、もし・・・ナラ無料でパッケージが届いて・・・」
「ちょっと待ってください。いきなりで何のことか分かりませんが」
「アナタハエイゴをハナシますかぁ?」
「・・・ちょっとだけ」
(お前の英語が分かりにくいんじゃ!おまけに何か棒読みしてるが如き早口)
「私、マイケル・ダッサン、言います。今ネッ、もし・・・なら無料でパッケージ送る。貰えます。」
「ちょっと待って、何て?早くて聞き取れません」
「フフフ・・・ワタシ英語早口デスカぁ?スミマセン、あのね、今もしネ・・・たら無料でパッケージが届く、そしてね、・・・」
「その無料はどーでもいいですが、マイケルさん、あなたは今誰に話てるか分かりますか?」
「アリヨォーシさんでしょ?名前ノ方ハワカラナイ。アナタノオ名前を聞かせテクダさい」
「嫌です。名前も知らない人にどうして無料で何かをあげようとするのですか?」
「デモ、アリヨォーシさんデスね。アリヨォーシサンでしょ?今ネ・・・」
「タカァシって名前どこから出てきたのですか?」
「ソレハワカリマセン」
「あんたは今誰とお話してるの?」
「アリヨォーシサンデ、ショッ?」
「じゃ、上の名前は?」
「タカァシじゃナイノォ?コチラノ情報がマチガッテマスミタイデス。教エテッ」
「嫌です!大体、私は夜の仕事をしていて、今寝付いたばかりで・・・」
「今ネッ、モシ加入シテクレレバ・・・」
「おえっ、こらっ、ちょっ、ちょっと待てや!そやからオレは寝てるってゆーてるやろ!」
「アッ、デモ少しだけ。今ネッ、無料で、ムゥリョーですよ、クレジットカード・・・」
「何をくれるねん、はぁっ、ク、クレジットカードって今ゆーたかぁ?」
「アッ、ハ、ハイ。クレジットカード」
「ホンマやなぁ、クレジットカード。オレは半年前に申請して断られたんやけど、ホンマにくれるんやろなっ!」
「いや、だからぁ、もし・・・」
「クレジット(信用記録)がないオレにもカードくれるんかぁ?おい、マイケルよ」
「いえ、今もし・・・に加入してくれたら特典として無料でそのパッケージが送られてきて、それにクレジットカードの申請がぁ・・・」
「お前、今、クレジットカードくれるゆーたヤンけっ!話違うヤンけ!嘘か、こらっ!」
「いや、だから・・・」
「名前もろくにシランとこ電話してきて、寝てるってゆーてんのに話続けて、えっ、マイケル、聞いてんのか、こらぁっ」
「・・・(ガチャッ)」
「おい、マイケル、マイケルッ・・・」


2004年2月8日(日曜)

くそー! 

HPのカウンター、己で「10000」を踏んでしまったぁ・・・「9999」を見たかったのにぃ。


2004年2月10日(火曜)

最近の日本のネットニュースは、吉野屋の牛丼騒ぎで賑わっている。狂牛病(Mad Cow Disease) のことをこちらの知り合いに問うてもみんな詳しく知らないし、説明しても「ああ恐い、コワイ」と言うだけで、結局牛肉は喰っている。今ではイラク戦争の大義を本気で信じている人は少ないが、牛肉が本当に安全でなかったら、政府が何らかの発表や対策を講じるだろうと、高を括っている人がほとんどだ。

オレも心の中では、危険部位混入の恐れの低いところを食べている限り大丈夫だと思っている。しかし数年前にBSEで揺れた日本は、消費者からの信頼を取り戻そうと、全頭検査や特定危険部位の除去を実施した。その和牛を輸入禁止にしたままにもかかわらず、ろくな検査もしないで「安全です」と他国へ輸入解禁を迫る、この国の身勝手さに腹が立つ。あれだけ探しても見付からなかった大量破壊兵器を、「ある」と言い続けてきた同じ国が、ほとんど検査をしなかった(体制自体が整備されておらず検査もできない)のに「ない」と言張れる神経が信じられない。

だからいまだに牛肉を喰わないのは科学的根拠と言うよりも、この国の有り様に対するささやかな抵抗にしか過ぎない。

休みで遅くに起きてしまった(午後8時)今日は、調理をするのも面倒なので、やはり牛を我慢し、あやし気寿司でテイクアウトをすることにした。

「いらっしぇいマセ」とご機嫌を伺う韓国人マネージャーのポールの後ろで、オレに笑顔を向けるメキシカン寿司シェフ(B)が見えた。メキシカン寿司シェフ(A)に比べて(B)の仕事は早いが、間違いが多く、ウエイトレスからの不平に、皺を寄せた眉間で伝票と対峙する姿をよく見かける。

オレも一度、「にぎりスペシャル」のセットでマグロに代えてサバを頼んだとき、マグロもサバも入っていて驚いたことがあった。そして楽しみにしていたタイが見当たらず悲しんだ。

今回は同じ変則セットに加え別注3カンと、エスニックなピリ辛の「スパイシー・ツナ(生)・サラダ」も張り込んだ。これだけ注文しても$20に満たないのが、あやし気の気楽なところであるが、(B)が心配なことには変わりない。

ポールが寿司バーの上に吊るされた伝票を指差し、「No Tuna, but Saba」と(B)に指示している。彼は辿々しく「アリヨさん、ユー・ドン・ライク・ツナ?」と聞くが、別にオレはマグロが嫌いな訳ではないのだ。アメリカ国内に出回るボストン産やハワイ産の、色だけは鮮やかだが淡白な味に辟易としているだけだ。だからスパイスの効いたツナ・サラダは食べる。

テイクアウト用の紙袋は口がホッチキスで留められる。わざわざ封を開け中身を確認するのもイヤラシイし、いつも快くセットの組み替えに応じてくれるので、少々の間違いに目くじらを立てることもない。この値段でみそ汁とデザートが付き、重みが加わるとお得感も増す。

家へ帰ってテーブルに並べると壮観であった。にぎり10カン+巻き物確認、よし。別注3カン確認、よし。色とりどりの寿司が、私から食べてくださいと誘っている。デザートはオレンジ半個が切り並んでいた。豆腐とワカメがたくさん入ったみそ汁をすすと啜ってから、先付にツナ・サラダのパックを開ける。そして、やっぱりやってくれたかメキシカン寿司シェフ(B)。彼は今回も「にぎりスペシャル」にマグロを入れようとしていたらしい。

スパイシーなタレのかかった3cm大の角切りマグロの一番上には、明らかに寿司ネタ用に切られた、ペランとしたマグロが2枚載っていた。


2004年2月13日(金曜日)

おお、今日は13日の金曜日ではないか。キリスト教徒でも何でもないので、まったく気にしないが・・・。

第23回 "Chicago Music Awards" の授賞式が、 "Park West" というシアター形式のホールで催された。Billy Branch & The Sons of Blues は "Best Blues Entertainer" 部門にノミネートされていたので、正装して参加する。一般客の入場料は$45(レセプションにも参加すると$65)だが、実際にどれくらいの人が購入したかは知らない。会場から溢れる程の人たちは誰も、各部門にノミネートされたミュージシャンたちの関係者に見えたからだ。

広い舞台の両脇の壁には大型スクリーンが設置されていて、ノミネートされた名前が呼ばれるたびに、その名の文字が映し出される。正装した係員が頭にインカムを付け、プレゼンテーターや、発表の合間に演奏する出演者たちを忙しく誘導していた。オスカーやグラミーのような本格的授賞式に見えたが、会場は盛り上がっているようには思えない。オレたちバンド全員が指名されていると言っても、一体どれ程喜んで良いのか想像がつかなかった。

パンフレットには著名な名前もノミネートされていたが、その人たちの姿は会場に見えない。楯を直接受け取りに舞台へ上がった受賞者も少なく、その全員をオレは知らなかった。

"Most Popular Blues Club" には、3年連続で"Kingston Mains" が選ばれる。そういや、パンフレットの3頁めには、マンイズの広告が一面を占めている。何人かいる式の司会者の一人であるマインズの御曹子のフランクが、タキシード姿で舞台へ上がり受賞楯を受け取った時、拍手をしたのが数人であったのは確かだ。

観客は、自分に興味(関係)のない部門にはほとんど感心を示さない、緊張感の欠けた授賞セレモニーである。演出は大袈裟なのに、中身がうすっぺらに思えてならない。一体どういう選考基準があるのだろうか?オレは次第にどうでも良くなって、この場にいること自体が苦痛に感じ出してきた。

"Best Blues Entertainer" 部門にノミネートされた他のミュージシャンは、Buddy Guy, Andre Taylor & The Blues Ally Cats, Son Seals, Ronnie Baker-Brooks。ロニー・ブルークス以外は見なかった。結果はバディ・ガイと同点でウチが受賞した。発表の時には既に、大将はステージ脇でスタンバイしていたらしい。呼ばれると直ぐに登場する。彼は前から受賞を知っていたから、バンド全員を参加させたのではないかと勘ぐってしまう。

メンバーもどことなく白けている様子だったが、マネージャーのマドリンだけが興奮していた。オレの肩を抱き寄せ、「次はグラミー賞を取るために、あなたが頑張ってウチのCDプロデュースをするのよ」と、子供のようにはしゃいでいる。

ビリーが、心からとは到底思えない満面の笑顔でテーブルに戻って来ると、早速楯を確認した。パンフレットには "Billy Branch & Sons of Blues" (バンドの前の冠詞"The"が抜けている)と記されている。しかし、受賞楯にはビリーの名前しか表示されていなかった。


2004年2月14日(土曜日)

やっぱりアメリカは恐ろしい・・・

バレンタインデーの今日、シャロン・ルイスの仕事でミシガンへ遠出した。94号線を湖沿いに北東へ進み、インディアナ州を跨いでミシガン州へ入ると直ぐに高速を下り東進する。そこから8kmも走って初めて出てくる信号が、Three Oaks という小さな町に唯一ある信号らしい。"A-Corn theater" という手作りの劇場は、映画のセットのような商店街の裏手に建っていた。

こんな田舎町にもかかわらず、200ほどの観客席は、古き良きアメリカの、善良な人々で7割程が埋まっていた。広いステージには、手入れの行き届いたヤマハのグランドピアノが常設されている。後ろの壁の上部にある小さなスピーカーだけでは、大音量で演奏できない。それでも、クラシックコンサートのような静けさの中で、バンドは繊細にボリュームをコントロールして、観客だけでなく、メンバー全員が満足感を覚えた良いコンサートだった。

自宅までの150km余りの夜道を、のんびりドライブして帰るのは楽しい。インディアナ州に入ると、シカゴ市内よりはガロンで¢20以上もガソリンが安いから、高速を下りてスタンドへ向う。

気温は大して低くなさそうだが、体感温度は-10℃を下回っているのが膚で感じ取れた。車内のゴミを捨て、窓を綺麗にしている間にも、身体はどんどん冷えていく。ガソリン代を支払い、暖かい車内に戻ると急に眠気に襲われてきた。このまま安いモーテルにでも泊まってしまおうかという、素晴らしい考えが頭を過(よぎ)ったが、車は再び州貫高速道路の暗い夜道を辿っていく。

朦朧とまではいかないが、目蓋を閉じれば確実に眠ってしまいそうになる頭を、頬を、膝を叩きながら、かなりの努力と意思で安全運転を続けていた。ふと気がつくと、路肩に黒い影が見えてきた。一瞬パトカーが灯りを消して取り締まっているのかと思ったが、放置された故障車のようだった。さっきも同じような車があった気がした。暫くすると、反対側の路肩に停められた車体が現われた。そして暗闇に突然、もう一度放置車に出くわした時は、なんとも言えぬ無気味さに鳥肌が立ってしまった。楽しかった仕事帰りのドライブ気分はとうに失せ、眠気の不安も重なって、一刻も早く家に戻りたい一心で運転していた。

94号線が90号線と交わる、シカゴへの近道として設けられた「スカイウエイ有料道路」の入り口を間違えないよう、カーブを徐行しながら右手に折れる。ヘッドライトが行く手を少しづつ照らし出し、その灯りが真直ぐに伸びた道路のすべてに届いた時、自分の走る車線の直ぐ右側の路肩に、車体をこちらに向けている大型のバンが見えた。

車の中は暖かいのに身体が凍える。徐行のまま車線を変更し、用心してそのバンを過ぎ去ろうとした瞬間、バンの中から突然火の手が上がった。その炎は車内の天上に達したように見えた。そして、揺らめく明かりの中で影が映ったように見えた。

「人がいる!?」

爆発して巻き込まれるのは危険だったので、少し先に車を停めながら様子を伺った。バックミラーに映ったバンは黒い影にしか見えない。振り返って目を凝らしたが、車の中の様子は分からない。2分程待ってみた。

結局、火はおろか明かりさえ見えず、あちらを向いたバンは何事もなかったかのように暗闇に鎮座していた。

一体この高速の一方通行の道に、何故逆方向に停まっていたのか?そして、あの火の手は何だったのだろうか?

やっぱりアメリカは恐ろしい・・・


2004年2月17日(火曜)

歯が痛い、とても・・・

休みの日の今晩、友人宅でお好み焼き&寿司パーティが催されるのに、歯が痛くて午後には目が覚めていた。そして電話が鳴った時には、まだベッドにもぐったまま機嫌を悪くしていた、とても。

「ミスター&ミセス有吉はいらっしゃいますか?」
「はい・・・ミスター有吉が話していますが」  
「私は・・・と申しますが、今・・・して頂きますと・・・が無料で届き・・・」

受話器の向こうで、妙に浮ついた若い女性の声が聞こえている。オレはいっそう不機嫌になった。

「もしもし・・・もしもし・・・私は今寝ているんですが」
「はっ?でも、少しだけお時間をください。メモをご用意できますか?」
「あの、私は夜中に仕事していて、今はあなた方の明け方3時頃なのです」
「でも、2・3分で済みますから」
「でも、私は今寝ていますから」
「あっ、ちょっと待ってください。今から通話料無料の電話番号を言いますから・・・」
「私の話しを聞いて貰えましたか?私は夜中仕事していて・・・」
「私も仕事でお電話しているんです」

歯の痛みは忘れ、オレの機嫌は次第に良くなってきた。

「ほう、あなたの仕事は、眠っている人間を叩き起こすことですか?」
「いえ、ご迷惑はお掛け致しません」
「もう、掛けられていますが」
「ですから、メモをご用意いただいて、次の電話番号に・・・」
「ですから、寝ているところをわざわざ起き出して、メモを取らなければならないほど大切な用件なのでしょうか?」
「はい、重要な用件です」
「どれくらい?」
「とっても」
「だから、どれくらいと訊ねているのですが」
「とってもです」

あははは、こいつアホや。

「夜中の3時に電話されて、重要な用件だから起きなさいという理由を、あなたは説明出来ますか?」
「でうから私は・・・」
「世の中の人みんなが同じ生活をしてるわけではないでしょ?あなたが眠っている時に・・・」
「もしもし、もしもし、私はマットと申します」

急に男の声に変わった。ははぁ、上司がエエとこ見せよと思ったか。

「只今ですね、次の電話番号へ電話すると、ミスター・××が・・・」
「おいおい、オレの話を聞いてたのか?オレは夜中に仕事していて・・・」
「はい、すぐに済みますから。メモをご用意できますか?」
「ベットにいるからできません。だいたい、さっきの女性は寝ている人間を起こすことが仕事だと言ってましたが、あなたもその続きをお話したいのでしょうか?」
「ご迷惑をお掛けしていたのなら謝りますが、この情報はあなたにとっても重要な情報なのです」
「いったい、何を伝えたいのでしょうか?」

男の顔を立てて話を聞いてやっても良いと思ったのは、前にマイケル(2004年2月5日付け参照)に問いただそうとしたら途中で切られてしまったからである。どうやら同じ輩らしい。オレは完全に起き出しベッドに腰掛けている。

「はい、今、ハマーH2の2003年モデルが$1.500で手に入る重要な情報を、次の無料通話でミスター××が教えてくれるという話なのです。その電話番号は1-888・・・」
「ハマーH2?ははぁ、あなたは私にその車を買って欲しいと」
「いえ、私は買ってくれとは申しておりません。ミスター××がですね・・・」
「人が寝てるところを叩き起こし、要りもしない車の情報を、しかもこちらがわざわざ電話して時間を潰し、聞けとおっしゃる」
「いえ、2・3分で済みますから」

ああ・・・こいつも結局同じや!アドリブの利かんやっちゃな。

「分かりました。今午後の3時ですが、私にとってはあなた方の午前3時だということは説明しましたよね。私にとっての午後3時にこちらから電話を差し上げますから、あなたのご自宅の電話番号を教えてください。」
「1-888・・・」
「それはあなたの自宅の電話番号?」
「いえ、ここに電話するとミスター××が・・・」
「いや、マットの家の電話番号を教えてください、夜中に掛けるから。そのときにもう一度説明してっ」
「いえ、それは・・・」
「そんなのは不公平でしょっ。私が一方的に電話を切らないのは、掛けてきた人を尊重してるからです。あなたも自宅の電話番号を教えなさい」
「・・・」
「マット?」
「はい」
「そっちから、電話を切ったら?」
「そうですね・・・プツッ」


2004年2月19日(木曜日)

もう奥歯(親知らず)の痛みに耐えられなくて歯医者へ走る。

84年に2週間だけ居候させて頂いたT先生は予約が一杯なので、その歯科医院に勤める友人の奥方が便宜を謀って、昼にはH先生に診てもらえることとなった。

オレの知るアメリカの医師(国籍を問わず)は患者に対して横柄な様子がなく、弱っているこちらの気持ちを慮って辛抱強く話を聞いてくれるし、「お気の毒に、直ぐに楽にしてあげましょう」といった診察で安心感を与えてくれる。H先生はアジア系の若い女性歯科医で、無駄口もニコニコと聞いてくれていた。忙しいT先生が様子を窺いに、時折顔を覗いてくれたのも嬉しい。

膿んでいないようなので、直ぐに抜歯することは決まった。

H先生は、日本人の患者が多いためかオレの名をサン付けで呼んだ。「スミトさん、もっと大きな口を開けてください」「スミトさん、グッドジョブ」「スミトさんリラックス」「スミトさんもうすぐ済みますよ」・・・。英語なのにもかかわらず、「スミトさん」という語感だけが独立して病んだ心(歯)を暖かく包む。オレを「スミトさん」と呼んだ女性を想い出しながら、微睡みのなかで身体の力は抜けていった。

「アリヨ」「有吉」にサンが付くことはあっても、人から「須美人サン」と呼ばれたことはない。家族や幼馴染みは「スミちゃん」だが、唯一、父方の祖母だけがオレを「須美人さん」と呼んだ。山口の宇部市でフグ料理屋を営んでいた祖母は、初孫のオレを可愛がり、誰よりも愛してくれた。大好きだった宇部のおばぁちゃん。

おばぁちゃんは何でも買ってくれ、どこへでも連れて行ってくれた。幼い弟たちが付いて行くとせがむと、「須美人さんに注射を打ちにいくから」と嘘を吐いてはオレだけを贔屓する。祖母が逝ってしまう11才頃までは、夏休みに宇部のおばぁちゃんと会えることが人生最大の楽しみだった。そして、会えば得意満面な坊ちゃんだったに違いない。

「須美人サン」という優しい響きは、淡い記憶の彼方へ精神を彷徨させた。常盤公園、下関の水族館、秋吉台、岐波の海水浴場・・・「スミトさん、終わりましたよ」・・・ダイワデパート、山陽急行、関門特急・・・「スミトさん、他の歯も処置が必要ですね」・・・全てが明るい陽射しの山口県に、消えゆく想い出の糸が連なっている・・・「スミトさん、こうこうでこうなので、歯茎を切開して」・・・優しかった宇部のおばぁちゃん・・・「スミトさん、$500で$20のおつりがきます」・・・オレを甘やかせてくれた???

「だから、今言ったことをすると歯茎も引き締まって、健康な歯が取り戻せます」
「$500?」
「それで$20のおつりがきます」
「はぁ、考えておきます」
「スミトさん、早い方がいいですよ」

レントゲン、抜歯代金$135を支払い、遠い時空の夢から醒めた大きな子供は、$12.39の薬を受け取りに薬局へと向かった。


2004年2月21日(土曜日)

昨年の9月から店を閉めていたエディ・クリアウォーターのクラブ、「リザべーションブルース」が再びオープンした。再開といっても経営陣が変わっただけで、クラブの外・内装はまったく変わっていない。

追っ掛けっ子のNは、今まで観た中で今晩のSOBの「音」が一番良かったと言う。箱の鳴り(店内の反響音)がクリアーで、バンドもバランスに気を配っていたためだろう。店の規模の割には大きな音響システムが置いてあり、ステージから聴こえるボーカルも気持ちいい。

休憩中、遊びに来ていた黒人女性歌手のデロリスから気になる噂を聞いた。詳細は分からないが、シュン(菊田氏:ココ・テイラーのギターリスト)が事故に遇ったと言う。先月はオレの車が後ろから当てられたばかりだったし、ロザの関係者もこの1年で3人が被害者になっていた。怪我でもしていなければいいが、明日にでもシュンに電話してみると丸山さんに話す。

機材搬出の時、店の裏口へ回したオレの車で狭い駐車場が一杯になったため、少し遅れて到着した丸山さんは、路地に自分の車を停めねばならなかった。オレが車を降りようとしたその瞬間、ミルウォーキー通りから、一台のミニバンがこちらに曲がって来たのが見えた。ドンという音と共に、ミニバンは丸山号の正面目掛けて突っ込んでいた。幸い彼に怪我はなく、衝撃音の割には車も見た目は損傷がないように思えた。

しかしこの一ヶ月で、同業の日本人3人が事故に遇うというのは尋常ではない。シュンの場合は不明だが、少なくともオレと丸山さんは巻き添えをくっている。

運転に気を付けないアメリカ人は多い。運転技術が未熟なのに安全運転をしない。交通ルールのみならず、交通マナーも知らない。事故が増えて当たり前だ。この加害者は、停まってヘッドライトを付けている車に当たって来た。もうバカとしか思えない。そしてこの国は、不幸なことにバカが多い。


2004年2月22日(日曜)

シュンの事故は雪の日に追突されたものだった。彼も大して被害がなく、我々は小さな運を使っているのかも知れない。

オレは20年ほど前、救命センターに二人が運び込まれるという大事故に巻き込まれた。その時に保険会社の人間が言ったことを思い出す。

「これほどの事故は、統計的に人の一生で一回あるかないかなので、今後も気を付けて運転していればニ度と起こらないでしょう」

爾来、自信のある範囲で安全に飛ばしていたので、先月の事故まで何も災いはなかった。今回は、こちらが停まっていたのに当てられたのだから仕方がない。被害が大きくなくて幸いだが、たまに小さな災いが起こる方が、不運を小出しにして良いのかも知れない。

いつもの休日のように、夕方自然に目が覚めた。暇だから誘えという友人を連れ、郊外の日本食料品店をハシゴして中華を喰い、行き付けのパブでコーラを3杯飲んで遊んだ。閉店で追い出されて外に出ると、雨の駐車場に停めたラグジュアリーカーの様子がおかしい。後輪右側のタイヤがどう見ても変形している。空気圧を計ると「適正空気圧」の20%もない。浮いた気も萎んでしまった。

一番近いガソリンスタンドで有料エアーポンプに¢50を入れ、ノズルの先をタイヤのバルブに押し付ける。シューっという空気が入っていく心良い音。ん!音?空気がちゃんとタイヤに入っていく音は「スー」でしょ?

ノズルの先にキーの先端を押し付け、ちゃんと稼動しているか確かめてみた。無音。エアーポンプ自体はガタガタと動いているのに、ノズルが壊れていて空気が出てないではないか。さっきのシューは、タイヤの残り少ない空気が漏れる音だった。

自らタイヤの空気を抜いて仕舞ったオレは相当慌てていたようだ。スタンドに¢50返せと文句を言うのも忘れ、近隣地理に詳しい友人に「他のスタンドは?」とせっつく。彼は笑いながら「直ぐ隣にありますよ」と指差した。なるほど、数軒先に別のスタンドが見える。より空気圧のなくなったタイヤを気にしながら乗り入れると、エアーポンプには「故障中」の汚い張り紙。

「おい、他のスタンドは?」
「ははは・・・大丈夫ですよ、そこの交差点を曲がったところにもありますから」

¢25で済んだ空気入れが終わって、稼動していたエアーポンプの機械音が止むと、濡れたタイヤからは、チューという微かな音が流れていた。はぁー・・・パンク・・・分かっていたけれど。取りあえず空気が入ったとなると、トランク一杯の機材の底に眠る、スペアータイヤを取り出さねばならぬタイヤ交換は面倒である。頼もしい友人は、24時間営業の修理屋(ガソリンスタンドに併設)へ案内してくれた。

汚らしく怪し気な酔っ払いがタイヤを外している間、オレはショーン・ペンが主演した「Uターン」で、ラジエーターホースの簡単な取り替えに、車を解体しかけていた修理屋を思い出していた。おまけにビリー・ボブ・ソーントン演じるその修理屋は、法外な修理費を吹っかけていた。

友人も不安げに酔っ払いの作業を見つめている。酔っ払いの修理は、見事に刺さった釘をふらふらしながら引き抜き、詰め物をして終わり。最初に言った$12の値段はそのままだったし、別に不信なところはなかった。ただ最後に、タイヤを浮かせたままボルトを締めていたので、友人がもう一度締め直してくれた。

頼もしい友人に感謝しなければいけない。ん!?ちょっと待てよ・・・もしヤツが遊びに誘えと請わなければ、今日のパンクはなかったはずだ。しかし考え様によっては、そのお陰でもっと大きな災いから逃れているのかも知れない。

小出しの不運はしょっちゅうなので、そろそろドンと大きな幸運が舞い込んで欲しい。


2004年2月25日(水曜日)

用事があったので、SOBのリハーサルを早く切り上げての帰り道、相変わらず買う気のない宝くじの看板が目に留まった。当選金額、$10 M(11億円ほど)・・・。先週は$214 M(235億円くらい)もあったから、お金に関して幸運な誰かが既に当てたわけだ。

こちらの宝くじは自分で番号を決めるから、複数当選も当たり前で、高額配当でも当選人数によって分配金額は変化する。また当選確率の変動はないが、当選した時の金額によって優劣が分かれる。当たったこと自体が幸運だとしても、当たった人の中でさえ幸不幸はあるわけで、何をもって幸運とするかはその人の価値観次第だろう。

夕刻のダウンタウンを抜ける帰宅ラッシュのハイウェイをトロトロ走りながら、オレの金銭運がドンと一気に来ることがあれば、当選金額は一体いかほどになるのかと考えていた。

教会の向こうに沈みゆく夕陽を眺めていると、ふとどうして音楽業界で当たることを想像しないのだろうと思い至った。それはきっと、「力」がなければ「運」があっても意味がなく、「運」がなくても「力」があれば何とかなると思っているからだろう。

大体が、当たるような種類の音楽にかかわっているのか?ましてや、音楽で当たることを願っているのか?

オレが宝くじを買わないのは、当たるはずがないと思っているからだけではないような気がする。庶民のささやかな夢を否定するのでは決してない。むしろ、当選金額が多額になるほど面白い。しかし自分が本当に当選したら、それほどの大金を理由なく「運」だけで手にすることに、何がしかの罪悪感が生まれるに違いない。オレはきっと、音楽で当たったら戸惑うのだろう。

部屋の隅でこちらの様子を窺っていたもう一人のオレが、「当ててからほざけ!」と言っている。


2004年2月26日(木曜)

昨日ACリードが逝った。ジミー・バーンズも心臓のバイパス手術を受けたらしい。

エディが別仕事で欠席し、代役は去年始めのマインズ(毎火曜)でのオレの雇い主スラム・アレン。トニーも来なかったので、スラムの仕切りの悪さに参ってしまった。ジャムのホストに慣れていないのか小心なのか、ジャマーの交代(演奏できる人は長い目に、そうでない人は早い目に降ろす)をちゃんと見切れない。5人もいたハーモニカの内、ソロもろくに取れない者を一時間ステージに残し、ちゃんと演奏できる者に一曲しか機会を与えなかったのは不公平感が残る。

二人のピアニスト(女性)を各々一時間上げていたお陰で、オレは最初の一セットだけの演奏で終わった。その代わり、時間配分を見かねて「残り何人ギターがいて、ハープは何人、後何曲で休憩」と裏方に回る。オレが走り回らねばきっと何千(気持ちの上での数)のジャマーが暴動を起こし、死者(気持ちの上での死人)が出ていたかも知れない。


2004年2月28日(土曜)

昨日のレジェンドでは、会った時からビリーがオレに気を遣っていた。

再開されたリザべーション・ブルースであった、先週のライブの入り時間を聞いたら、後で知らせると言っていたのに電話がなかった。今回、金曜日にレジェンドで演奏するのは初めてだったので、これも水曜のリハの時に訊ねたら後で電話すると言っていた。結局連絡がなかったので、当日マネージャーに電話をして少し文句を言った。「知らせると言っておきながら連絡もなく、こちらから電話せねばならないのは、扱いがぞんざいではないのか」と、条件も含めて普段から不満を言わないオレが文句を言ったものだから少し慌てたようだ。

この数カ月暇になったのは、単にSOBの仕事量が減っただけでなく、間が悪く他所からの誘いとバッティングした日が多かったからだ。ローカルの仕事は2週間ほど前に入ることも多いので、もっと前から決まっているツアーの誘いに応じられることはない。レギュラーのバンドの仕事を外したくなければ、自分のスケジュールを埋めるのはとても大変なのだ。

この木曜日、久しぶりにシュンと近況を語り合ったが、彼もココのスケジュールがあるので、一年半も日本へ帰っていなかった。オレはいまだにジェームス・コットンのツアーには参加していない。もう誘ってくれないかも知れない。一つのバンドだけでは生活がままならないのであれば、こちらの都合で少々穴を開けても良いではないかと思うのだが、妙な不信感を抱かれたくはないので我慢している。

そんな不満が募って、連絡ミスが重なったのに乗じ正当な抗議をした。私生活が忙しかっただのの言い訳にも退かず、プロとしての自覚を持って欲しいと頼む。こちらがどんな犠牲を払ってレギュラーに留まっているかも付け加えておいた。偉そうな話ではない。趣味とは違い、共に演奏を生業としているのであれば、扱い(金銭面ではなく)は公平であるべきだ。オレがぞんざいに扱われている気がすると、少し大袈裟に言ったのが効いたようだ。

マネージャーからビリーにどう伝わったかは分からない。ビリーは会うなり「お前はバンドにとって欠かせない存在だ。今回の件は謝るから、そんな風には受け取らないでくれ」と懇願するように言った。オレは笑いながら、SOBの仕事を外さないために結構苦労している旨を告げた。普段我慢しているから、怒りまではいかないが、不安定な気持ちが治らないのを感じている。ビリーは辛抱強くオレを宥(なだ)めていた。終演後もこちらの気持ちを窺うように、オレがどんなに必要かを説いていた。

そして今日マネージャーからだめ押しの電話があった。

「ちょっと問題があって神経質になってるの」
「どうしたんですか?」
「あなたがバンドを離れるのを知っているから」
「離れませんよ」
「嘘よ。あなたはバンドを辞めるわ」
「辞めませんよ」
「でも、ビザ申請の時に提出した契約書は今年で切れるわ」
「あははは・・・延長の時に、またあなたのサインが必要なんですがね」
「ホント?昨日からビリーもあなたが辞めるかも知れないって心配してるのよ」
「クビになれば別ですけど、辞めませんよ」
「それならいいけど、ホントね?」
「エエ安心してください、ただ・・・」
「何?」
「こんな早い時間に電話してくるのは止めてもらえますか?」

マネージャーのマドリンが朝の8時に電話してきたのは、よっぽど混乱していたのか嫌がらせだったのかが分からない。