Chicago Blues Festival 2001 Vol.1

(2001年6月12日記)


シカゴ・ブルース・フェスティバル2001。今回で、いつの間にか18回目をむかえました。ぼくが、シカゴに辿り着いた頃はまだ一桁台だったものです。当時はステージもペトリロを入れても3つしか無く、期間も週末(金、土、日)の3日間だけでした。それから、ブルース・フェスと言えばターキー・レッグ!そのターキー・レッグも昔のものと比べると2回りは小さくなったしね...残念(笑)。

当時は、出演者も企画する側もフェスティバルを成功させようと、もっと活気があったように思います。企画側が選抜する出演者のほとんどは世界のトップ・クラスのブルース・プレイヤー達でしたし、パンフレットや地元ローカル・クラブにもかなり早い時期からプロモーションを行っていました。
フェスのライン・ナップなどパンフレットなどに頼らずとも1ヶ月位前には、情報が行き渡っていて、誰に聞いても「今年はどこどこの誰々に、どこどこの何々が出る!」とあちらこちらで騒がれたものでした。
しかし、それでもシカゴ・ブルース・フェスは、ぼくの知る限りブルース・オンリーのフェスティバルの中では、恐らく世界でもトップ5に入る位の規模と動員数を誇っていると思います。

余談ですが、世界一のフェスはどこか?それは、恐らくニューオーリンズです。ぼくが、出演したのが1996年頃のハウス・オブ・ブルース・ステージでしたが、雨か嵐のせいで野外の地面は泥だらけでした。にもかかわらずステージの周囲180度から眼が届かなくなる位の後ろの方まで観客がぼく達の方を向いているですから...。
ぼくは、こんなに大勢の人の前でハモニカを吹いたのはその日が初めてでした。後で聞いた話では、ぼく達の次の出演者がケブ・モーさんだったので、観客は雨にも負けず場所を取っていたんだそうです...(笑)。
その頃、ぼくにしてもバンドの連中にしても、ケブ・モーさんの事を知っていたのは一人もいませんでした。ぼく達にしてみたら「大勢いる若いギターの弾き語り」の一人と勝手に思って、雨の中をバトンルージュからニューオーリンズにやって来たわけです。それで、ぼく達が楽屋に着くと大勢の人だかりなので、バンド連中の中には「なんと言っても、ルイジアナじゃ俺達も人気物さ」と言う奴までいました。それを聞いていたぼくも、そう勝手に信じてしまっていました(笑)。しかし、ぼくは「どうもおかしい?」と思っていたものでした。大勢の人だかりはぼく達には目もくれず、ぼく達の控え室には数人の関係者とカメラ・マンしか訪れませんでした。それに引き換えケブさんの控え室には、カメラ・マンや大勢の関係者やギャラリーが詰め掛けていました。「知らぬが仏」と言う諺がありますが、あの当時のバンドの連中の中には、今でもあの日の「観客は自分達を待っていた」と信じている人もいる事でしょう(笑)。

木曜日の夜に出たばかりのシカゴの情報紙「READER」を開いて見ると、今年のブルース・フェスのライン・ナップが飛び込んできました。ひととおり眼を通して思った事は、ペトリロ出演者が他のステージと掛け持ちしていたり、同じ日に他のステージと重複している出演者が多いことです。それに、個人的にはハモニカ・プレイヤーが少ないと言ったところでしょうか(クラブでの出演者も含めて)。またブルース・フェスが行われている期間のブルース・クラブでは、通常どこもスペシャル・イベント的なブルース・プレイヤーを州外から呼び寄せたりして、世界中から訪れるブルース・ファンの足を疲れさせ、寝不足の原因を提供するものですが、ぼくが眼を通した限りどこのクラブも通常業務に徹しているように思えます。何となく年を重ねるに連れて、少しづつですが出演者や規模が小さくなっているのではないかと思ったのは、ぼくだけでしょうか?しかし、別にチケットを買うわけでもなく、無料でそれもライブで一流プレイヤーの演奏に触れられると言うのは、この時期だけです。ありがたい話です(笑)。

ぼくがフェスに訪れたかった日は、金曜日だったのですが急な野暮用が出来て、叶いませんでした。ウィリー・キングさん、マジック・スリムさん、タッド・ロビンソン&アレックス・シュルツさんにジョアンナ・コナーさんと観たいと思っていたバンドをみんな逃してしまいました。それになんと言っても、もうそろそろ大御所入りしても遜色のないビリー・ブランチ&SOBも観られませんでした。ビリーさんが率いるSOBでリード・ギターを弾く、丸山ミノルさん(ぼくのバンドでもリード・ギターを担当してもらっている)が、ペトリロで演奏すると言うグット・ニュースを聞いていただけに、本当に楽しみにしていました。それを観に行けなかった事はやはり残念です。
SOBのリード・ギターリストのポジションと言うのは、1970年代以来、数々の有名人(ルリー・ベル、カルロス・ジョンソン、カール・ウェザズビー等)を生み出して来た由緒のあるポジションだけに、あらゆる方面からも注目されます。また前ギターリストとも比較対照されますので、いろいろな意味でプレッシャーも有る事でしょうが、丸山さんにはどうか健闘して貰いたいものです。それに付け加えて、今年のSOBには、あのバーバラ・レシュアーさんと前SOBの看板男Vo&Gのカール・ウェザズビーさんがゲスト出演すると言う情報も有りましたので、なおさら残念です。


僕がブルース・フェスの会場を訪れたのは、土曜日の午後からでした。歩き回っても出演者は決まっている訳で、とにかくフロント・ポーチ・ステージで居座る事にしました。そうこうしている間にアイク・ターナー&パイントップ・パーキンスのセットが終わり、その後、地元のギター・プレイヤー&シンガーのエディ・キングさんの演奏を楽しみました。エディさんは、黒のストロー・ハットにジミー・ヘンドリックスが着ていそうなシャツでステージに現れました。バンドのついてはよく見えませんでしたが、ギター、キーボード&アルト・サックス、ベースにドラムと言う編成でした。全体にはロックっぽい演奏だと思いましたがR&Bのフレイバーたっぷりで観客は大喜びです。ギターのフレーズを聴いているとどうやらアルバート・キングさん辺りの影響が濃いようです。しかし、いつも思いますが声がいいと言うのは、本当に羨ましいです。

エディ・キングさんの次には、Vo&Gホームシック・ジェームスさんにBのボブ・ストロージャーさん、Drにはウィリー・スミスさんの3人だけのセットが始まりました。
ホームシック・ジェームスさんはこれまでにも3度ほど観ていますが、今日ぐらい元気で楽しそうに演奏している姿を観た事がありませんでした。顔も以前より随分フックラとしたようです。そんなホームシック・ジェームスさんの歌声には変わらぬ力強さが漲り、歌やギター・ソロの合間にすぐ隣に腰掛けたボブ・ストロージャーに目線を送ってお互いにしか解らない会話のやり取りでも楽しんでいるかのように白い歯を見せ合っていました。

ぼくにとってのブルース・フェス2日目は、やはりフロント・ポーチから始めて、ホルムス・ブラザースの終わりの方を少し覗いて、次に登場したのがCootie Strakさんと言う恐らく盲目のVo&Gでした。カントリー・ブルースと言うよりも少しゆっくり目のラグタイムと言った感じでした。

次に出演した、ラッキー・ピーターソンさんを観るのは久しぶりです。バンドはぼくが知っている当時とはかなりメンバーが変わっているようでしたが、バンド・サウンドは彼好みのモダンなものでブルースと言う拘りよりも、ショーを優先していて観ている観客には踊り狂うのもいました。彼は、随分前にシカゴに住んでいた事もあり、ぼくもラッキーさんがビリーさんやマイケル・コールマンさんの所へJAMをしに来ていたのをよく観ていました。当時はここまでビック・ネームになるとは思っていませんでしたが、一度切りですがブルース・クラブでラッキー・ピーターソンさんが自己のバンドで演奏をしているのを観た事がありました。バンドは3ピース・バンドで、ラッキーさんがVo&Gで時折キーボードにスィッチすると言う最小限のバンドでした。選曲は殆どが彼のオリジナルで、当時は今と比べるとかなりブルージーでした。その夜ラッキーさんは持ち前のショー・マン・シップを最大限に発揮して、ギター・ソロを弾きながらハルステッド通の「BLUES」のバー・カウンターの上を端から端まで歩き、それを見ていたぼくもかなりビックリしたものです(笑)。そんな事までするプレイヤーを他に観た事がありませんでしたから(笑)。

余談になりますが、ハモニカ・プレイヤーのロッド・ピアッツァが、ハモニカ・ソロを吹きながらバディ・ガイズ・レジェンドのバー・カウンターの上を歩くのを観た事があります。しかし2回目にシカゴへ演奏に来た時は、事前に注意でもされたのか、バー・カウンターの上を歩きませんでした。来ていた客の中にはそれを知っていて「今夜はバー・カウンターの上は無しか?」とジョークを飛ばす観客もいた位です(笑)。

そんな、ラッキーさんはいつからかシカゴを離れ、どこかに移ったと聞いていました。
これが、90年頃でした。それから、96年にスイスのモントルー・ジャズ・フェスティバルに出演した際、フェスティバル会場の控え室でハービー・ハンコックさんやハービーさんのベース・プレイヤーとして来ていたデイブ・ホーランドさん、ネイザン・イーストさん達とヨーロッパの食事事情なんかについて雑談している最中、彼らの間を縫って現れたのが、ラッキーさんでした。ラッキーさんと再会した時には、ぼくも大変驚いたのを覚えています。お互い「何で、ここに?」と言う感じでしたから。恐らく、向こうの方がもっと驚いた事でしょうが...。これが、ぼく達が言う「クロス・ロード」です。
しかし、このモントルー・ジャズ・フェスでの彼はホーン・セクションを加えた10人編成位のバンドに、自前のツアー・バス、衣装も堂々としていて、全く見違えたものでした。その頃のフランスでは、彼のレコード・セールスはB.B. キングを凌ぎ、名実共に一番有名なブルース・マンとなっていると聞きました。そんな、ラッキーさんの姿を今度は2001年のシカゴ・フェスのそれもジューク・ジョイント・ステージと言う小さくて小汚いステージで観ると言うのもどこか複雑なものがあります(笑)。このセットは、言うなれば余興のような物で、アコースティックに近い演奏を見せてくれました、ギターが3本、ラッキー&ジェームス・ピーターソンとリコ・マクファーラン。リコさんの姿も久しぶりに見ました。
曲は、ジミー・リードやマディーやオーソドックスなシカゴ・ブルースでジェームスさんが殆ど歌いラッキーさんも続くと言った具合でした。


ぼくが、この2日間で一番良かったのは、偶然に立ち寄ったRoute66ステージでのアーマ・トーマスさんの歌とジミー・マクラッキンさんのピアノとダン・ペンのアコースティック・ギターで奏でるスロー・テンポのR&Bでした。この3人でフワッと出てくるあのサウンドの感じは何とも言えません。あちらこちらから聴こえてくるコンテンポラリー・ブルースに疲れた耳がここに来て生き返ったように思いました。きっと、そう思う人も多いのか、この狭いテントは超満員でした。シカゴ・ブルースもいいですが、いつか時期が来れば、アーマさん達のやっているようなホッと一息付けるような音楽にも挑戦してみたいものです。


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