About Swedish Blues


日本のほぼ反対側に位置する北欧の国スウェーデン。面積は日本の1.2倍だが、人口はわずかに883万人だという。
そのスウェーデンに、ざっと数えただけでも200を越すブルース・バンドが存在するのをご存じな方は、そう多くはないだろう。しかも、そのどれもが非常に高いクウォリティを保ち、本場アメリカをもしのぐ素晴らしい作品を送り出している。
わたし自身、スウェーデンのブルースシーンに興味を持ち、彼の地のブルース・ファンと交流を始めたのは、つい最近のことなので、まだまだ情報不足で判らないことも数多くある。
新しい情報が入り次第更新をしていきたいと思う。


スウェーデンにブルースが深く根付いた理由の一つに、熱心なブルース愛好家/研究家が、1960年代始めといった比較的早い時期からアメリカに渡り、現地の詳しい情報をいち早く本国で拡めていたことがある。
1964年には、スウェーデン放送局が、シカゴ〜メンフィス〜ニューオリンズと移動しながら貴重な録音を行い、"I BluesKvarter (In the Bluesquarters)"という番組を制作したし、その後も、"Aftonblues (Evening Blues)"、"Mera Blues (More Blues)"という番組も制作された。
1968年には、雑誌"Jefferson"が発刊されたが、これは32年経った今も、マニアックで貴重な記事を掲載し続けている。
1972年には、スカンジナビア・ブルース・アソシエーションが創設され、ブルース人気にさらに拍車が掛かることになる。
こうしたブルース愛好家の地道な努力で、着実にファンを増やしていったと推測される。

もう一人、スウェーデン・ブルース・シーンにとって非常に重要な人物がいる。Per Notiniがその人だ。彼は、やはり1960年代の早い時期からブルースに興味を持ち、ブルース・ピアニストとしても一流の腕前を持っていた。
本名を出してもピンとくる方は少ないだろが、ストックホルム・スリムというあだ名を出せばすぐに気が付く人も多いであろう。そう、マジック・サムの名前を大きく知らしめることになった名盤「West Side Soul」(DELMARK DD-615/P-VINE PCD-1801) に参加していたあのピアニストである。
彼はスウェーデンに帰国後、「スリムズ・ブルース・ギャング」というバンドを結成し、後身の指導にあたった。スリム学校の卒業生には、セヴェン・ゼッテンバーグ、ステファン・サンドルフ、ペプス・パーソンといった名プレイヤー達がいる。こうした名前を見るだけでも、彼が現在のスウェーデン・ブルースにどれだけの影響力を持っていたかが判ると思う。


Stockholm Slim and Zora Young


ストックホルム・スリムが「West Side Soul」の録音に参加した時の話を聞かせていただいたので、蛇足ながら付け加えさせていただく。

私は、1967年にニューオリンズからシカゴへと旅をしました。シカゴではボブ・ケスター(注:デルマーク・レコードのオーナーで、ブルース研究家)の家に泊まらせてもらい、8日間滞在しました。7月12日にマジック・サムという男のレコーディング・セッションがあるということで同席させてもらうことになりました。
ボブは、オーティス・スパンにピアノを依頼していたのですが、当日彼はスタジオに現れませんでした。私はサムのマネージャーに「スパンの代わりに私にピアノを弾かせてくれないか聞いてみてくれ」と依頼しました。サムは一言「俺と一緒にプレイできるんなら構わないぜ」とだけ答え、レコーディングは始まりました。
スタジオには、サムの他にマイティ・ジョー・ヤング、アーネスト・ジョンソン、オディ・ペインがいました。サムは私に対して何の指示も与えてくれませんでした。AやEといったキーの曲は問題なくプレイできましたが、彼がBやF#の曲を好むので大変苦労しました。
"My love will never die"という曲をプレイしたときには、私だけではなくベース・ブレイヤーも一度も演奏したことがなく、コード進行に苦労をしました。サムは相変わらず何も指示しませんでしたが、オディ・ペインが親切に色々教えてくれました。
レコーディングは3時間途切れることなく行われました。全てが終わったあと、サムが「テープを聴いてみよう」と言い、みんなで聴くことになりました。サムは、"I need you so bad"を聴き終わったあとに「お前がフロントに立ったときには、もっとガンガン行け」とアドバイスをしてくれました。
全てのテープを聴き終えたあと、サムはみんなに向かってこう言いました。「ヘイ!このピアノ・プレイヤーは全くクレイジーだぜ!」。

ストックホルム・スリムは、前述したようにスウェーデンに帰って「スリムズ・ブルース・ギャング」を結成。何枚かのアルバムを発表したが、1985年頃にゴスペルに転向し、ピアノを弾いていた。
しかし、その彼が約15年ぶりにブルースに「帰って」きて、手始めにBlues Down Townの3rdアルバムに参加をしたという。そこで彼は7曲でピアノを弾いており、2001年の終わりか、2002年の初め頃に発売できるという。

スウェーデン・ブルース・シーンがさらに面白くなるのは間違いないだろう。


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