J.B. Lenoir

純情男は骨太男、の巻



私は、始めて彼を聞いた時、あの独特なハイピッチの声と、同じ様なロッキン・ブルースが続くことに閉口し、しばらく彼のレコードを聴くことはなかった。
そんな彼に対するイメージを180度変えさせたのは、『アメリカン・フォーク・ブルース・フェスティバル』での「スロー・ダウン」であった。ウォルター・ホートンとのたった二人だけの演奏だが、この曲の美しいこと!ブルースが美しいと感じたのは、この時が初めてであった。
また、乗りの良いロッキン・ブルースの裏で、皮肉を込めた歌詞を歌っていることを発見してからというもの、彼の大ファンになったのであった。
まだまだ過小評価に甘んじているかと思うが、もっともっと聞いてほしい偉大なブルースマンの一人だと感じている。

J.B.レノアーは、1923年にミシシッピー州の南部モンティセロに生まれた。多くのブルースマンがそうであるように、彼も子供の頃から農作業の手伝いをし、合間には父親からギターの手ほどきを受けていたという。「ブルースを弾くことは禁じられた」という話はよく聞くが、彼の場合は、積極的にブラインド・レモン・ジェファーソンなどのブルースを教えてもらい、さらにライトニン・ホプキンスやアーサー・クルーダップからの影響も受けたという。家族全員ギターを弾いていたらしく、その意味では恵まれた環境で育ったと言うべきだろうか。
ところが、南部で生活する黒人の苦しさは、私たちも知識としては知っているつもりだが、想像を遙かに超えた辛いものであったらしい。後に、数々の社会風刺の効いたブルースを産み出す土台は、この頃すでに芽吹いていたのであろう。
レノアーは、そんな南部を早い時期に「脱出」している。
15才のルノアー少年はニュー・オリンズに赴き、サニー・ボーイ・ウイリアムソンやエルモア・ジェイムスとクラブでのギグをこなしている(この頃の想い出は、後年「ザ・モジョ」で歌われている)。
その後、南部を転々とした彼は、49年に親戚を頼ってシカゴへたどり着いている。ご多分に漏れずビック・ビル・ブルーンジーの世話になり、メンフィス・ミニー、ビッグ・メイシオ、マディ・ウォーターズらと共演した後に、50年に自身のバンドJ.B.&ヒズ・バイユー・ボーイズを結成。たちまち人気をさらっていったという。

そんな彼をレコード会社が放っておくはずがない。翌51年には早くもレコーディングの機会に恵まれる。
と、ここで早くも混乱が。「In the evening」「Please don't go away」は、以前はパロットへのオーディション用の録音といわれていたが、Blues Recordsでは、チェスへのテスト録音であると書いてある。事実は明らかになっていないが、聞いた印象からいうとBlues Records説が有力ではないかと思い、ここではそれに従うことにする。スヌーキーのハーモニカは間違いないと思うが、サニーランドとエディ・テイラーのギターというのはどうであろうか。
前者はリロイ・カーのカバー。後者はウォーキングベースのブギだ。音は至って悪いが貴重な録音に間違いない。

The Mojo Boogie
(P-VINE PCD-2164)

と言うわけで仕切り直し。
51年にサニーランド、アルフレッド・ワレンス、リロイ・フォスターを伴ってJOBに録音。ところが当時は発売されず、後にチェスにリースされて始めてレコードとなった。
このセッションで、彼は早くも「Korea blues」という時事ネタを披露しているが、その裏で純情ブルースも録音しており、初録音から彼の魅力が全開だ。
意外なのは4曲ともスローブルースであるという事。スロー・ブルースでもドロドロとした雰囲気にならないのがこの人の持ち味か。
同じく51年10月には、リロイ抜きのメンバーでJOBに録音。めでたくこれが初レコードとなった。デビュー曲で代表曲のひとつでもある「Let's roll」ではお得意のロッキン・ブルースを披露。サニーランドのピアノもいい感じで突っ込んでくる。
51年後半には同じくJOBに4曲録音しているが、こちらには正体不明のベーシストが参加している。それにしてもサニーランドのピアノは、それだけで彼独特の世界を作ってしまうものだ。
一年以上間をあけて、53年にJOBに録音した際には、J.T.ブラウンのサックスが加わっている。おそらくこのスタイルが、当時の彼らの標準的なスタイルであったのではないだろうか。このセッションからは「The mojo」「How can I leave」という名作が生まれている。サニーランドのピアノが引っ込んで、かわりにJ.T.が大活躍!カッコイイのなんのって!!
Early 50'sの典型的なサウンドであり、かつ最良のサンプルでもある。

J.B. Lenoir His JOB Recordings
(Paula PCD 4)

JOBでの録音は、サニーランドのバンドをバックに起用した、いわば即席録音とも言えるものであったが、翌54年からは自己のバンドをバックにパロットへの録音を始める。
いきなり時事ネタの「I'm in Korea」「Eisenhower blues」を録音するも、「Eisenhower blues」の歌詞が大統領を誹謗中傷したとして発売禁止になったのは有名な話。そのため歌詞を変え発売し直したのが「Tax paying blues」である。
ピアノのジョー・モンゴメリーは、ご存じリトル・ブラザー・モンゴメリーの弟。サニーランドほどの華はないが、おいしいところで突っ込んでくる好サポートだ。

パロットでの録音は1年にも満たなかったが、13曲を立て続けに録音する。先の「I'm in Korea」「Eisenhower blues」も勿論だが、「Mama talk to your daughter」「Give me one more shot」などの名曲が数多く生まれている。ダウンホームなJOB録音に比べ、アーバン度も200%アップ!!
今ならまとめて聴けるCDを入手できる可能性が残されている。急げ!!

The Parrot Sessions
(Relic 7020)

ところで、彼のプロモーション用写真は、必ずゼブラ模様のモーニングを着ていることに気が付かれただろうか(ジャケットではない。ちゃんと燕尾服になっているのだ)。Relicの「The Parrot Sessions」に使われている写真では、なんと蝶ネクタイまでシマウマである。そんな奇抜なところも人気の秘密だったのであろうが、ふるさとアフリカの草原を意識した、なんて事はないだろうなぁ。

さて、55年の9月からはいよいよチェッカーへの録音が始まる。
メンバーはパロットの時と同じだが、ベースにウイリー・ディクソンが加わり、当然プロデュースにも大きく関わってきたと思われる。この出会いが、後のレノアーの音楽性と思想の面で、大きな転機をもたらしていくと私は考えている。
 
チェッカーでの最初のセッションでは5曲が録音されているが、レノアーのブギ・ギターとアル・ゲルビンのバック・ビートに乗って、アルトとテナーのサックスが繰り返しリフを吹いていくというスタイルに大きな変化はない。

続く55年暮れと思われるセッションでは、4曲を録音するも、当時は一曲もレコード化されなかった(うち一曲は未だに未発表のまま)。まぁ「Everybody wants to know」の様に「金持ち連中はよく聞いた方がいいぜ。俺達貧乏人が腹を空かせたときは、食い物を盗んでやるだろうからな」なんて歌詞は発売自粛になって当然か。
このセッションでは、演奏のパターンは同じなのだが、チェス独特の深いエコーがかけられ、それまでの録音とはひと味違った雰囲気をかもし出している。

約一年間を置いて、56年12月にチェッカーでの3回目のセッションを行い「Don't touch my head」という名曲が生まれる。「俺の頭に触らないでくれ」という歌詞は、単なるノベルティー・ソングかと思っていたが、マルコムXの自伝によると、髪の毛を延ばしてきちんとセットするためには、「アルカリ液を使い、大変な苦痛と火傷をする危険を伴って...」と書いてある。そして「白人のようになりたいが為にその様なことをするなんて、なんとバカな行為だったのであろうか」と告白し、黒人同胞に警告を与えている。レノアーも、そんな事をする同胞に対して、皮肉を込めて歌ったのか、というのは私の考え過ぎか?
このセッションからは2枚のレコードが発売されたが、1回のセッションから2枚のレコードが出されたことは、チェッカーの中でも一番多い。なるほど完成度の高い曲が多いが、ブルースに陰りが差してきた56年という年を考えると意外な気もする。

Natural Man
(MCA MVCM-22012)

さて、この当時のレノアーの心情を知るのに興味深い記述がある。
『(J.B.は)放蕩の世界を断念し「神意のままに」という信念に立っている。そうはいっても、チェス・レコードにときたま録音し、ブルースとの接触は保っているようだが。』『また彼は、ブルース歌手はすべて、自分の才能と精神的源泉に忠実であるべきだと考えている』(チャールズ・カイル著「都市の黒人ブルース」P.228)
ここでいう「神意のままに」というのが何を指しているのかは読みとれないが、この本がマルコムXに捧げられていること、50年代には「ネイション・オブ・イスラム(NOI)」の教えが、進歩的な黒人間で次第に拡がっていったこと、この後ルノアーの音楽が急速に「アフリカ帰り」したこと、NOIの信者だったウイリー・ディクソンと出会ったことなどを総合すると、彼もイスラム教に傾倒していたことも考えられる。
ただ、残念なことにこの辺の事実関係を裏付ける記述が見つからず、私の単なる仮説でしかない。ウイリー・ディクソンも、当時からNOIの信者だったのかどうかも不明のままである。彼の自伝を読めばヒントが隠されているのかもしれないが、私は未読のままである。

またしても話が脱線してしまったが、チェッカーに対して4回目で最後のセッションは58年に行われ、6曲を録音する。
バックには、いつものメンバーに加えレナード・キャストンのオルガンと、ロバート・ジュニア・ロックウッドのギターが加わり、よりゴージャスとなっている。さらに「She don't know」にはボーカル・グループも加わり、R&B風味を効かせている。
バンドのコンビネーションも絶好調で、レノアーのロッキン・ブルースも頂点を迎えたといっても過言ではないだろう。キャストンとロックウッドは隠し味程度だが、これがまたいい味を出している。
惜しいのは、「She don't know」がCD化に際して追加収録されたものの、それ以外が未CD化であること。廃盤LPを捜すか、シングルを捜して是非とも聞いていただきたい。何といっても「Daddy talk to your son」「She don't know」の2曲でこのセッションは決まりなのだから。

さて、これを最後にチェッカーを離れたレノアーは、シャドという泡沫レーベルに2曲録音をする。
アトキンスとアルがはずれて、ジュニア・ウエルズのハープとジェシー・フォウラーのドラムが替わりに入った異色の作品だ。ジュニアの3rdポジションのハープが今までにない雰囲気をかもし出すが、ちぐはぐな感じは否めない。なお、この時にジュニアはレノアー、メンフィス・スリムらと「So Tired」を録音している。もちろん、チーフ録音とは違うバージョンであり、未LP/CD化のままである。
60年にはVJに5曲録音するが、まるでJOB時代に戻ったような雰囲気。かと思うと「Do what I say」は、まんま「ホワッド・アイ・セイ」だ。時代と共にレノアーも混沌としていたのであろうか。
 
その後ポール・オリバーによってヨーロッパのブルースファンに紹介され、60〜62年にかけて弾き語りで何曲か録音を行い、後にデッカ、ブルー・ホライゾン、JSPなどから発売されたが、特に記する事は何もない。歌詞を変えるなどの独創性(?)も感じられるが、ただ昔の曲を弾き語りでやっただけ、というのが率直な感想だ。

しかし、レノアーはこれで終わりはしなかった。63年にUSAに対してセッションを持って素晴らしい録音を残すことになる。それが「J.B. & アフリカン・ハンチ・リズム」名義での録音だ。メンバーは一新され、ボンゴも入れ「アフリカ帰り」した、いま聞いても革新的なブルースであった。
実は、このセッションこそが私の一番好きなセッションである。「I feel so good」のノリの素晴らしさ。いやー、何回聞いても興奮する。ディクソンのコーラスもバッチリ決まり、この曲の魅力を倍加させている。「I sing um the way I feel」も後の弾き語りのスタイルを予感させる曲調だ。

The Way I Feel
(Paula PCD-23)

その後レノアーは、65年10月に「アメリカン・フォーク・ブルース・フェスティバル」の一員として渡欧し、冒頭にあげた「 Slow down」他を録音したり、ドイツのTVに出演したりしている。その時の模様は「American Folk Blues Festival 1965」としてビデオ化(ブートレグ)されているが、これがまた凄い。「Alabama Blues」を演奏した後、フレッド・ビロウを従えて「God's Word」を演奏するのだが、自身のギターをパーカッションの様に叩いたかと思うと、クルリと回すパフォーマンス。あまりの格好良さに卒倒するかと思ったほどだ。
また、ヨーロッパ・ツアーを挟んで、ホリスト・リップマンにより2枚のアルバムが録音された。弾き語りを中心にフレッド・ビロウ、ウイリー・ディクソンが参加したアルバムだが、先に挙げた60年代初頭の弾き語り物とは比べ物にならない素晴らしいアルバムだ。
ウイリー・ディクソンが全面的にプロデュースを行い、「何の制約も受けずに、自分の思っているままを歌ってくれ」というリップマンのリクエストのもとに録音されたアルバムだ。内容があまりにも政治的だったため、アメリカでは誰も発売したがらなかったが、ヨーロッパのCBSとポリドールからそれぞれ発売された。
幸い現在では「Vietnam Blues」(Evidence ECD 26068-2)で2in1にまとめられている。本来ならこれ1枚だけで紹介記事を書きたい位なのだが、私に与えられたスペースはとっくに使い果たしてしまった。弾き語りというだけで敬遠しないで是非聞いていただきたい、とだけ付け加えておこう。

Vietnam Blues
(EVIDENCE ECD 26068-2)

こうして、プロテスト・ブルースを弾き語りで演奏するという第二の人生を踏み出したレノアーだが、67年に自動車事故によりあっけなくこの世を去ってしまう。まだ38歳という若さであった。
その後の展開を想像するたびに、あまりにも残念な結末だと思うばかりだが、これも全て「神意のままに」なのだろうか。せめて、残された素晴らしい録音の数々を、大いに楽しもうではないか。

LPs

Fine Blues
(Official 6049)

A Memoir For Lenoir
(P-VINE PLP-824/825)

Chance Vintage Blues
(P-VINE PLP-707)

J.B. Lenoir
(Python Records PLP-25)

Out Of Bad Luck
(Flyright Fly 590)

Encore For The Chicago Blues
(Spivey Records LP-1009)


J.B. Lenoir Discography

v/g with Snooky Pryor,hca; Sunnyland Slim,p; poss Eddie Taylor,g. Chicago
(1) In the evening (A)(B)
(2) Please don't go away (A)(B)

J.B. Lenoir & His Bayou Boys
v/g with Sunnyland Slim,p; Leroy Foster,g; Alfred Wallace,d. Chicago, 1951
(3) Deep in debt blues Ch 1463 (B)
(4) Carrie Lee Ch 1463 (C)(D)
(5) My baby told me Ch 1449 (B)
(6) Korea blues Ch 1449 (C)(D)

J.B. Lenoir & His Combo
Omit Foster,g. Chicago, 22 Oct 1951
(7) Play a little while JOB 1102 (E)(F)
(8) Louise JOB 1102 (E)(F)
(9) Let's roll (F)
(10) Let's roll JOB 112 (E)(F)(P)
(11) People are medding JOB 112 (E)(F)
  Little Mae unissued
  I feel all right unissued

v/g with Sunnyland Slim,p; unk,b; Alfred Wallace,d. Chicago, late 1952
(12) I have married (E)(F)(P)
(13) The mountain JOB 1008 (E)(F)(P)
(14) I'll die tryin' JOB 1016 (E)(F)(P)
(15) How much more JOB 1008 (E)(F)(P)

Add J.T. Brown,ts. Chicago, 12 Jan 1953
(16) The mojo (E)(F)
(17) The mojo JOB 1012 (E)(F)(P)
(18) Slow down woman (E)(F)(P)
(19) Slow down woman (E)(F)
(20) I want my baby (E)(F)
(21) I want my baby JOB 1016 (E)(F)(P)
(22) How can I leave JOB 1012 (E)(F)(P)

J.B. Lenoir
v/g with Lorenzo Smith,ts; Joe Montgomery,p; Al Galvin,d. Chicago, 6 Oct 1954
(23) I'm in Korea Parrot 802 (C)(D)(G)
(24) Eisenhower blues (G)
(25) Eisenhower blues Parrot 802 (C)(D)(G)(N)

Chicago, 1954
(26) Tax paying blues Parrot 802

J.B. Lenore
Same.
(27) Mama talk to your daughter Parrot 809 (C)(D)(G)(N)
(28) Man watch your woman Parrot 809 (C)(G)(N)
(29) Sitting down thinking (C)(G)(N)

v/g with Alex Atkins,as; Ernest Cotton,ts; Joe Montgomery,p; Al Galvin,d.
Chicago, 14 Mar 1955
(30) Mama your daughter is going to miss me Parrot 814 (C)(G)(N)
(31) What have I done Parrot 814 (C)(D)(G)(N)
(32) We've both got to realise (C)(G)(N)
(33) Give me one more shot (C)(G)(N)

Omit Atkins,as. Chicago, 1955
(34) Fine girls Parrot 821 (C)(G)
(35) I lost my baby Parrot 821 (G)
From above sessions.
(36) I'm gonna die someday (G)

v/g with Alex Atkins,as; Ernest Cotton,ts; Joe Montgomery,p; Willie Dixon,b;
Al Galvin,d. Chicago, 14 Sep 1955
(37) Natural Man (C)(D)
(38) Don't dog your woman (C)(D)
(39) Let me die with the one I love Ckr 844 (C)(D)
(40) If I give my love to you Ckr 844 (C)(D)
(41) Lowdown dirty shame (C)(N)

Omit saxes-1. Chicago, 1955?
Lenoir blues-1 Ch unissued
(42) Everybody wants to know (C)(D)(N)
(43) If you love me (C)(N)
(44) J.B.'s rock (C)(N)

J.B.Lenoir or J.B.Lenior
Similar. Chicago, 19 Dec 1956
(45) Don't touch my head Ckr 856  (C)(D)(N)
(46) When I am drinking (C)(N)
(47) I've been down so long Ckr 856 (C)(D)(N)
(48) Mama,What about your daughter Ckr 874 (C)(D)
(49) Five Years Ckr 874 (C)(D)

v/g with Alex Atkins,as; Ernest Cotton,ts; Leonard Caston,org; Joe Montgomery,p; Robert Lockwood,g; Willie Dixon,b; Al Galvin,d; unk v grp-1
Chicago, 1958
(50) Daddy talk to your son Ckr 901 (B)
(51) Daddy talk to your son (C)(N)
(52) She don't know-1 Ckr 901 (B)(D)
(53) I don't know (C)(N)
(54) good looking woman (C)(N)
(55) Voodoo boogie (C)(N)

v/g with Junior Welles,hca; Ernest Cotton,ts; Joe Montgomery,p; Jesse Fowler,d.
Chicago, 11 Aug 1958
(56) Back door Shad 5012 (H)
(57) Lou Ella Shad 5012 (H)

v/g with Alex Atkins,as; Ernest Cotton,ts; Joe Montgomery,p; Jesse Fowler,d.
Chicago, 10 May 1960
(58) Oh baby VJ 352 (I)
(59) Oh baby (H)
  It's the thing unissued
  What can I do unissued
(60) Do what I say VJ 352 (I)

v/g with Donald Hankins,ts; Jarrett Gibson,bs-1; Lafayette Leake,p; Milton Rector,b; Willie Smith,d; "Peeples",bgs-2; Willie Dixon,2nd v-3/speech-4.
Chicago, 23 Jul 1963
(61) I sing um the way I feel-2 (J)
(62) I sing um the way I feel-2 (J)
(63) I sing um the way I feel-2,4 USA 744 (J)
(64) I feel so good-1,3 (J)
(65) I feel so good-1,3 USA 744 (J)(K)

v/g with Lafayette Leake,p; Willie Dixon,b. Chicago, 1965
(66) Korea blues (L)

v/g with Shakey Horton,hca. Hamburg, 8 Oct 1965
(67) Slow down (M)(O)


(A) Goin' To Chicago Blues (Negro Rhythm Records 107)【LP】
(B) Fine Blues (Official 6049)【LP】
(C) A Memoir For Lenoir (P-VINE PLP-824/825)【LP】
(D) Natural Man (MCA MVCM-22012)
(E) The Mojo Boogie (P-VINE PCD-2164)
(F) J.B. Lenoir His JOB Recordings (Paula PCD 4)
(G) The Parrot Sessions (Relic 7020)
(H) J.B. Lenoir (Python Records PLP-25)【LP】
(I) Vee Jay, The Chicago Black Music (P-VINE PCD-5271/4)
(J) Out Of Bad Luck (Flyright Fly 590)【LP】
(K) The Way I Feel (Flyright FLY CD 43)/Chicago Blues Of The 60's(Paula PCD-23)
(L) Encore For The Chicago Blues (Spivey Records LP-1009)【LP】
(M) The Best Of American folk Blues Festivals (P-VINE PCD-2192/3)
(N) Mama Watch Your Daughter (Charly CDBM 47)
(O) American Folk Blues Festival-Highlights (Evidence ECD 26087)
(P) Chicago Blues Down-Homers Vol.2 The JOB Recordings 1950's (P-VINE PCD-24113)

(1999年9月27日記)
(2000年11月3日改訂)


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1999-2002 by Hiroshi Takahashi