![]() −新世紀の倫理− ホアン・カレラ・イ・カレラ、S.J. |
| 「キリスト教と正義」ブックレット第98号 2000年11月、バルセロナ、スペイン |
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グローバリゼーションの進展により、多様な価値観が共存する社会が到来し、普遍的な倫理は危機に瀕している。グローバリゼーションが人類共通の問題(エコロジー、貿易摩擦、対外債務など)を生みだす一方、技術の進歩もかつてない倫理問題(クローン、遺伝子操作、インターネットなど)を出現させる。新世紀のキリスト教倫理は、理性の自律性と福音的価値の客観性を両立させつつ、こうした新た挑戦に立ちむかわなければならない。
今日のキリスト教倫理は、理性の自律性を尊重し、人類社会に積極的に関わらねばならない。
キリスト教倫理の目標は人類全体をより人間らしくすることであり、この目標はすべての善意ある人に共有される。したがって、キリスト教倫理は信仰者だけに信じられる排他的な倫理ではなく、自律した理性によって十分理解可能だ。だからこそキリスト者は、福音の人間的な価値観を、生活を通して証しなければならない。 |
現代倫理の問題は、信仰と理性の対立ではなく、義務感と責任感の喪失だ。人々が自分が人間として発展途上にあり、隣人の倫理的要請に無償で応えることが義務であると自覚するとき、自律と義務感とが正しく調和する。
新時代の倫理は、社会との対話を重視する。
新世紀の倫理は普遍的・客観的倫理を主張する。ただし、それは歴史的に不変ではなく、人間の取り組みによって日々、進化していく。そのためには、できるだけ多くの人の参加が望ましい。だからこそ、信者以外には通用しない「神学的議論」はできるだけ控えるべきだ。グローバルな問題にはグローバルな連帯が不可欠で、そこに教会の果たすべき役割がある。現代特有の困難な状況には、小悪を選択する漸進主義も認められねばならない。 第二バチカン公会議は現代世界との対話を積極的におしすすめた。他方、回勅『真理の輝き』は、道徳的自然法の概念を復活させ、ポスト・モダンの倫理相対主義と対決する。だが、この自然法は律法ではなく、歴史的営みによって人類の完成を目指すものだ。「必然なる事柄においては一致。議論の余地ある事柄においては自由。万事において愛」というアウグスティヌスの言葉にしたがって、教会は信仰と自由な対話と愛に基づいて、新時代の倫理を目指すのだ。 |
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