2001年1月31日
カトリック麹町(聖イグナチオ)教会主聖堂にて

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英語テープ起こしからの邦訳
講演のみ(質疑なし)
英語テープ起こし/シスター・ジーン・ミカレック
日本語訳/柴田幸範
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 日本に来て2週間経ちました。今回が2度目の来日ですが、日本人の皆さんの思いやり、優しさに心打たれています。ですから、電話で話をしているのに相手にお辞儀をするような、優しくて奥床しい国民が死刑を存置させていることが理解できません。
私はこれまで信じられないほどすばらしい旅をしてきました。今宵は、このすばらしい旅に皆さんをご招待したいと思います。
 この旅は、イエスの福音が私に、貧しく苦難と闘っている人々と一緒に暮らし、働くよう呼びかけておられると気づいたときに始まりました。そこで私は、貧しい人々だけが住んでいるインナー・シティのアフリカ系アメリカ人住宅地区に移り住んで、彼らの苦労を目にして、自分が今までいかに恵まれ、保護された生活を送ってきたかを悟りました。
  私がそこで働いていたある日、近くにある「プリズン・コアリション・オフィス」(囚人と連絡する事務所)と呼ばれる事務所に関わる友人が、こう誘ってきました。「シスター・へレン、ルイジアナ州の死刑房に入っている人の文通相手になって、手紙を書いてみない?」神様が私たちに働きかけるときは、こんなシンプルな誘い方をしてくださるのですね。私は「やる」と答えました。手紙を書くだけならと思っていました。というのも、1982年当時ルイジアナ州では、1960年以降一人も死刑を執行されていなかったのです。そういうわけで、受け持ちの死刑囚として「パトリック・ソニア」という名前と囚人番号、死刑房の住所を手渡されたときは、それがその後の私の全人生と信仰生活をどのように変えていくか、知る由もありませんでした。
 私は彼に手紙を書きました。すぐに彼から返事が来ましたが、そこにはこう書かれていました。「シスター・へレン、あなたに手紙を書けてとてもうれしい。私はひとりぼっちだ。母親でさえ、私と会うと心が乱れるといって会いに来ないんだ。だから、あなたと文通できて本当にうれしい」。

 私は当時、制度としての死刑について、よく知っていませんでした。「アメリカ合衆国には世界で最高の裁判制度があるのだから、彼(パトリック・ソニア)は有罪なのに違いない、恐ろしいことをしでかしたのに違いない」ぐらいにしか考えていませんでした。ただ、彼も人間なのだ、ひとりぼっちなのだということと、「わたしが…牢にいたときに、訪ねてくれた」というイエスの言葉を思い出したので、文通を始めました。そのうち、彼には誰も面会する人がいないと聞いて、「私が会いに行きましょうか」と手紙に書きました。 彼は「それだったら、私はカトリック信者であなたはシスターなのだから、私の霊的アドバイザーになってくれないだろうか」と書いてきましたので、私は「喜んで!」と返事を書いて、必要な書類を書いて手続きしました。
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その2年後の1984年4月5日深夜に彼が処刑されることになろうとは、そして、その日の夜5時45分に霊的アドバイザーである私以外はみんな監房の外に出され、私が処刑場まで付き添って処刑を見届けることになろうとは知る由もありませんでした。
神様は本当にこんな穏やかな仕方で私たちに働きかけるのですね。小さな灯で行く道を照らして下さるのです。その頃はまだ、どんな結末が待っているか知りませんでしたが、もし知っていたら、この旅路に出発しようと言われて「イエス」とは答えなかったかもしれません。
 パトリックを刑務所に初めて訪ねたときは、看守が彼を連れてくるのを待つ間、とても不安でした。というのも、こんなことを考え始めたからです。「確かに彼はすばらしい手紙を書いてくる。でも、実際の彼はどんな人なのだろう? 彼は人を殺したから、この刑務所にいるんだ」。私は彼が何をしでかしたのかさえ知らなかったのに、こんな疑問を持ち始めました。「私は彼とまともな会話をかわすことができるんだろうか? 彼も私と同じ人間なのだろうか?」。やがて看守が彼を連れてきました。彼の両手は腰のベルトにつながれていました。彼と私の間を金網のついたてが隔てていて、金網越しに見る彼の顔はとても人間らしく見えました。
 彼はこう言いました。「ありがとう。わざわざここまで車を飛ばして会いに来てくれて、本当にありがとう」。刑務所に入っていて面会の機会に恵まれるのは、非常に特別なことです。なぜなら、死刑囚の生活は朝、目を覚ましてから夜、寝るまで何百回となく、「お前は人間のクズだ」と言われているに等しいのです。ですから、誰かが訪ねてくる度に、死刑囚は人間としての尊厳を取り戻すのです。
私たちは2時間面会しましたが、時間はあっという間に過ぎました。ほとんど彼がしゃべり、私は聞き役でした。私が彼の話を聞いてあげること自体が、彼にとってうれしいことだったのです。

 最初に面会したときに分かったのですが、彼には(同じ事件で)終身刑の判決を受けて、同じ刑務所で服役している弟がいました。一人は死刑、もう一人は終身刑。なぜ? 何が違ったというのでしょう。あれから15年経って、今なら死刑のことも掌を指すようによく知っていますし、司法制度も理解しています。どんな人が死刑で、どんな人が終身刑になるのかも分かります。日本でも事情は同じです。日本で今、死刑房にいる人たちが最初に取調室で自白をとられたときは、警察の建物の中にある取調室で、弁護士も同席しないままだったのですね。米国も事情はそう大きく違いません。米国では死刑判決を受けて控訴し、再審の末、死刑から生還した人が93人います。1976年に米国で死刑執行が再開されて以来、93人の無実の人々が死刑から生還したのです。
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 今晩、皆さんにお話ししたいことは、無実でありながら死刑の宣告を受けた人のことではありません。というのは、死刑に関してもっとも重大な道徳的問題とは、もちろん、無実の人を処刑してはならないのは当たり前ですが、もっとも重大な道徳的問題とは本当に罪を犯した人の場合なのです。そう、本当に有罪の人を処刑する権利が私たちにあるのでしょうか? これこそ道徳的問題です。私は映画『デッドマン・ウォーキング』の制作で、監督のティム・ロビンズと親しく仕事をしましたが、彼はこの点ではっきりしています。彼はこう言いました。「我々はこの映画で無実の人を扱わない。罪を犯した人を扱うのだ。なぜなら、我々が辿らねばならない旅路とは、こんなものだからだ。つまり、この男、同じ人間として『自分の罪を償って死んでもらうしかない』と言いたくなるような憤りを抑えられない、恐ろしい罪を犯したこの男を、どう扱えばよいのだろう、ということだ」
こうして刑務所訪問を始めた私は、パトリックと弟のエディの、ソニア兄弟両方を訪ねるようにしました。だって刑務所を訪ねるのに、どちらか一人だけに会うなんてできるでしょうか! 私は彼らに面会する度に、彼らは恐ろしいことをしでかしたんだという思いを持っていました。それが具体的にどんなことかは、当時はまだ知りませんでしたが。しかし同時に、彼らの犯した罪がどんなにひどいことであっても、人生で犯した一度の恐ろしい罪だけでは計れない価値が彼らにはあるとも、常に感じていました。彼らは確かに、一度の恐ろしい犯罪だけでは計れない、価値ある存在なのです。
 十字架のイメージでお話ししたいと思います。イエスに従って生きようと努めている私たちは、自分たちが首にかけているこの十字架が死刑のシンボルであると、つまりイエスが国家によって処刑されたシンボルであると心に留めています。この十字架には二つの腕木があります。一つの腕木は死刑囚とその犯した恐ろしい罪であり、もう一つは被害者の遺族です。
  私はある日ブリズン・コアリション・オフィスに行って、こうお願いしました。「ソニア兄弟の事件の背景資料を見せていただけませんか?」。私は事件がどんなだったか知らないままでいたくなかったのです。事務所の人は「もちろん」と答えて、ファィルを引っぱり出してくれました。私は座って事件のファイルを読みました。ファイルの最初のページには新聞記事がありました。そこには二人の若者、デイビッド・ルブラン、17歳とロレッタ・バーク、18歳の顔写真が載っており、「ティーン・エイジャー二人の遺体を発見」という痛ましい見出しが掲げられていました。そして、同じ紙面には、私が訪問してきたソニア兄弟の憎々しげで粗野な表情の写真が、殺人犯の顔写真として載せられており、駐車中の車のなかにいたフットボールの試合帰りの若いカップルに、ソニア兄弟がどんな凶悪な犯罪を仕掛けたかが記されていました。兄弟は銃を持っており、カップルに「お前たちは他人の土地に侵入している。俺たちはガードマンだ。もし女が俺たちとセックスすれば、見逃してやろう」ともちかけました。兄弟は他にも何組ものカップルに、同じ手口を使っていたということです。ただ、この夜は二人の子どもたちの殺害にまで及んでしまいました。このカップルは湿った草に顔をうつむけ、頭の後ろに銃弾の穴を開けた姿で発見されたのです。
 私はこの記事を読んで憤りを抑えられませんでした。無実の人がこんな恐ろしい犯罪によって殺されたと聞いて、憤らない人がいるでしょうか? 同時に、こんな事件を起こした二人の犯人を、そう、彼らのような人を訪問して話を聞いている自分自身に、ある種の後ろめたさも感じました。私の目の前に、殺され、人生から引き離されてしまった十代の子ども二人がいるのです。私の感情は大きく動揺しました。誰でもそうなると思います。死刑問題が難しい一つの理由はこれです。私たちはこんな恐ろしい犯罪のことを知れば、憤りを感じ、「そんな罪を犯した人は死んで当然だ」と言いたくなる気持ちを抑えられません。そして、後は心を閉ざして事件のことは考えまいとするのです。
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 オウムの地下鉄サリン事件で多くの無実の人々が殺されたというニュースを聞けば、私たちは同様の憤りを感じます。私たちが心の奥深くで感じるこのような葛藤こそが、死刑を道徳的な難問としているのです。一方で、私たちは感情的な憤りを感じますが、それは当然のもので、道徳的な感受性の一部でさえあります。しかし、もう一方では、「赦しなさい」というイエスの招きも承知している。また、どんな恐ろしい罪を犯した人でも、拷問したり殺したりしてはならないという人権原則も知っている。そこで、死刑問題に関して恐ろしい葛藤が生じるのです。

 私は二人の被害者のご両親のことを思いました。ご両親がたに会わなければと思ったのですが、会いに行くのが怖かった。ご両親がたは死刑を望んでおられると思っていたからです。もし、こう言われたらどうしようと思ったのです。「シスター、私たちは犯人が処刑されるときには最前列に座ります。シスターも一緒に座って下さい。私たちの息子と娘のことを気にかけて下さるなら、犯人が処刑されるのを見届けたいと思われるでしょう」と。もし、そう言われたら何と答えていいか分からなかったのです。
 私が殺された二人の若者のご両親がたに初めて会ったのは、パードン・ボード・ヒアリングと呼ばれる場でした。これは処刑が行われる前の、最後の公的な手続きの場です。この場ではもはや、あいまいな立場はとれません。この場に出席する際には、どちらの側につくのか記入しなければならないのです。そう、ちょうどローマの古代闘技場で、ある人を生かしたいと思えば親指を上に向け、殺したいと思えば下に向けるように…。とにかく、ルイジアナ州でパードン・ボード・ヒアリングに参加するときには、州の側に立って被告を処刑することを望むのか、被告の側に立って処刑しないよう願うのか、どちらかを選ばなければなりません。そういう場で、被害者のご両親がたにあったのです。
 彼らに会ったとき、バーク一家は怒りのあまり無言で、私のそばを通り過ぎていきました。息子のデイビッドを殺されたルブラン家の人々は、私のところにまっすぐ歩み寄ってきて、お父様のロイド・ルブラン氏がこう言いました。「シスター、いままでどこにいらしたのですか?」。彼は続けて言いました。「私たちが今回の死刑のことで、どんなに重圧を受けているか、お分かりにならないでしょう」。彼はその直前、パードン・ボード・ヒアリングで被害者遺族を代表して発言しました。「被害者遺族の望みは何ですか?」と聞かれて、両家を代表して「死刑を望みます」と答えたのです。そして今、彼は私にこう言うのです。「シスター、いままでどこにいらしたのですか? なぜ、私たちに会いに来て下さらなかったのです?」。私は大きなショックを受け、驚きました。私は、殺人事件の被害者遺族はみな死刑を望んでいると思っていたのです。それで私は謝りました。「ルブランさん、ごめんなさい。改めてお会いしにいってよろしいですか?」。彼は私に電話番号を教えてくれ、会いに来て下さいと言いました。
 私はルブラン氏に会いに小さな教会に行きました。私は姉のメアリー・アン(今晩もここに来ていますが)と一緒に、バトン・ルージュを朝の2時半に出て、いくつもの沼地を越えてロイド・ルブラン氏の住む町へと車を走らせました。ルブラン氏は朝の4時から5時まで教会でビジル(徹夜の祈り)を行っているので、一緒に祈ろうと思ったのです。私はこの祈りの集いで、今まで出会った中でもっともキリストに近い人と出会う、すばらしい体験をしました。ロイド・ルブラン氏は、息子のデイビッドが神のおそばで平安のうちに憩うようにと祈り、妻と家族のためにも祈りました。それは当然です。次に、バーク一家のために祈りました。それも、もちろん当然です。娘さんを失ったのですから。ところが、ルブラン氏はパトリック・ソニアとエディ・ソニア、そして彼らの母親グラディス・ソニアのためにも祈ったのです。彼はみんなのために祈りました。

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 後になって聞いたのですが、ルブラン氏は事件のとき保安官助手に連れられてモルグ(遺体安置所)に行き、デイビッドの遺体を確認したそうです。デイビットの遺体が引き出されたとき、幼いときから教え込まれて、ミサの度に唱えていた祈りが、ルブラン氏の口をついて出ました。「天におられる私たちの父よ、み名が聖とされますように…」。そして、「私たちの罪をお赦しください。私たちも人を赦します」という個所にさしかかりました。彼はこう語ります。「そうは思えなかった。最初は怒りでいっぱいだったから、犯人たちが私の息子にした仕打ちのせいで、彼らを殺してやりたいと思いました」。しかし、イエスは私たちに「赦しなさい」(forgive)と教えておられる。そこで、ルブラン氏はこの赦しの道を歩んでいこうと心に決め、その道行きの途中でイエスの恵みと出会ったのです。そして、彼は息子を傷つけ奪った男を何とか赦せるようになったのです。 赦しというものを、あたかも犯人が彼の子どもにしたことを大目に見る(condone)かのような弱い態度だと考える人もいる、と彼は言います。でも、彼は言います。「大目に見る? デイビッドの誕生日を迎える度に、私たちはデイビッドを改めて失うんです。大目に見る?! 私の妻を見てください。息子を失って、夜中になるといつも泣いているんです。犯人たちがやったことを見逃すことなど、決してできないでしょう。でも、このことだけは分かります。つまり、もし私が、心の内にある怒りや憎しみと折り合いをつけなければ、私は怒りのために殺されてしまうだろうということです。私は妻のために、娘のために、孫のために生き続けなければならない。私までが殺されてたまるかと思ったのです」。だからこそ、和解と赦しに至る道を辿ろうと決めたのです。
 苦しんでいたのは、監獄にいるパトリック・ソニアだけではありませんでした。彼の母、グラディスもまた、「人殺し兄弟の母親だ」と噂されて、小さな町で買い物にも行けなかったのです。
イヤガラセ電話のため電話も外さなければなりませんでした。玄関先に切り刻んだ猫の死骸を投げ込む人もいました。社会の憎しみは、罪を犯した本人だけでなく、その家族、母親や兄弟姉妹にまで及ぶのです。加害者の家族もまた、憎しみの輪の中に引きずり込まれるのです。

 ある日、彼女の家の玄関のベルが鳴りました。ブラインドを開けて誰が来たか確かめて、ドアを開けると果物カゴを持ったロイド・ルブラン氏が立っていました。彼は言いました。「ソニアさん、私は一言申し上げたくてお目にかかりに来ました。私たち親というものは、子どもが何をしでかすか決して分からないものです。あなたの息子さんたちが私の息子にしたことの責任を、あなたに負わせようとは思っていません」と。
 こんなすばらしい人々と知り合えたこと、共に歩んでこれたことは、光栄なことです。『デッドマン・ウォーキング』のヒーロー、主人公はロイド・ルブラン氏です。私ではありません。私はただの記録係にすぎません。これまでにずいぶん間違いも犯してきました。ルブラン氏こそヒーローです。私たちが暴力によって身内を失うという白熱の炎の中に投げ込まれても、イエスの福音とあわれみに従って生きることができると、彼は教えてくれるのです。
 十字架の腕木の一方には被害者遺族とその苦しみがあります。イエスが今日の世界におられたら、遺族の方たちをその腕で包まれ、私たちの社会にこう呼びかけられるでしょう。「彼らを放っておいてはならない。彼らに付き添いなさい。彼らを助けなさい。祈りで支えなさい」
 他方の腕木にはパトリック・ソニアがいます。彼は「死刑執行命令を受け取った、あと6週間しか生きられない」と知らせてきました。時計の針は残り時間を刻み始め、差し迫った死に動揺したパトリックは、いくら頑張っても胃が食べ物を受け付けなくなりました。
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 彼は電気イスで処刑される3日前に、死刑房に移されました。私はそこを訪れて彼に会い、一緒に祈り、語り合いました。彼と出会ってすでに2年も経っていました。数日のうちに彼が処刑されてしまうなんて、まるで信じられませんでした。病院で病み衰え、死んでいく人を訪ねるのとは訳が違います。パトリックはまさに生きている、健康そのものなのです。その人が本当に殺されようとしているなんて、どうしても信じられませんでした。
 パトリックも、彼なりのすばらしい霊的な旅をしてきました。彼は二人の若者に対して犯してしまった過ちを深く後悔していたのです。彼の持っていた聖書の詩編のあちこちにアンダーラインがひかれていました。たとえば、詩編31です。
 「人々がわたしに対して陰謀をめぐらし/命を奪おうとたくらんでいます/しかし主よ、あなたはわたしの岩/わたしはあなたの上に立つ」。
*訳注/邦訳聖書の該当個所には「しかし主よ…」以下は見あたらないが、同じ趣旨の表現は詩編全体に繰り返し見られる。
 死刑房の看守の一人がこう語っていました。「パトリック・ソニアほど自分の犯した罪を後悔していた人を見たことがない」。私も5人の死刑囚の処刑に付き添いましたが、みんながみんなパトリックのように後悔するわけではありません。そう聞くとびっくりする方もいるでしょうが、死の脅威でさえ、人の心を憎しみから愛へと変えるには十分ではないのです。死の脅威はときに、自らの罪に対する後悔の念をもたらすかわりに、自分の命を守りたいという保身の念を強めることさえあるのです。拷問や死の脅威も人の心を変えません。愛だけが人の心を変えられるのです。
 パトリックは死を迎える準備をしていました。彼はカトリック信者だったので、告解をしました。私たちはいっしょに聖体を拝領し、共に祈りました。私の祈りは、ただ「パトリックは神の子である」ということでした。私は本当に彼が神の子であると感じて、そこに尊厳を見出したのです。確かに彼は言いようもないほど恐ろしい罪を犯してしまった。でも、この人もまた神の子であり、その彼が処刑されようとしているということが、どうしても納得できませんでした。私はただ、「彼に強さを与えたまえ、私に強さを与えたまえ」と祈っていました。これから私の周りで起ころうとしていることを恐れていたからです。

 『デッドマン・ウォーキング』の映画をごらんになった方は、その後私に起こったことをそのまま正確に再現したシーンをごらんになっています。主役のスーザン・サランドンがトイレに入って−私にとって死刑房で唯一ひとりになれる場所は女子トイレだったのです−タイル貼りの壁に頭をもたせかけ、十字架を握りしめて、こうつぶやくのです、「イエス様、どうぞパトリックの心が砕け散ってしまいませんように」。というのも、もし彼の心が砕け散ってしまえば、私の心も砕け散ってしまうだろうと知っていたからです。それはある意味で利己的な祈りでした。私は神様に、パトリックをしっかりと支えてくださるようにと祈りました。そうすれば私も心をしっかりと保てるからです。もし、パトリックが泣き始めたり、がっくりと崩れ落ちたり、命乞いをしたりしたら、私は何をするか自分でも分からなかったのです。私は一本の細い糸でぶら下がっていました。こんな気持ちはかつてなかったことでした。

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看守がやってきて、死刑執行の準備を始めました。パトリックの髪の毛と眉毛を剃り、ズボンの左脚を膝下から切り落とし、電極をつける足首のふくらはぎの毛を剃り落としてから、白いTシャツに着替えさせました。それは洗礼式を思わせました。でも、洗礼式とは反対だと私は感じていました。洗礼式では、人は一歩一歩、社会に受け入れられていきます。でも、ここでは人は刻一刻と社会から引き離され、やがて処刑されるのです。そして、パトリックは私を思いやって、こう言いました。「シスター、神様に私の脚を支えてくださるようにと、ただそれだけお祈りください。でも、僕の最期には立ち会わなくていいよ。見ない方がいい。それは恐ろしい光景だろうし、シスターの心に傷を残すかもしれないからね。立ち会う必要はないから、ただ僕のために祈ってください」
 そのとき、私の内に強い、とても強い力がわき上がってきました。私は言いました。「パトリック、パトリック! あなたの愛しい顔を見守る人が誰一人いないまま、あなたを死なせるわけにはいきません。私を見て! 最期のときに私を見て。そのとき私の顔は、あなたにとってキリストの顔となるでしょう。あなたはひとりぼっちで死ぬのではないのよ」そのとき、キリストがかけられた十字架の下にいたのは女性たちだったことを思い出しました。
 やがて深夜になると、刑務所長が看守全員を連れて、処刑のためにやってきました。私はパトリックと共に電気イスまで歩いていきながら、イザヤ書43章を読み上げました。

 「あなたはわたしのもの。/わたしはあなたの名を呼ぶ。/…火の中を歩いても、焼かれず、/炎はあなたに燃えつかない」
  私たちは処刑室につきました。そこには電気イスが待っていました。看守たちはとても手早く準備をしました。このことこそ、私たちの社会が考えなければならないことです。つまり、私たちの社会がある人を死刑によって罰すると決めるということは、私たちのうちの誰かが実際に手を下さなければならないということなのです。米国、特にテキサスでは、延べ130人以上の死刑に立ち会った看守たちが体験を語りはじめており、彼らは精神的な病気に悩まされているということです。

 看守たちはパトリックを素早く電気イスにくくりつけました。彼は私の顔を見ました。私の顔が、彼がこの世で最後に見たものでした。最後に彼の顔にマスクがかぶせられましたが、それは1900ボルトの電流が彼の体に流されたとき、立会人に彼の顔が見えないようにするためでした。彼は最後に私に語りかけました。私が立ち会った他の5人の死刑囚もそうでしたが、彼らの最後の言葉は何だったと思いますか? それはいつも愛の言葉でした。それが私に向けられたのは、私がまさに彼らの気持ちを一身に受け止める焦点のような存在だったからであり、そしてパトリックの最後の言葉も愛の言葉でした。今も覚えています。『デッドマン・ウォーキング』をごらんになった方は、スーザン・サランドンがパトリックの方に手をさしのべた場面を思い出してください。私もまったく同じことをしました。彼の方に手をさしのべて、こう言いました。「私もあなたを愛している」。これが、彼が処刑される前に交わした最後の言葉でした。
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 処刑室を出たとき、私は呆然として、ガタガタ震えていました。外で待っていてくれた姉妹たちが、私の肩にコートを掛けてくれました。私はとても寒かったのです。私に分かったことといえば、人ひとり殺されたのを目撃した、ということだけでした。それによって私たちの社会は、以前より少しでも安全になったわけではありません。私たちは殺人という最悪の暴力をオウム返しに真似て、法律の条文に仕立てて合法化し、誰かを殺してしまった人を殺すのです。死刑という殺人によって、子どもたちに「人を殺してはいけない」と教えようとする、この道徳的な矛盾。そこで私は、私の体験を語り広め、社会を変えていかなければならない、人間としてこれ以上死刑を続けてはならないと思うようになりました。
 私はあちこちでこの話をするようになり、本も書き、それが映画化され、オペラにもなって、飛行機で世界中を駆けめぐり、そしてここ日本でもお話しています。ヨハネの第一の手紙の第1章にあるように。
 「わたしたちが聞いたもの、よく見て、手で触れたものを伝えます。すなわち、命の言葉について」
 イエスの福音は、傷に傷を、痛みに痛みを返さず、死に優る生を選ぶように、「死の/死刑の房」(the death row)に優る「命の/終身刑の房」(a life row)を選ぶようにと招いておられます。日本でも同じ選択が問われていると思います。
 今晩、ここにいらした皆さんが心を動かされて、今晩この教会からはじまり、これから日本中で展開されていく死刑制度を問うキャンペーンに参加されるよう願います。私は一年後、来年の4月に、再び日本にやってまいります。そのときには、巡礼とキャンペーンのために日本各地をまわって、日本での死刑廃止を訴えていきたいと思います。今晩、ここに来られて、死刑問題に目覚め、理解された皆さんが、社会問題の解決方法として暴力と死を合法化するような社会の変革に力を貸してくださるよう願っています。

 もっと幅広く深い背景にから言えば、死刑というものは、私たちが母なる地球に対してさまざまな仕方で行っている生命の軽視、その一つの縮図なのです。私たちが地球上の生命を尊重してこなかったために、地球上では20分ごとに一つの種が絶滅しています。殺人とは、まさにこうした人類の「死への願望」のもう一つの現れなのです。私たちは死から生へと方向転換しなければなりません。すなわち、母なる地球を愛すること、母なる地球を大切にすること、命あるすべてのものを大切にすることが求められているのです。

ありがとうございました。
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