大村憲司さん永遠なれ!98/11/18未明。

朝、いつになく早く事務所に出て仕事をしていた。電話が鳴り悲報が、、、。信じられない。言葉が無い。何故どうして、、、。

お通夜に行ってやっと憲司さんが逝ったことが現実なんだ思うくらいの突然の悲報だった。今月(11月)の3日に神戸チキンジュージで例の「北欧シリーズ」のライブを徳武弘文さんとチャーとやったはず。僕はその日別件の仕事で行けなかった。行きたくても行けなかったのだ。この言葉に言い表せない絶望的な悲しみ。最後になったステージを、、。

9月に能登半島門前町の総持寺でのライブが僕と憲司さんの最後の仕事になってしまった。あの時も体調を崩されていたにも関らず、頑張って素晴らしいライブパフォーマンスを見せてくれた。アンコールのステージに立てないほど体調が悪いにも関らず、1度受けた仕事それも自分の希望で企画し叶った「北欧シリーズ」だからと。あの時が僕が見た最後に姿になってしまった。


久し振りに本当に心から泣いた。僕が多分日本で1番好きだったギターリストだと思う。良くも悪くも1匹の狼的生き方。自分の意見が合わないと許せない性格。僕もよく怒られたものだ。ミカバンド復活のNKホールでの出来事は昨日の様に覚えてる。高中正義さんをフィーチャーするためのサポートメンバーに怒りを覚え、誰をも受け付けない鋭い眼光で楽屋に居た。その時の憲司さんの立ち位置(演奏する場所)のすぐ横に照明の大きいライトがあったのだ。「おまえ、俺をどう思ってるだ!」答える言葉を無くし凍り付いたのを今でも覚えてる。怖かったな〜。

高橋幸宏さんのツアーでは、訳があってボウヤ(憲司さんの楽器を用意する見習い)を連れていかず僕がやったこと。弦高から弦の巻き方、アンプの位置からエフェクターの位置まで全てに憲司さんの好みがあるのだ。全てを完璧にしなければ許されない細かさが必要だった。とにかく良い意味で僕の仕事でのプレーヤーの厳しさを教えてくれたのだ。普段なら絶対にありえないボウヤ不在でのツアーを承諾してくれたことと僕を認めてくれた事が凄く嬉しかったな〜。

矢野顕子さんとの二人だけのツアーでは、そのリハーサルをニューヨークでやることになり憲司さんと彼のボウヤと僕との三人で行くことになり、ニューヨーク滞在中は本当にお世話になり、そのツアーは今でも僕の心に大きな大事な思い出になっている。

時が流れ「ベンチャーズナイト」での久し振りの再会。ゲストとして憲司さんが来てくれた時のスタジオ内のその緊張感。でも、僕を見て笑顔で握手をしてくれて「よろしくな」と言われてからの笑顔だらけのリハーサル。本番。そして朝までの打ち上げ。そこで出た案が「北欧シリーズ」なのだ。徳武弘文さんとの初共演からの意気投合。「ベンチャーズナイト」での雰囲気が凄く気に入っていただき、打ち上げで「北欧シリーズ」を是非やらせて欲しいと嘆願し実現へ向かったのだった。半年後に行なわれたライブはCDになってる。忘れられない思い出(遺作)になってしまった。



本当に残念だ。まだまだ現役でバリバリに弾いて欲しかった。そしてその若すぎる「死」は途轍も無く凄い財産を失くした気がする。「死」なんて全然意識して無かった。「人は何故仕事をするのだろう」「人の幸せって何」と最近真剣に考えていた僕には、奈落に突き落とされる思いだ。「生きてれば良いことが待ってる」と。頑張って素直に生きて行こう。

僕の大好きだったギターリストのギタープレイはもう見れなくなったのだ。確実に僕の回りは動いてるという現実を実感した。

大村憲司さん永遠になれ!!

                            11月20日 午前1時 重い夜に