1997/11/13 深夜の出来事

その日、浦安のNKホールでの最終リハーサルが終わって、浦安のホテルに泊まるか家に帰るかで、前日殆ど寝てない僕は家に帰ることにした。そして、全てはここから始まった。

長い長い1カ月に及ぶスタジオでのリハーサルを終え、場所を浦安NKホールにかえ、いよいよ明日は最後を飾る公開リハーサルだ。今までの積み上げた結果が出る日だ。メンバーと我々スタッフが1カ月半に渡り作ち込んだステージだ。自信作だが毎年毎年よくこんな辛いことをやれるものだ。でも、やめないのはなぜなんだろうか?

その日11月13日の通しリハーサルも無事に行き、情報交換の色々な物を持って帰路に着こうとした。悲劇が始まろうとは、、、。

一杯の荷物を両手に持ち自分の車にたどり着いた。鍵が無い。ショルダーバックのサイドポケットがいつもの入れ場所なのだが、無い。もう、暗くなった駐車場にひとり。明日は少しゆっくり来れるので、じっくり探せば良いのだ。慌てることはない。今日は家に帰って今度の日曜日に迫った歴史的試合「日本対イラン」の予想でも書いてみようかと思いがら、両手に持った荷物を取りあえず置くことにした。連日のリハーサルの為、思考も体力も限界に来てる。愛用のMacintosh PowerBook 5300cでさえ昨日今日は、無造作に裸で持ち運びしていた。

車の鍵の行方を追う僕は、PowerBookを取り敢えず車の屋根に置いた。残りの荷物を持ちながらズボンの右ポケットに鍵を見つけた。そうだ、帰り支度をしてるときにここに入れたのだ。早速、ドアを開けエンジンを駆け、後部座席に持っていた荷物を投げ込んだ。その時、声がかかった。

「お疲れ様でした」このツアーに初めて参加した若手ローディ達だ。連日のシゴキの様なリハーサルを耐え抜いた連中だ。「お疲れサン」声を返す。長いツアーを彼らと一緒に回るのだ。彼らは明日も早いので浦安のホテルに向かった。さぁ、僕も早く帰ろう。ドアを閉め車を走らせた。東京ディズニーランドからの帰りの車が多く渋滞だ。高速まで続く。高速に入るとさっきまでの渋滞がウソのように空いてる。先に出た連中に追い付く。そして、抜いた。

帰ってからの事を考えながらレイボーブリッジを越える。大好きな景色だ。毎年NKでのリハーサルの度ごとにここを越え戻るのだ。羽田線に合流してから環状線に合流する浜崎橋にかかった時だ。その急な左カーブで音がした。事件が起きた。「ズズ、ガッガガチャーン」快適に走ってた僕のスピードはかなり出てたと思う。何の音だ?一瞬の間をおいてゾッとした。

あっ、PowerBookだ。ウソだろう。その突然の事件に驚く。ヤバイ。車を左に寄せる。丁度合流する場所なのでスペースがあった。無論、駐停車禁止の場所だ。ハザードを点け後ろを振り返る。見えない。どうしよう。頭の中がグルングルンだ。疲れと寝不足から自分の身体が自分のものでなく、現実が夢のようで、、。夢なら覚めてくれ。

気を取り直して降りることにした。ここは高速道路危ないけど。でも、何もしないで帰ることは出来ない。ここからの行為は、決してやってはいけないことだと思います(世の皆さまスミマセン でした)。

勇気を出し恐る恐る狭い路肩を歩きはじめることに。おまけに僕の着てるものといったらステージ用の黒衣装。右手のガードレールの下は20メートルはあるだろう絶壁。橋の上なのだ。怖い。高所恐怖症の僕にとって足がすくむ高さだ。やっとカーブまで来てもまだ何も見つからない。夜の11時を廻った時間なので、そう車の量は多くないが、でもカーブなのでクラクションを鳴らされる。当たり前だ。こんな時間にこんなところを歩いてる人間なんて居るはずがないのだから、、、。

カーブも半分に差し掛かったところに、やっと見つけることが出来た。PowerBook が見つかる。悲惨だ。時速60キロは出てたはず。反対の壁にぶつかって跳ね返ったのだろうか。見事に路肩に寄せられていた。潰されてはいなかった。重なるようにバッテリーもあった。拾う。液晶は、、、。キーボードと液晶を結ぶ部分が破損してるが液晶は割れてはないようだ。キーボードはリターンキーがない。バッテリーは中味の電池の様な形をしたものが見える。回りのケースはボロボロだ。

どうして気が付かなかったのだろう。自問自答を繰り返す。が、後の祭りだ。両手に抱え車のところまで戻る。僕の車の前にもう1台止まってる楽器車がいた。スタッフだ。あまりの出来事に説明が出来ない。自分でさえ状況が飲み込めないのだ。ついさっき、ほんの数十分前まで元気に活躍していたのに、、、。

液晶は割れてないが、キーボードが陥没して蓋は閉じない。どうしよう。涙も出ないショック。4か月前には電車に忘れ無事戻 ってきたが、今度はぶっ壊れれたのだ。諦めモードが頭を過る。スタッフに説明も出来 ないくらいな自分自身への情けなさ、、、。とにかく家に帰ろうとスタッフと共にその場を立ち去ることに。道中、頭の中がグラン グランに成りながら考える。パニックだ。ふと、モデムカードが無くなってることに気が付く。どうしようか。永福出口で考えた末、もう一度カードを探しに行くことに決めた。今思えば本当に危ないし止めるべきなのに、、、。

時間がまったく止まっている。

20分して現場にたどり着く。犯人が必ず現場に戻るように、、、。トボトボ探しに行くが、夜の高速のそれもカーブであれだけ小さいものを探すのは無理だ。神様が帰りなさいと雨が降りだし身の危険を感じ安全運転で帰ることにした。

その夜の長いこと。今から思えば写真にでも撮っておけば良かったのだが、電源も怖くて入れられず悶々の時間が過ぎていく。とにかく、明日朝一番で渋谷の日本NCR(Macintoshの修理屋)に行こう。奇跡の復活があくる日あるとは、、、。





悶々の朝を迎え早めに家を出る。午前9時からのNCRに9時前からうろうろする。朝のミーティングをする時間なのだが、早速僕の5300に取りかかってくれた。嬉しい。今日はいつもの小倉さんが休みなので小松崎さんに見てもらうことに。最近太り気味の桧山さんも一緒に「電車の後は、 高速ですか」と話が盛り上がる。情けねぇ〜。アップルケアが落下による破損は保証外というのは知っていた。でも正直に話すことにした。5300には愛着があるし中古を買うことを考えれば、ある程度の出費は覚悟しようと。でも、さすがに車の屋根に乗っけて走ったとは言えずバイクから落とした事にした。言えないもな〜。

ここからは、この部屋だけの話です。NCRとしては落下による事故は認めて無いそうなので、、、。

早速バラバラにしてみる。意外と中は大丈夫みたいだ。液晶からチェックすることに。 こればかりは、割れた場合は保険外だからだ。別のディスクから立ち上げてみると、心配をよそに見事に起動画面とカーソルが見えた。奇跡だ。生きてる。次はハードディスクだ。これも立ち上がる。アイコンマークが並ぶ並ぶ。嬉しい。やったー。後で気が付いたが殆どが初期設定になっていた。これって当たり前なのかな?でも、とにかくこれでオッケーだ。見事な復活だ。

そしてアップルケアで大丈夫と言われ、あれもこれも外側はキーボードもIRも含め全て新規になった。ついでにフロッピーディスクも。昨夜の惨劇から 見事に復活したのだ。メモリーも問題無く立ち上がってる。言葉に言い表せない感激だ。2時間に及ぶ手術で5300が出来上がった。さすがにバッテリーは買い直しだけど。 それと紛失したモデムも。

約4万5千円ですべての環境が昨日と同じになった。いやモデムカードが早くなったのだ。早速、通信環境を整えて通信をしてみる。オッケーだ。何事も無かったようにメールも読めた。

悪夢は覚めた。高速で万が一あれが原因で大事故にも成っていたかもしれなかった事。 本当に気を付けねば。自分だけでの問題でもないのだから。不幸中の幸いで何も無かったから良かったけど猛反省です。

神様ありがと う。

もう、本当に手放せなくなったな。「我が愛すべきMacintosh PowerBook 5300c」を。