青木達之さん逝く。99/ 5/3未明。

鈴木慶一さんのチームのサッカーの試合をして、着替えていたときに携帯電話が鳴り悲報が来た。信じられない。言葉が無い。何故どうして、、、。

最近は御無沙汰していてツアーにも参加していないので招待状は頂いていたのだが、、。最後に会ったのはいつだろう。

東京スカパラダイスオーケストラ(以後>スカパラ)には非常に思い出がある。清水靖晃さんのデザインをしてるミック板谷さんから面白くてぜひ仕事をして欲しいバンドがあるんだけどと言われたのが最初の出会いだった。半年かけてやっとバンドに会うことが出来た。それもイベントでの日比谷野外音楽堂で「たま」の前の演奏だった。

それでテープで「音」は聴いていたが目の前で繰り広げられたパフォーマンスは非常に面白かった。フォーンズ達の動きと演奏、リズム隊のシンプルだけどタイトなリズムキープ。日比谷野外音楽堂という場所も良かった。当時「たま」も人気があったが完全にスカパラにその場の雰囲気を持っていかれたと思った。


時が流れて、ツアーをやれせてもらえたときにひとりひとりと話すこと機会が増えた。で、青木君(以後>青チャン)とも話す機会が増えていった。高橋幸宏さんの大ファンと知り幸宏ツアーの話とかを沢山した。その後、青チャンは幸宏門下生の様になって行った。

武道館でのオールスタンディングライブでの思い出は大きい。舞台をセンターに十文字の踊り場。その関係でドラムの青チャンをどう360度に観客に見せるかも大きな問題だった。当時のマネージャーの本間さん、舞台の大木祥弘さんと連日のミーティングでメンバーのポジショニングと向きなどを考えた行った。結局、ドラムは360度に限りなく回るドラム台を使った。良いライブだったと思う。僕の中ではベストパフォーマンスのライブのひとつだ。

幸宏さんのライブにベースの川上君と参加した時の彼らの緊張感は凄かった。でも、ドラムを叩く姿が幸宏さんに似ていったのが面白かった。真面目だったしね。

それであるライブの打ち上げでの事。幸宏さんの実兄のノブさんが僕を呼びに来た。「今、幸宏と青木君が喧嘩始めちゃって。止めてくれないかな〜」と。それで二人の席に行くと幸宏さんに食って掛かる青チャンがいた。その場には鈴木慶一さん、パンタさん、スカパラの川上君がいて、青チャンだけが幸宏さんに突っかかっていた。その話は「ドラマーとは」がテーマで、何かそれだけは絶対に譲れないものがあるのだと。バンドマンとしてのドラマーのあり方。それがこじれていったみたいだった。回りのみんなは青チャンをなだめるが頑として譲らない。おまけにパンタさんはナイフも出してくるし、、。ヤバイ雰囲気を感じ止めないと。

それでも青チャン「そんなもの怖くないですよ。刺せば良いじゃないですか」って。冷静ながら言葉が丁寧だし、何なんだろうこの落ち着いた態度は。必死で僕も青チャンに「冷静に」と言いながら僕の方が焦ってるのは明確だった。

最後は、これが見事な「騙し話」で僕だけを騙すためのお芝居だったと知ったときの愕然さは今でも良い思い出になってる。



本当に残念だ。まだまだこれからの人だったのは明確の事。そしてその若すぎる「死」は途轍も無く凄い財産を失くした気がする。昨年の年末から僕の回りで「死」が多い。「死」なんて全然意識して無かったのに。「人は何故仕事をするのだろう」「人の幸せって何」の答えがまだ出てない僕には、またもや奈落に突き落とされる出来事だっだ。

「生きてれば良いことが待ってる」と。頑張って強く素直に生きて行こう。

僕の大好きだったスパカラはまだまだ続くだろう。頑張って欲しい。あのギムラこと杉ちゃんのところに逝った青チャン「元気でな〜」。もう、難しい顏しながら話を出来ないけど僕の心に青チャンの「音」と「思い出」は沢山詰まってるよ

青チャンまたな!!

                            5月6日 午前1時 お通夜の夜に