近況報告(99年7月27日)

みなさん、お久し振りです。本当に嵐のような日々が過ぎていきました。

この1ヶ月間、きっと人生での節目なんだな〜なんて考えながら、いろんなことがあった。親父の死はまだまだ実感が無く、何処かで僕を見守っていてくれてる気がする。親父の最後の1年間の脳梗塞からのリハビリは本当に頑張ったし、あれで僕の家は家族になったと思う。親父が死んで1ヶ月後に、伯父(母親の兄)が亡くなった。親父と同じく肺を患っていたのだ。親父が再入院して病院を秀島病院から日本医大にかえたとき、1度伯父を見舞いに行ったのだが凄く元気で、雷門の前の「やぶ」そばを食べたいな〜と言ってたのを思い出す。僕のお袋は1ヶ月間に二人もの最愛な人を失くしたことになるのだ。僕もこの伯父には、小学校の時に「読売クラブ」の入会の時に保証人になってもらって以来、いつも僕の生き方を理解してくれて後押しをしてくれた。そして、自信を持って生きろと。残念です。

親父の死からあっという間に四十九日が来て納骨式と四十九日の法事を行った。その日、午前中雨が降っていたが、午後からの納骨式には雨があがって良かった。親父は墓の中に入りたくなかったんだろうな〜。


親父が死んでから仕事も無く(某ツアーが無くなってしまった)、気持ちの整理もなかなか着かずボッーとしてたのだが、良い具合にその間にサッカーの五輪予選があって国立競技場に通った。実力差から日本の試合はそう面白くなかった。東アジアの弱い国々が頑張ってる試合をガラガラの国立競技場で観るのは楽しかった。悪友の大村和也と小池光洋も仕事をサボって良く来た。でも、僕が1番のサボリ魔なのは言うまでも無かった。1日置きに通った国立競技場は、楽しかった。きっと忘れてしまうだろうネパールの「ぼくちゃん」と「ロマーリオ」、日本ラウンドで有名になったシンガポールのキーパーのタランボン。みんな頑張って今度はワールドカップの予選で頑張って欲しい。日本にとって小野の怪我が一番の事件だった!!第二の小倉になって欲しくない。

一方、テレビでは大好きな南米選手権があった。本当に南米のサッカーは面白い。自分のサッカーを表現する術を知ってるのだ。勝ち負けは当然存在するのだが、サッカーの表現はあった。特にコロンビアの良い誤算は印象に残った。若くて良い選手が目白押しだった。ブラジルのセレソンは若き選手を温存しながら良い中盤を作っていたと思う。ロナウジーニョの得点にブラジルの底力を見た気がした。決勝戦のロナウドの得点もあのトップスピードでのシュートの瞬間の「タメ」は凄い。リバウドは個人的に最近特に好きでないので誉めたくない。でも、良い選手なのは理解してるつもりだ。後、目立った選手にチリのサモラーノがいる。彼のポジショニングは直にグランドで観ないと解らないけど上手いものがあるはずだ。必ずクサビを受ける所に顔を出せるのは、それだけ試合の流れが理解できてるからだろう。メキシコも良い戦い方をしてた。ブランコとエルナンデス良いですね。全体的に、本当にサッカーを知ってるというほどボール回しが上手かった。だから、テレビで観ていても引きつけられていったのだろう。大ざっぱな蹴りあいにならない南米サッカーは楽しかった。そうそう、日本も出てたんだ。でも、印象があまり無い。唯一呂比須ワグナーがやっぱり目立っていたのは彼が南米生まれだからだろうか。日本チーム自体が目的を持ってなかったのが残念だった。

仕事の話を。いつまでも休んでる訳にも行かず仕事を再開しました。鈴木博文さんのライブをやった後、「横浜アリーナ10周年記念&ニップン放送開局45周年」記念イベントの仕事を横浜アリーナでした。これが大変な仕事で、前日の及川光博さんのライブの後、片付けながら仕込みをしたのだが結局貫徹。7バンド出てその進行をやり、本番後の片付けまでの大仕事だった。内容は若手バンドが多かったのと、トリが「ゆず」だったので多いに盛り上がった。「ゆず」は二人だけで演奏した。ステージの後ろに観客が居て、確かに演奏はしにくかったのだが、その分、余計に盛り上がった様な気がした。おまけにステージから前方の観客席に花道があり、最後の曲の「サヨナラバス」での1万2千人との合唱は素晴らしかった。終演時のドタバタがあったが、結果オーライで公演が無事終了した。

そして、先日の日曜日には大阪で行われた「MEET THE WORLD BEAT '99」では、炎天下の中「ゆず」が40分のライブを行った。この模様は、スペースシャワーで生放送してたのでご覧になった方々も多いのでは、、。とにかく暑かった。でも、メンバー(彼らはアンコールがあった)を残して、新幹線の新大阪に着いたら凄い雨。あれには驚いた。僕はこれで「晴れ男」が決まりました。

そんなこんなで僕は生きてます。そして、仕事も頑張ってやって行こうと思います。頑張りますので、みなさんこれからも宜しくお願い致します。さぁ〜てっと、何から始めようかな〜。

                      1999年 7月27日 事務所にて