Birthday in the Sunlight
「おはよう、グローブ兄さん。良く眠れたみたいね?」
レイラの心地よい声に、グローブはできるだけ優しい微笑みを浮かべた。
彼にはそうすることしかできないから。何一つ生身の身体では満足にできない己を熟知しているから。
「おはよう、レイラ。今朝は、すごく気分がいいんだ」
これは嘘ではなかった。実際、ここ1週間ほどグローブの体調は珍しい程安定していた。睡眠を薬に頼らずにとれたし、レイラの作る食事も点滴を受けないで済む程度に食べることができた。
「そう、良かった」
レイラの顔一面に純粋な喜びが広がる。人一倍気性が激しい反面、彼女は弱い者に対しては無条件に優しい。
「でも、無理はダメよ」
姉のように釘を刺すことも忘れない。
「分かっているよ、レイラ」
微苦笑して上体を起すグローブにレイラはさりげなく手を貸し、背骨の形がはっきりと浮き出た背に枕をあてがって楽な姿勢をとらせる。そのあまりに手慣れた動きに、グローブの微笑に複雑な色が混じった。
もうどのくらいの年月、こうして彼女も世話を受けているのだろう?長い間、本当に長い間、彼女には兄らしいことは何一つしてやれずに、迷惑ばかりをかけてきた。
「・・・さん、グローブ兄さん?」
「ああ、何だい、レイラ?」
「どうしたの?ぼんやりして」
訝しげな表情をするレイラに、グローブは柔らかに微笑しながら何でもないと誤魔化した。”迷惑をかけてすまない”などとは決して口にしない。すればレイラは”馬鹿なこと言わないで。そんな風に思ってないわ”と怒り、そしてグローブにそう思わせるのは自分の言動に至らぬ点があったためだと落ち込むに相違ないからだ。
「グローブ、具合がいいんなら、朝飯の後に身体洗うか?」
ボルゴフの突然の提案に、今度はグローブが怪訝な表情をした。
彼らの装甲車にはシャワーがついているが、自力で立つことのままならないグローブがそれを使うことはまずない。普段は体調の良い時を見計らってレイラの介添えで身体を拭くだけで、本格的に浴槽に浸かって身体や髪を洗うのは、街に寄って宿に泊まったときくらいのものである。
「・・・そんなに、臭うかい?」
「やだ、そんなんじゃないわよ。ねぇ、ボルゴフ兄さん?」
身につけた衣服の臭いを嗅ぐグローブの子供じみた仕草に、朝食のオートミールを合成牛乳で煮詰めていたレイラが吹き出した。
「おぅよ。臭うのはむしろノルトと俺だ。俺ぁよ、久しぶりにてめぇの垢を落としたくなったんだよ。で、おまえの具合がいいなら、たまにゃぁ一緒にと思ってな。それだけのことよ」
グローブのことはついでのオマケだと強調する。
「ありがとう、ボルゴフ兄さん」
「よせやい」
照れ隠しに極太の猪首をボリボリと掻く長兄の、大雑把で暖かな優しさがグローブには嬉しかった。
*
「グローブ、熱くねぇか?」
「大丈夫だよ、兄さん」
「気分が悪くなったらすぐ言うんだぞ?」
「わかってるよ」
勢いよく床を打つ水音に混じって聞こえてくる親子のような会話に、レイラの頬も自然と緩む。
こんな毎日が続けば良いのに。
あり得ない、虫の良すぎる願い。そんな日々は来ない。絶対に。わかっている。それは、自分達がマーカス兄妹である以上望むべくもないことだ。それでも、こうして普通の兄弟のように楽しげなボルゴフとグローブを見ていると、白昼夢にも似た錯覚に陥りたくなる。
「ほら、背中洗ってやるから後ろ向け」
ボルゴフは片腕でグローブの細すぎる身体を楽々と支え、開いている方の手で壊れ物のように繊細な背中を撫でるようにして洗ってやった。
「痛くねぇか?」
「平気だよ、兄さん」
一体、あのさして広くもないシャワールームで、男二人がどうやって身体を洗っているのだろう?
レイラはふと疑問に思った。グローブの横幅と厚みが標準的な成人男性の半分としても、ボルゴフのそれは3倍近い。
・・・身動きできないくらいギッチリと。ほとんど瓶詰め?
やめよう。
レイラは頭を一つ振って、そのあまり愉快ではない想像(限りなく事実に近そうだ)を振り払った。せっかくの良い気候だというのに、わざわざ暑苦しいモノを思い描くこともない。
「あー、スッキリしたぜ。レイラ、後は任せた」
タオルにくるんだグローブをベッドに座らせ、自分はトランクス一枚の姿で早くも喉を鳴らしてビールを煽る。朝だろうが昼だろうが、シャワーの後はビール。これがボルゴフのポリシーだ。
「おまえも飲るか?」
「遠慮しておくよ」
グローブにむかって缶ビールを掲げるボルゴフに、レイラに着替えを手伝ってもらいながらグローブが苦笑した。 「髪、良く乾かさないとね」
グローブの柔らかな銀髪を、レイラが優しく丹念に拭いてやる。自分たち健康な人間にとってはたかが風邪であっても、グローブにとっては容易に高熱、肺炎、衰弱への引き金となる。故に、汗の始末と身体の保温に関して、レイラは特に気をつけていた。
「グローブ、これ、やる」
それまで無言だったノルトが、のっそりと後部座席に移り、茶色の小瓶をグローブに差し出した。
「・・・これは?」
「何?」
グローブとレイラが怪訝な表情でノルトと小瓶を見比べる。巨人のようなノルトの掌の上で、小瓶は、一際小さくちっぽけに見えた。
「いい匂いがする。嗅ぐと落ち着く。開けてみろ」
グローブは言われるままに小瓶を受け取り、蓋を開けた。
「あぁ、いい匂い」
溢れ出した爽やかでありながら微かに甘い、どこか草原を思わせる香りにレイラがうっとりと息を吸い込んだ。
「いい匂いだね、レイラ。これ、何の匂い?」
ノルトにではなくレイラに問う。この手のことをノルトに聞くだけ無駄なのだ。ノルトにとってはただの”いい匂いのするモノ”でしかないのだから。
「私にもよくわからないわ。でも、何だか草原の匂いがする」
「草原の匂い・・・」
何気ないグローブの呟きに含まれた憧憬の響きに、レイラは息を飲んだ。
草むらを泥だらけになって走り回って遊ぶ。新春の芽吹いたばかりの青草の上、あるいは秋の枯れて乾いた草の上に寝ころぶ。
そんな誰もが当たり前のように経験していることを、グローブは何一つ知らないのだ。
「グローブ兄さん・・・」
呼びかけてはみたものの、何を言えばよいのだろう?謝ったりすれば、余計にグローブを傷つけてしまう。レイラの知っているグローブはいかなる時も我慢強い。痛みも苦しみも決して自分からは訴えない。堪えきれずに呻き声をあげることがあっても、大丈夫だと言って聞かない。彼は兄達や妹に気を使わせることを酷く恐れていた。
「なぁ、それって風呂に入れて使うモンらしいぜ」
気まずい沈黙は思いがけない方向から破られた。
「そうなの?」
レイラが救いを求めるように運転席のカイルに努めて明るく声を掛けた。
「瓶の入ってた箱に説明書みてぇなのが入っててよ。ノルト兄貴はこーゆーモン読まねぇからなぁ」
ハンドルから片手を放し、カイルが前を向いたまま小さな紙切れをヒラヒラと振った。
「アロマ・オイルとかってモンで、そいつは”マージョラム”だとよ。えーと、何々?効果は殺菌作用に保湿・保温。あー、つまり風呂にそいつを入れて浸かると、湯冷めしねぇで暖けぇってこった」
カイルの説明は大雑把だが的は得ていた。
「グローブ兄さん、足湯してみる?冷えは身体に良くないわ」
レイラが盥に張った湯にオイルを垂らすと、いかつい実用一点張りの装甲車には些か不釣り合いな香気が溢れた。
「ありがとう、レイラ」
少し熱めの湯に骨張った足を浸していると、”草原の匂い”が柔らかに立ち昇り、グローブの鼻孔を甘やかにくすぐった。
「すごく気持が良いよ」
いつも冷たく強張っている足先がゆっくりとほぐれ、心地よい暖かさが全身に広がってゆく感触に、グローブはうっとりと目を細めた。純粋に身体的な心地よさを感じるのは随分久しぶりである。
「気に入ったか?」
「ありがとう、ノルト兄さん」
やつれきった顔に浮かんだグローブの微笑は酷く儚く、哀しいほど美しかった。
その時、装甲車がゆっくりと停止した。
「どうしたの?カイル兄さん?」
訊ねるレイラの顔に微かな緊張が走り、無意識に右手が腰のフォルスターを確認する。
「ボルゴフ兄貴、ちぃと運転替わってくれや」
「あん?」
カイルが自分から運転の交代を申し出ることは珍しい。いつの頃からか、彼らの役割分担はボルゴフとレイラがグローブの世話係、ノルトとカイルが運転手となっていた。
「どうした?」
「大したことじゃねぇよ」
カイルは少し肩をすくめ、ベッドに腰掛けて足湯をつかっているグローブを見た。
「なぁ、グローブ。おまえ、大分髪伸びたよな」
言われてグローブは少し猫毛気味の髪に触れてみた。確かに伸びている。普通の人間に比べて伸びが遅いため気付かなかっただけで、生き延びてきた時間の分だけ確実に伸びている。
「鬱陶しくてイヤだよな?俺が切ってやる」
言いながらすでに抜き身のナイフを手にしているカイルに、グローブの返事を聞く気は全くなさそうである。
「そうだね。頼むよカイル兄さん」
「よし。任せろ」
ナイフ片手にニンマリと笑って近づいてくるカイルは、その人相の悪さと相まって、知らぬ者が見たら相当に怖いだろう。
「この際男らしく角刈りにでも」
「カイル兄さん」
即座に刺さる氷点下の釘。刺手は言わずもがなである。
「・・・レイラ銃向けんなよ。ほんの冗談じゃねぇか」
「あら、私も冗談よ。もちろん」
そう言うレイラの目は8割方本気だった。改めて見せつけられた妹の気性に、内心冷や汗をかくカイル。
「安心しろ。ちゃんと可愛らしいショートカットにしてやるから。ナイフ使わせたら俺の右に出る奴はいねぇ」
20歳を過ぎ、今日また一つ年をとる弟を”可愛らしく”するのもいかがなものかと思ったが、取りあえず角刈りよりは遙かに良いと判断し、レイラはあえてその点には触れなかった。
ショリショリと小気味の良い音を立ててグローブの銀髪が床に散る。なるほど、自分で言うだけあって、カイルのナイフさばきは見事である。大振りの戦闘用ナイフによるものとは思えぬ繊細なカットを手際よくこなしてゆく。
「よし、イッチョ上がりだ」
「ありがとうカイル兄さん。何だか、頭が軽くなったよ」
「な、可愛くなっただろ?」
とカイルが同意を求めれば
「なかなかの美人だ」
とボルゴフ。ノルトも同感だとばかりに大きく頷いている。
(だから、男を可愛くしてどうするっていうの・・・)
レイラは思わずこめかみを押さえた。
「レイラ・・・似合わない?」
「え?」
問われて改めて見てみれば。
華奢な顔の輪郭をふんわりと縁取るレイヤー入りのショートボブ。少し不安気に傾げた首。はにかんだような微笑。これは確かに・・・確かに・・・
「・・・可愛いわよ。グローブ兄さん」
この日この時、レイラは少しだけ世間の常識と固定観念から自由になった。
「おい、みんな後2,3時間で今日の目的地に到着だ」
ボルゴフの言葉にレイラははっとした。そういえば、自分たちは一体今どこに向かっているのだろう?仕事のスケジュールに関してはミーティングを頻繁に開いて確認し合うのが常なのに。そのように大事なことに今の今まで無頓着でいたことをプロとしてレイラは恥じた。
「グローブ、今日は具合が良さそうだな?」
ボルゴフの問いかけに、レイラの心が凍った。
(止めて。お願い。今日だけはそっとしておいてあげて!)
当の昔に信じなくなったはずの神に祈った。
「ああ、大丈夫だよボルゴフ兄さん」
いつもと変わらぬ微笑を浮かべて全てを受け入れるグローブに、レイラの凍てついた心がひび割れた。
−何もよりによってこんな日に。−
軽く唇を噛んでそんな言葉を押し殺した。それは口にしてはならぬこと。グローブが彼自身の意志で”マーカス兄妹”であることを選んだ以上、果たすべき責務なのだから。それが彼の望みなのだから。
分かっている。それでも胸が痛い。心が軋む。
「そうか。眠れるようなら少し眠って身体を休めておけ。少々しんどいかもしれねぇからな」
「今ならすぐに眠れそうだよ」
素直にベッドに横になるグローブに、レイラは出来るだけ優しく毛布を掛けてやった。
「レイラ、本当に具合は悪くないんだ。心配しなくていい」
グローブはこの誰よりも優しい妹が、彼が”力”を使う度に密かに心を痛めていることを知っていた。そして、それでも彼を止めようとはせず、ただじっと見守っていてくれることの有り難さも。
「そうね。まずはゆっくり休んで・・・無理はしないでね」
「お休み、レイラ」
マージョラムの芳香に包まれながら、グローブは静かな眠りへと落ちていった。
*
「どこに行くの?」
「行けばわかる」
レイラに対するボルゴフの答えはにべもない。
「グローブ兄さんに何をさせるつもり?」
一拍間を置いて、レイラはついに核心を突く問を発した。
「それも行けばわかる」
レイラの声に込められた押さえようのない非難を、ボルゴフは鷹揚に無視してのけた。頼りになる長兄は、こうした形で敵対すると実に厄介だ。カイルのように同じレベルで喧嘩してくれる相手の方が余程扱いやすい。
「ボルゴフ兄さん!!」
「レイラ、グローブが起きる」
こう言われてはレイラは口をつぐむより他にない。長兄対末娘の極短い戦いは、大方の予想通り長兄の圧勝に終わった。さすがに年の功である。
「ボルゴフ兄さんの・・・・馬鹿」
押し殺したレイラの呟きに、ノルトとカイルが造作の全く異なる顔にそれぞれ苦笑を浮かべて肩をすくめた。小声とはいえ、マーカス兄妹の長兄に面と向かって”馬鹿”と言える人間は、自分たち二人も含めてそう多くはないだろう。
(妹にここまで大事にされりゃぁ、兄貴冥利ってもんじゃぇねぇか、なぁグローブ?)
カイルは安らかな弟の寝顔に、答えの分かり切った問を投げかけた。
「着いたぞ」
静かに停止した装甲車と、事務的なボルゴフの声に、レイラは一気に憂鬱になった。
「グローブを起こせ」
「わかってるわ、ボルゴフ兄さん」
我知らず声までも沈む。
「兄さん・・・起きて、グローブ兄さん」
レイラの呼びかけに、グローブがゆっくりと目を開く。
「着いたんだね」
静かに呟くその声音にも表情にも”力”を行使することへの迷いはない。
「ああ、着いた。行くぞ、グローブ」
その巨体からは想像もつかぬ身軽さで運転席を離れたボルゴフがグローブの傍らに立った。
「レイラ、おまえも一緒に来るんだ」
「何をするつもり?」
「これからグローブを外に連れ出す」
「何ですって?!」
目を剥くレイラをよそに、ボルゴフは毛布ごとグローブを抱え上げ装甲車の扉をくぐった。
「待って!待ってよボルゴフ兄さん・・・・!!」
レイラは言葉をなくした。慌てて飛び出した先は、彼女が想像していたのとは正反対の景観を有していた。
見事な新緑に覆われた小さな丘。暖かな澄んだ空気。草の匂いを運ぶ気持ちの良い風。全てのものを輝かす明るい日差し。そこには小さいながらも完璧な”自然”があった。
何て綺麗なんだろう。
レイラは絵画のような美しい景色に瞬間心を奪われた。
「どうだ、グローブ?具合がいいなら、たまにゃぁ外の空気を吸わねぇか?」
「・・・ボルゴフ兄さん・・・いいのかい?」
「あん?」
「仕事は?」
「ああ、この前大分稼いだから今は開店休業中だ。よし、ここにしよう」
比較的大きな樹木の下に歩み寄り、ボルゴフは腕の中のグローブをそっと若草の絨毯の上に降ろした。
「疲れ過ぎるといけねぇからな。30分だけだ。いいな?」
「充分だよ、ボルゴフ兄さん」
慣れぬ地面に物珍しげに触れる弟の姿に、ボルゴフのいかつい顔に満足気な笑みが浮かんだ。
「グローブ。誕生日、おめでとな」
「兄さん・・・」
「おーい、レイラ。ボサっと突っ立ってねぇでこっちに来い」
真っ直ぐな瞳で見上げてくるグローブの視線に背を向け、ボルゴフは大声でレイラを呼ばわった。どうもこのボルゴフというおとこは、しんみりと感謝の意を示されたりすると身体中がむず痒くなってしまう性質らしい。
呼ばれて我に返ったレイラが、弾むように駆け寄ってくる。
「レイラ、おまえはここでグローブに着いていてやれ。俺は30分後に迎えに来る。グローブに風邪ひかせんじゃねぇぞ」
それだけを言い置いてさっさと立ち去るボルゴフの背中を見送るレイラの瞳に、光るものが浮かんだ。
「ありがとう、ボルゴフ兄さん。ありがとう」
”いいってことよ”
振り返らずに片手をあげたボルゴフの背中はそう告げていた。
*
「レイラ・・・これが草原の匂い?」
グローブが芽吹いたばかりの柔らかな草の芽を愛おしげに撫でながら、毛布を整えていたレイラに問いかけた。
「そうよ。グローブ兄さん。土と、草と、木と、太陽と、風の匂いよ」
「とても・・・とても良いものなんだね」
屈託のない兄の笑顔が、レイラの胸に突き刺さる。自分や他の兄たち、世間一般の人間が、とりたてて感謝することもなく、むしろ当然の権利であるかのように享受している数々のもの。そうしたもの一つ一つが、グローブにとってはいかなる宝石にも勝る貴重品なのだ。
「そうね。ここは素敵だわ」
「レイラ・・・・一つ、我が儘を言ってもいいかい?」
「何?グローブ兄さん?」
グローブが自分からこのようなことを言うのは珍しい。ほとんど初めてといってもよい。レイラはこの我慢強過ぎる兄の”我が儘”を可能な限り聞いてやりたいと思った。
「膝枕、して欲しいんだ」
「え?」
意外な申し出にレイラは面食らった。
「・・・ごめん。ごめんよ、レイラ。僕は、ただ・・・」
「いいの、いいのよ、グローブ兄さん」
うつむくグローブにレイラが慌てて首を振る。たかが膝枕を”我が儘”として求めた兄がレイラにはいじらしく不憫であった。
「膝枕くらいいくらでもしてあげるわ。ほら、横になって」
「本当に、いいのかい?」
「もちろんよ」
なおも遠慮するグローブを半ば強引に横にならせ、その小さな頭を膝の上に乗せる。
「どう?」
「ありがとう、レイラ」
透き通るような微笑を浮かべ、ゆったりと青草の上に手を広げたグローブの姿は、レイラに遠い昔教会で見た壁画の天使を思い出させた。それはどこか浮き世離れして美しく、レイラを酷く不安にさせた。
「グローブ兄さん・・・」
このままグローブが大気中に溶けて消え去ってしまうのではないだろうか?そんな非現実的な恐怖に駆られ、レイラはそっと兄の名を呼びそ、存在を確認するかのようにその細い腕に触れた。
「何だい?レイラ」
いつもと変わらぬグローブのか細い声にレイラは安堵した。
「来年の誕生日も、ここで過ごしましょう」
「素敵だね」
「約束するわ」
「ありがとう」
一年後、グローブが小康状態を保っていられる保証はどこにもない。否、もっとはっきり言ってしまえば、生きている保証とてもない。それがグローブ本人もレイラも承知している現実。それでも、それ故に彼らは約束を交わす。約束は願い。願いは祈り。
「兄さん、遅くなったけど、誕生日おめでとう」
*
「まったく、兄貴たちもレイラもグローブにゃぁ甘いよなぁ」
装甲車の中では行儀悪くハンドルの上に足を投げ出したカイルが、一枚の絵画のようなレイラとグローブの姿を眺めつつ、ぼやきとも揶揄ともつかぬ声を上げていた。
「あぁ?おまえもこの計画には乗り気だったじゃねぇか、なぁノルト?」
「ああ、みんな賛成した」
「そりゃぁよぉ、レイラにあんな顔して頭下げられたらなぁ」
カイルが長い溜息をついた。
一週間ほど前。
”お願いがあるの。グローブ兄さんをせめて誕生日くらいは辛くない状態で過ごさせて上げて”
そう兄たちに訴えてきたレイラのあまりに思い詰めた様子に、彼らは一も二もなく押し切られてしまったのだ。
長兄を甘いと言うカイルだが、彼自身レイラにはかなり甘いのである。
「だいたいノルト兄貴、いつあんな気の効いたモン買ったんだよ?」
「街でちょっとな」
相変わらずノルトの応対は口数が少ない。それでも、この巨漢が随分と前から寝たきりの弟の誕生日を心に留め、贈り物を物色していたことは間違いない。
「さて、そろそろ迎えに行くとするか」
のっそりと弟妹のもとに向かう長兄の後ろ姿と、なおもぶつぶつ言いながら、素晴らしいナイフ捌きでウサギ林檎を作る弟の姿を見比べ、ノルトの日頃無表情な顔が大きく笑いを象った。