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巨人の走る村〜平成16年新潟県中越地震

 2004年10月23日17時56分、新潟県中越地方で大きな地震が起こり、「平成16年新潟県中越地震」と名付けられた。甚大な被害を被った山古志や、観測史上初の地震計で震度7が記録された川口町などはよく報道に登場する。長岡市内も登場するが、避難所が出てくるばかりだ。僕の生まれた山あいの村は全く登場しない。

 しかも、この地震は「本震-余震型」ではなく「群発型」といわれ、その後も強い地震が断続的に続いている。被害状況は刻々変化する。電話で実家とやり取りしてはいるが、どの程度の被害があったのか実感としてわからない。自分の目で確かめるために里帰りした。

 なお、このページの内容は2004年11月7日現在の情報である。

あなたはここに来た、 31205番目の人です(2004/11/11より)。[改定日: 08/08/24 17:38]

目次

 レポート:長岡入り/東へ道をひろう/村へ入る/報道されない被害/パトロール/家の中/巨人、走る 

 リンク:災害情報関係のリンク/義援金・募金関係のリンク

 レポート2:あれから2ヶ月

●長岡入り ▲ページトップ

 長岡の駅に着いたのは意外に早く、10:45頃だった。朝5時半に起き、東京駅から7:12発の新幹線で長岡に向かったのは2004年11月6日・土曜日のことである。新潟県中越地震の発生からちょうど2週間後だ。

 新幹線は越後湯沢までで、その先はまだ開通していない。トンネル・橋脚にかなりの傷みがあり、復旧にはまだまだ時間がかかる。脱線した車両もそのまま。越後湯沢の先は代行運転のバスが出ている。バスに乗り換えて約1時間50分で長岡駅近くに下ろされた。

 同様のルートをとる人のために書いておくと、新幹線は80〜90%程度の乗車率、代行バスは6台で運行しているが、乗車人数によってはさらにバスを増発させる体制ができているようだ。ちゃんと座っていける。関越自動車道はこの日の前日にようやく応急の補修が終わり、全線開通した。それまでは長岡インターが使えないので手前で一般道に降り、バスは2時間以上かかっていた。バスにはトイレもないし、途中のサービスエリアも閉鎖されていてトイレ休憩はないのでご注意。

 関越自動車道は、補修が終わったとはいえまだ応急段階なので、路面はかなり悪い。越後湯沢辺りは被害は何もないのでスムーズだが、被害地域に近づくとあちこちに段差があり、バスが跳ね上がる。シートベルトをするようにと車内でアナウンスがあるし、小さな陥没などはそのままみたいだ。

(↓)越後湯沢で代行バスに乗り換え。

(↓)代行バスの中から。関越自動車道は一応通行可能になったが、まだ補修工事が続いている。右下に「禁」の文字が見えるが、バス内の灰皿に貼られた「禁煙」のシールが窓に映ったものだ。

えきねっと|旅やチケットのご予約(JR東日本)
JR東日本:越後湯沢駅〜長岡駅間バスによる代行輸送のご案内

 他のルートもいくつかあげておく。

(長野経由)長野まで新幹線で行き、長野から越後線(信越線が内陸を走るのに対し、新潟の海岸線を通るJR線。)で新潟へ行き、長岡へ引き返すルート。越後線の接続便は1日4便程度の上、長野から新潟までだけで4時間かかる。

(北陸周り)JRを使って太平洋側を北上し、北を回って新潟に入るルート。

(空の便)羽田から新潟空港へ飛び、信越線で長岡へ入るルート。臨時便も飛んでいるが、ほぼ満席でチケットの入手は困難。

新潟空港
JAL
ANA

(長距離バス)池袋から新潟市へ向かう長距離バス。飛行機よりはチケット入手のチャンスは大きそう。北長岡で下車することになる。

新潟交通 臨時ダイヤ
越後交通 

 なお、新潟県内への自家用車の乗り入れは、自粛するように呼びかけられている。ボランティアの方もできれば自家用車ではなく公共交通機関を使って新潟入りするのが望ましいです。

●東へ道をひろう ▲ページトップ

 長岡で外から目に見えるような被害が出ているのは、ほとんど駅の東側、それも平場(ひらば・平地の意)ではなく山あいである。

 簡単に長岡の地形を紹介しておくと、市内を南北に信濃川が流れ、その東に上越線・長岡駅がある。駅の東に平地が広がり、その先は越後山脈となる。山脈から西(駅のある方向)へ尾根がいくつも張り出していて、尾根と尾根の間に村々がある。僕の生まれ育った場所もそうした村の一つである。

 駅の西は大きな商店街があり市街地が広がっていて市の中心である。駅の東は様子が異なる。駅近くはバスロータリーやホテルがあって町場の雰囲気だが、1kmも行くと様子は一変して、田んぼの中に建物が点在するいかにも「米所」の風景となる。市街地が広がる長岡駅の西側が「表」だとすれば、東側は「裏」に当たる。

 現在、山古志の人たちが避難している長岡大手高校は、長岡駅の東に位置するが、駅にも近く、外から見える被害がほとんどない平場にある。これを過ぎて駅から東へ2kmほどまでが平場で、その先はだんだん土地が高くなっていき、山あいに入っていく。

(←)長岡大手高校の正門前。

 長岡大手高校は現在山古志の人たちの避難所となっていて、テレビにも何度も登場している。

 長岡駅東口からまっすぐ東へ向かうと自然とこの前を通ることになる。周りは田んぼが広がっている。

 このあたりは駅の東側だが目に見える被害がほとんどない。ただし、それは外から見ているからだ。建物自体に大きなダメージはなくても、内部は大変なはずだ。地震直後は棚という棚は倒れ、固定していないものは飛び散り、割れ物はたいてい割れたはずである。

 隣に青少年文化センターがあり、自衛隊によるお風呂が設置されていた。高校の周りは報道関係をはじめ、車がたくさん止まっている。この写真にも中継車が見える。ほかにも警察の車両や一般の車両が並んでいた。

 後で知ったが、この日、天皇・皇后両陛下が激励のためご訪問された。僕が通ったのはご訪問の前か後かはわからない。ご訪問中なら警察車両がずらっと並ぶだろうから、最中ではないだろう。

(←)飛び交うヘリコプター。

 長岡に着いた直後から、ヘリコプターの音が響き渡る。自衛隊の輸送ヘリ、偵察タイプらしいヘリ、報道のものらしいヘリとさまざまなヘリコプターが舞っている。

 低高度を行くものもあり、高空を飛ぶものもある。

 長岡大手高校のすぐ近くがヘリポートになっているので、特にうるさい。大手高校に避難している人たちは絶えずこの爆音にさらされているのである。

(→)バイパス脇

 後ろに見える高架は長岡大手高校の東を走るバイパス(関越自動車道ではなく、長岡市街地を通さずに物流を流すためにつくられたバイパス道)。長岡駅から1kmちょっと。

 バイパスを境にするように、越えて東側にいくと被害が目に付くようになる。やっと外から見える被害が出てくる。

(→) バイパスを過ぎてさらに東へ向かう。だんだん被害が目に付くようになってくる。道や歩道だけでなく、通り沿いに建つ建物にも被害が出始める。

 市街地には見られないものが出てきた。建物に危険度判定の張り紙がはられているのである。緑(安全を示す)はあまりなく、ほとんどが黄色(要注意)で、ところどころ赤(危険・立ち入り禁止)が混じる。

(→→) 見慣れない空き地もある。地震で倒壊した建物が撤去された跡である。

 写真の空き地は同級生の家があったはずの場所である。

(↓)神社の参道(長岡駅から2kmあまり東)

(↓) 結局、参道は堀を渡る石橋が落ちていて行きどまってしまった。橋の半分が完全に落ちている。

(↓)野球場前の駐車場。

 この写真では分かりにくいが、奥に緊急車両が並んでいる。この裏側に自衛隊が駐屯している。

 野球場自体も被害がひどく、スタンドがぐらぐらで立ち入り禁止だという。

(↑)野球場裏。

 野球場の裏手に自衛隊が駐屯している。この部隊は岐阜から駆けつけてくれていた。

(↓) 野球場があったりして町場のように見えるが、一歩道を外れると周りは田んぼである。この辺りまでは平場、この先、いよいよ山あいに入っていく。

 

(→)平場の外れ(駅から2kmちょっと)

 避難勧告地域も出てくる。写真には写っていないが、この右手に急な上り坂があり、そこからいよいよ山あいなのだ。

 実はその坂の上の台地地帯全体が危ないらしい。台地の上にひび割れが無数に走っているという。そこが崩れるとこのあたりが危ないため、避難勧告が出されている。

 家が無事なのに避難しなくてはならないわけだ。

 この日は土曜日であること、朝から大きな余震がないことなどから、家の中の整理のために家に戻っている人の車がところどころ止まっている。

●村へ入る ▲ページトップ

(↓)村に近づく

 上で書いた急坂を上り(この辺り一帯が避難勧告の指定を受けている)、さらに東へ。台地にはまだまだ田んぼが続く。

(↓)道路のひび割れ

 村へと向かう道。側溝と車道の間に大きな亀裂がずっとできている。道路の真ん中にひび割れ。その他一部道路が陥没している。

 歩道の左にはめ込み式のブロックが見える。この下には水が流れている。歩道もダメージを受けていて、ところどころ歩道のはじが田んぼ側に落ち込みそうになっている。そういうところはブロックがいつ下の暗きょに落ちるかわからないのでうかつに歩けない。

(↓)寺の裏手

 村に入った。お寺の裏手の石垣が全部崩れている。寺自体も見た目は大丈夫そうだが、かなりの被害を被ったという。

 最初の地震直後、夜に入るとみんな路上に出した車で車中泊だったそうである。家がつぶれるという恐怖からだ。お寺様は車を持たない近所の人に車を貸し、自分たちは家の中で寝たと聞く。

(↓)さらに上る

 越後山脈から東西に張り出した尾根と尾根の間に村がある。真ん中を川が流れていて、それをはさんで北の尾根と南の尾根の斜面に家が点在する。

 これは北側の尾根を上る斜面。左手の山の奥に亀裂が走っており、どこかの大学の先生が見に来たという。「その亀裂を境にそ、山が東側にズッと動いたがらぁと。」

(↓)北の尾根に点在する家

 のどかな風景だが、この畑の脇にある県道へ向かう道も舗装の下の土がごっそり無くなっていた。上を車が通れば崩れ落ちるだろう。

 写真をよく見ると向こうの家の屋根には青いビニールシート。瓦がずれ、屋根がむき出しになっているからだ。屋根の被害は多く、雨雪が心配だ。

(↓)県道へ抜ける

 村の真ん中には川だけではなく、県道も通っている。北側の尾根から県道に抜けるところ。

(↓)南側の尾根

 県道から南側の尾根を望む。わかりにくいが、画面中央、左右に土砂崩れの跡が走っている。

(↓)温泉宿の東屋

 村内には温泉宿がある。これはその庭にある東屋。柱が傾き、右に傾いている。

(↓)温泉宿脇

 県道から温泉宿に降りる道。

(↓)温泉宿

 見た目は無事なようだが、写真右手前のコンクリート作り部分は、写真中央の木造部分から切り離され、25cmも沈み込んだ。

 写真右奥の茶色い新館はがけの上に立っており、がけ自体が後ろを流れる川の中に落ちかかっているという。

 若旦那とは幼なじみ。建物もダメ、土地もダメで廃業を決めた。無精ヒゲが伸びた顔を見ればもう何日も風呂に入っていないことが一目でわかる。ショックを隠しきれぬ様子で「こういうことになっちもぅて、へぇどうしようもねぇがぁて」と淡々と話す。慰めの言葉も出ない。

(←)栃尾に抜ける道

 村を通る県道は長岡から栃尾に抜ける道の一つである。いくらもいかないうちにに通行止めの看板に出会った。看板の手前にもいくつも陥没がある。

 台風で地盤が弱っていたところに今回の地震である。この先はもっとひどくなっているのだろう。

(↓)南から北を

 村の中を引き返し、南側の尾根から北側の尾根を望む。

(↓)神社の参道

 南側の尾根は北の尾根に比べて傾斜が急だ。南の尾根にある神社の参道は、石段があちこち転げ落ちそうになっており、鳥居はごらんの通り真ん中が落ちた。

 写真ではあまり急傾斜に見えないが、鳥居の柱はまだ直立している。柱と階段の角度を見て推し量って欲しい。手すりをつかまないと怖い急傾斜なのである。

 ここにたどり着くまでにも亀裂が走っているところがあった。

(↓)神社の境内

 山道を上った所にある社の前に亀裂が走っている。亀裂は山の中に抜けている。

 この写真を撮った後、境内の方を振り向いてゾッとした。境内にも亀裂がいくつも走っている。大きな揺れがあったら崩れてもおかしくない状態だ。

 怖くなって写真も撮らずに追われるように参道を下りた。

(↓)公民館脇

 村の中央にある公民館は、脇の石垣が崩れている。左上に仮設トイレが覗いているが、公民館の広場には自衛隊のテントが設営され、避難者がいる。

(↓)墓場

 北の尾根から南の尾根にある墓場を望む。墓場にも亀裂が走っていて、近づくのは危ないとのこと。

 墓石のほとんどが倒れているが、斜面が危険なことと、強い余震が続いているので、墓石は倒したままでシートをかけてある。

 これでおおざっぱだが村を一周したことになる。

●報道されない被害 ▲ページトップ

 写真を撮りながらたどってきたのでよくわかる。不謹慎な表現をするなら、このあたりは「ビジュアル的に弱い被災地」なのである。ビニールシートに覆われたり赤紙を貼られたりしても、派手に倒壊した建物もないし、山も「まだ」崩れていない。山古志や川口町に比べて被害も軽微といえる。

 一口でいえばテレビ向きじゃない。建物が倒壊していたり、山が崩れて民家が押しつぶされていたほうがずっと「分かりやすい」。「まぁ気の毒」ということに直結する。「警察は事件が起きてからでないと助けてくれない」という意見があるが、同様の言い方をすれば、「死ぬか倒壊しなくては報道されない」。

 しかし、一歩踏み込むと見た目なんか関係ない。赤紙を貼られて家に入れない人、張り紙は緑でも土地のせいで避難勧告を受けた人。一見しただけではこういうことはわからない。顕著な例が温泉宿だ。外からは建物は何でもないように見える。しかし、実際は建物もだめ、土地も危険という事実上の倒壊状態である。こういう「目に見えない被害」は報道されにくい。

追記:2004/11/11

 なんか、上の文章を読むと「目に見えないから」という理由だけで報道されないかのような感じを受けることに気がついた。実際には大きな被害が報道され、相対的に小さな被害は報道されないだけだ。当たり前のことである。

 でも、報道に登場しない「相対的に」小さな被害でも、普段なら大見出しになるような被害なのである。

 村の中に人影はあまりない。畑の中も通ったが、畑仕事をしている人は一人もいない。家の中の片づけをそれぞれやっているのだ。「へぇ皆勤め人らろ(専業農家ではなく、兼業農家ばかりになったことを指している)。平日は仕事にいかんばならんねすけぇ(仕事に行かなくてはならないので)、家ぃ帰ってからちょこちょこ片づけるだけでそぉ、休みらきゃあ(休みだから)皆して片づけてるがぁ」。片づけようにも仕事もあり、時間がなくてなかなか片づけが進まないのが実情だという。ボランティアが村に入っているのかは不明だ。

 「避難所行った人もそぉ、やらがって(嫌がって)戻ってきたがぁ。なんせそぉ、夜中寝てたれば、頭ん上に尻餅つかれたり、足ぃひっかかったりしてそぉ、おちおち寝てらんねぇてがぁ。親より子供の方がそ、やらがってダメらんがって(嫌がってダメだそうだ)。そらぁ、子供にじっとしてれいうたたってなぁ(じっとしてろと言っても無駄だ)。」

 避難所の生活においては、話を聞けば聞くほど報道に出てこない苦労があるようだ。こうした細やかな実態というものも、報道されにくいものの一つである。

 報道されないからいけない、といっているのではない。報道されたことだけがすべてではなく、報道にでてこない被害が無数にあることを知ってもらいたいのだ。

●パトロール ▲ページトップ

 村の中を覆面パトカーが走っている。このパトカー、県外ナンバーである。他の県から警察の応援部隊が来ているのだ。ありがたいことである。何をしているかというと、「火事場泥棒」を警戒しているのだ。災害募金泥棒・詐欺もあちこちで発生しているというが、とんでもない話だ。山古志でもATMをこじ開けようとした跡があったという。避難所に潜り込んでいた指名手配犯が捕まったというニュースもあった。防犯の意味も含め、この文章では地名などは伏せている。

 東北電力のパトロールカーとも何度かすれ違う。災害直後に、切断された電線と傾きのひどい電柱だけを直して、ともかく電気を通した。ところがその後も地震が頻発している。おかしくなったカ所はないか、常に巡回しているのだ。

 自家用車が村の中を通る。すぐに引き返していく。何台かそういう姿を見た。前述のように、村の道は栃尾に抜ける道となっている。ところが村外れですぐに通行止めだ。そこまで行って引き返してくる車と思われる。どこで通行止めが発生しているのか、情報が行き渡っていないのではないかと思わせる。

 こんな山の中でも、ヘリの爆音が絶え間なく聞こえてくる。時折遠くを飛ぶ機影が見える。意外に近くを飛ぶ姿もある。隣村にある大きな駐車場を臨時のヘリポートにしているのだという。日中は常に響くヘリの音も、日が落ちるとぴたりと止む。

●家の中 ▲ページトップ

 実家の被害は比較的少なかった。外壁にはいくつか亀裂が走ったが、大したことはない。内壁はひびが入ったり、いくつかは落ちた。屋根瓦がずれてビニールシートがかけてある。柱の何本かから下の土台が外れたらしく、歩くと床が沈み込むこところがある。結局黄色い紙が貼られた。

(↓)崩れた玄関脇の内壁。寒々とした感じで、ここを早くなにかで覆いたいと言っていた。

(↓)黄色の張り紙は「要注意」。後ろに車が見える。どの家も、家の前に車を出している。ガレージがつぶれた場合の用心だ。これで家がつぶれても避難場所を確保できる。

(↓) 神棚は外されている。その右には賞状や写真などが飾ってあったが、これも下ろされている。柱時計も外されて下に置いてあった。時間が来ると足元からボーンボーンと音がする。

(↓) テレビは一日中つけっぱなし。民放も本来の画面を小さくし、上と右に地震関連の情報を常時流している。

 地震があるとその情報を食い入るように見る。チャンネルを変えながら、10分してもなにも情報を流さない局をこき下ろす(ののしる)。 

 夜、NHKの災害特番を見ながら市内の地図を広げて、番組に出てきた場所をプロットしていく。

 この日の朝、やっと障子の張り替えを終えたところだそうである。「障子が全部破れたがぁ。おもしれぇもんで、全部いっぺんに破けたが。」

 震災後、1日一部屋ずつ、散乱した荷物の後片づけをして、それが済んだら真っ先にやったことが障子の張り替えである。そういえば町場の家も村の家も、障子がぼろぼろになっていた。弾力性があって、揺れには強そうな印象があるが、横揺れで一斉に破れたようだ。

 「障子が破けてるとそ、なんか気持ちがやらて(気持ちが悪い)。気持ちがひきたたねぇが。」ブラインドなどというものがない家である。部屋という部屋は周りを障子で囲まれている。それが全部破れていたら、「壊れた家」にいるようで、気分が侘びしいのだという。まー、壊れてるんですが。

 ライフラインの話をしておくと、地震直後から水道が不通となり、10日ほどしてようやく回復した。それまでは家の脇を流れる清水で生活用水(洗濯とトイレの水)を賄い、給水車の配給で飲み水と食事の水を賄ったという。子供の頃はこの清水の水を飲んでいたものだが、護岸がコンクリートで固められてからは飲む気がしない。

 「水を入れておく容器がそ、ねえがて(ない)。値段は安いがらろも、ものがねえがて。しかたねえすけ灯油を入れるポリタンクを買おうとしたがろも、これも値段は安いがあろも、ものがねえ。」という状態だったそうだ。

 風呂はダメだったので(浴槽をいっぱいにするためには何回清水を酌まねばならないか)、途中、僕の姉夫婦一家と一緒に、近く(といっても県外)の温泉に行き、風呂に入ったそうだ。同じことを考える人は大勢いて、その温泉はみんな長岡ナンバーの車で埋まっていたという。普段なら旅行気分だが、残してきた家がどうなるか、心配で楽しむどころではなかったようだ。

 電気は最初の地震では無事だったものの、途中の余震で途切れ、2日ほどして回復した。この期間がもっとも不安だったようだ。お米を炊くのも電気だし、今の石油ストーブはコンピュータ制御なので電気がないと使えない(僕も知らなかった)。暖をとるものはガスしかない。「電気が点いたときは嬉しかったれ。ありがたかったあ」。

 ガスはもともとプロパンガスなので問題はない。

 着いた当日は、まだ村内のゴミの回収は始まっておらず、翌日(11/7)回収が始まった。町場から順に回収しているそうだ。下水が途中で破損しているのか、7日にはバキュームカーがマンホールを開けて吸い上げているのを目撃した。ライフラインが正常に戻るにはまだかかりそうだ。

●巨人、走る ▲ページトップ

(←)夕方、障子に映った影が風で踊る。

 東京にいるときも、「気配」が感じられるところが好きだ。公園の近くに住んでいるのもそれが大きい。

 川が近づくと水の匂い、気配がする。雨が近づけば雨の匂いがする。雨が降って川が増水すれば水音が変わる。川の色が変われば上流の様子もわかる。これも気配だ。風が吹けば葉っぱが揺れ、音がする。風が強くなれば木が揺れて音がする。音で風の強さがわかる。雪がしんしんと降るときは、なんの気配もしない。いっさいの音がなくなり、逆にそれが雪の気配になる。こうした微妙な変化を肌で感じるのだ。山には気配がある。

 うちはいいからというのでよその家の後片づけを手伝い、3時すぎに家に戻ってお茶を飲んでいると、南西の方角からドドドドドっという地響きが大きくなりながら近づいてきた。地響きが家に当たったと思ったら、家がガーンと揺れだした。7、8秒で揺れが収まると、北東の方角に小さくなりながら地響きは去っていった。この地震は震度3だった。

 巨人が全力疾走してきて家にぶちあたり、そのまま家の中を駆け抜けていった、そんな感じだ。ボブ・サップ100人分くらいの巨人だろうか。ああ、地震にも気配があるんだなと思った。「だいじょぶらろ(大丈夫だぞ)、へぇ収まったすけな(もうおさまったからな)」父親が腰を浮かし、台所にいた母親に声をかける。「だいじょぶらって」と返事がある。

 「震度3とか4は、へぇ慣れたて。なんともねえがあ(平気だ)。らーろも(だけど)、震度5は怖ぇな。最初の時(10月23日)は家が悲鳴をあげたんだれ。初めて聞いたな。家がギャーって悲鳴を上げるがあて(注:木材と木材が強くこすれる音だろう)。おーっかなかったれ(怖かった)。下からドーンと突かれて家が持ち上がってそ、ドーンと落ちて揺れたがあ。たまげたこっつぁあ(驚いた)。その頃はまだなれねぇすけ(慣れていないので)、夜中に揺れるとすぐ外出てそ。アノラック着て、毛布かぶってそ、揺れたらすぐ飛び出せるようにしてそ、寝てたがあ。今はへぇちいせえがは(今は小さいのは)怖あねぇろも、おっきいがは(大きいのは)やっぱり怖えな」

 しばらくして今度は前触れなしに家鳴りがしだし、家鳴りが大きくなったと思ったらすぐにやんだ。震度2だった。

 夜になり、床につく。2階はいざというとき外に出にくいということで、1階の仏間に寝た。仏壇からは十分離れた位置に床をのべる。上に飾ってあったものはことごとく外されている。目を閉じるといつものように近くの川の水音や、葉擦れの音が聞こえる。

 10時過ぎごろ、南西の方角からまた巨人が走ってきた。今度は家にあたらず、村の中を通り抜けた感じで軽く家を揺らして通り過ぎていった。震度2くらいだろうか。向こうの部屋に寝ている父親が声をかけてくる。大丈夫らぁてと返事をする。

 3、40分後にいきなり下からドンと突かれる。ひと揺れしただけで終わった。柱が1度ギっと鳴る。まるで、家が「またかよ、ちっ」と舌打ちしたみたいだった。

 夜明け前、今度は北の方角から巨人がやってきた。ドドドではなくガガガとやって来て、家を揺らして南に消えていった。震度3くらいか。群発型であちこちに震源があるとテレビで解説していた。図らずもそれを体感したわけだ。あっちからこっちから巨人が走ってくる。

 昼でも夜でも余震はいつやってくるかわからない。玄関には靴が並べられている。間に合わないようならスリッパのまま飛び出すように、ただし瓦に注意することと、言い含められた。すでに震度5クラスが何度もやってきている。もしかしたら次の強震で家は倒壊するかもしれない。この不安感が一番大きいようだ。

 全国に報道されるのは大きい余震だけだ。現地では小さい余震が頻繁にあり、中に大きいものが混じる。揺れ始めではそれが大きい揺れかどうかわからないので、どの余震にもぎくりとする。神経戦を戦っているようなものだ。

 同時に家の整理、建て直しや修理の算段をし、さらに仕事を失った人はこの先の生活のことも考えねばならない。もうじき雪が確実にやって来る。道路が引き裂かれ、埋め込まれている消雪パイプの被害の把握もできていない。消雪パイプは冬でも輸送路を確保できる、画期的な施設なのだ。まだある。中東の戦争のあおりを受け、今年は灯油(この地方の主要な暖房燃料)が値上がりしている。被災者の生活には不安がひしめいている。

 朝、起きだすと母親が壁の落ちた廊下を掃いていう。「今朝はじゃり(砂)が多いな。」内壁にひびが入っていて、地震があるとそこから砂というか壁土というか、少しずつこぼれ落ちるのである。「いっくら掃いたってぇ、じゃりじゃりするがら。」

 トイレに入ると律義に花瓶に花が挿してあった(→)。玄関ならわかる。トイレである。普通の生活を取り戻したいという強い気持ちをこの花に見たような気がする。

 滞在2日目は姉夫婦の家の後片づけの手伝いにいった。姉夫婦の家は村内ではなく、山を下りた平場にある。ここでは地震の時地鳴りはするが、どちらから来た、という方角はわからないそうだ。やはり気配は山でこそ感じられるようだ。

 うちの地方にはないが、山を作ったり湖を作ったりするという巨人、ダイダラボッチ伝説というのがあると聞いたことがある。走る巨人のイメージはこれと合致する気がする。

 昼すぎまで姉夫婦の家の片づけを手伝った(姉夫婦の家は少々傾いた)。必要最小限の空間しか片づいていなかったので、人手がいるものを優先して片づける。本や衣服に混じって割れたガラスがあるので軍手は必須だ。大物を片づけたところで辞去した。

 別れ際、栃尾名産の油揚げをお土産にもらった。被災者から食料をもらったのだった。

(←)朝になると再びヘリが飛び始める。 歩いて駅に向かう。駅まで歩く途中、ヘリの音がひっきりなしに聞こえた。この音を復興の音として聞いているのか、それとも被災地の音として聞いているのか、ふと気になった。

 最後に、帰りにみかけた平場の風景を2つほど紹介しておく。

(←)このアパートも屋根をやられている。

 屋根のビニールシートを固定しているヒモが見える。

(→)電柱はあちこちに傾いており、田んぼのあぜも手前と向こう側が崩れている。

●災害情報関係のリンク ▲ページトップ

新潟県のホームページ
 ・平成16年新潟県中越地震に関する情報 各種情報が豊富にあります。

新潟県災害救援ボランティア本部 お気持ちと時間のある方、よろしくお願いします。まだまだ手が必要なところがたくさんあります。

道路の被災による一般車両の通行禁止の状況について 国土交通省のページ。

NHKボランティアネット新潟県中越地震災害ボランティア関連情報 

気象庁・地震情報 地震情報の総元締め。情報はここがいちばん早い。仕事中に手が空くとここをチェックする。

総務省消防庁・災害状況 

新潟テレビ21 義援金の募集もやっています。

テレビ新潟 義援金の募集もやっています。

●義援金・募金関係のリンク ▲ページトップ

 そんなわけで、募金にご協力いただければ嬉しいです。ここに紹介したのは代表的なものだけ。他にもいろんなところで募金を募っています。
 義援金団体を名乗った詐欺が発生していますのでご注意ください。

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新潟県中越地震災害義援金の受け入れ(新潟県HP)銀行振込・郵便振込

日本赤十字社 新潟県支部(銀行振込)

赤い羽共同募金会(振込・現金書留)

テレビ朝日 ドラえもん募金(電話による募金)

イーバンク銀行 新潟県中越地震被災者のための義援金について(口座を持っていればオンラインで、持っていなければ銀行振込)

@nifty 「新潟県中越地震」被災者支援チャリティーコンテンツ(スクリーンセーバーにお金を支払う)


●あれから2ヶ月 ▲ページトップ

 全国的に雪だった2004年末から2005年にかけて里帰りした。その後の様子をちょっとだけ。

 雪というのは、その下にあるものをたいてい覆い隠してしまう。が、それでも隠しきれないものもある。

(↑) 壊れかけていた道路沿いの歩道は手つかずのまま。ところどころパイロンがのぞいているところは危ない箇所。うっかりこの上を歩くことはできない。まだ積雪がそれほどでもないのでこの程度ですんでいる。2月には危険個所を示すパイロンも見えなくなる。雪が解けると雪の重みで完全に壊れた箇所が顔を見せるだろう。

(↑) 多くの家が屋根に損傷を受けた。修理は間に合っていない。応急処置のまま冬を越えることになる。

 (←)壊れた塀もそのまま。屋根もそうだが、直したくても直せないのである。急を要する屋根の修理にしても、3ヶ月から4ヶ月待ちなのだ。

 国や県・市などから補助金がでることはでる。ただし、補助金によってはいろいろと足かせがあって、家の修理でいうと屋根、台所、風呂場、トイレ、玄関以外の修理に使えない補助金なんてものもある。

 上がりがまち、廊下、居間、客間に被害を受けた僕の実家のような場合、屋根以外この補助金は使えない。

 その後の検査、というより、余震がうち続くため、最初の検査後に被害が拡大したケースがたくさんあり、被害総額は当初の見積もりよりも肥大している。

 うちの実家も最初は大丈夫だったが、余震で2階の柱が曲がってきた。姉の嫁ぎ先は土台がやられていることがわかり、最初の検査では240万円程度の修理額と算定されたものが、760万となった。

 被害はいまだに拡大しているのである。

 余震はだんだん間遠になりつつあるが、まだ収まっていない。避難所はすべてなくなり、山古志の人たちも仮設住宅に入った。これからは生活との戦いとなる。

(←↑)雪が降っている間はどうにもならない。

 ようやく修理の人が来てくれたという場合も、一度リタイアしたのに再度かり出された、といった風なお年を召した職人さんだったりして、心許なかったという話も聞く。

 結局、たいていの家は雪解けを待って修理することになる。

 前回のレポートにあるように、地盤が危険な個所もあるし、建て直しがきかない場合もある。結局、この村からは8軒の家が姿を消すことになった。60戸ほどしかないから、割合にすると13%になる。

 それぞれ引っ越したり親戚に身を寄せることになり、村を離れることになったという。

(↑)年が明けると降っていた雪も止んだ。

(↑)晴れると冷たい風に身が引き締まり、日溜まりが気持ちいい。

(→)今回もっとも衝撃的なカット。

前回のレポートで「トイレの花に感動した」と書いたが、それが実は造花であった、という笑撃の写真である(^^; だってさー、逆光だったからさぁ……。


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