ビールの友009
病院行きスロウバス
1996.09.10
友人と飲んだりしていて、何かの拍子に病気自慢になったことがある。
「俺なんかバイクで左足大腿骨骨折しちゃったし鎖骨も折ってるよ」
「けがだろ? 大したことないよ。俺なんか胃切ったもん」
「何回? 俺2回切ったぜ。栄養失調もやったもん。2日間点滴責めだぜ。」
そのうち盲腸まで持ち出して、どこが自慢なんだかよくわかんないけど、あなたも覚えがあるでしょう。ああいうときの心理状態ってなんなんだろ。
まぁ、こういうのは友達だから盛り上がるんだと思うんだけど、顔見知り程度の相手にこの手の話で盛り上がる場所というのもあったりする。病院である。入院した病院で知り合った入院患者たちが、自分がどれだけの大病をしたかとか、今までどのくらい手術を受けたとか、入退院を繰り返しているかとか、しょーもないことで自慢をし合う。
病院なら寝食を共にしてるんだからこうなってもそれはそれでおかしいとはいえない。場所も場所だしね。ところが、ホントーに面識がない人にこの手の話を持ちかけられたことが、実は1度ある。
知り合いが三鷹の大学病院に入院し、その見舞いに行ったときだ。吉祥寺と三鷹は駅ならひと駅、お隣さんだ。問題の病院は三鷹の駅から離れていて、吉祥寺からはバスの方が都合がいい。病院の真ん前にバス停もあるし。そこでバスに乗って見舞いに出かけたと思ってくんねぇ。
平日の昼間だということもあって、バスの中は僕が一人で平均年齢を下げているような状態で、間違っておばさんとおばあさんの慰安旅行に紛れ込んだかのような感じ。すでにこの時いやな予感はあったんですよ、ホント。僕はおねーさんは好きだが、そのなれの果ては好きじゃない。それほど混んでいなかったので、僕も後ろのほうの席に座って、文庫本を読みだした。
突然、バスが大揺れした。毎年、春になると予算消化だかなんだか知らないが、狂ったようにあちこちで道路工事が始まる。初夏だったので工事ラッシュはとっくに終わってたけど、ところどころずさんな場所がある。バスが揺れたのもそんな場所の一つで、道路の4分の1くらいがなんでこんなにというくらい盛り上がっていて、そこだけアスファルトの色が違う。それが交差点の手前だったもんで、普段は気をつける(んだろう)運転手も、黄色信号の誘惑には勝てなかった。スピードを上げて突破しようとしたからグワッタンということになってしまった。体が席から飛び出しそうなほど大きく揺さぶられ、乗客は一斉に「おう」とか「ひゃあ」とか声を出して、お互いの顔を見回した。これが見知らぬ同士のおしゃべりのきっかけとなったのである。
互いに周りを見回して、「すごかったわねぇ」などといっている。
また注意を文庫本に戻した僕は、それがどんな風にバス全体に広がったのかわからない。ふと気がつくと、バスの中全員がおしゃべりをしている。このバスのほぼ全員が病院に行く乗客らしいのだ。断片的に耳に飛び込んでくる会話が恐ろしい。
「○○先生なのぉ? ダメよ、あの先生はぁ。ヤブだって評判よ。××先生の担当日だから木曜にした方がいいって、絶対!」
「△△先生? あの先生は気をつけた方がいいわよ。あたしの知り合いが胃潰瘍だって言われてたのに、ガンだったのよ。もう、あっという間!」
何があっという間なのかあまり聞きたくない。でもちょっとは聞いてみたい。
「□□先生にはお酒はダメ。ダメダメダメ。□□先生は甘いものなのよォ!」
どうもつけ届けのことらしい。
急に居心地が悪くなる。停留所の間隔が突然長くなったような気がする。こんな会話は聞きたくない。が、おばさん&おばあちゃんの話はイヤでも耳に飛び込んでくる。文庫本に集中しようとするが、こういう時は魔法にでもかかったように耳がダンボになる。
「あんた! 若いのに、悪いの? どこ?」ぎょっとした。このセリフは耳元で聞こえたのである。傍らを見ると、おばさん2人がこっちを見ている。信じられない。普通、本を読んでいる人間に話しかけたりするかぁ? 見知らぬ相手だぞ。これだからおばさんはよぉ。
「あ、僕ですか?」
「お見舞いじゃないわよね。なんにも持ってないから」
おばさんの洞察力、侮りがたし! しか〜し、僕は病院の向かいにある花屋に寄るつもりなのだ。
「どこが悪いの?」おばさんはたたみかけてくる。前の席のおばあちゃんとおばさんもこっちを振り向いて答えを待っている。なにか答えねば! 妙な義務感がわき起こる。この人たちの期待に背いてはいけない。とっさに出てきた言葉は自分でもどうかと思う。
「ええ、実は頭が痛くて鼻水が出て、熱があるんですよ」
一瞬、おばさん同士、顔を見合わせ、無情にもこう言ってのけた。
「あんた、そりゃ風邪よ。」
まったくしょうもないという顔をされた。おばさんは徹底している。追い打ちも忘れない。「夏かぜなんて。寝相でも悪かったんでしょガハハハハ!」その後、おばさんたちは僕に対する興味をなくして、また自分たちの会話に戻った。僕に夏風邪を引くバカのレッテルを貼り付けて。
バス停の間隔はまたのびた。今度は間違いない。ホントに延びた。病院まで後三つもある。僕は病院に着くまで絶対に文庫本に集中できないことを悟ったのであった。