松原敏春 作『流水橋』より
「さくら橋」





STORY




昭和二十二年。
隅田川の支流にかかる橋の袂に住む人々の物語。

仮に「さくら橋」とでも名付けよう。




話は、そのさくら橋からはじまる。




まだ焼け野原が残る下町を生き抜く人々の師走の風景。




その中に大きな風呂敷包みを背負って出てくる女、
河村花が居た。

若旦那の三杉喬と愛の逃避行の待ち合わせの約束をしていたらしい。

喬は日本橋の老舗呉服問屋三杉の若旦那で、
花はそこの女中である。

花の風呂敷の中には所帯道具と一緒に、
喬から貰った赤い鼻緒の下駄も大事に入れてあった。

花はその一途な思いから、
喬に言われたように、
店の帳場から大金を持ち出して来ていた。




行こうとする二人の前を毛皮で着飾った女がさえぎる。

喬のかつての婚約者浅倉みゆきであった。

花を騙すつもりもないのだが、
優柔不断で我が身可愛さが先立つ喬が選んだのはみゆきで、
二人はそのまま駆け落ちしてしまうのだった。

愛していた男に裏切られ、
帰る店も失い、
一人残され、
喬から身を投げようと袂に石を詰める花。




その時、通りかかった人力車から声が掛かる。

「今から面白いもんが始まりそうだよ」
声の主は丸井かね。

界隈では有名なかね升質店と金融業を経営する社長である。

番頭の幸造に俥をひかせての帰り道、花を見つけたのだ。

どうせなら手を貸そうと、
身投げを止めないかねに、
実は身重であることを明かす花。

とりあえず話を聞こうと、
かねは花を近くの老婆が営んでいる汁粉屋へ連れて行く。




花の話はこうだった。

京都は宇治の生まれ、
八人兄弟の六番目、
家業が失敗し夜逃げ同然で東京へ出て最後の奉公先が
日本橋の三杉。

老舗だけあって別世界のお客様ばかりだが、
辛抱して十年がたった。




ただのひとつの楽しみは、
三つ年上で慶應ボーイの若旦那、
喬の顔を見ること。

しかも何かにつけて親切にしてくださる。

だが、喬には許嫁の浅倉男爵のご令嬢みゆきがいた。

喬の父、
勝や親類縁者の出席している喬の出征壮行会のおり、
喬が花に気があることを、
みゆきになじられ傷つく花。

慰める喬は、
みゆきとの仮祝言を断っていた。




戦後、みゆきは、
にわか成金と結婚。

帰国した喬は別人のようになっていたが、
あらためて花の前に現れる。

一緒に新しい人生を始めてほしい、
二人の生活を始めるための金は、
前借りということで店から持ち出してくれと
言う喬の言葉を疑うことなど花にはできなかった。

長年世話になった店には申し訳ないが、
若旦那と一緒になりたいが一心。

気がつけば喬の子を身ごもっていた花は、
もう他にすべはなかったのだ。

しかし現実は、
若旦那の喬には逃げられ、
いっそ身投げとなったしだい。




そこまで話を聞いたかねは、
お達者で、と帰ろうとするのだが、
無責任に身の上話を聞くだけかと怒る花。

無責任は花の方で、
できた子供の生まれる権利を思えと、
かねは諭す。

身投げは延期、
無事産んで、
その子は桃子と名付けて育てる。

その間うちの質屋で手伝えと花を連れて行くのだった。




翌年の「かね升質店」。

質店の方は大番頭の仙吉が店をさばいている。

女中のたつも家の取り回しに忙しい。

店の常連のようになっている芸者梅吉は今日も
質草を入れに来ている。

相手をしているのは、
質蔵管理担当の九郎だ。




そこへ外回りから帰ってくる臨月の花。

仕事に慣れてきたとはいえ、
金の取り立てに失敗すると、
かねの仕打ちは厳しい。

かねのお金に対する執着は人一倍だ。

かねにとって関取の駒形だろうと支払いに
遅れようものなら赤子の手をひねるのも同然だ。

ヤクザの代貸が質草もないのに金を借りに来た。

そんな相手に金を出すはずもなく店は大騒ぎに。

花はここぞとばかり応戦しようとすると、
一気に産気づくのだった。




十六年後。

東京オリンピックの昭和三十九年。




今日は桃子が受験した名門栄花高校合格者の発表の日だ。

かねはもう桃子の合格が決まったかのように嬉しい。

桃子はかねをお母さんと呼び、
花をおばさん呼ばわりしている。
そう育っているのだ。




花も三十七歳、
仕事も板についてきた。

そんな時、
赤い鼻緒の下駄の質草を取りに来た客がいた。

喬だった。

不動産廻りの仕事をしているらしく、
羽振りは良いらしい。

花は三杉から持ち出した金も
必死にこの店で働いて返していた。

そのことに喬は感謝した。

みゆきとも別れた、
所詮はお嬢様、
君と一緒になっていればと後悔している。

償わせて欲しくてやって来たと言うのだ。




なぜか心が揺れる花。

喬は手に入れたいものがあった。

丸井かねが握っている錦糸町界隈の権利書だ。

これからの二人の幸せのために持ち出して欲しいと、
喬は花の腰に手をまわすのだった。




かね升質店の裏に吉祥院のお寺がある。

桃子の合格祝賀会を盛大にやるのに
広いこの寺にしたのだ。

和尚はもちろん、
区長の大黒や、質屋の常連客に
近所の連中が総出でお祝いに来ていた。

しっかりと挨拶する桃子に自慢げに微笑むかね。

遠巻きに目を細める花。

幸せな時はあっという間だった。

桃子の不良仲間が来たことで、
話はこじれ、花は借り腹、
血を分けたのはかね、
その娘が桃子と二人から言い切られてしまう。




花は居場所がなくなった。

例の権利書を手にして出て行こうとした時、
花のことを前から気にかけていた
幸造も呼び止めるのだが、
花の決意は変わらず家を飛び出すのだった。




二年後。

花とのいさかいのあとに心筋梗塞を患っていたかねも
近頃は
大分調子が良くなっていた。

女中のトラとたつがよく面倒をみている。

そんな折、かねのことを実は慕っていた大番頭の仙吉は、
元気を取り戻しているかねを愛おしいと思っている。

かねもそんな仙吉が嬉しかった。




臨月の桃子が取り立てから戻って来る。

しっかりと仕事をこなしていた。

父親が誰か分からないらしいのだが、
かねも仙吉も意に介さないでいる。

この若さでかね升を一手に仕切って跡継ぎまで
もう出来ているたくましさからだ。




そこへ、この二年間音沙汰なしだった花が帰ってきた。

桃子の腹に驚く花。

今更おめおめと顔を出せる花に呆れるかね。

結局、喬とは苦労続きだった花を幸造がやっと探して連れてきたのだ。

私が馬鹿だったと言いつつも、
かねの前で素直に謝れない花。

しかも桃子の突き出たお腹が許せない花は、
桃子をかばうかねに余計腹が立つ。

初孫の顔を見るまで殺されても死なないからと
大見得のかねに太刀打ち出来ない花がいた。

そんな騒ぎの中、桃子は今にも子供を産みそうになるのだった。




八年後。

太郎と名付けた桃子の子供も小学生だ。

花は社長となり幸造と夫婦になっていた。




今日はかねの葬式。




その夜、みゆきがかね升を訪ねて来た。

三杉喬が死んで今日が四十九日だと言う。

あれから喬はみゆきの元へ戻っていたのだった。

みゆきが言うには、
「喬は自分だけの墓に、
俺が愛した二人の女と一緒に入りたい、
入ってくれ」と言っていたのだろいう。

二人の真心に触れていたいということらしい。

みゆきは「私一人のことだけでなく、
花さんのことまで言う喬が癪にもなるが、
その分本気に思えた。
ただ、お金がないから立派な墓を立ててあげられない」
と言うのだった。

そんなつもりで来たわけでないと断るみゆきに、
花は五十万円の小切手を渡した。

ただその墓には入りませんとも告げた。




桃子が香典の記帳をしに花の前に来た。

生前のかねの話が出る。

高校入学は金を積んで入れたこと。

かね自身、十八の時に男に騙され、
おまけに借金の形に身売りされたが、
お腹にその男の子を身ごもっていたので、
なんとか下働きですんだこと。

ただその子は死産で、それ以来、
その男を見返すために金々の人生が始まったこと。

花は知らないことばかりだった。

その話で、花に辛くあたったことがわかるような気がした。

生前に一言でも言っていてくれたら三人仲良くできたのにと思う花。

桃子にしても、母親をおばさんと呼ぶのは、
この家の中のバランスをとるために苦労していたのだと言う。

生みの親より育ての親というが、
花にしてもかねに育てられていたような気がした。




時は移って平成二十四年春。




八十六歳となった花、桃子、幸造に九太郎達、
成人した太郎、ご近所さんも大勢集まって、
浅草太鼓持ちの露々八の音頭取りで、
かね升恒例のさくら橋でも花見が始まる・・・。






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